第九話 佐久間神社の戦い 4
「混血児を始末するのは、ティエノフ家当主としての意向なのか?」
「いいや、俺の独断」
さらりとそう述べたアスラはミストルティンを準備運動のように振り回した。その度に血走った目から血のようなものが滴り落ちる。
「……また喰ったのか」
「そうなんだよ。この剣はいつも腹ペコだからさあ、黒薔薇の場所に沢山餌があって助かったよ」
ウィルの高貴な吸血鬼の香りに惹かれたのか、アスラの配下である大蛇が突然反旗を翻した。
残る六本の首がアスラの肩口に一斉に噛みつこうとする。
「おっと、主人に噛み付くなんて躾が悪すぎるかな」
ミストルティンを一振りした瞬間、大蛇は首を全て切り落とされ、その活動を停止した。
「あーあ。折角いい魔物と盟約交わしたけど、やっぱり魔物は知性が低い。でもこいつの血は不味いから喰わせるか」
餌だよ、とミストルティンを地面に突き刺した瞬間、剣から禍々しい黒い気が沸き起こり、辺りを黒く染めた。
剣が、魔物を喰っている。
そのありえない光景に千里は吸血鬼達が次元の違う場所にいる存在であると認識した。
こんな化け物相手に勝てるわけがない。だから愛菜は逃げろと執拗に言ったのだ。
今千秋は何処にいるのだろうか。この、隣にいる吸血鬼が敵でないのであれば、せめて千愛だけでも救いたい。
「千秋くんはハルの大切なお友達だから、必ず守ります」
千里は胸の奥で密かに思った。彼らは心を読むことが出来る。
吸血鬼を利用して息子だけでも守りたいなんて。自分本位な考えを抱いていたことが、急に恥ずかしくなり、頬がかっと熱を帯びた。
その瞬間、ウィルの紅い瞳がふっと千里を捉えた。彼は吸血鬼であるはずなのに、血の匂いも支配者のような影の気配もなく、ただ静かに包み込むような眼差し。
あまりの美しさに千里は思わず息を呑んだ。
この瞳に抗うことはできない。気づけば心は完全に虜となり、彼の視線に縫い止められていた。
「ちっ……なんだよ、ウィル、人間にそんな甘い目を向けんなよ!」
アスラは苛ついていた。大好きなウィルを人間に奪われていること、餌である人間の世界に彼がいつまでも執着していること、そして彼の心が混血児に囚われていることが原因だ。
「ウィル……お前の気を俺だけに向かせるようにしてやるよ」
アスラが描いた黒い魔法陣の中央に黒薔薇が咲き乱れた。するとその中から現れたのは全身蔦に縛られた千秋の姿だった。
「ち、千秋……!」
薔薇の棘が彼の肌を穿ち、血を啜る度に千秋の肌は青白く変色していく。
もはやかすかな呼吸すら危ういその姿を父、千里はただなす術もなく呆然と見つめていた。
「き、さま……ああ!」
最愛の妻は石像と化し、最愛の息子は今や虫の息。怒りに震える千里は式神召喚の札を口に挟んだ。
しかし彼の溢れる怒りをそっとウィルに鎮められた。
「アスラに式神は効きません。それに式神を召喚する事は……貴方の命を縮めますよ」
「それでも俺は、息子を……!」
【禁術】を二回発動させたことはない。これでどれ程寿命が縮むか分からないが、息子を失うくらいならば、この命賭けよう──。
「白虎……蒼龍!」
吸血鬼の瞳に捕縛されてしまったら式神を重ねた所で無意味だ。防御を全て捨ててでも千秋を助ける。
術を反転させる前にウィルが千里の額に指を添えた。
『──お願いですから、眠ってください』
紅の瞳で千里を射抜く。
絶対に屈しないように強烈な睡魔と戦った彼も、三十秒足らずで眠りの世界へと堕ちた。
ウィルと二人きりになった事でアスラは高揚したように口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「ウィル、このガキの始末はお前の態度次第だからな?」
黒薔薇の蔦は千秋を掴んだまま不気味に蠢き、薔薇はまだ血液を啜っている。
アスラの気まぐれで黒薔薇は動く。黒薔薇がこれ以上彼の血を飲むようであれば出血量が多くて死ぬか、半死人に変貌するか。
さてどうするか……と手をこまねいていると、境内に遥が息を切らしながら入って来た。




