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一話 追憶

 大きな赤煉瓦あかれんがの屋敷の庭で、蝋燭ろうそくの炎だけが闇の中で揺らめいている。

 その場所に立っているのは三人の男と、そのうちの一人に手首を拘束され、泣き叫んでる女が一人。

 彼らの視線の先にあるのは、十字架の木に張り付けられた全身傷だらけの男。


「もう、止めてください……! 彼は、何も悪い事をしていないのですっ!」


 悲痛な女の叫び声に、彼女の手首を拘束していた男はゆっくりと振り返る。


「悪い事をしていないだと? いいか、華江(はなえ)。お前が愛してしまったこの男は、この世界を滅ぼす吸血鬼(ヴァンパイア)なんだ。それを分からないとは」


 男は泣き崩れる女の顎を掴み、強制的に上を向かせる。


「──さあ、選べ。お前の腹の中にいる悪魔の子を()ろすか、それともこの悪魔を完全に始末するか」


 女はその問いに唇を震わせ、涙を浮かべたまま緩く首を左右に振っている。


「どちらも嫌です。お父様、私を殺してください……」

「──華江さん」


 張り付けにされている男が小さな声で女を呼ぶ。暗闇の中でもハッキリ分かる紅の瞳で、彼は女にふわりと優しく微笑む。しかしその笑顔もすぐに消し去り、杭を持つ男に鋭い目線を向けた。


「殺れ」


 低い命令と共に、張り付けにされている男の横に立っていた男が杭を手に持つ。それは深々と彼の心臓部へと打ち込まれていく。


 張り付けにされている男が、瞳から赤い涙を流したとほぼ同時に断末魔の声が響く。それに呼応するかのように、蝙蝠コウモリ達がバサバサと羽音を立てて空へと舞っていった。


「いやああああああっ!! ウィルっ!!」


 無残な亡骸の前で、地面に泣き崩れる女の、胸を潰すような悲鳴が周囲に響き渡る。



 それは、幾度となく繰り返される夢の一幕。



 携帯の電子音アラームに起こされた(はるか)は、此処で必ず目が覚める。

 この夢を見るようになったのは、彼が高校に通うようになってから。約一年間同じ夢にうなされている。


 最初のうちはこれを予知夢かそういう類のものかと思っていた。だがこの夢を何度も見続ける内に、少しずつ夢の中の景色や人物をはっきりと思い出せるようになった。


 赤煉瓦の屋敷は、母の実家の藤宮ふじみや家だ。幼い頃に何度か見た記憶・・がある。

 見た記憶と言うのもおかしい。幼少時代、遥は確かに其処で暮らしていたはずなのだ。


 何時からだろう。過去の記憶が朧げになったのは。そして無理矢理〈過去〉を思い出そうとすると、電流が流れるような酷い頭痛に襲われる。

 まるでそれが、何かの記憶を封印しているかのように……。



 壁時計は六時半を示しており、遥はパジャマから制服のブレザーへと着替えた。

 季節は八月下旬で、暑苦しいブレザーを着る必要は全く無い。しかし両手首にある、赤い薔薇の紋章を隠す為の方法は他に無かった。


「遥〜。ご飯よ〜」

「はい、今降ります」


 一階から聞こえる母の声に、慌ててネクタイと制服を整え、通学用の鞄を手に持ち階段を降りる。

 リビングには、変わりない朝を告げる珈琲豆の芳ばしい香りが漂っていた。英語の新聞を読んでいる金髪の男に、遥はおはようと声をかける。


「おはよう、ハル。また、魘されたのかい?」

「うん……数えるのも面倒なくらい同じ夢だよ」

「……そうか」


 長い足を組んで椅子に座り、優雅に珈琲を飲んでいる彼は、遥の父親であるウィリアム=グレイス。ファーストネームをそのまま呼ばれる事を嫌い、彼は皆に自分の事を『ウィル』と呼ばせている。


 伯爵家の出身という彼は、金髪に碧眼。すらっとした長身に、温和な物腰と流暢な日本語が特徴的で、現在は翻訳家として仕事をしている。

 しかし【ある一定の年齢から歳を取らなくなる魔法】をかけられたらしく、信じがたい事にウィルの外見は二十四歳でピタリと止まっていた。


 遥とウィルが並ぶと親子に見えない。そもそも遥は藤宮家の血が強く、黒髪に茶色の瞳。目鼻立ちも日本人顔をしているので、こちらから言わない限りハーフだとは気づかれない。

 万が一ウィルと一緒にいる所を誰かに見られて、家族関係について色々と詮索されることが面倒なので、父は海外赴任で不在。同居しているのは叔父という事にしている。

 母は、華道家のお嬢様として育てられていたのだが、ウィルと恋に落ちてからは駆け落ち同然で結ばれたらしい。

 詳しくは聞いていないが、二人共現在は家族との縁を切っている。


 テーブルの席に着き、母が作った卵サンドに「いただきます」と手を合わせてかぶりつく。何気なくテレビを見ていると、朝から物騒な事件について報道されていた。


『昨日、世田谷の公園で若い男女二人の遺体が発見されました。目立った外傷は特になく、一部干からびた状態で発見されたようです。この事件について警察は──』


 この季節だから脱水でしょうかね、と死体を見ることが出来ないキャスター達は勝手な推測を口にしている。

 目立った外傷は無い、だからと言って砂漠でも無いのに干からびた(・・・・・)死体なんて異常に決まっている。

 パンを珈琲で流し込みながら、遥は目を細めて実際に放映されていない部分を視つめていた。


「──左の首筋に、噛み痕あるじゃん」


 ブルーシートに包まれた死体が遥の双眸にははっきりと映されていた。その死体は全身から水分が抜き取られており、骨と皮だけになっている。

 そして彼が視たものは左の首筋。何か牙を立てられたような歪な歯型。


 遥の不思議な能力は、時間を逆行し現場で何が起きたのか、イメージを強くすると色々な物がえるのだ。噛み跡という言葉に、珈琲を飲んでいたウィルがクスクス笑う。


「ふふっ。首筋に、噛み痕なんて……まるで吸血鬼ヴァンパイアじゃないか」

「あなた、遥を怖がらせないで頂戴。遥はお化け屋敷でさえ嫌いなんだから」

「なっ! そんなの、昔の話でしょう。もう行くよ。ご馳走様!」


 気恥ずかしくなった遥は、慌てて席を立ちそのまま大股で洗面所へ向かった。冷たい水で顔を洗い、バッグを持ち玄関で靴を履く。すると、いつの間にか見送りに来たウィルと視線がぶつかった。


「……ネクタイが曲がってるよ」


 優しい声音でそう言うウィルは、長い指でネクタイを綺麗なウィンザーノットに仕上げる。


「あ、ありがとう。行ってきます」

「気をつけて行くんだよ?」


 遥と入れ違いのタイミングで、家の中に黒い毛並みの猫が入ってきた。その猫は我が物顔でウィルの肩口にひょいと乗る。


「……そうか、あいつが動くか」


 ウィルは独り言のようにそう呟き、黒猫の背を優しく撫でる。

 一瞬胸を掠めた不安を払拭するように、首を左右に振るとリビングの方へ踵を返した。

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