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時給3万円

作者: 相沢昭人

ショートショートです。

面白かったら、ブックマークと評価の方をよろしくお願いします。特に評価があるとすごく嬉しいです。

「お前まだ就職してないのか?」


「ああ、やりたいことがあってな。就職するつもりはない」


 本当はやりたいことなんてない。

 ただ働きたくないのだ。


「それじゃあどうやって生活していくんだよ?」


 こいつらは生きるために生きている。


 何のために今を生きているのか、そう尋ねられると次の瞬間を迎えるためと答えるだろう。

 死の瞬間もきっと同じように考えているはずだ。

 将来幸せになるために今を燃やして、幸せを先送りにし続ける、挙句の果てに幸せをつかむことのないまま終わる。

 それがこいつらの生き方だ。

 下らない。

 数が多いことに安心して堂々と攻めてきやがって。


「生活するだけならバイトでも何でもいいでしょ。俺はお前らみたいに埋もれたくない」


「まだ、そんなこと言っているのか。お前は平凡な人間なんだ。認めろ。そしてちゃんと就職しろ。これは俺が友達だから言っているんだぞ」


 お前と一緒にするな。

 俺に説教をすることで優越感に浸っているだけなんだろう?

 聞こえのいい言葉ばかり並べやがって。


「そうかい、そうかい。ありがとう。じゃあ、俺は帰らしてもらうよ」


「おい、俺の話を聞けよ」


 机に自分の分の代金だけおいて、俺は席を立った。


 こんな奴と話していると自分の士気が下がる。

 愚かな人間とはかかわるべきじゃないって論語にも書いてあるじゃないか。

 お金を置いていっただけありがたく思え。


 とは言えどんな仕事をしていくかはそろそろ考えなくてはならない。

 上司がいないこと、働きたいときに働きたい時間だけ働けること、そして創造力を使うことが条件だ。

 サラリーマンなんて奴隷だ。

 そんなものに身を落とすぐらいなら今すぐ死んだほうがましだ。





「ちょっとそこのお兄さん」


 店を出て、通りを歩いていると、狐のような顔をした男が話しかけてきた。

 おそらく、キャッチだろう。

 こんな仕事をしているなんて哀れな奴だ。


「はい、なんですか?」


 普段なら絶対に付き合わないが、今日は先の友人との話でむしゃくしゃしていたので、そのストレスのはけ口として対応してやることにした。


「いい仕事があるんですけどやりませんか? ものすごく簡単な業務で時給は3万円です」


 だますにしてももっとましな口実があるだろう。

 こんなやり方ではだれも引っかからない。


 そうだ、

 なら俺が引っ掛かったふりをして、ギリギリのところでやっぱりやめときますと言おう。

 その時、この狐男がどんな表情をするのか想像すると、先程までの胸のもやもやは吹き飛んだ。

 それに今回のことでこの手のことからは足を洗ってくれないとも限らない。そうだ、これは社会のためでもあるのだ。


「へー、めちゃくちゃ興味あります。どんな仕事なんですか?」


「興味を持っていただきありがとうございます。それでは、ご説明の方をさせていただきたいので、こちらの方へお願いします」


「ここでは説明できないんですか?」


「私はただの案内係で具体的な内容は何も知らないんですよ」


 こりゃあ傑作だ。

 どんな仕事かも知らないで勧誘するなんて、怪しさもここまでくれば面白い。

 とことん付き合ってやろうじゃないか。




 五分ほど歩くと、ビルの一室にある会議室に着いた。


「あとは担当のものから説明があると思うので、私はこの辺で」


 狐男がドアを閉める音が部屋中に鳴り響いた。


 背もたれのない丸椅子が部屋の中央に一つあり、それに隔てて3人の面接官と思われる人が肘をついている横長の長方形の机がある。

 広い部屋なのに、それ以外何も置いていない。


 目の前の3人は40代ぐらいだろうか、見た目に大きな特徴はない。

 刺青の入ったやくざのような人間がいると思っていただけに肩透かしを食らった気分だ。


「よろしくお願いします」


 無言に耐えきれず俺から言葉を発してしまった。


「どうぞ目の前の椅子にお座りください」


 真ん中に座る男が抑揚のない機械的な声で指示した。他の二人も相変わらず無表情だ。


 俺が座るや否や間髪入れずに説明が始まった。

 まるで、俺が椅子に座ったことをセンサーが感知したかのようだ。


「業務内容の方をご説明させていただきたいと思います。あなたには目を開けた状態でなにもしないでいただきます。場所はどこでも結構です。業務内容は以上です。時給の方ですが3万円とさせていただきます」


「何もしないってどういうことだ?」


「そのままの意味です。ただボーっとしていただくのが仕事です。仕事ですから、居眠りはいけません」


 そんな仕事があるわけがない。

 いったい誰の役に立つというんだ?

 寄ってたかって俺のことをからかっているに違いない。


「ふざけるのもいい加減にしてくれ。そんな仕事があるわけあるか」


「そう言われましても、わたくし共はあるとしか言いようがありません。それと言い忘れていたのですが、何もしてない時の様子を動画にとって送ってください。それが仕事の証拠になります」


「なんだそういうことか。動画に撮るのが目的なんだな。その動画は何に使うんだ。言ってみろ」


「ですから先程申し上げました通り、動画を提出していただくのは仕事をしたか確認するためです。それ以外の用途に使用することは決してありません」


「馬鹿にするのもいい加減にしろ。だますにしても工夫が足りなすぎる。そんなことを言うなら今この場で仕事をしてもいいはずだよな? あんたらが見張っている以上動画に撮る必要もないだろう」


 せっかく憂さ晴らしに来たのに、こんなに馬鹿にされたのではストレスが溜まっていく一方だ。


「はい、もちろんです。特に注意事項もございませんので、準備ができたら教えてください」


 相手を詰まらせようとした質問に即肯定で返答され、より一層ストレスが募る。


 本当はもう帰りたいが、自分で言った手前何もやらずに帰るわけにはいかない。

 とはいっても、やることは何もしないということだがな。


「準備ができたので、始めさせてもらいます」





 一時間が経過した。


 何もしていなかっただけなので、当然何事もなく終了した。

 その間三人の面接官も邪魔をしないためなのか俺と一緒で何もしなかった。

 気味の悪いやつらだ。


「一時間たったぞ。さあ、三万円をよこせ」


 待ってましたと言わんばかりに、お金が入っていると思われる封筒が差し出された。


「どうぞ、中身を確認してください」


 言われた通り確認すると、中にはしっかりと三万円が入っていた。

 俺はここで走って帰ることもできるんだぞ。

 いよいよ狙いが分からない。


「じゃあ、あと4時間仕事をさせてもらってもいいか?」


「勿論です。熱心にやってもらえて光栄です」




 四時間が経過した。


「お疲れ様です」


 何もしていないのに何が「お疲れ様です」だと思ったが、流石に四時間何もしないでいると心労がたまる。

 こんな仕事でもちゃんと疲れるのだ。


「では、こちらの方をお受け取り下さい。また、中身の確認の方をよろしくお願いいたします」


 差し出された四つの封筒の中身はいづれもしっかりと三万円が入っていた。

 既に合計で十五万円もらっている。


 もしかしたらこれはいたずらではなく、本当のことなのではないか。


  そんな考えが頭に浮かびだした。

 悪ふざけにしては何が面白いのかわからない。

 かと言ってこの仕事が何の役に立つのかはわからない。

 しかし、人間社会は複雑だ、何が何に作用しているかを正確に把握するのはほとんど不可能といって良い。


 だからきっと俺にはわからない何かの役に立っているのだろう。

 これはありがたく受け取っておこう。


「じゃあ、今日はこの辺で帰ることにするわ」


「少々お待ちください。まず、給料の振込先をこちらに記入してください。また、動画を撮る用のカメラと動画の送り先のメールアドレスが書かれた紙をお受け取り下さい。よろしくお願いします」


「この仕事はいつまであるんだ?」


「基本的には半永久的にあるものだと思っていただいて構いません。少なくとも私どもの方から仕事を辞めるよう言うことはありません」


 理由を尋ねても、どうせ無駄なんだろう。





 それから、毎日平均3時間何もしないで過ごした。

 どうせやることはないのだ。

 3時間ぐらいなんでもない。

 相変わらず仕組みはわからないが、動画を提出するときちんとお金が振り込まれている。


 一度何もしないことに嫌気がさして、音楽を聴きながら仕事をしていたら、仕事として認められなかった。

 しかも、仕事中に音楽を聴くのはマナー違反ですという至極全うな注意書き付きで。

 こんな不気味なことをやっているのによくぞ言えたものだ。


 だが、これでだいぶ財布が潤った。

 一日平均9万円稼いでいるのだから当然だ。

 これで自分にしかできないことに専念できる。

 きっと、神がそれに専念させるために与えたものなのだ。

 やっぱり、俺は愛されている。





「前回は怒って帰って悪かった。酔っぱらい過ぎた。すまなかった。今日はおごらせてくれ」


 ちょうどこの仕事を知った時、飲んでいた友達と会っていた。

 こんなおいしい仕事を知るきっかけを与えてくれたのはこいつだ。

 少しぐらいは感謝してもいいかもしれない。


「俺はお前のために言っているんだ。それが伝わってくれたみたいでよかった」


 撤回しよう。

 こいつには少しも感謝する必要はない。

 相変わらず、いやな奴だ。


「それにしても、俺の言う通り仕事でも始めたのか?服装も小ぎれいになったじゃないか。NEETを止めてneat(小ぎれいという意味の英単語)になったのか?」


 目の前の友人がゲラゲラと笑いながら、気持ちよさそうに話している。


 不愉快だ。


 不愉快極まりない。


 俺が仕事をしたと思ったら今度は先輩気どりか。


「ああ、実は仕事を始めたんだ。お前の言う通りにしてよかったよ」


「おお、そうなのか。それはよかった。そりゃ、今のお前じゃあ、なかなかいい職には就けなかっただろうが、何もしないよりはましだ。これでお前も一つ成長したな。今日はお祝いだ。俺が奢ってやろう。給料も全然ないだろう? いいんだ気にするな」


 今の発言を聞いて確信した。

 こいつは、何もしていない俺をずっと見ていたかったのだ。

 その証拠に俺が仕事を始めたと知るや否や、軽蔑の言葉を畳みかけてきた。


「ありがとう。俺はいい友達を持った。時には厳しい言葉をかけてくれるのが、真の友達だよな。お前には感謝しかないよ。今日はありがたくご馳走になるよ」


 その時、俺の懐から一枚の紙がひらひらと宙を舞って、友達の足元に落ちた。


 勿論、俺がわざとやったことだ。


「なんだ、これは?」


「それは駄目だ。見ないで、返してくれないか?」


「見ないでって、それは振りにしか聞こえないなあ」


「頼む本当にやめてくれ」


「俺とお前の仲じゃないか。今更隠し事なんてするなよ」


 そう言って友人は、その紙の内容を見た。


「なんだこれは? 給料明細じゃないか。隠したがったのも無理はない。そりゃあ、俺に見られるのは恥ずかしいよな。どれどれ」


「300万円? なんだこれは? おい、どういうことだ説明してみろ」


「だから見ないでって言ったじゃないか。書いてある通り、俺の先月の給料だよ」


「そんなことを聞いているんじゃない。どうしてお前のような何もできない人間がこんなにお金を稼いでいるのかと聞いてるんだ」


「何もできないなんてひどいなあ。評価されてるから、お金がもらえてるんだよ」


「俺はお前が何か危ないことをやってるんじゃないかと心配して言っているんだ。何をやっているんだ、さあ言ってみろ」


「それは言えないことになっているんだ。仕事の規約上な。すまない。ただやりがいある仕事で、勿論危ない仕事でも何でもない」


 間違っても本当のことは言えない。

 知った途端、安心して優越感を取り戻すだろう。

 こいつはそういうやつだ。

 今日の目的は友達に劣等感を持たせることだ。

 今までさんざん馬鹿にしてきた罰だ。


「人に言えないような仕事ねえ。遂にお前もそこまで堕ちてしまったか」


「正確に言おう。規約なんかじゃない。お前には言いたくないんだ。お前負けず嫌いだろ。だから、今の仕事をやめて、俺のマネをして追い越してやろうとすると思うんだ。でも、この仕事には適性が必要なんだ。お前には向いていない。お前のためを思って秘密にしてるんだ。友達ならわかってくれるだろ」


「そんなの聞いてみないと分からないだろう?それに、俺がお前のマネをする? 馬鹿にするな。お前のマネなんかするわけないだろ。うぬぼれるなよ。お前が無能なのは今も昔も同じだ」


「飲み過ぎだよ。酒はほどほどにな。今日はもうお開きにしよう。いつも気にかけてくれるお前に感謝して今日は俺が奢るよ。いつもありがとな」


 帰り際の友人の悔しそうな表情は俺にとってご褒美以外の何物でもない。

 こんな気分がいい日はなかなかない。

 せっかくだから遊んで帰るか。

 お金はたんまりとある。



 俺はキャバクラに行った。

 酒に酔っていたのか、はたまた自分に酔っていたのか、そのあとの記憶はぼんやりしているが、ともかく楽しかったということだけははっきりと覚えている。

 今まで女遊びには縁がなかったため、こんなにお金がかかるとは知らなかった。

 最初100万円入っていた財布の中身は今やすっからかんだ。





 その日以降仕事の時間を大幅に増やした。

 今では平均7時間だ。

 相変わらず仕事が途切れることはない。

 夕方まで仕事をして夜は思いっきり遊ぶ。

 節度を持った遊び方をしていれば一晩で100万もかかるようなことはない。

 7時間も働ければ十分だ。





 この頃遊んでいると自分が浮いていると切に感じる。

 俺はいわば成金だ。

 金持ち社会には金持ち社会のルールがある。郷に入っては郷に従えか。


 俺は今住んでいるアパートを出て、芸能人も多数移住していると噂されている都内のマンションをローンで購入した。

 また、身に着けているものもすべてブランド物でそろえた。

 高級車も買った。


 そのせいで、月末にカード会社から請求が来るが、今から毎日15時間仕事をし続ければ返せる金額だ。

 俺は追い込まれないとやらないタイプなんだ。

 だからこれがいい。

 まあ、やることといっても何もしないことなんだけどな。





 いつものように仕事をしていると電話が鳴った。

 普段仕事中に電話をとることは絶対ないが、起きている時間の大半を何もせずに過ごすのにいい加減飽き飽きしていたので、電話に出てしまった。


「もしもし、久しぶりだな。前は悪かった」


 ああ、さんざん俺を見下した挙句、俺が少し成功したら今度は嫉妬に狂った元友達か。

 連絡先は削除していたので、最初誰からかわからなかった。

 いまさら何の用だ。


「本当は直接会って謝りたかったんだけど、お前の家に言ったらもういないからさ。引っ越したんだな。今どこに住んでるんだ?」


「六本木」


「流石だな。稼いでたもんな。俺はお前が他の人とは違うと思っていたよ。こうなるのも時間の問題だと思っていた。何もできない自分が悔しくてお前に嫉妬していたんだ」


 何をいまさら。


 あれだけ俺のことを馬鹿にしてたじゃないか。


 それを嘘とは言わせないぞ。


「どうしたんだよ急に。前のことは全然怒ってないし、お互い様だろ」


「思えば器のでかさも全然違ったな。文句言ってばっかりの俺をいつも受け入れてくれてたよな。ありがとう」


「お前からそんなに言われると照れ臭いな。それと少し気持ち悪いぞ」


 早く本題を話せという願いを込めて、軽く微笑んだ。


「実はお前に言われてから、自分の仕事について今一度考えてみてな。何のために働いているのかわからなくなったんだ。前々から薄々思ってはいたんだが、お前が好きな仕事をして充実している様子を見ていたら決心がついた。俺仕事を辞めたんだ」


 何もやらないというこの仕事に好きも嫌いもない。

 もし俺が好きな仕事をやっているように見えたんなら、それはお前がそう思いたかったからだ。

 仕事をやめるきっかけが欲しかっただけだろう。

 それを俺のせいにするな。


「でも、いざ自分のやりたいようにやろうとすると難しいもんだな。お前を尊敬するよ」


 自分の本当の仕事について打ち明けたいという願望が迫ってきたが、自分のプライドがそれを許さない。

 本当は何もやってないと分かったら馬鹿にされるにきまっている。

 俺が何かするのはこれからだ。大器晩成なのだ。


「それでな、苦労しながらもやっとのことで軌道に乗りそうなんだ。ただ金がなくてな。500万円足りないんだ。ただ500万あれば必ず2000万にできる。そしたら1000万円を必ず返す。こんな事頼めるのは友人のお前しかいないんだよ」


 金の無心か。


 安心した。


 こいつの性根は何も変わっていない。


「いつまでに必要なんだ?」


「貸してくれるのか?」


「ああ、貸してやるさ。他ならぬ友達の頼みだからな。ただ、すぐに用意できるかわからないから、いつまでに用意できればいいか教えてくれ」


「一週間後だ。それまでに用意できないと、俺の事業は終わって破綻してしまう」


 俺の狙いを実現するには、ぎりぎりの期限を知らなければいけない。探りを入れてみるか。


「一週間後は絶対に無理だ。どんなに早くても10日はかかる。役に立てなくて済まない」


「ちょっと待ってくれ、今仕事仲間がいるから確認してみる」


 相談しているはずなのに友達の声だけが聞こえる。

 よほど仕事仲間の声は小さいのだろう。


「聞いてみたら、何とか2週間後までは伸ばせるらしい。これ以降はもう本当に無理だ。2倍にして返すから、協力してくれないか」


 下手な芝居を打ちやがって。

 俺のことをできないやつだと思っているから、1週間の猶予を見ていたのだろう。


「協力できるみたいでよかった。2倍にして返してくれなくていいよ。500万円でいい。困ったときはお互い様だろ。俺もお前のおかげで今の仕事にありつけたようなもんだしな。じゃあ、2週間後にお金は渡す。それまで待っててくれ」


 直前まで緻密な連絡をして後はバックレてやった。

 その後どうなったのかは知らない。





 毎月のカードの請求と家のローンに追われていると、何もしないことに忙しくて遊んでいる暇もない。

 何のための仕事なのかわからなくなる。

 後400万円だから、今月は最低でも後134時間は仕事をしないといけない。

 今月は残り8日しかないから一日17時間は仕事をして過ごさなくてはならない。

 起きてボーっとして寝る、これを8回も繰り返さなくてはならないのかと考えると気が重い。


 待てよ。


 俺はなぜお金を稼ぐ手段がこのよくわからない仕事しかないと思い込んでいるんだ?


 あまりに楽で高収入なので視野が狭くなっていた。

 社会にはもっとたくさんの仕事がある。


 そうだ、投資をやろう。


 投資ならプラスいくらという形でなく、何倍という形で資産を増やせるので今の仕事より早く稼げる。


 ずっと時給で働いていてはだめだ。

 それを元手に指数関数的に増やしていかなければ。



 これが大きな失敗だった。


 いざとなれば何もしないだけでお金を稼げるという安心感が金銭感覚をマヒさせた。

 投資で失敗したら、それを取り返そうともっと大きな金額を投資する。

 逆に成功しても、同程度の刺激では満足できなくなり、もっと大きな金額を投資する。結果は見えていた。


 人脈を駆使してあの手この手でお金を借り続けてきたが、いよいよ限界を迎えたようだ。

 金を借りていた人たちが束になって俺の部屋まで押しかけてきた。


「おい、お前の職場はどこだ? 連絡させろ」


「それだけは勘弁してください。絶対に返しますから」


「その言葉を信じれるなら、こんなとこまで来てないんですよ」


「早く言えよ、おら、殺すぞ」


 中には取立人としてやくざのようなものを雇っている人もいる。

 この場を収めるためには仕事のことについて話すしかない。


 俺は、何もしない仕事について話した。


「おい、ふざけてるのか」


 そこら中から罵声が上がる。

 そう思うのも無理はない。

 ずっとやっている俺にだって仕組みはわからないのだから。


「信じがたいとは思いますが、本当なんです。私にはそれしか言えません」


「だったら、お前が金をもらっている人に今電話させろ。緊急事態だ。前借ぐらいさせてもらえるだろう」


 何もしないでお金がもらえるだけでも負い目を感じるのに、前借ができるかなんて厚かましいことを聞いたこともなかった。

 だが、状況が状況だ。

 仕方がない。


 電話をかけて会社の人に状況を説明し、取立人に電話を替わった。


 罵声でも飛び交うと思っていたが、予想に反して少し話すと納得した様子で電話が終わった。


 電話が終わると、取立人同士で何やら会議をし始めた。

 内容は聞こえないし、今の自分の立場で何を話しているかなどと聞くことはできない。


「帰らせてもらう」


 取立人たちが一斉に玄関に向かって歩き始めた。


 あんなに騒いでいたこいつらが帰ろうとするなんて、いったい電話で何を聞かされたんだ?


 騒然としていた部屋は、あっという間に俺一人になった。

 怒鳴り声が飛び交っているのも怖いが、その後に訪れる不自然な静けさも怖い。





 家のチャイムが鳴った。


 なんだよ、今日は疲れてるんだ。

 やっとゆっくりできると思ったのに。


「はい、なんでしょうか?」


「あなたの借金の件について、ご説明させていただこうと思いまして」


 その件は会社と取立人の間の電話でもう解決したんじゃないのか?


「借金?」


「あれほどの額を借りておいて忘れたとは言わせませんよ」


 そりゃあ、返さなくていいなんてそんな虫のいいことは思っていない。

 だが、だとしたらどうして取立人たちは黙って今日帰っていったんだ。


「その件に関しましては、私の会社の方と話していただけたのではないですか?」


「ええ.....。話した結果、尋ねさせていただきました」


「そういうことでしたか。まだ会社の方から連絡が来ていなくて、勘違いしてしまいました」


 どうして会社は何も俺に伝えてこなかったんだ。

 事の重大さを本能的に感じたのか、足が震えて、立っているのもつらかった。


「借金の金額が100億円。一日に8時間睡眠を取って、食事、トイレなどに計1時間使い、残りの15時間をすべて仕事にあてたとすると約61年かかる計算になります。あなたは現在25歳ですから成人男性の平均寿命から考えても一刻の猶予もありません。しっかり返済をしていただくために今からあなたを当社の方へ連行させていただきたいと思います。拒否権はありません」


「ちょっと待ってくれ.....」


 取り押さえられると、目隠しをされ、またしゃべれないように猿轡を取りつけられた。

 当然手足も動かないよう縛られている。

 今この瞬間から何もしないという仕事をやれということなのだろう。





 目隠しを外された時、俺がいたのはトイレとベッドだけしかない部屋だった。

 窓すらないこの部屋を自力で脱出するのは不可能だろう。

 まるで独房だ。

 しかも、俺をここに閉じ込めているだけで儲かるとなっちゃあ、監視も厳しいだろう。

 ここで仕事をしろということか。



 最初のうちは黙って仕事をしていたが、段々と何の意味があるのかわからなくなってきた。

 どうせ仕事しても出れるのは61年後である。

 それまで生きてられるかもわからない。

 出られたところで86歳の老いぼれだ。

 事実上の終身刑じゃないか。

 だったら指示に従う必要なんかない。

 もう何もせずにいるのにはうんざりだ。



 それから俺は普段やれと言われても絶対やらない筋トレを始めた。

 ここしばらく何もしない時間が起きている時間の大半を占めていたので新鮮で楽しかった。



 そんな生活が数日続いた後、俺は手足を切断された。

 仕事の妨げになっている筋トレをさせないためである。

 嫌がらせのためではないから、きちんと全身麻酔を施してくれて、痛みはなかった。

 痛がっていたら、何もしないという仕事ができないのだから当然の処置だ。



 それからしばらく黙って仕事をした。

 というよりも絶望で放心状態だったので、自然と仕事をしていた。


 これでは万に一つ奇跡が起きて外に出られたとしても、何もできないじゃないか。


 もうどうでもいい。


 いっそのこと死んでやろうか。

 まあ、今や自分の意志で死ぬことすらできないがな。


 俺は何のために生まれたのだろう?


 このまま借金を返すために、ただボーっとして過ごす生涯に何の意味があるのか?


 思えば、俺は自分にしかできない何かをしたかったはずだ。


 生活するのに十分なお金さえ有れば、後は己の芸術活動に邁進する心づもりだったはずだ。


 結局は余暇があっても何もできない人間だったのか?


 いや違う、もう一度この仕事を知る前の自分に戻れたら、絶対にこんな自堕落に過ごすことはない。


 もう一度チャンスさえあれば。

 あの頃の自分が懐かしい。


 無限の可能性に満ち溢れていたかつての自分を恨めしく思う。


 無限の可能性?


 その時、脳裏に

「芸術は束縛があって初めて作品になる」

 という言葉が浮かんだ。


 これは、事故で手が常に震えるようになってしまった画家の言葉だ。

 最初は今まで通り描くことはできないと絶望し、もう二度と絵を描くのはやめようと思っていた彼だったが、後に震える手を持った彼にしかできない絵を生み出す。



 そうだ、

 俺は無限の可能性に満ちていたから、無限の選択肢を持っていたから、何もできなかったんだ。


 今こそ芸術を創造する絶好の機会だ。


 出口のない部屋に閉じ込められ、手足を切断された今の心情を詩にするんだ。

 そしてそれを歌い上げる。

 幸か不幸かまだ喉だけは生きている。


 この部屋を監視しているものを感動させるんだ。

 それすらできなくては真の作品とは言えない。

 あいにく詩を練り上げる時間は限りなくある。


 一度でも声をあげたら声帯を摘出されるかもしれない。

 チャンスは一度きりだ。


 それから数年間かけて、俺は詩を練りに練り上げた。

 ここまで追い込まれてはじめて、何かを創造することの楽しさを知った。

 人生で一番充実した時間だった。

 何もしないでお金がもらえるより、お金はもらえないけど何かに熱中していた方がいい。

 子供の頃は誰もがそう思っていたはずだ。

「お金なんて.....」と言っていた俺も知らず知らずのうちに金の亡者になっていたんだ。


 この詩は俺の全てだ。

 きっとレンズの向こう側の監視員の心に響くはずだ。

 ここを出たら音楽をやろう。

 そして、大成功してお金も返す。

 つらいこともあったが、今ではこの一連の経験があってよかったと思えている。

 そうでもしないと一番大切なことには気づけなかっただろう。


 さあ、お披露目しよう。


「ぁぁぁ、ああ.....。いいいー。あっ、あっ。..........」


 声が出ない。

 焦れば焦るほど、呻き声に近づいていく。


 違う、


 俺は狂っているんじゃない。


 人生をかけた詩を歌っているんだ。


 久しぶり過ぎて声帯がなまっているだけだ。


「ううあいええ.....。いうあああえええ.....」



 ガチャッ。



 固く閉じられた扉が開き監視員が入ってきた。


 誤解だ。


 俺の目を見ろ。


 これが狂ったやつの目に見えるか?


「うぁーーー、ぎゃぁーー」


 その目からは大粒の涙が落ちる。


 全ては無駄だった。

 俺の人生には何の意味もなかった。


 舌と声帯、そして涙を流したせいだろうか、

 眼球も取り除かれた。


 芸術なんてどうでもいい。


 どんなに素晴らしいものを創造したところで俺にはそれを表現する手段がない。

 束縛もここまで厳しければアウトプットできるものは何もない。


 人に評価されないとやっていけないようでは、芸術家とは言えないというんならそれで結構。

 それ以前に俺はもう人ではない。


 考えることも止めて、長い時間がたった。

 あるインスピレーションが稲妻のように俺の体を震わせた。


 大きな勘違いをしていた。

 表現する手段がない?

 違うだろ。

 今や俺自体がキャンバスであり作品じゃないか。

 詩を考えていた時は、ここを脱出するためだとか邪念が入っていた。

 あんなものは芸術でも何でもない。

 だから、罰が下ったんだ。

「お前にはもっと良いものが創れる」

 きっと神はそう言いたかったんだ。


 ああ、神よ、ありがとう。


 真の芸術を理解する機会を与えてくれてありがとう。


 やはり、俺は神に愛されている。


 俺の芸術魂に再び火がともった。



 その日以来、俺はあたかも何もしないという仕事を拒絶するかのように体を動かしたり食べ物を吐き出したりした。

 その度に監視員が入ってきて俺の体に手が加えられていく。俺がキャンバスで監視員たちがそこに絵を描いていく。

 俺に描かされているとも知らずに。





 培養液に浮かんだ脳髄には大量の管がつながれていた。


 そう俺はついに脳髄だけの存在になったのだ。


 完成だ。


 随分と長い時間がかかった。

 最後は医学の進歩との戦いだった。


 シンプルイズベスト。


 これが真理だ。



 プチっ


 脳髄に栄養を与えていた管が切断された。

 脳髄を生きたままにする維持費が時給3万円を超えたのだろう。

 脳髄に残っている栄養素を使い切るまでの数秒はまだ意識がある。


 本望だ。

 やり残したことは何もない。



 実験結果


 自堕落な青年に、チャンスを与えると周りを不幸にしながら、崩壊していく。


面白かったら評価の方をよろしくお願いします。


今、「人間の向こう側」を連載しています。

そちらの方も是非。

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― 新着の感想 ―
[良い点] キーワードを確認しておりましたが、想像以上のシリアスな展開で、特に最後の場面は読み手を選ぶ内容であったと思います。 その一方で、自信を嘲笑する友人との憎悪とそれへの侮蔑、楽をしてお金を稼ぐ…
[良い点] なるほど……。 そういう展開ですね……。 ほう……。 主人公の考えに共感します。 まあ、仕事の意義に関しては共感しませんが。 [気になる点] 表情の描写、情景描写がもっと欲しいなって思い…
[一言] 世にも奇妙な物語に使われそう
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