四話 ダンピール
遥は朝から帰りのホームルームが終わるまでの間、アスラから色々な質問を受けた。しかし遥はイギリスで生活していたわけではないので、上手い回答も出来ず彼の話を適当に躱していた。
「遥、帰るぞ」
「あれ……千秋、部活──」
テスト週間でも無いのに、サッカー部のエースである千秋が部活に来ない日など今まで一日も無かった。 彼が部活に行くことよりもアスラの存在を危惧していることをその瞳から悟る。
「あれえ、遥君もう帰るの? もっとお話ししたかったな」
「また明日……」
女子達に囲まれている彼をそのままに、遥は鞄を抱きしめると教室の入り口で待つ千秋に向けて走り寄った。
校門を抜けた先で遥は盛大な溜め息をつく。その姿を横目で見つめていた千秋は苦笑していた。
「遥、今日は大変だったなあ」
「他人事みたいに言うなよ。彼は多分人間じゃない」
あの不気味な気は「ひと」ではない。──直感だがそう感じた。
千秋もアスラがただの留学生でないことを悟っていたのでそこは否定しない。
「魔祓いしてもらうか? このまま一緒にうちに来てもいいんだぜ?」
「いや……とりあえず今日は帰るよ」
あのアスラは魔祓いが効く類には見えない。千秋ですら読めない相手に有用とは思えなかったので、遥は有り難い申し出をやんわりと辞退した。
「そっか……お前用の御守り、母さんに頼んでおくな。とにかく、あいつには気をつけろ」
「ありがとう。また明日な」
頼れる友人の計らいに感謝しつつ、二人はいつもの交差点で別れた。
────
遥が家に帰ると、玄関の前には見た事もない魔法陣が描かれていた。円の中央部分を踏んでみると、それは一瞬だけ赤い光を放つ。
「ただいま」
「ハル! おかえり、無事だったかい?」
謎の魔法陣を踏んでも何も異変は無かった。あれは何の為にあるのだろうと首を傾げながら玄関のドアを開ける。
すると待ち構えていたように、玄関の前立っていたウィルが心配そうな顔でこちらを見つめていた。
「無事って……いつも通りだよ」
大袈裟だなあと思いながら靴を脱いでいると、静かな声が頭上から聞こえてくる。
「……留学生と、接触したか?」
ウィルの鮮やかな碧眼が鋭さを増し、不機嫌そうに眉を顰めている。何故そこまで留学生に拘るのか、ウィルの真意は分からない。
「アスラって子?」
「ハル、明日から学校へは行かなくていい。いや、行ってはいけない」
端的にそれだけ告げると、ウィルは自分で振った話題を強制的に打ち切り、リビングの方へ足を向けた。 取り残された遥は、釈然としない気持ちだけが残る。どうして学校に行けないのか。そして彼との関係は何なのか。
しかしいくら考えた所で答えは出ないので、大人しくリビングに入る。
夕飯の支度をしている母は、こちらに「お帰り」と言い微笑んだ。
荷物をレザーソファーの上に置き、キッチンに立つ母の背中に声をかける。
「ねぇ母さん。ダンピールって知ってる?」
その言葉に規則正しく動いていた筈の包丁の音がピタリと止まった。振り向いた母の顔色は青ざめており、驚愕に瞳を見開いたままこちらを見つめている。
「遥……」
「母さんは何か知ってるんだよね。俺は、何でこんなに、色々なものが視えるの!?」
今まで、両親を視る事は無かった。もし、両親ではないものが視えてしまったら、きっと立ち直れないからだ。
二人の間を不気味な沈黙が支配する。その沈黙を破り先に口を開いたのは、母だ。
「それは、わたくしからは申し上げられません」
「えっ……?」
紡がれた声は母の声とは異なっていた。一体何が起きているのかさっぱり分からない。彼女はゆっくりと遥の前に近づいてくる。
「ハルカ様…わたくしは」
彼女がそう言いかけた所で、地下に降りていたウィルがリビングに戻ってきた。すると母はいきなりウィルの前で跪き、頭を垂れる。
「ウィル様。わたくしはもうこれ以上、ハルカ様を騙す事は無理です」
「ありがとう、リャナ。後は私から話そう……」
そう言うとウィルは母の頭にそっと手を翳す。黒髪の日本人女性は、一瞬で金髪の美しい女性へと変貌した。悲しそうな深紫色の瞳が、騙してごめんなさいと言っているように見える。
「ハル。お前は私と藤宮華江の子であることに間違いはない」
今まで一緒に住んでいた親が実は違うと言われなかった事には安堵する。しかしこの金髪の女性の説明がつかない。
毎日見せられていたあの夢は、何を示唆していたのか。
「か、母さんは?」
「それは……またいつか語ろう」
冷静なウィルの態度も無性に腹が立つ。遥はもう17歳だ。多少の事は受け入れる覚悟も出来ているのに、両親揃って隠し事なんて。
激昂の収まらない遥は、思わず大声でウィルに突っかかっていた。
「何で俺だけ何も知らないんだよ、ダンピールって何? 俺はっ!? あの夢は!」
『ハル、落ち着きなさい』
ウィルの碧眼が紅へと変わる。彼は表情一つ変えていないのに、瞳の色が変わっただけで別人のようだ。
紅の瞳は妖艶な魔力を持っている。まるで催眠術にかかったように、遥はその場から動けなくなった。目の前には、柔らかい笑みを崩さないウィルが立っている。
『おやすみ、ハル』
彼の手に額を触れられた瞬間、遥は強烈な睡魔に襲われ、すぐさま意識を失った。がくんと崩れ落ちた遥の腕を支えたウィルは、目でリャナと呼んだ女性に合図を送る。
リャナは軽々と遥の身体を抱き上げて、彼の部屋まで運ぶ。
瞳を伏せていたウィルは足元にいる黒猫から報告を聞くと、左耳につけているパープルクリスタルのイヤリングを外した。
すると彼の全身を赤い霧が包み込み、穏やかな英国紳士の姿は黒髪に紅の瞳、赤い蝙蝠の羽を持つ吸血鬼へと姿を変える。
アスラの企みが分からない今、迂闊に家を不在には出来ない。しかしニュースで見た変死体に彼が絡んでいるのは間違いない。
リャナに遥を守るよう託したウィルは、手のひらを天井へと翳し、一時的に空間を歪める。
一瞬だけぽっかりと空いた天井を見上げ、大きな赤い翼を広げて暗闇の空へと飛び立つ。
外に出た所で、ウィルは屋根の上でグレイス家の印を結ぶ。吸血鬼や、怪しい魔物が侵入出来ないよう、家の全体を覆う見えない結界を張る。
その結界の効果を確認した所で、彼はとある神社に向けてその赤い翼を広げた。