十一話 佐久間神社の戦い 6
「うっ……」
「ち、千秋、大丈夫か?」
うっすらと目を覚ました友人の肩を軽く揺すると、千秋は遥の顔を確認して、安堵したように一瞬笑みを浮かべ、再び閉眼した。
「化け物が、母さんを……」
バケモノ──。
その一言に、遥は心臓を鷲掴みされた気分になった。
「千秋……ごめん……」
「なんで……遥が、謝るんだよ……」
ポロポロと涙が溢れる。遥の気持ちを察した千秋は無言で頭を撫でてくれた。貧血で死にかけている癖に、いつも優しい。
「ごめん。千秋、ごめん。俺も……」
俺も、化け物の子どもなんだよ。
自分を化け物と認めてしまえば、そういう生き方しか出来ないだろう。そして得た友人達を全て失う事になる。
千秋は遥の見えないものを視る能力を知っている。たとえ遥が禁忌の混血児であっても、彼の性格であればきっと笑い飛ばしてこれからも仲良くしてくれるだろう。
「遥、俺は……ぐッ!?」
「千秋? おい、しっかりっ!」
千秋は突然胸を押さえ、遥の腕の中から崩れ落ちた。
荒い呼吸を繰り返す千秋に、遥はただ背中を必死にさすり続けるしかなかった。
「はぁっ……あ、ああああっ!!」
次の瞬間、肉を裂くような鈍い音とともに、千秋の胸を突き破って歪な黒い茎が伸び出した。
血の気を失った顔で呻く彼の瞳は焦点を失い、遥の心臓は一気に凍りついた。
その茎はまるで生き物のように蠢き、薔薇の香りを放っていた。
「これは……」
「黒薔薇の種だよ。薔薇が血を吸い尽くして咲いた時、彼は半死人へと変わる」
アスラはそう説明すると、ミストルティンを振りかざし、対峙していたティムとの距離を詰める。
一方のティムは宙で一度回転し、リーチの長いアスラから一旦距離を取った。
「ほんっと凶暴だなあアスラは。ウィル、何でもいいからボクに武器頂戴。これじゃあ戦えないよ」
苦笑しながらそう呟くティムに、ウィルは右手からチェーンクロスを取り出すと彼に渡した。
「じゃあ、ボクは左に行こうかな。ウィルはミストルティン押さえてよ」
「あぁ」
目の前で繰り広げられている非現実的な戦いを遥は受け止めきれない。
しかし、無情にも時は過ぎる。千秋の身体は少しずつ体温を失い、心臓に刺さる茎は不気味な淡白い光を放っていた。
「千秋……しっかり!」
「あ、あっ、あうっ……」
茎を無理矢理引き抜こうにも、それはマグマのように熱を放ち、握った瞬間、遥の手のひらの皮が剥けた。
一方、空中戦を繰り広げているアスラは、ティムのチェーンクロスを左手で受け止め、右手はウィルの剣をミストルティンで受けた。
ティエノフ家の吸血鬼は、非常に好戦的であり、温厚な戦い方では勝ち目がない。
「ははは! 弱い、弱い弱い!」
アスラのどす黒い気に気圧されたウィルとティムは、一度彼から距離を取った。
「ウィル……やはり“甲冑の騎士“を出さないと無理だ」
「……ああ」
「ボクが時間稼ぐから、頼むよ!」
ティムはウィルから離れると両手に魔力を蓄えてアスラの注意を引いた。
「炎の魔神よ、我にその力を与えたまえ…灼熱の炎弾」
ティムの両手から迸った炎の玉は二つの火柱を生み出し、左右からアスラを飲み込まんと迫った。
しかしアスラは一歩も退かず、冷ややかな眼差しで炎を見つめていた。左手を静かに翳すとそこに青白い光が集結し、鋭利な氷の刃が形を成した。
「遊んでやるよ、使い魔」
炎の柱と氷の刃は空中で激突し、爆ぜるような音を立てて相殺した。
吸血鬼と使い魔。例え魔法同士が打ち消されたとしても、その能力の差は比較にならない。
「やっぱり……食らっちゃったか」
ティムの右腕に深々と突き刺さった氷の刃は、溶けることもなく、皮膚の奥までジワジワと染み込んだ。
「うっ……ぐっ」
全身猛毒に侵されたように動けなくなったティムを軽く一瞥し、アスラは瞳を閉じて嘆息した。
「やはりこの程度か。では使い魔から先に……」
『黒の騎士、白の騎士、グレイス家の血の盟約において命ずる。──反乱者を討ち倒せ』
ウィルの血で描かれた魔法陣から、巨大な甲冑の騎士が出現した。
黒い馬に跨り、巨大な槍を持つ彼等は残像を残すような疾さで左右からアスラへ突進した。
槍の矛先がアスラを狙うが、一瞬の隙を見抜き、身を翻して攻撃を躱すと、代わりにミストルティンを黒の騎士へと振り下ろした。
騎士の甲冑に深々と剣を突き刺した所で満足そうに口角を吊り上げるアスラ。
その刹那、ウィルが二体の騎士の間に飛び込み、血の赤い剣でアスラの心臓を穿たんと一切の迷いを捨てて突き立てた。
「ぐっ……騎士は、囮か」
囮はティムだけでは無かったのだ。
混血児に現を抜かしすっかり腑抜けてしまったウィルに負ける筈がない。
己の力を過信していたアスラの完全な敗北だった。
「ふ、ふふふ……」
上空へ高く飛び、自己治癒を行う間も彼は心底楽しそうに笑っていた。
「ウィル、混血児の友達に黒薔薇の呪いをかけた。友情ごっこでいつか裏切る人間を守るといいさ。魔に堕ちるのを、俺は楽しみにさせてもらう」
そう言うと、アスラは愛菜のクリスタル像をふわりと浮かせる。
「あっ!」
ティムの手はあと一歩及ばず、像は彼が歪めた黒い空間の中へ吸い込まれていった。
「アスラ……貴様っ……!」
「お前は爪が甘いんだよ。あの女は人質として預かっておく」
ウィルが追撃する前にアスラは己の身体を黒い霧と化して吸血鬼の世界へと戻ってしまった。
最後の詰めの甘さを悔やむが今はそれどころではない。今も遥が目覚めない親友を揺すっている。
「……ハル、まずは家に戻ろう。全てそこで話す」
遥の瞳は動揺していた。無理もない。親友は傷つき、父親は吸血鬼、おまけにクラスメイトも敵。右も左も化け物だらけだ。
「ボクがその人間をみておくよ。断界領域のお陰で神社に被害は無いし、彼は寝かせておけばいいだろう。それとも、記憶を消す?」
ティムが当然のように口走った一言に、遥は背筋が凍りついた。
記憶を消す。無かったことにすると言うのだ。この戦いも、石像となった千秋の母さんの存在も。
遥は無意識に化け物に対する視線をティムに向けていた。その視線の真意にティムは悲しそうに眉尻を下げる。
「ウィル、早くハルとお友達を連れて帰りな。リャナが怒って待ってるよ」
「分かった。千里さんが目覚めたらこちらに連絡をくれ」
「了解。じゃあまたね」
ティムは再び最初に会った少女の姿へ戻っていた。一体どれが本当の姿なのか分からなくなりそうだ。
「さあ、屋敷に戻ろう。ハル、こっちにおいで」
認めたくはない──だが、この状態の千秋を救うことが出来るのはウィルしかいない。
遥は動きを停止した千秋を抱きしめ、ウィルのマントの中で瞳を閉じた。
やがて赤い霧が彼らを包み込み、血のように濃く、冷たい風のような霧は視界を奪い、彼らを屋敷へ引き戻す。
残されたものは、僅かな希望の光だけだった。




