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ダンピールと血の盟約  作者: 蒼龍 葵
第一章 第四部 奏編
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五十二話 奏の精神世界 五

 ──るか。


「遥!!」

「あっ──」


 目を覚ました瞬間、目の前には心配そうな奏の顔。また別の精神世界に飛んだのかと思った遥はぐるりと周囲を見渡す。

 セピア色だったはずの景色は現実の色をつけており、そして自分の身体は精神体ではなかった。指先の感覚もある。──これは、夢なのか?


「奏……お前無事だったのか?」

「はあ? どうしたんだよ遥……。お前が期末テストの勉強しようって」


 奏はいつものように細い目をさらに細めると唇の端で笑った。


「なあ、千秋は?」

「部活に行ったみたいだよ。さて僕も妹のお迎えあるからあと三十分な」


 西日の射し込む教室で奏と二人、英語の教科書を開く。授業の範囲を確認すると、数日前に教わった部分であることから、あながち遠い過去でも無いらしい。


 もしこの場に千秋が居たら、微妙な違和感も解決出来るだろう。しかし、最初から二人しか居ない気がする。

 校庭から聞こえるはずの部活動の騒めきもないし、多少残っている文化部の人の気配すら感じられない。

 奏が不思議そうな顔で黙る遥を覗き込んでくる。


「──どうしたの? 遥」

「お前は、奏じゃない」

「ふふっ、おかしなことを言うね遥。僕が僕じゃなかったら誰だって言うんだい」


 遥は意識を集中させて右手にグラディウスを呼ぶ。銀色に輝くそれを握りしめ、奏に向けた。


「奏は俺のことを『遥君』と呼ぶんだよ。友達同士の呼び名くらい勉強しておくべきだったな!」

「ちっ……」


 素性のばれた奏は仮面をはがし、幼女へと変わる。


『にーにを誑かす混血児(ダンピール)。ここで始末してやるんだからっ』


 佳代はそう言うと、100センチにも満たない小さな身体からズズッと青い薔薇の花を咲かせる。さらに伸ばした両手の爪を遥へ向けてきた。

 体重を乗せてこちらへ突進してきたその遅い切っ先を躱し、彼女の細い手首を掴む。


「目を覚ますんだ、佳代ちゃん! こんな何もない世界を奏は望んじゃいない!」

『黙れっ! 私とにーには……!』


 もがく佳代を押さえつけて遥は説得を試みる。彼女を救うことが奏の心を救うことに繋がると信じて。

 しかし、遥が佳代の瞳を見つめた瞬間、歪んだ心が流れ込んできた。



 ────



 保育園〈マーガレット〉。


「せんせーさよーならっ」

「マミちゃんまた明日ね」


 今日も仕事を終えた母親達が子供たちを迎えにやってくる。「待たせてごめんね」と母親が申し訳なさそうにいう言葉を横で聞きながら、佳代は表情を無くしていた。


 ──どうせ、今日も来ないのだ。


 仕事人間の佳代の母親は、保育園で預けるギリギリの時間を過ぎてもなかなか迎えに来ない。

 前の男は仕事をしない。そして、娘である佳代を迎えにも来ない。──そんな生活に辟易した佳代の母親は男と別れて、新しい男と一緒になった。

 しかし、新しい男も仕事人間。佳代の環境で変わったのは新しい姉と兄が増えただけだ。


 もはや第二の家と化している保育園で、一人過ごすことに慣れた佳代は、ここでは困った存在となっていた。


「佳代ちゃん、先生とあそぼっか?」

「いらない」


 既に心を閉ざしていた佳代は、一人で積み木遊びをするのが日課となっていた。手のかかる子供というわけでは無いのだが、佳代は喜怒哀楽が乏しくて扱い難い。


 苦笑しながら保育士が去る様子を横目で見ながら、佳代は時計の針を睨みつけた。


「先生、すいません! 佳代の迎えにきました」


 遠くで息を切らした男の声に、保育士が笑顔で話しかける。そして数秒の間、佳代の通園バックと制服のコートを抱えた保育士がにこにこ笑みを向けてきた。


「良かったわね、佳代ちゃん。お兄ちゃんが迎えに来てくれたわよ」

「にーに……?」


 佳代は目を丸くしながら玄関へと向かう。そこには走って来たのだろう、頰を真っ赤にして白い息を吐き出す兄の姿があった。

 不覚にも涙が溢れた佳代は無言で兄の腹部に抱きつく。


「にーに……」

「すいません、遅くなって──ありがとうございました」

「いいんですよ、いいお兄ちゃんね。また明日、佳代ちゃん」


 手を振る保育士達に見送られ、佳代は目尻に溜め込んだ涙を必死に堪えながら兄の手をきゅっと握る。


「にーに」

「ん? どうした、眠いのか?」


 奏は瞳を細めながらこちらを見下ろしてきた。


「かよは、要らない子なんだって」


 ぽつりと呟かれた佳代の言葉に、何も言い返せない。どうしたら良いか分からず帰り道は不気味な沈黙が続いた。

 それから一分後に佳代が口元で笑う。それは、とても子供が浮かべる笑みには見えない程、暗く沈んだものだった。


「かよが居なければ、にーにも不幸にならなかったよね」

「佳代……」

「かよなんて、かよなんて──」


 佳代は最後まで言葉を紡ぐことは出来なかった。奏は跪き佳代を抱きしめる。手のひらから鞄が落ちてアスファルトの上に転がる。

 きょとんとしたまま佳代は目線だけ上を向いた。


「にーに?」

「ごめん……ごめんよ佳代」


 子供達を守るために仕事をする両親。手のかからない奏と佳代は、そんな彼らが仕事をする上で相当楽だったに違いない。


 奏の上には年の離れた姉が二人もいる。そして姉達に愛情を注ぎ、三番目に産まれた奏はある意味ついでの存在だった。

 姉達はあちこち旅行に連れて行ってもらっていたが、学費を稼ぐ為に働く両親にそんな我儘なんて言えるはずがない。


 奏も幼少時代を寂しく過ごしていた分、佳代の気持ちは分かるつもりだ──。


「佳代、これからはにーにがずっと一緒にいてやるからな」

「ずっと、一緒?」

「あぁ。もう佳代に寂しい思いなんかさせない」

「──にーにっ!」



 ──ずっと、ずーっと一緒だよ──。



 ────



「奏……一時の気休めなんて、お互い不幸になるだけだ」


 佳代は多分奏に対して兄として以上の感情を抱いている。しかし、奏と佳代では10も離れている。例え義理の兄妹であったとしても、奏には佳代と将来どうこうという気持ちは無いはず。


『あのね、遥ちゃんをころしたら、佳代はフェリさまに褒められるの。そしたらね、佳代は奏と同じ歳にしてくれるって──こんな風に』


 佳代の姿は幼女から成熟した女性へと変貌する。

 腰まで伸びた黒髪に、黒のビスチェドレスと胸元にはフェリが使う青い薔薇の紋章が浮かんでいる。


『アハハハハ! 遥ちゃん、佳代と、にーにの為に死んで!』


 佳代を救う方法を模索する遥だが、左手の赤い薔薇がすっかり光を失っていることに気づいた。

 紋章が反応しなければ、術を放つことも精霊と交信することも出来ない。


「どうすれば……奏──」


 どこかにあるはずの奏の深層意識、その気配すらも闇に呑まれた佳代に掻き消されているようだった。

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