第一章−1−
いい天気だった。
雲一つ無い空はどこまでも蒼く蒼く澄み切って果てしなく広がっていて。
その空の中央にぽっかりと浮かんだ太陽は、淡く優しい光を放っていて。
時折吹く風は凛と冷たくはあるけれど、穏やかで柔らかくて。
小春日和。
本当に、気の早い小さな春がやって来たような。
普段は無機的で荒涼とした雰囲気の漂う鍛錬場も、暖かな陽気が満ちているせいかどこかいつもより華やかで。整然と整列した騎士達の表情も、春の日差しのように晴れやかで柔らかい。
騎士達の前方に立って、その一人一人の顔を見回して、自然に頬が緩む。
国に忠誠を誓った騎士とはいえ、大事な国民の一員であることに変わりは無い。
民が幸せを、暖かな希望を感じてくれているのなら、単純に嬉しい。
この国の冬は、長い。
真っ白な雪が深く積もり地面を覆い隠す。分厚い雲が空を覆い、太陽の光を遮る。
寂しく静かな冬は、長く長くこの国に居座る。
だからこそ、今日のようにふっと訪れた、小さな春に皆が歓喜する。
小さな、気の早い春。しかし、確実に春が近づいている証拠。
生命の輝きに満ち満ちた春の、その兆しは誰の心にも喜びと希望を与える。
それなのに・・・。
私はそっと隣を盗み見て、大きく溜息を吐いてみせた。右隣に立つ、不機嫌を顔中に滲ませた男に聞こえるように、大きく長くゆっくりと。息を全て吐ききらないうちに、憎憎しげな舌打ちが振ってくる。
男はこの国では珍しい漆黒の瞳を、深い嫌悪と非難に歪めて私を見下ろしていた。
薄い唇が、静かに開く。
「お前さ、何がしたいわけ?こんなとこ連れて来て、わざとらしく溜息なんか吐きやがって」
飛び出してきたのは城下の悪ガキのような、貴族の令嬢が聞けば思わず顔をしかめるよな、汚らしい言葉の数々。騎士達が一様に顔を強張らせたのが見えた。
まぁ、そうだろうな。
仮にも私は一国の姫だ。あんな言葉遣いをして、許される相手ではない。
しかし。誰もその口調を咎める声を上げることはしなかった。
それもまた、そうだろう。
再び隣の男をそっと横目で見ながら、一人頷く。
だって。この男、一見普通の成人男性。しかしその実態や、知る人ぞ知る伝説の存在。
この国から出て馬を3日程北へ走らせた所に広がる「魔の森」。魔物達の総本山であるこの森の奥深く。聳え立つ古城に住まう、魔物の王。
魔王。
それがこの男の、肩書きだ。
魔王に向かって、言葉遣いを注意できる人間はなかなかいないだろう。まして「不機嫌な」魔王に向かって。
そう、この魔王サマは、今すこぶる機嫌が悪かった。
直接的原因は寝不足。間接的原因は、私だった。