第一側室ユーミアン
――……結局一睡もできなかったわ。
鴉さんとの出会いから数刻後。
私はいつものメイド服へと着替え、窓を開け空気の入れ替えをしつつ、ついでに外を眺めた。
冷たい空気が身をすり抜け室内へ充満。そのお蔭で、気分が晴れ渡っている。
空に広がるのは美しいぐらいにまで澄んで青空。今日も良い天気だ。
ふと流れ動いていく雲を観察すれば、苺の形をしたものを発見。
――今日の午後のティータイムは、苺のミルクティーにしようかな。丁度時期だし。姫様もお好きだったから。
今の私の状況は、この雲と一緒だ。
留まる事がなくこの数時間の間に大きく変化を遂げている。
それは突然夜中に忍び込んで来た一羽の漆黒の使い魔によって――
自分が同衾しているかを確認するために、主の命を受けわざわざやって来た鴉さん。
どうやら彼のご主人様は、私へ好意を持って下さっているようだ。けれども実感が全くわかない。
宰相様に婚姻契約書を渡されたり、愛の言葉を囁かれた時もそうだったが……
今まで色恋沙汰に無縁の生活。
そのため急速に変化する現状が不可解過ぎて、まるで自分ではない第三者の世界で起こっているように感じてしまっている。
「……でも、考えてもしようがないよね。宰相様はからかっているだけかもしれないし。それに鴉さんのご主人様にしても、人違いかもしれないわ。私、魔術師の知り合いなんていないもの」
気を取り直し、寝具とは反対側へと向かう。
そこにはダークブラウンで統一されたドレッサーが設置されていた。
その前にある椅子へと腰を下ろすと、引き出しから櫛を取りそのまま髪を梳いていく。
そしてさっと一つに纏めリボンで結ぶ。そしてその後、襟元を直し軽く身を整えていった。
そしてある程度外へと出られる姿になると、今度はまた寝具付近へと戻る。
丁度右隣にある小さな猫足の箪笥。
その上には水差しや本などが。
それからそこには真っ白い艶々の猫がごろりと横たわっていた。これは陶磁の宝石箱。
私はそれを手に取り持ち上げた。
そして蓋を開き中身を取り出す。
それは銀のネックレス。トップは楕円形をした銀製品で、表面には百合の花が彫られ、磨き上げられている。
数年前に貰ったというのに色褪せずあの頃のままだ。
それは同素材のチェーンが付けられている。
いつも身に着けているこれは、就寝時にだけは外していた。
あまり寝相が良い方ではないので、これを潰してしまう事を恐れて。
このネックレスの持ち主は、孤児院に預けられた時に仲良くなった少年。
森に傷だらけて倒れていた彼を、たまたま食料のキノコ取りに来ていた私が発見。
そして孤児院が保護したのだ。後日大層な騎士達の迎えにより、彼が孤児院を去る時に「持っていろ」と私へ差し出してくれたのだ。
彼の名前も過去も全てが不明。
そのため、院長先生が仮の名である『ジン』という名を与えた。
ジンファートの森で見つけたから、ジンと。
ジンがある日突然どこかの騎士に連れて行かれてから院長へそれとなく彼の行く先を訊いてみたが、「忘れなさい。彼はこんな所で居てはならない身の御方」という無慈悲な宣告が返ってくるだけだった。
そのためいつ出会っても良いようにと、大切に手入れをして首から提げている。
だが月日を共にするうちに、この銀ネックレスが私の心のよりどころとなっていった。
辛い時も楽しい時もずっと傍にいてくれたお守り。
「今日も一日守っていてね」
私はペンダントへそう囁くと首へとかけた。
それからいつものように食堂にて美味しい朝食を摂り、姫様の元へ向かうために廊下を歩いていた。
窓から指す光が温かくこの身を照らしてくれている。
今日は朝からとても幸運な事があった。
それはつい先ほど、朝食のデザートに好物のパンナコッタが出たから。
そのため、鼻歌でも歌い出しそうだ。
顔を緩めなら足を進めていると、前方からとある方がこちらにやって来るのが目に飛び込んで来てしまう。
そのため、今までの陽気な気分が急速に冷却され平常へ。すぐさま端へと寄り道を譲り、頭を下げる。
私の視線を掠めた者。
それは毒々しいまでに原色の派手なドレスを身に纏った女性だった。
後方には数名の侍女を引き連れている。
ゆっくりと流れるような仕草で廊下を歩いているその集団は、段々と私の元へと距離を縮めていく。
まるで夜会のように華やかな女性。
――第一側室ユーミアン様だ。
彼女が身に纏っているものは、全てが個の集まり。
髪は青い鳥の飾りによって一つに纏められ、胸元が大きく開いた鮮やかなオレンジ色のドレスは幾何学模様の布が途中から巻きつけられ、なんとも言えないコントラストを描いている。
だが、それも不思議な事にそれもアリだ! と思えてしまう。
それは恐らく彼女の容姿が負けず劣らず華やかだからなのかもしれない。
大輪の薔薇が姫様だとしたら、この方は個性的で凛と佇むグロリオサリリーのようだ。
高身長とその強気さで威圧し、五人いる側室達の中で最も姫様に正面から食って掛かっていく強者。
ただ、姫様も負けてはいないが。
そのため両者が揃うと目を覆いたくなる。
姫様は決して感情に支配されない。だが、その反応がユーミアン様には面白くないらしく、ますます牙をむき出して深く食らいつくのだ。そのたびに私の心臓が不規則になる。
「あら。貴方……」
そのため、何事もなく通り過ぎてくれますようにと祈る。
だが、そんな願いも虚しく、やはり今日もいつも通りに素通りしてはくれなかった。
頭上より届くその声に、私は心臓を氷の手で掴まれたような感覚に陥ってしまう。
それでも尚、無理やり笑みを浮かべゆっくりと顔を上げれば、目じりの上がったアーモンド形の瞳と交わった。
まるで獲物を捕らえるようにすっと細まったそれに、ますます体が縮み上がっていく。
「嫌だわ。まだいらっしゃったの? 王の通いもない役立たずな王妃共々この城に居座るおつもりなのかしら? 神経が図太いのね」
挨拶代わりにいつものように飛んでくる嫌味。
それを受け、深い溜息を吐き出したくなった。だが、それもぐっと堪える。
まるで葡萄の粒かというぐらいに大きなキャッツアイを連ねたネックレスと、お揃いのイヤリングまでもが、こちらを睨んでいるように思えてしまう。
「はい。お世話になっております。ユーミアン様におかれましては、本日も御美しく……」
「当然よ。貴方に言われるまでもないわ」
ユーミアン様は眉を顰めながら、こちらを見下ろしている。
まるで世界の頂点に君臨する女王のように。冷たく無慈悲な微笑みを浮かべて。
「申し訳ございません」
頑張った。だが、声が震えているのが自分でもわかってしまった。
「あら嫌ですわぁ。そんなに怯えた真似をされるなんて。まるでユーミアン様がメイドイビリをしているかのように見られてしまうじゃないの。それもローザ様の作戦かしら?」
突如として侍女の一人がそう口にした。
焦げ茶色の髪を高めに一つに結い、猫のような目をしている彼女は前に出ると鼻で笑う。
彼女はユーミシア様の信頼を一身に得ている侍女のミゼリア様だ。
主と同じように華やかな顔をしている。
「いっ、いいえ! 姫様はそのような事は考えてございません。私が至らぬばかりでして……申し訳ございません」
姫様の評価を下げるわけにはいかない。と、私は先ほどよりも深く頭を下げた。
メイドとして二年が経過しているが、まだまだ未熟。
きっとマチルダさんならばこの状況でも上手く立ち回れる技量があるだろう。
だが、私は振り回されてばかり。芯が定まらないため、ブレてしまうのだ。
きっと彼女達は私が何を言おうが、印象が覆る事はないだろう。そんな事はわかっているけれども……
唇を噛みしめ、愚図な自分を責めている時だった。女神が現れたのは。




