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ダンピールと血の盟約  作者: 蒼龍 葵
第一章 第一部 千秋編
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二十話 千秋の抱える闇 四


『千秋に力を、俺の、赤い薔薇の紋章よ』


 実体も無いのに、遥の身体はドクドクと脈打つ心臓の鼓動を感じ取っていた。

 さらにその鼓動は何故か千秋へと受け継がれる。


「──!?」

 

 千秋の中に遥の思念体が入り込む。

 茶色の瞳は紅へと変わった。


「千秋……?」


 訝しげに名を呼ぶ父の声は聞こえなくなっていた。

 千秋はゆっくりと両手を組み、遥の(ことば)を紡ぐ。


「天を()く蒼き双龍よ」


 千秋の足元から青白い魔法陣が広がり、複雑な紋様が光を放ちながら空間を満たす。

 その輝きは水面のように揺らめき、千秋の身体を包み込んだ。

 髪は逆立ち、全身が蒼の光に照らされていく。


「怒りの(ほのお)で眼前の敵を焼き尽くせ……【ブルードラゴン】!」


 両手から放たれた光が形を成し、蒼の龍が咆哮と共に顕現する。

 龍の身体から放たれる蒼の輝きは幻想的でありながら、圧倒的な力を宿していた。


 ここは千秋の精神世界だ。〈念じる〉事で、千秋にも無限の能力(ちから)を送る事が出来る。

 炎の魔神(アグニ)が遥に力を貸してくれることで封印されていた術(ことば)が遥の中に戻ってきたのだ。


 千秋が召喚したブルードラゴンは魔力が足りないので子龍サイズだったが、それでも体長は三メートルを超えている。

 蒼龍はつぶらな瞳を千秋に向けて、キュイインと咆哮した。


 生まれたての龍とは言え、その(こえ)に周囲の空気が激しく振動する。

 衝撃波だけで半蔵と千里はそれぞれ反対側に吹き飛ばされた。

 千秋だけが蒼龍に守られ、彼の周囲に特殊な結界がかけられた。


「背中に、乗れって?」


 龍の(こえ)を感じ取り、鱗にそっと触れた。暖かい。懐かしいような、何かを思い出すような──。


「何故、千秋がブルードラゴンを……まさか、アグニが此処にいるのか!?」


 半蔵は真剣を右手で握り直すと、千秋と龍に向けて一気に距離を詰めた。


「うわあ!?」


 真剣が翼に届く前に、龍は千秋を咥えると翼を広げて強風を起こした。

 

「くっ……!」


 一瞬半蔵が風に気圧されて進めなくなった所を見計らうように龍はさらに上空へと飛ぶ。

 憎々しげに舌打ちをした半蔵は、上空を舞う龍を睨みつけたまま懐へと手を差し入れる。

 そこから取り出されたのは、黒ずんだ筒状の器──中には毒を塗り込めた矢が仕込まれていた。


「逃がすものか……」


 低く呟いた声は、まるで呪詛のように重く響く。

 その瞳には人間らしい迷いはなく、獲物を仕留めることだけに執着する冷たい光が宿っていた。


 風に煽られながらも、半蔵は一歩も退かない。

 毒矢を握る指は異様に静かで、まるで死神が矢を番える瞬間のような不気味さを漂わせていた。

 その姿は、佐久間神社の血筋を守る神主ではなく、執念に取り憑かれた怪物そのものだった。


『千秋、吹き矢が来るっ! 旋回しろっ!』


「せ、旋回って、どうやっ……う、うわあああっ!!」


 遥の聲は聞こえたものの、初めて空に上がった千秋は、どうしていいのか分からずに動揺していた。

 龍は動かしていた翼をさらに大きく広げて狙いを定める半蔵の身体目掛けて急降下した。

 その速度は人間の目で追うことは出来ない。龍は鋭い脚の爪だけで彼の身体を拘束した。


「ぐっ……くそっ……」


 龍の拘束を解こうと身じろぐが、その手足は鉄のように固く、人間の力で引き剥がす事など不可能だった。

 しかし執念深い彼は奥の手、と口の中で小さな飴玉サイズの丸い物体を転がし、それをガリっと噛んだ。

 刹那、周囲に甘い香りを纏う白い煙が立ち込めた。それは、ただの煙ではなく、【(あやかし)】の煙だ。


「げほっ……げほっ、く、苦し……」


『千秋、その煙を吸うな、猛毒で喉が灼かれる!』


「む、り……」


 意識が朦朧(もうろう)とする中、千秋はついに瞳を閉じてしまった。その間に式神を召喚する時間を稼いでいた千里が動く。


玄武(ゲンブ)……半蔵様を押し潰せっ!」


 千里の放った式神が、蒼龍と入れ替わりで半蔵の身体の上にのし掛かった。


「ぐっ……」


「キュイイン!」


 再び龍が咆哮し、口から乾いた息を吐き出し、蔓延した白い煙を相殺する。そして毒を吸い込み気絶した千秋を再び咥えると空に飛び上がった。

 予定を狂わされた半蔵は憎々しげに舌打ちをした。玄武を打ち消し、真剣を握り直す。


「仕方がない。せめて千里だけでも……ぐぅっ!」


 半蔵は胸を押さえ、苦しげに膝を折った。

 先ほどまで殺意を露わにしていた瞳が、一瞬だけ柔らかさを取り戻す。

 そこに宿ったのは、かつて千里が慕った義父の面影だった。


「せ、んり……わしを、殺せ……」

「半蔵様……そんなこと、仰らないでください」

「意思を保てるのは……これが、最後なのだ……」


 声は震え、悪霊の囁きと半蔵自身の必死の願いが交錯していた。

 千里は式神の札を握りしめたまま動けない。愛菜が愛する義父を斬るなど……心が拒絶していた。


「お、お主には……愛菜を、千秋を……守る力がある。わしはもう……人ではなくなった……」

「違います! 俺にとって半蔵様は、ずっと父です」

「ならば……父の最後の願いを、聞いてくれ……」


 半蔵の瞳に一瞬だけ涙が滲む。だが次の瞬間、赤い瞳は嗤い、殺意が宿った。

 真剣を両手で握り直し、居合の距離を一瞬で詰める。

 千里は間一髪で回避するが、胸の奥で義父の言葉が重く響いていた。攻撃すべきなのか──。


「ぐっ……!」


 再び剣を振り下ろそうとする半蔵の顔には、苦悶と人間らしさが入り混じり、悪霊とのせめぎ合いが刻まれていた。


「チッ……ハンゾウめ……まだ自我があるとは。ここは、一度撤退するか」


 半蔵は額に大量の脂汗を浮かべ、己の姿を黒い霧に変えるとその場から一瞬で消え去った。


「……」


 無言のまま千里は空へ視線を向け、口笛を吹いた。

 すると気絶した千秋を乗せた龍が、翼を動かしゆっくりと地上に降り立った。


「このコを出してくれたのは、千秋の未来から来た友達だね。大切な息子を救ってくれて、本当にありがとう」


 千里の声が呪文のように遥の中で反芻(はんすう)された瞬間、セピア色に沈んでいた視界が揺らぎ、白い霞が広がっていく。

 音もなく、ただ光だけが世界を満たす。


 遥は自分の思念体としての存在も完全に溶けていくのを感じた。

 精神世界の空気が淡く散り、現実の匂いが少しずつ鼻腔を掠める。

 そして最後の一粒が瞼の奥で弾けた瞬間、視界は真っ白に変わり──


 次に目を開けた時、遥の身体は現実世界へと引き戻されていた。

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