六話 佐久間神社の戦い 1
同時刻ー佐久間神社。
時読みの間と呼ばれる場所で佐久間愛菜は、未来を静かに凝視めていた。
巫女服を身に纏う彼女は生まれつき両目がない為、余計なものを感じないよう術のかけられている白いバンドを巻いている。
神への祈りを中断し、彼女はふと顔を上げた。
「千秋ちゃん、どうしたの」
「母さん、実は今日転校してきた外人がどうもキナ臭くて」
千秋は母の前に胡座をかいて座り、実は……と切り出す。
「ごめん、母さん。遥に俺がつけていた御守りを渡したんだ」
愛菜の術は「神々の力を引いているのでは」と謳われる程強力である。故に地域住民だけではなく、全国各地からその力と存在を崇められ、佐久間神社は千年の歴史を紡いできた。
申し訳なさそうに頭を下げる息子にくすりと微笑む。
「いいのよ、それで大切な遥ちゃんが守れたのでしょう?」
「そうなんだけど……勝手にごめん」
アスラはどう考えても普通の人間ではない。
一般に出回るレベルの御守りでは遥を守れないと踏んだからこそ、母の術が強く練り込まれた自分専用の御守りを渡したのだ。
現に、遥が御守りを身につけてから、アスラは不用意に距離を詰めなくなった。千秋を睨みつける視線は強烈な殺意しかなかったが。
「風が、動いた」
「風?」
ふと顔を上げた愛菜は眉を寄せて神社の外に視線を向けた。
「千秋ちゃん、千里さんを呼んでくれる?」
「親父を? 今何処に居るんだろ」
千秋はポケットから携帯電話を取り出し立ち上がると何処にいるのか分からない父親へ電話をかけた。
その間に愛菜はちりん、とベルを鳴らす。
「愛菜様、いかがなさいましたか?」
「神社の入り口から、この屋敷、襖、全て閉めるようお願い出来ますか?」
「畏まりました」
途端に厳かな境内は慌ただしくなった。
結界用の蝋燭を増やし、魔を祓う結界術を読み上げるも愛菜の表情は冴えない。
「どうやら結界は、間に合わないみたいね」
そう小さく呟いた瞬間、時読みの間の仕切りが魔物の長い爪によって破壊された。
『グウウウウウ……』
不気味な半死人はバリバリと左右から襖を引き裂き、囲いを放り投げた。
更に散らばった仕切りの残骸をばりばりと踏み潰し、両手を振りあげると蝋燭を器用になぎ倒した。
同時に侵入してきたもう一人の半死人も祭壇を蹴り飛ばし、ケラケラと不気味に笑っている。
そして二人は愛菜の独特な血の匂いに気づいたのか、舌なめずりをして彼女との距離をじりじりと詰めた。
「白虎!」
魔物の手が愛菜の首を刎ねる前に、真っ白な虎が空間を突き破り出現した。
それは風を切る速さで敵の首筋に噛みつき、敵の身体ごと庭の奥まで突き飛ばした。
声を上げないその虎は〈式神〉と呼ばれるもので、神主の千里が得意とする〈術〉だ。
神社の外堀が崩れ落ちる音を聴き、千里は眉を顰めた。
千年の歴史があるこの神社に、魔が攻めてきたことなど一度もない。──新たな強力な魔物の出現か、と嫌な予感が胸中を掠める。
「千里さん」
愛しい妻の声ではっと我に返った千里は彼女の細い肩を抱きしめた。
「大丈夫か、愛菜……」
愛菜は返事の代わりに僅かに口元を緩めた。しかし手放しでは喜べない。今攻撃をしてきた半死人は、つい先ほどまで屋敷にいた従者なのだ。
「あれは死者の魂。心が……魂が泣いている。一体、誰があんな酷い事を……」
「千秋が言ってた化け物か。此処は危ない」
もう時読みの間は半壊しており、神の加護は失われている。まして、愛菜の結界も間に合わなかったのでここにいても危険しかないのだ。
千里に手を引かれて立ち上がった愛菜の足元に鋭い短剣が飛んできた。
「逃がさねぇよ」
「だ、誰だ……!」
千里は愛菜を抱きしめたまま、周囲へ警戒を続ける。
すると、いつの間に現れたのか、銀色に輝くフルートを片手に持つ青年が宙に浮いていた。
まだ少年ではないか。
彼はただ殺戮ゲームを楽しむ子どものように見えた。
「なんだあいつ……浮いて?」
背中には黒い蝙蝠の羽。明らかにひとではない彼の姿に千里は困惑したように眉を寄せた。
そして現状をいち早く察した愛菜は、千里の手に数枚の術が込められた札を無理矢理握らせた。
「千里さん、千秋ちゃんを連れて逃げて……あれは〈厄災〉。旧世紀の遺物……吸血鬼です」
「こんな平和な世の中にあいつらがいる訳がない。それに愛菜、俺だって式神で戦える」
「逃げて下さい。そして、私達の大切な千秋ちゃんを守って」
勝ち目のない強大な敵。夢見の間で彼女が視た未来は何だったのか。
相手が吸血鬼であればとても勝ち目なんてない。自分の力で愛する者を守れない不甲斐なさに、千里はぎりっと唇を噛み締めた。
「……愛菜を置いて逃げはしない」
「千里さん……」
普段であれば必ず愛菜の言うことを聞いてくれる旦那なのだが、今日に限って愛菜の視た未来に歯向かった。
「化け物め。俺だって多少は。──朱雀!」
千里は口に式神召喚用の札を咥えて素早く印を結んだ。瞳を閉じて唇からふっと息を吐き出すと、白い札は巨大な鳥の姿へと形を変えた。
火の力を纏った朱雀は空に舞い上がり、アスラに向けて急降下する。
「へえ〈式神〉か。懐かしいな」
アスラが紅の瞳で右手を翳した瞬間、朱雀の魂は四散して大地へと還った。
決して千里が扱う式神が弱いわけではない。
ただ、相手との戦力差が違い過ぎるのだ。
「ふうん、これで終わりか? 人間」
「千里さん、早く逃げて……!」
「くそっ……」
もう一度印を結ぼうと式神召喚用の札を取り出した瞬間、金縛りにあったように両腕が痺れた。
「あ、ぐ……!?」
「ははっ。人間は脆い。ちょっと触れるだけでお前の首は吹き飛ぶよ。半死人に食べられるのと、お前が半死人になるの、どっちがいい?」
あの紅い瞳を見つめるとそれだけで全てが拘束されてしまう。全てを魅了させ、相手を無力化させてしまう気迫。
かろうじて声だけは振り絞れるように調整されているのだろうが、千里は化け物に屈するつもりはないので、自らで彼らの得意とする魅了から逃れようと首を動かした。
「ぐ、あ、あぁぅ」
「ほらほら、無理に術を解こうとすると首が吹っ飛ぶよ。選べよ、どっちがいい?」
腕が捻じ曲げられそうだ。右側の頚動脈がビキビキしている。このまま無理に動いたら出血で死ぬだろう。
しかも、ここには吸血鬼がグールと呼んだ化け物が二体。
目の見えない愛菜を庇い逃げるのは不可能だ。
返事のない千里がどちらの選択も諦めて死を選んだと踏んだアスラは手のひらを翳した。




