彼と彼女の関係性――騎士だった奴は、気づけばメイドで――
文章の書き方が分からなくなってしまったので練習ついでにと書きました。
分厚いカーテンを大きく揺らす風は、窓枠ごと砕けた窓から部屋の入り口までを吹き抜けていく。
北の山脈から流れる冬の夜風は冷たく、唯でさえ生地の薄いネグリジェ姿であったリエルは寒さに思わず体を縮こまらせた。
風の力で大きく持ち上げられたカーテンの隙間からは、柔らかな月明かりが微かに射し込み、斬りつけられた家具や見るも無残な姿に成り果てた調度品を薄闇より浮かび上がらせていた。
またその所々には血痕が飛び散り、それもまた月明かりに照らされていた。
それは先ほどまでリエルとこの部屋を襲った襲撃者が剣による打ち合いを行ったからに他ならない。
襲撃者は数度リエルと打ち合った後、直ぐに身を引いて後ろの扉へと走り去った。
今頃はこの城の衛兵にでも追われている頃だろう。
失敗した襲撃者の今やるべきことは自身の証拠をあまり残さずここから逃げ果せることだ。
ならば少なくとも今は警戒する必要はあまりない。
そう確信したのかリエルは構えていた魔導剣に魔力を流し込むのを止めた。
すると先ほどまで魔術により形成されていた氷の刃はその形を霧散させる。
リエルは手元に残った柄をポケットにつっ込んだ。
そしてリエルはこの部屋の主もとい自身が仕える主が無事であるかどうかを確認することが今しなければならないことであると頭を切り替えたのか、部屋の奥に佇む天蓋付きベッドへと足を進める。
「殿下――ご無事でございますか」
天蓋ベッドに付いたカーテンを恐る恐る捲くり中を確かめれば、ユーベルト王国第三王子のベルンハルト・ミザストリア・ユーベルトが剣を片手にベッドの上で静かに座っていた。
紅蓮の炎が燃えているかのように錯覚する血赤色の瞳。濃い赤紫色の髪。そして色白の肌。彼自身が光るはずもないというのに光って見えるような錯覚に陥る容姿は、まさしくユーベルト王家のそれだった。
そんな王子はリエルの声を聞くと、その赤く鋭い相貌をリエルへと向け静かに声を出した。
「ああ、無事だとも」
その声の通りベルンハルトは寝る直前とまったく変わらぬ姿で座っており、リエルはそれを見てほっと心を撫で下ろしたように表情を緩ませた。
ベルンハルトのリエルへと向けた視線はどこか不機嫌な感情を表していたが、部屋が案外にも暗かったためかリエルはそのことに気づかなかった。
「ご無事で何よりです殿下。襲撃者は既に追い払いました、あの様子なら今夜再び殿下のお命が狙われることはないと思われます。では私は他の者を呼んでまいりますので暫しこの場でお待ちください」
ベルンハルトが無事ならばひとまず一人だけではやれることはないだろう。
リエルは自身のこの場でやるべきことを終えたと理解し、ベルンハルトに一礼をすると足を扉へ向ける。
「待てリエル。誰がここから離れていいと言った」
部屋から出ようとしたリエルをベッドから静かに立ち上がったベルンハルトが、呼び止めた。
その忽ち心の底から冷えそうな声音に、リエルは驚いた様子で振り返った。
「私は殿下が無事でございましたので他の者を呼び、お部屋の片付けと別の部屋のご準備をするつもりでしたが……何かお気に触られましたか? 」
「ああ、俺はお前に文句があるんだ。せめてそれを聞いてから去れ」
いつにもなく強い口調のベルンハルトにリエルは気圧されたかのように一歩後ろへと下がる。
リエルのことをじっと暫く見つめていたベルンハルトはクローゼットへと向かい、中からガウンを一枚取り出す。
「まず一つ目だ。なぜそんな薄着で来た」
「不振な音を聞いたため殿下に何かあってからでは遅いと思い、着替えるのを諦めたからです」
蒼く穢れのない相貌が真っ直ぐベルンハルトを見つめる。
リエルの言葉が“何の誇張表現でもなくそのままの意味”であることを知っているベルンハルトは頭を抱えた。
「なるほど。まあ家臣としてその行動とその心意気は評価しよう……だがお前はそんな薄い格好をしていたせいで怪我をしただろう? 」
ベルンハルトの言葉の通り、リエルは先ほどの戦闘で大きな傷はなくとも小さな傷を負っていた。
そのせいでネグリジェが所々破れてしまいリエルの白磁の肌が微かにチラチラと覗いていたのは、ベルンハルトにとって目の毒ではあったがそれは些細なことだった。
「いえ、この程度の痛みは問題ありませんので」
返された言葉にベルンハルトはまた少し不機嫌さを増したかのよう眉を潜める。
ベルンハルトはリエルの元まで歩み寄ると手に持っていたガウンをリエルへと羽織らせる。
リエルはベルンハルトの行動に少し驚いた表情をした後「お気遣いありがとうございます殿下」とお礼を言った。
やはり冷えていたのだろう。ガウンを羽織ったリエルはその暖かさで少々緩んだ表情を見せた。
その表情を見たベルンハルトもまた少し表情を緩ませたが、一呼吸して気持ちを落ち着かせると言葉を続けた。
「ああ、“今回は”その程度で済んだな。だがもっと大きな怪我をするかもしれないだろう。そうしたらどうする気だ」
「勿論この命に代えても殿下をお守りいたします」
ベルンハルトの言葉にリエルはさも当然であるといった様子で答えた。
そのとても誇らしそうで自分の命のことなどまるで考えていないようなリエルの表情に、ベルンハルトは我慢の限界を超えたかのように肩を震わせる。
(もはやこの朴念仁には上っ面の言葉では通じまいか……)
そう心の中で呟いたベルンハルトはリエルへと歩みをもう一歩進めた。
その表情は普段から周りの人間に温厚だといわれているベルンハルトからは想像できないような渋面だったためリエルは大きく動揺し後ずさりをした。
「で、殿――べルンハルトッ!ぼ、ぼくの答え方が悪かったのか? それなら謝る、謝るからそんな風に近づいて――――」
「俺はお前のことを心配しているんだッ! 何が命に変えてもだ、俺はお前に一度としてそんな事は望んだことはない!! 」
リエルを抱きしめベルンハルトは声を荒げて叫んだ。
驚いた表情をしながらリエルはベルンハルトの顔を見つめる。
「なんで、なぜ。お前はすぐに自分を犠牲にしてまで俺を優先するんだ、あの時だってお前は俺の代わりに……」
「ベルンハルト……? 」
ベルンハルトが今一度その顔をリエルへと向ける。
× × ×
「ここが先日発見されたという遺跡か……」
ベルンハルトは、洞窟の中に突如として現れた空間とその奥で周囲の地形とは明らかに異なる人工物を見つめそう呟いた。
「そのようです」
ベルンハルトの隣に立っていた青年は、言葉とともに頷いた。
純白の甲冑を身につけ、いつでも抜けるようにと腰のロングソードに片手を置いてある、その瞳は透き通るように蒼く長く伸ばした髪は透き通るようなブロンドであるため、周囲の人間からは物語から飛び出してきた勇者のようだとよく言われている。
幼少の頃からベルンハルトに付き従っている彼――サリエル・ガートンは、ベルンハルトにとってよき理解者でありそして最高の近衛であり友人であった為、今回のベルンハルト自身によるプライベートな旅の同行者として選ばれた。
「なあ、サリエル。お前はもう少し感情とか共感とかそういうものは持ち合わせていないのか、そんなあっさりとした返事をされると俺としては少々傷つく」
「殿下、あなたには常々周囲に心配をさせるような行動を謹んで欲しいとお願いしているというのに、いつもいつも、このように突然の思いつきで旅に出てはそれを守る我々の気持ちを汲み取ったことはありますか? 私にそんな余裕などございません。そもそもあなた様は――――」
(……ああ、また説教がはじまったか)
ベルンハルトは肩を下げため息をついた。
普段あまり喋らないサリエルがよく喋るようになるのは、決まってベルンハルトに対して説教をするときだった。
彼は一体いつからこのように説教をする小うるさい奴になってしまったのだろうか、ベルンハルトは幼き頃のサリエルを思い出して苦笑する。
「あまり怒るなサリエル、お前のその小さなことで怒っている姿を見たら王都にいる女性が何千人と幻滅してしまうぞ」
「――ッ。ベルンハルト、僕は今、本気で怒ってるんだぞ! 」
「そうやって怒るわりには、毎回最後は付いてきてくれることに俺は感謝している。なに、少し調べたら直ぐ帰るさ」
ベルンハルトがそう言いながら背嚢から古書と複数の遺跡調査用の魔道具を取り出す姿を見たサリエルは、もはや怒ることすら無駄だと察したのか洞窟の壁面から突き出した岩場に腰掛、目の前でおこなわれていく作業を眺めることにした。
二人のこうしたやり取りはもはや日常の一部となっているため、彼らの他についてきた付き人々も、やっといつものくだりが終わったか、と思いつつ各々の役割へと戻った。
サリエルがベルンハルトの思いつきの行動で振り回されたのは今回が初めてではなく、その回数もすでに両手両足の指を使っても数え切れないほど多い。
もちろんサリエルがベルンハルトの行動を事前に咎めたことは何回もある。しかしサリエルが咎める度にベルンハルトが自分ひとりでもやると言って止まろうとはせず、サリエルが周囲の人間に頼り相談しても、王族不敬をかってしまっては面倒だと、触らぬ神にたたりなしと言った様子で一緒になって咎めるものはいなかった。
もちろんまったく居ないわけでもなかったが、彼のとった行動によって多大な利益が生まれることを知ってからは何も言わなくなった。
だからこそベルンハルトが何か起こせばそれに付いて行くしかないと知っているサリエルは最後は折れて付いていく。
ベルンハルトもサリエルも互いにそのことは重々承知ではあったが、もはやこの言い合いは通例行事となり辞めるにやめられなくなって出会って10年たった現在も続いていた。
遺跡調査の作業が始まってどれ程の時が過ぎたのだろうか、手元のロングソードを磨きながらサリエルはぼんやりと目の前の光景を見つめていると視界の端に見慣れない薄暗い緑のローブを被った男を見つけた。
男はどこか視線が定まっておらずフラフラとした足取りであったため、この遺跡の直ぐ外側にある魔鉱山の労働者が酔っ払って入ってきたのかと思われたが、ローブの隙間からほんの一瞬写った小さな刃が覗いたためそれは間違いであったことに気づかされた。
途端サリエルの表情は険しいものへと変わり、立ち上がりその場を飛び出すように駆け出した。
魔素循環機構により強化された鎧によって、おおよそ人間が走るのとは比べ物にならない速度で駆け出したサリエルは、頭の中で視界に捉えている男が何者なのかを考えた。
ただ一つ間違いないのは主であるベルンハルトに危機が迫っているということだった。
サリエルが迫っていることに気づいた男はローブの影に隠れながらも覗うことができた口をあんぐりと開けたかと思うと、遺跡の一番奥に座り込んで作業しているベルンハルトの下へと駆け出し始めた。
「ベルンハルトッ!」
サリエルが叫ぶ。
声にベルンハルトが振り向く。
奇声を発しながら己にナイフを突き出しながら走りこんでくる痩せこけた男、ロングソードを振り上げ、逃げろと叫ぶサリエルの姿。
ベルンハルトは、作業用コートのポケットに入っていた魔導剣を取り出すと、向かってきた男のナイフを弾き飛ばし、足元を救い上げ転ばせると羽交い絞めにして見事に制圧して見せた。
直後サリエルがベルンハルトの元にたどり着いたかと思えば、大きく口を開け、振り下ろしかけたロングソードの所在なさげにおろしていた。
「え、あ……殿下? 」
「何を驚くことがある。お前と一緒に剣術も体術も習ったんだ。俺だって素人くらいなら相手に出来る」
「し、しかしそのような危険なことをすれば万が一にでも御身に危険がありますっ」
「まあそうだ。しかしまあ今回はギリギリのタイミングだったんだ、例外って事で認めろ。じゃなきゃ俺がこいつに刺されていたかもしれない」
ベルンハルトが拘束している男の首を軽く締め上げる。
男が潰れた小動物のような声を上げた。
サリエルは拳を握り、眉を潜めていたが反論しようにも自身にも非があると考えてしまいベルンハルトのことを強く責めることもできなかった。
「それにそんな話より、コイツが何者かを言及したほうがいいと思うんだが」
ベルンハルトの言葉にサリエルが男の方へと視線を向ける。
男のローブは体を拘束されたときには既に頭を離れていたようで中から目に深い隈を作った、壮年の痩せこけた男の顔とサリエルは眼が合った。
男はサリエルから顔を隠すためか下にかをを背けようとするが、ベルンハルトによってその行動は未然に防がれた。
「あなたは……」
顔を見たサリエルが眉を潜める。
サリエルと男は面識があった。勿論ベルンハルトとも面識はあった。しかし、当のベルンハルトは人の顔を覚えることが面倒だと常日頃から豪語しており今回の男もまたそ内の一人だった。
男はユーベルト王国ではそこそこ名の知れた考古学者であった。
そしてベルンハルトもまた学者として活動をしていることがあり、考古学の分野では新しい古代遺跡を見つけては新発見をし鉱石を残していた為、そういった学者の集まる集会などに出席したことがあった。
その際にこの目の前の男も出席しており、その日は何も発表せずにベルンハルトの話を暫く聞いた後帰ってしまったのをサリエルは良く覚えていた。
「サリエル、こいつのことが分かったのか?」
「はい、考古学者のエレル・マートン博士です」
「ああ、あの遺跡と擬似精霊の発生について書いていた奴か……だがなぜそんな博士が俺を襲う」
そう、ベルンハルトが言った瞬間男が激情し、激しくもがき暴れだした。
「お前は、お前はわしの研究の功績を横から掠め取ったんだッ! しかもわしの研究結果の更にその先まで全てまで……わしはあの時20年の……20年の成果を奪われたッ!! 」
「ふむ……まあ、なんだすまんな」
学者の世界ではよくある話だった。この目の男はベルンハルトに長年かけた研究の成果の先を越され、掴むつもりだった功績を全て失ってしまったことに対して怒っているのだ。
だがそれをベルンハルトは、「同情はすれどそれ以上の言葉はない」といった風に考えそれを男に伝えたのだった、しかしその一言がいけなかったのだろう。
「ッ……くそッ! お前のような才ある者は、そうやっていつもいつも人を――」
突如、男が更に劇場下かと思うとローブの内側から強烈な光が漏れ出した。
「かくなる上は、この未を犠牲にしても憎き者もろともこの怨念晴らす」
徐々に大きくなる光。
そして漏れ出してくる微かな熱。
ベルンハルトは、驚愕の表情を浮かべながらも自らの方へと手を伸ばすサリエルを見た――
瞬間、強烈な閃光と爆音に洞窟全体が揺れた。
重い頭を振り、意識を朦朧とさせながらもベルンハルトは目を覚ました。
体中が痛み、小さなうめき声を出る。
しかしどうにか命は助かったことを悟った。
先ほどの瞬間、死を覚悟した自分が居たと同時に、助かったことに安堵している自分も居ることに少々奇妙な感覚をベルンハルトは覚えた。
「生きているという感覚は、存外気分の良いもの……だな」
そう呟きながらゆっくりと体を動かし、起き上がれるだけの無事を確認し、ベルンハルトはゆっくりと体を起こす。
あたりは騒然となり、右へ左へと先ほどまで呑気に作業をしていたものたちが慌てふためいていた。
ベルンハルトの方へと向かってくる人間はいなく、我が身大事さに隠れ場所を探そうとしているものが多い。
一方、ベルンハルトの護衛や世話係として付いて来ていた数名は、こちらへと走って来ているしかし、その表情はどこか焦燥感を浮かべていた。
「お前たち、俺は無事――」
「サリエル様ッ! 」
ベルンハルトは彼らに無事を伝えるつもりだった、そうすれば彼らは安堵するだろうと思っていたからだ。
――サリエル。
その言葉にベルンハルトの意識が覚醒する。
サリエルは爆発直前まで己のそばに居た。
そして先ほどから彼の姿は見えず声もしない、その上先ほどの爆発に対する何の自衛手段も持っていなかった己が無事であるという事実。
ベルンハルトはのどが渇き、胸が締め付けられるように鼓動を早くしていく。
慌てて痛む体を持ち上げ、目の前で慌てる配下の者たちを掻き分けその中心へと進む。
肉の焼ける臭い。
金属が焼けた際に出る臭い。
それらが混ざり合った上で何か得体の知れない異臭がベルンハルトの鼻をへし折りにくる。
それでもベルンハルトは前に進んだ。
サリエルの身に着けていた魔道強化鎧は、魔法に対する攻撃に高い耐性を付けていた。
ならば人垣の先にはきっといつもの様に、己の安全について説教をするサリエルが居るはずだと……。
希望を胸に一歩、また一歩と進んでいく。
気づけばベルンハルトは叫んでいた。
普段声を荒げないはずのベルンハルトの叫びに周囲の人々は大きく反応する。
もはやベルンハルトの声は止まらない。
そして彼の血赤色の瞳からはとめどなく涙が溢れ落ちていく。
膝をついて、肩を落とす。
目の前に横たわる友人だったはずの肉塊にベルンハルトは、ゆっくりと震えるその手を伸ばした。
素直に彼の言ったとおり、城から出なければ。
旅の速度を優先して護衛の数を少人数にしなければで。
己の力に過信して、賊の制圧をしなければ。
不用意な一言で賊を逆上させなければ。
こんな結果にはならなかったはずだ。
己のもっともよき理解者であり親友を失わずにすんだのではないか――後悔してもしきれるものではなかった。
「誰でもいい……誰でも良いからこいつを、サリエルを助けてくれッ。俺が、俺が悪かったんだッ! 俺の無用心がこんな結果を招いた! 理解は、しているッ……しかし俺は、俺はこんなところで唯一の親友を失いたくないッ! 」
その声に返答できる人間は居なかった。
誰の目から見てもサリエルは即死で手の施しようは無かったからだ。
鍛え上げられた肉体も、まるで絹のように美しかった髪も、サファイアの如く輝いていた瞳ももはやどこにも無い。
「なぜ嘆く」
不意に騒然とした洞窟内でもハッキリと聞き取ることの出来る声が響いた。
「一番大事な奴だった! 周りが俺を理解せずただ傍観しているだけの世界で、あいつだけが俺を理解しようとしてくれた! 最初から我侭だった俺に文句は言いつつもずっと忠義を尽くしてくれ奴だったんだ! もはや本当の家族よりも家族だと思っていた! それを失って嘆くなというほうが無理にきまっている! 」
「なるほど」
どこからか響く声は無機質に納得する。
「しかし人は時が来れば死ぬ、今回は偶々それが早まっただけだ。しょうがない事だとは思わないのか」
「思わないッ! 」
「それは己の我侭だとは思わないか? 」
「分かっているッ――分かってはいる。だが俺はあいつになにも言えていない、言えていないんだ……」
「なるほど、人間とは魂と理性がかみ合わぬ生き物のであると理解していたが……おもしろい」
「なんなんだお前は、さっきからずけずけとッ――――」
心に土足で踏み込むような発言に業を煮やし、勢いよく顔を上げたベルンハルトは目の前で浮遊する“蒼い不定形の浮遊物”を見て絶句した。
「な、精霊……」
精霊、それは体をこの世界を構築する魔素と呼ばれる物質によって構築された未知の存在であり、個体数が非常に少なく報告例が少ないため伝説上の存在、殆ど信仰上の神々と同等の存在のものだ。
なぜそれが目の前に居る。その事実にベルンハルトは驚きを隠せない。
それにどうしてこんなところにいるのか、疑問はさらに疑問を増やしていった。
「死んだものを蘇らせることは摂理に反する。だが興味が湧いた。聞こう、その者を蘇らせたいか人間」
だが、その言葉を聴いたベルンハルトは心の焦燥とは裏腹に有無を言わせるまもなく頷いた。
× × ×
「俺はあの日お前を失った瞬間、俺の半分が無くなった様に感じたそれは耐え難いほどの痛みだったんだ。だからもう、もうそんな事は言わないでくれ」
リエルを抱きしめたままのベルンハルトは、目の前の少女――かつての親友――の過去について思い出しながら再び強く抱きしめる。
蘇った彼は、なぜか彼女へとその体を変えてしまっていた。
その事実にベルンハルトも変わってしまったサリエル本人も大きく動揺したのが半年ほど前。
あの日から今日に至るまで、ベルンハルトとリエルには様々な出来事があった。
そしてそれは彼が彼女になってしまったことにも強く関係していて、二人の関係性は徐々にだが以前とは違う形となっている。
もはや親友には戻れないのだろうという核心が二人の心の中にはあった。
しかし今日、ベルンハルトは確信した。
二度と“彼”を失いたくないという感情。
そして“彼女”を手放したくないという欲求。
あの日から今日まで彼女を見ていて変化してきたこの気持ちが、他ならぬ恋愛感情であるということ。
だから、伝えてしまおう。
ベルンハルトは、リエルを抱きしめたまま心のそこからの気持ちを彼女へと吐き出した。
「お前が好きだ。リエル。もう失いたくない」
言ってしまった。
もはや二度と昔の関係には戻れない、そうベルンハルトは言った直後、再び感じた。
彼女は己に対してどのような感情を抱くのだろうか。
やはり嫌悪感だろうか、それともささやかにでも同じ感情を抱いているのだろうか。
そう思いながら、じっと耳を済ませていると、ベルンハルトの耳元にささやかな彼女の声が聞こえた。
「ふぇ……」
声に疑問を抱きベルンハルトがリエルの顔を覗いてみれば普段の白磁の陶器の如く白い肌が嘘のようにその顔はまるで、茹でた蛸のように耳まで赤く染まっていた。
そして二人の目が合ったかと思えば、リエルはベルンハルトの中で大きくもがき、その束縛から逃れる。
「リエル……?」
「え、あ……その、えっと……べ、ベルンハルトがぼ、僕のことを好き? え、えっと」
リエルはどこか落ち着かない様子で手を体の前でバタつかせながら、その表情を顰めたり緩めたりと激しくさせ後退する。
「だ、大丈夫か? いや、突然ですまない……困らせたかったわけじゃないんだ、しかし今言わなければ決心が揺らぐと思っただから――」
「へぇッ! そんなんじゃない!! 別に私は困ってるわけ……いや、待って、待って違うんだ、違わないけど違うッ」
リエルはいつの間にかその頭から煙を出しているのではないかと幻視するほど真っ赤になり、頬に手を当て、胸に手を当て、普段凛とした佇まいからは想像の仕様も無いほど滑稽な様に変化していた。
「リ、リエル? 」
もはや告白の余韻はどこへいったのか、ベルンハルトは目の前であせり慌てる彼女のことが心配になり、ただ声を掛ける。
「は、はいッ! なんでございま、ますかぁ! 」
「落ち着け」
「おちついてますッ! おちついてるから近づいちゃダメッ」
どこが落ち着いているのだろうか、ベルンハルトは内心ため息を吐いた。
「おい、そんな慌てるとまたスカートを足に引っ掛けて転ぶぞ」
「だ、大丈夫で――」
そんなへまはしないと言いかけたリエルは、足を縺れさせ大きく後方へとバランスを崩し、それをなんとなく分かっていたベルンハルトが抱きとめた。
その次の瞬間ベルンハルトに大きな重力が掛かる。
「ほら見ろお前って奴は――――」
抱きとめたリエルは気づけばベルンハルトの胸の中で気絶しており、その様子にベルンハルトは若干の苦笑いと、ほんの少しの安心感を感じていた。
そして二人の関係が遠くない内に明るいものに変われるだろうという確信を抱きつつもまだ暫くはこの宙に浮いた関係が続くのだろうなと自嘲気味にベルンハルトは笑った。
その後、二人にはまた様々出来事があり、そうして彼と彼女は段々と歩み寄ったり離れたり、また歩み寄ったりと繰り返すことになっていくわけだがそれはまた別のお話である。
読了ありがとうございました!!
感想などいただけると幸いです。