人の道を踏み外してみましょう
私がこの街に流れ着く随分前…。
決して裕福ではなかったけど満ち足りた日々。
農家の娘として産まれ、上に兄二人。下にはまだ幼い妹が二人と、大家族だった。
野菜や果物を生産し、道行く人々に行商しながらなんとか生計を立てていた。
だが、そんな幸福な時間も長くは続かなかった。
小さな山あいの村に、傭兵崩れ達が大挙して押し寄せた。時勢だったのか、運がなかったのか判らない。
ただ事態は最悪に近かった。
どこかで戦があって雇用主が敗北したらしく、賃金が不払いだった事に傭兵達は気が立っていた。
街の自警団が応戦したが、最初から数が違いすぎた。十数人の必死の抵抗は、傭兵達によって鎮圧され、死体は乱暴に掘られた穴へと落とされた。
穴には油が撒かれ、荒っぽく焼かれた。
そして村人に金目のものと食糧、酒を供出させると、村人全員を教会へと押し込めた。
そして教会を取り囲んでいた傭兵達は油を撒き、火矢を放って生きたまま私達は燃やされた。
建物から逃げ出す者は射殺され、傭兵達がよくわからない手拍子や歌が聴こえる。
死神達が唄う気味の悪い賛美歌みたいだ…。
傭兵達の嘲笑と、私達村人の悲鳴と嗚咽。
私は本やお伽話にでてくる勇者や英雄が助けてくれると信じていたが、誰も来なかった…。
『熱い熱い、熱い熱い、あついあつい、アツイ』
『喉が痛い、喉が渇く…』
『神様、神様、かみさま、カミサマカミサマ…』
何故こんな事に、何故こんな事を?
祈りも願いも、ここには何も無い。
ただ弱いから一方的に搾取され、その出涸らしでさえも根こそぎ奪われ、消費される。
教会が焼け落ちる頃には傭兵達はいなくなり、辺りは村だった残骸と、骨となった村人達の死骸が周囲を埋め尽くしていた。
自分の両親や兄弟を探したが、誰が誰だかわからなかった…。動くモノは私しかいない。
その事実を受け入れられず、散々に吐瀉し灰と煤が降り積もった場所で途方にくれてしまった。
私の日常は壊れ、私だけが生き残ってしまった。
川の水面に映る自分の姿はまるで骸骨のようで、髪も焼け落ちただれ、全身に残る火傷はずきずきと疼き、歩く死人みたいだ。
私なのに、私じゃない。
この人は誰だろうと自傷的に嗤う。
生きる為に働きたいと言っても、大抵はこの容姿を理由に断られた。
私の顔を見ると侮蔑的な視線を送り、嫌悪する様な顔をしてくる。汚いから寄るな。
あっちへいけ、ここに居つくな。
ジャアドコニイケバイイノ?
やがて私もなるべく人と関わる事をやめ、全身をボロ布で覆い隠し、ひっそりと生きる事にした。
ゴミ箱を漁り、物乞いをし、奇特な人が恵んでくれた僅かばかりのお金でその日暮らし。
いつもの様に恵んでもらったお金をせびる奴が湧いてくる。お金が入った小さな木箱を掠め取り、僅かな収入でさえも奪われてしまう。
もううんざりだ…。
奪われてばかりの人生にら飽き飽きだ。
やっぱり私はあそこで焼け死んでいるべきだった。そうすればこんな日々を送らずにすんだ。
けど人生の転機は突然訪れた。
親切にも助けてくれた方は、お金を拾ってくれて高価なお菓子まで頂いた。
初めて見た甘い甘い、甘美なお菓子。
一口だけのつもりが、貪り食べてしまった。
それに、私の顔を見ても嫌な顔せずに優しく微笑んでくれた…。背を屈めてニコニコしている。
この人は、私の天使様なのかな?
こんなに優しくされたのはいつ以来だろう?
そう思うと涙が零れた。
惨めで惨めで、生きていても辛いだけ。
けど死のうとしても弱虫な私がいつも邪魔をする。私はどういう風に生きればよかったんだろう?
ひとしきり泣いた後、彼女が私に提案する。
『復讐シタクナイ?』
彼女は私が私でなくなると、不吉な事を言っていたが今はどうだっていい。
今はこの人を信じたい…。
「私は何をすれば、…いいですか?」
「簡単な事よ、貴方は私の血を飲み込んでくれればいいの。ただそれだけ、怖い?」
「…いいえ!」
果物ナイフで自分の指を切ると、ムツキは少女に自分の血を飲ませて与えた。
口の中に取り込んだ瞬間、その血は少女の身体へといきわたり、身体の構造を劇的に変化させていく。まるで自分が沸騰している様な熱さ。
ギチギチギチギチ…
肉と骨が擦り合わせる様な不快な音がする。
眼は血走り、血管が浮き出ている。
自分の身体を折り曲げ、身体の中へと流れ込んだ「何か」と格闘する少女。
これは毒なのかな?
私を憐れに思ったこの人なりの優しさかな?
けど、もう何もわからない。
考えたくない。
絶叫すらままならない状況が数時間続く。
それをただひたすらに眺めるムツキ。
やがて少女の骨格は安定し、気絶した状態の少女は唐突に覚醒する。
それを全て見届けたムツキは少女を手放しで賞賛し、服の中から手鏡を手渡す。
「おめでとう!貴方は自らの欲、執着欲に打ち勝って新しい自分になったの!意識はある?混濁してない?」
「これが、…私?」
鏡の前の少女は目をパチクリさせていた。
焼け爛れた皮膚と顔は綺麗になっており、諦めていた髪まで生えている。
瞳の色は赤く、胸と鎖骨の中間まで伸びた髪は黒髪で艶やかな光沢を放っている。
その髪を優しく触りながら、ムツキは少女に問いかける。丁寧な口調でゆっくりと。
「…貴方の名前を聞いてもいい?」
「私はシズネですお優しい方、貴方様の名前を伺ってもよろしいですか?」
「私はムツキ、どうぞ宜しく!様なんて要らないわ、シズネの好きに呼んでくれていいから」
「ではお姉様と!」
「んー、なんか違うかなぁ…?」
「ではでは、先生とお呼びしても?」
「んー…。まぁそれで」
怪人シズネとムツキ、二人の出会いはどんな未来を描くのかまだ誰も知らない。
けど私はこの人に付いて行く。
地獄の底にだって喜んでいくと決めたから…。