プロファイル1 フェニックス亭のアイオン
「まさか、ゲームの中でリンゴを食べられるとはね。うん。ちょっと酸っぱいけど、美味しい。」
街道の脇の木陰に入って、柔らかい草の上に落ち着きながら、私はリンゴをかじる。食感や味まで再現してしまう、このワルファン、驚異のテクノロジーの一つだ。
邪王の復活、それを阻止する鍵となるディレクトリ、いわば美少女名鑑ってやつを私は膝の上に広げてみた。
最初のページを飾るのは、ふふ、誰あろう、この私だ。
名鑑て。美少女て。
なんだか照れてしまうけれども、エルフの特務騎士、ミユ・アイスリングのプロファイルが、挿し絵と共に書き込まれている。プレートアーマーを着込み、美しい長剣を構えるその姿は、装備上、実際と比べてかなり盛っているわけだけれど、ついでにもうちょっと胸も盛ってほしかったけれど。中世の宗教画風に描かれたその絵は、重厚なディレクトリの雰囲気と相まって、なんともいい感じだ。
あれから。
私は王子といろいろ試したのだ。ディレクトリ作りを進めるのはいいとして、もっとも肝心なプロファイルの埋め方ってやつが、さっぱり謎だった。王子が階段下から可愛い女の子達にディレクトリを向けても無反応、なのは確認済み。ここをクリアできないと、ディレクトリ作りもなにもあったもんじゃない。
「うーん、何かヒントはないの?」
私の問いに、王子も首をかしげる。
「ヒント、と言われてもな・・・。乙女を捧げよ、という曖昧な表現しかされていないわけだし・・・。」
「ね、ねぇ。私で試してみてもいい?」
「君を?」
王子はちょっと驚いたように私を見るのだけれど、すぐにうなずいた。
「そうだな。君もまた乙女だ。試してみる価値はある。よし。」
王子は言って、プロファイルの空白ページを開くと、私に向けてかざす。
「・・・・。」
「・・・・・・。なにも起こんないね。」
「うむ。なにか条件でもあるんだろうか。美しい乙女である、とか。」
「そ、それってつまり、私は美しい乙女じゃないってこと?」
いやさ。別に、自分が美しいとか、すんごくかわいいなんて自惚れているわけじゃないのよ。そうじゃないけど、全然見られないわけでもないんじゃないかなーとか、そのくらいは思っていたわけだし、ディレクトリがなにか反応してくれるものと、密かな期待はあったのに。
まるで、魔法の鏡に向かって、私、かわいい? と問いかけたはいいものの、まったく無視されたような気分だ。自分で試してみようと言い出したこと自体、恥ずかしくなってくる。
王子はなんだか答えに困ったみたいに、
「い、いや、ミユが美しくないと言ってるわけじゃないんだ。なんというか、ものすごくハードルが高く設定されているというか、細かい好みのある可能性も・・・。君だって十分魅力的なんだが・・・。」
と、曖昧なことを口にする。
「あんまりフォローになってないわよ。ディレクトリの好みとか言われたって、そんなの分かるわけないじゃん。」
「うーむ。」
王子と私、うんともすんとも言わないディレクトリを前に、腕を組んで考えてしまう。
王子は気を取り直して言った。
「とにかく、ここで考えているだけでは埒が開かない。ミユ。君には王国中を巡って、このディレクトリが反応するような乙女を探し出してもらいたい。美しいと噂の人物を幾人か当たってみれば、ディレクトも反応するだろう。」
「王子も結構な楽天家よね。まぁ、試してみるしかないんだけどさ。王国中を巡って、か。ふふ。うふふ。特務騎士、ミユ。ウォーターフィードを行く、だって。考えただけでもわくわくするじゃないの。」
私が満面に、幸せの笑みを浮かべたときだ。
机の上に置かれたディレクトリが、うっすらと輝き始めた。暗闇の中で火を焚いたような、真っ赤な光を帯びながら、見る間にページが埋まる。そこに描かれているのは・・、私だ。
「こ、これは、いったい・・・!」
王子が食い入るようにディレクトリのページと私を見比べる。
「なんで、突然・・・?」私にも、何がきっかけとなったのか分からない。
「最初、ミユを前にしただけでは、なにも反応しなかったのに・・・。待てよ。」
王子がディレクトリから顔を上げて、私を見つめた。
「ミユ。君は今、幸せか?」
「は?」
「幸せを感じているか?」
「んー? いや、そりゃまあ、ようやく城侍女ってジョブから解放されて、これから始まる冒険のことを思えば、幸せね。」
「それだよ。」と、王子。
私は首をかしげた。
「つまり?」
「心の底からの笑顔を、ディレクトリに向ける必要があるんだ。その姿をただ見せるだけでは足りない、ということなんだよ。」
「笑顔を・・・。ただ、かわいいだけじゃなく、幸せな女の子達を探さなきゃいけないってことか。」
「そうなるな。幸せな乙女を。もしくは、不幸な乙女に、幸せになってもらう。」
私と王子はうなずき合った。
回想終わり。
そんなわけで、王子からディレクトリを預かった私は、かわいいだけじゃない、幸せ乙女を見つけ出さなきゃならないわけなのよ。初対面の私をよくもそこまで信用してくれる、とも思ったけれど、王子なりに何かを感じたのかしらね。鞄の中に、この世界の存続の鍵となる書物が入っていると思うと、使命感てやつがめらめらと燃え立つ。
ディレクトリ作りにあたって、かわいい女の子がいないか色々聞きまわってみたところ、隣村にすんごい娘がいるって情報を私は得ていた。
お城近くの酒場で聞いた、酔っ払いおじさん達の話だけに、どうも要領を得なかったけれど、とにかくみんな、口々にかわいいとか、ひとめ見たら忘れないとか言って、たいそうな人気だ。名前は、アイオン、だったかな。
王子に路銀としてもらった1000デナリを基に、旅に必要そうなアイテムを整えて、歩きに歩いた今はちょうどお昼、と。馬的な移動手段があればよかったんだけれど、あいにく、1000デナリ程度じゃ馬はおろか、まともな武器、防具すら買えないのよね。もっと資金を弾んでくれればいいものを、王子といえど、自由にできる資金はそれほどないのだとか。異性交遊の縛りといい、つくづく王子というのも不自由なもんね。
ということで、今の私のスタータスはこんなところ。
〔所持金〕
482デナリ
〔装備〕
武具:樫の棒、木板の盾
頭 :なし
胴服:麻の服
胴鎧:なし
籠手:なし
足 :なし
靴 :藁編み靴
アクセサリ:なし
アイテム:なめし皮の鞄、ランタン、火付け石、種油、干し肉、リンゴ、水木筒、擦り傷用薬草、テガミムシ、インク壺、羽ペン、羊皮紙片
物理攻撃力:6
魔法攻撃力:0
物理防御力:9
魔法防御力:0
木の靴じゃあ、ちょっと歩いただけですぐ足が痛くなりそうだったから、藁編み靴に替えた。
樫の棒、木板の盾というのは自作だ。武器屋「トライデント」をのぞいて見たら、ロングソードが一本98000デナリって。どんだけすんのよ。たったの1000デナリぽっちで、買えるわけないじゃん。
特務騎士というかっこいいジョブも得たことだし、ソード系の武器を持とうと思ったはいいけれど、金額の壁に阻まれてしまった。この辺は、やっぱり甘くないみたいだ。ちゃんとした武器を買おうと思うと、高くつく。
そこらに落ちてた握りやすそうな棒と、魚屋のおっちゃんにもらった木の板(ちょっと魚臭い)を荒縄で腕に結んだだけの盾、それが今の私の武具だった。なんともしょっぱい装備だけれど、最初はまぁこんなところで我慢するしかない。
ちなみに、アイテムとして持っているテガミムシっていうのは、いわゆる伝書鳩みたいなもので、王子との情報交換用に使える。
カブトムシに似た小さな甲虫で、手紙をツノに巻きつけて飛ばすと、王子のとこまで行ってくれる。なんでも、匂いを辿って目的の人のところまで飛んでくれるのだとか。携帯端末とは比較にならないほど時間がかかるけれど、遠くの人とやり取りする上では必需品だ。隣村に向かっていることは、昨日のうちに王子へテガミムシで伝えてある。
「さて。」
私は立ち上がると、大きく伸びをした。
「いい天気ね。早めに村まで着いときたいわ。」
空はよく晴れ上がり、ところどころに雲が流れている。
街道を歩くと、大きな樽をいくつも積んだ荷馬車とか、旅装の、いかにも旅人風の人達とすれちがって飽きることはなかった。みんな、商人プレイとか探索プレイ、護衛をする傭兵プレイとか、思い思いのスタイルで楽しんでいるみたいね。
緑の丘をいくつも越え、緩やかに蛇行する道をひたすら歩き続ける。途中、街道の分かれ道を村方向に曲がった途端、なぜだかぱったり往来が途絶えてしまった。
「村に行く人、少ないのかな・・?」
日が傾き、夕方近くなる。
と、不意に、小高い傾斜の向こう側から潮の匂いが漂ってくる。
「もしかして・・。」
私は道を外れ、傾斜を駆け上がった。
海だ。
「日の入り。きれいね・・。」
茜色に染まった雲の下、静かに凪いだ海の向こう側へ太陽が沈もうとしていた。とてもここがゲームの中だとは信じられない。美しい光景だった。
思わず立ち尽くして夕日を眺めていると、いつの間にか辺りが暗くなり始めてる。空には星がまたたき、天頂はすでに濃紺色だ。
ランタンを灯さないといけない。そう思ったときだ。何日もお風呂に入っていないような、垢じみた異臭がどこからか漂ってくる。
「なに、このにおい・・・?」
潮風にも負けない、強い匂い。いったい、何が・・・?
振り向いた瞬間、私は金縛りにあったみたいに動けなくなった。
見上げる先、額の辺りがコブのように盛り上がっている。灰色の濁った目には狂気を宿し、黒ずんだ褐色の肌はごつごつとした岩地みたいだ。申し訳程度に腰の周りを覆う布切れは、朽ち果てかけたテントみたいで、その手に持つ丸太の先端部にはびっしりと、ペットボトルみたいな太さの釘が打ち付けられてる。凶悪すぎるその凶器、釘バットならぬ釘丸太なんて聞いたことも、見たこともない。
全長が4メートルにもおよぶ、巨大なオーガが最後の残照を受けながら、そこに立っていた。
強烈な匂いは、オーガの体臭だ。
「わわ・・!」
私は思わず後ずさり、崖の縁で危うくバランスを崩しかけた。
しまった。
夕日になんて見とれていたせいで、いつの間にか崖を背にしてオーガに追い詰められている。
「初戦闘ね・・。や、やったる・・!」
と言っては見たものの、歯の根が合わない。足がふるえて力が入らない。今にもへたり込んでしまいそうだ。
ごぉ!
突如、オーガが雄叫びを上げた。ライオン十頭が同時に吠えたような、凄まじい怒声だ。同時に、釘丸太をビニール傘みたいに軽々と振り上げ、私に向けて打ち下ろす。
「わぁ! ちょ・・!」
横に転がりかろうじてよけるんだけれど、なによ、今の一撃。一発でも当たれば、粉々に砕けてしまいそうな。そんな一振りだ。
「くっ・・!」
樫の棒と木板の盾を構えてみるものの、どうにもなりそうにない。なりそうな気がしない。いや、強そうなのは見せかけだけで、意外といけるのか・・?
「よしっ!」
オーガの一撃をよけたことで、身体がほぐれてきた。私は気合を入れると、オーガに駆け寄りざま、
「とぉりゃぁ!」
その膝小僧を、思いっきり棒でぶったたいた。
指先までしびれるこの感触。手応えはあった。確かにあった。
けれど、その手応えは、オーガのダメージとは無縁のものだった。アマガエルに体当たりでもされたような顔で、つまりまったくのノーダメージで、オーガは丸太を横に薙ぐ。
ぼ、という空気を切り裂く音は、異常なまでのパワーを示す、なによりの証だ。
「ちょまっ!」
ちゅん、と私の後ろ髪をかすって行く釘丸太。
だ、ダメだ!
勝ち目がない。こんなのはもう、激走するダンプカーを、素手で止めようとするようなもの。
「となったら、取るべき手はひとつ・・!」
つまり。
「逃げるっ!」
今の私の装備で勝てる相手じゃない。いきなりこんなところで死ぬのは御免なのよ。
私はいちかばちか、オーガの足と足の間、股下をめがけて、勢いよくスライディングした。草地が功を奏し、私の体は滑らかに斜面を滑り落ちて行く。オーガも丸太を持たない空いた手で、私をつかまえようとするのだけれど、間一髪、その岩石みたいな手は届かず。
股の間から、逃げる私をのぞくというちょっと間抜けな格好のまま、オーガは数秒、股のぞきよろしく動かずにいる。
私は一目散に逃げる。
「ふぉぉぉお! ダーッシュ!」
街道まで出ると、遠くにかすかな光が見える。目指す村は、あそこだ。ゲームの中で走っても、やっぱり息は切れるのね、などと考えながら、私は走り続ける。
途中、ちら、と後ろを振り返ると、どうやら追ってくる気配はない。そんなに足は速くないんだろう。体型的にも、あまり俊足、という風には見えなかった。どちらかというと、バランス的には短足の部類に入る。
「はぁ、はぁ、はぁ・・!」
足ががくがくいうほど全力で走って、ようやく私は徐行に切り替えた。どうやら逃げ切れたみたいだ。初戦闘があんな強そうなオーガで、走って逃げるしかないって、いったいどうなってんのよ。最初はスライムとか、ゴブリンとか、与し易い敵が相手なんじゃないの?
いや、戦術とかよく考えれば、攻略法もあるのかも知んないけどさ。それにしたって無理ゲーよ。
やっとのことで、目指す村にたどりついた私は、目当ての店、フェニックス亭を探す。小さな村なものだから、その店はすぐに見つかった。村の居酒屋兼、食堂みたいなところなんだろう、美味しそうな食べ物の匂いがしてくる。
「これは、ソーセージを焼く匂いかしらね・・。」
鼻をひくつかせながら、私はフェニックス亭の木戸を開いて中に入った。
「あ、いらっしゃいませー。」
出迎えてくれるその声の主をひとめ見るなり、私は目が離せなかった。
特に意識しているわけじゃないんだろうけど、しなやかな、としか形容しがたい足取り。切れ長の目の奥にある、鳶色の瞳。なにより、その頭から、にょ、と突き出す、ふさふさの耳が猫のそれで。猫娘、と言っちゃうと妖怪か。そうじゃなくて、猫耳娘のかわいらしい女の子だ。歳は私よりちょっと上くらいだろう。左右3本づつ伸びる長いひげが、チャームポイントになってる。いわゆる、亜人ってタイプだ。
この子に違いないわ。
「こちらの席にどうぞ。」
案内された席につきながら、私はその猫耳娘を呼び止める。
「あの。もしかして、あなたがアイオン、さん?」
「はい、そうですけれど・・・。」
ちょっと怪訝な顔をされてしまう。それもそうだろう。入ってきていきなりのエルフ娘に、初対面で名前を呼ばれたんだから。
「あ、べ、別に怪しい者じゃなくて、私、ミユっていうの。きれいな人がいるって噂をリムラルク城下で聞いて、このお店に来たのよ。」
「え? リムラルクからわざわざこのお店に?」
「そう。あなた目当てでね。」
ちょっと、はっきり言いすぎたかな。ディレクトリ作りが目的であることを、あまり周囲には悟られたくない。コラプタル、と王子の呼ぶ連中に、嗅ぎつけられないとも限らないから。
「私を?」
アイオンがその細い目を大きく見開いた。驚きを隠さないその様子は、この子が素直な性格であることをうかがわせた。
「へぇ? ちょ、ちょっと照れますニャン。」
ニャン? 今、ニャンと言った? このアイオンちゃん。
は、と気づいたアイオンが慌てて言い直す。
「あ、ご、ごめんなさい。驚くとつい語尾が・・・。」
うーん。かわいい。驚くと、語尾にニャンがつくのか。キャラ立ちのためわざと、とかいうならかなりのあざとさだけれど、そういう感じじゃない。地だ。
「別に気にしなくていいのよ。むしろ、その方がいいかも。」
「お客さんの前で失礼しました。お飲み物、いかがされますか。木の実酒、ぶどう酒、いろいろありますけれど。」
「お酒以外はなにかある?」
一応、未成年だし。
「お酒以外だと、ぶどう絞りジュースがありますよ。」
「あ、それがいいわ。あと、さっきからいい匂いがするんだけど・・・。」
「ポークの腸詰焼きですね。お持ちしましょうか?」
「うん、それそれ。」
「ありがとうございます。ちょっとお待ちくださいね。」
ぺこりと頭を下げ、厨房の方へ去ろうとするアイオン。
「あ、ちょっと待った。」
「?」
「ぶどう絞りジュース、二つにしてもらえるかな。」
「二つ?」
「うん。ちょっとだけ、ここで一緒に飲まない?」
突然の私の申し出に、少し迷った様子のアイオンだけれど、すぐに微笑んで承諾してくれた。
「ええ、ぜひ。ありがとうございます。少し早いけれど、休憩をいただいてきますね。」
私が年端もいかないエルフ女子ってのもあるんだろう。そんなに警戒されずに済んでよかったわ。これで私が男だったら、こう簡単にはいかなかったかも知れない。
アイオンちゃん、礼儀正しくていい子なんだけれど、どこか、疲れているというか、表情に陰りがあるような。お店の中も、私以外のお客さんは二、三人しか入っておらず、なんだか寂れた感じで元気がない。リムラルクの城下で聞いた話では、看板娘のアイオンがいるおかげで、かなり繁盛してるという話だったけれど・・・。
お店の裏寂れた様子が、そのままアイオンにも影を落としている、そんな風にも見えてしまう。
お盆にぶどう絞りジュース二つとソーセージを載せて、アイオンが戻ってくる。
「お待たせしました。」
「うひょ。来た来た。お腹すいちゃったのよね。」
ソーセージは弾けんばかりのぱつぱつ皮に覆われて、なんとも香ばしい湯気を立てている。
「名物なんですよ、この腸詰焼き。」
「そうなんだ。だろうね。すんごい美味しそうだもん。いただきまーす。」
私は木でできたフォークでぶすりとそれを刺し、口に運ぶ。熱々の肉汁が口の中にほとばしるこの美味! サイコーね。
「ところで、アイオンちゃん。いきなりこんなこと言って失礼かも知れないけど、あんまりお客さん、入ってないみたいね。」
「ええ、そうなんです・・。」
「美味しい腸詰もあるし、お酒も出るし、もっと、こう、どわわーっとした感じの喧騒を想像してたもんだから、ちょっと意外。」
「少し前から、リムラルク行きの街道にオーガが出始めたんです。そのせいでお客さんもさっぱり。みんな迂回路を選ぶようになってしまったから、この村を通らなくなったんです。」
「オーガって、でっかい丸太を振り回す、凶暴な奴?」
「はい。ご存知なんですか?」
「ご存知もなにも、私、そいつに襲われたわよ。危うく頭を飛ばされるとこだったわ。」
「そうでしたか。よくご無事で。」
アイオンちゃん、心底ほっとした様子で私を見る。やっぱり、この子、いい娘だ。
「なるほどねぇ。あのオーガ野郎のせいで、客足も遠のいたと。」
「はい。あの、ミユさんはこのお店に来る以外、なにか所用でこちらに? あ、立ち入ったことを聞いてすいません。オーガに襲われる危険を冒してまで、ここに来る必要があったのかなぁと。」
「所用? ああ、うん。所用ね。野暮用ってやつよ。たいしたことないんだけど。」
オーガに出くわしたのは、私の情報不足のせいだ。目の前にいるアイオンちゃんに会うため「だけ」に、ここへ来た、とは言わない方がよさそうだ。ディレクトリの存在とその重要性を、つまびらかにしてしまうようなものだから。
それにしても、客足が遠のいただけで、こんなに元気がなくなるものなんだろうか。
私はもうちょっと、探りを入れてみる。
「アイオンちゃんは、このお店の看板娘なんでしょ?」
「看板娘、なんて言われると照れてしまいますけれど、そんな風に言われる方もいます。」
「うん。すっごいかわいくて、「元気な」子がいるって聞いてたけれど、なにか心配事でもあるの?」
「心配事?」
「だって、なんだか元気なさそうだよ。」
我ながら、初対面のアイオンちゃんにぐいぐい行くなぁ、と思いながらも、悩みの種を聞き出して、この子には幸せな笑顔をもってもらいたい。そうでなくちゃ、ディレクトリは反応してくれないだろう。
「心配事、というほどではないのですけれど・・。」
「うん。」
「実は・・・。」
「うんうん。」
「最近、肩がこってしまって。」
「肩が?」
私はちょっと、拍子抜けしてしまう。もっと、こう、タチの悪い連中に付きまとわれている、とか、家族が病に伏して、とかそういうのを想像してたんだけれど、肩こりとは。
これは意外と早くケリがつくかも。
アイオンちゃんは続ける。
「肩こりもそうですし、やっぱり街道のオーガが気がかりで。」
あ、やっぱりそっちも原因か。となると、アイオンちゃんの悩みの種は、次の二つ。
一、肩こり
二、街道のオーガ
これら二つをどうにかすれば、アイオンちゃんも心の底から笑ってくれるんじゃあないかしら。
二はちょっと方法を考えるとして、一はどうとでもなりそうだ。
「街道のオーガと肩こりね。オーガの方はひとまず置いといて、肩こり? ちょっと、揉んでみてもいい?」
「ええ? お客さんにそんなことさせられませんよ。」
「いいって、いいって。気にしないでよ。」
「でも・・・。」
私とアイオンちゃんが押し問答をしているところに、のし、のし、と床板を踏む重々しい音が近づいてくる。
「何か、揉めごとでも? お客さん。」
お腹の底に響くような、低い声。その出処を私は見る。見上げる。
二メートルを越えるガチムキの体躯、緑色を帯びた地肌。口から牙を生やすその姿は、まさに屈強なオーク戦士だ。
「ぉお・・!」
私は思わず後ずさる。
アイオンちゃんは慌てて、私とオークの間に入る。
「あ、オルガスさん。いえ、揉めごとというより揉むことと言いますか・・。大丈夫です。私が肩こりに悩んでいるとお話ししたら、ご親切にも揉んでくださるとおっしゃるものですから。」
「ああ・・・。ご親切は、素直にお受けしなさい。」
オルガス、と呼ばれたそのオークは、アイオンちゃんにそう言って、私へぺこ、と頭を下げると、厨房の奥へ戻っていった。
ほ、と私は息をついた。お城の兵士、10人がかりでも倒せそうにない人なんだもん。
「ごめんなさい、驚かせてしまったようで。このフェニックス亭の主、オルガスさんです。強面な方ですけれど、とても優しい人なんですよ。」
「そ、そうなんだ。強面といえば、これ以上はない強面よね・・・。悪酔いして暴れる客の、酔いも一気に醒めそう。」
「ええ。剣で武装したお客さん5人を、外へつまみ出したこともありますし、このお店の中は、砦よりも安全との評判なんですよ。」
そりゃそうだ。あのオーク主人、オルガスさんとまともにやりあい勝てる人間なんて、そうざらにはいないだろう。
「よし。じゃあ、オルガスさんのお墨付きももらったことだし、揉んじゃうよ、アイオンちゃん。」
「すいません。では、恐縮ですけれど、お願いします。」
私は椅子に座るアイオンちゃんの背後に回ると、その肩に触れる。
「!」
触れた瞬間、私はその固さに驚いた。なで肩気味の、一見こりとは無縁そうな肩なのだけれど、かっちんこっちんなのだ。
「かなりこってるわね、こりゃ。」
「ええ。最近特にひどくて・・・。」
このこり方じゃあ、表情も暗くなるってものよ。私はぐいぐいと、力まかせに揉みしだき始めた。
「よっ、ほっ、むぅ。」
「・・・・・。」
力を強弱させながら、肩のいろんなところを押したり揉んだりしてるのだけれど、アイオンちゃんの反応はいまひとつだ。
しばらく、頑張ってみたものの、終いには、私の方が疲れてくる。
「ふぅ、ふぅ。ど、どう・・?」
「あ、はい。あの、多少は楽になった気が・・・。ありがとうございます。」
と、言ってはくれるけど、多分ほとんど効果なんてなかったはずだ。アイオンちゃんの晴れない表情がなにより、そのことを物語ってる。ずいぶん頑固な肩こりだ。
「そう・・・。いやぁ、ごめん。私の揉みテクじゃあ、ここまでだわ。本職の揉み屋にでも頼った方がいいかな・・。」
このワルファンワールドに、手揉み、足揉み的なお店が存在すれば、の話だけど。いくらなんでも、そこまではないわよね。
私のつぶやくような言葉を聞いて、アイオンちゃんが応えた。
「揉み屋さんだったら、この村にもいるんですよ。」
「え? そうなの? だったら、そこへ行ってみようよ。なんだ、もー、そんなとこがあるなら、最初に言ってよ。」
「最近開業されたようなんですけど、ちょっと、その・・。」
アイオンちゃん、なにか言いにくそうに口ごもる。
「? というか、この村にあるんでしょ。アイオンちゃんの肩こりにはうってつけだと思うけど、今まで行ったことなかったの?」
「はい、一度も・・・。」
「なんで? 悪い評判があるとか?」
「いえ、悪評とか、そういうことではないんですけど。その、お代が・・・。」
「お代? 料金てこと?」
「ええ。一回につき、1500デナリほどかかってしまうので、なかなか足も向かず・・。」
「1500デナリ? たかっ! ぼったくりじゃないの、それ?」
「腕はいいらしいんですけど、ちょっと私のお給金では厳しくて。」
うつむいてしまうアイオンちゃん。確かに、私の城侍女時給に換算して、半月分くらい。肩揉み屋さんへ払うにはかなり高額だ。たかが肩こりにそこまで払うか、と躊躇もしてしまう。
「1500デナリか・・。」
今の私の所持金は、500デナリもない。アイオンちゃんの代わりに払うにしたって、そもそも足りてないのだ。
腕組みをして考え込んでしまう私に、アイオンちゃんは言った。
「あの、初対面のお客さんに、肩まで揉んでいただくなんて、ほんとに、そのお気持ちだけで十分ですから。どうもありがとうございました。村にしばらく滞在されるのであれば、私の部屋にも是非寄ってくださいね。狭いところですけれど、お茶くらいならお出しできますので。」
そう言って、アイオンちゃんはやつれ気味な笑顔で微笑んでくれる。しゅん、と下がったアイオンちゃんのヒゲを見てると、私ももの悲しい気分になってしまった。
アイオンちゃんは、フェニックス亭の屋根裏に住みこみで働いているのだそうだ。私は、必ず寄るから、と約束して、フェニックス亭を後にした。
さて、アイオンちゃんの肩こりも治らず、街道のオーガ討伐もまるっきり目処が立たない。どうしたもんかね。そもそも、揉み屋の1500デナリってさ。やっぱり、ちょっと高すぎる気がするのよね。まぁ、価格設定なんてそのお店次第だし、その値段でお客さんが納得するっていうなら、私に文句を言う筋合いはないんだけどさ。交渉して四分の一くらいの料金にならないかな・・・。無理か?
いや、ダメで元々。行ってみないと始まらない。ランタンを下げて道を歩いていたおじいちゃんに聞いてみると、揉み屋の場所はすぐに分かった。村はずれの小さな一軒家がそれだ。なんでも、民家の空き家を改造したのだとか。
私は中に明かりがついているのを窓から確認して、その戸を叩いた。
「頼もぉー。」
なんか、メリンみたいな言い方になってしまった。
「・・・・。」返事がない。
「どなたかいらっしゃいませんかー。誰かー。」
ちょっと強めに戸を叩く。
「・・・留守かな?」
明日また出直そうか。そう考えたとき、かろうじて指が入るくらいの細さで、扉がちょこっと開いた。中から筋状の光が漏れ出す。
「誰? 今日はもう店仕舞いしてるのよ。」
若い、女の人の声だ。警戒感も露わな片目が、扉の隙間から私をのぞいている。
「ああ、夜分にすいません。友達が重度の肩こりで困ってるの。それで、肩揉みをお願いできないかなぁと思って。」
「友達が・・・?」
ますますいぶかしむその目。やっぱり、出直した方がいいかも。
そうしよう、と思って口を開きかけたとき、ちょっと意外な質問をされた。
「あなた、どこから来たの? 村の人間じゃないわよね。」
「リムラルクの城下からよ。」
「何しに?」
「え?」
いきなりストレートな質問だ。邪王復活を阻止するため、アイオンちゃんを目当てに、とは言えない。なにか適当な理由を、あらかじめ考えとくんだった。
「えーと、その、と、友達に会いによ。」
友達も何も、アイオンちゃんとはさっき初めて出会ったばかりだ。まぁ、アイオンちゃんに会いに来た、というところは事実ではあるけれど。
「ふぅん? それで、あなたの友人に替わって、あなたが揉みの依頼に来た、と。」
「う、うん、そう。友達がちょっと忙しいみたいで、替わりに私が・・。あ、あは。」
家の中からのぞく目が、鋭さを増す。なんだか、私の思惑を全部見通しているような、そんな目だ。
数秒の沈黙の後、ゆっくりと扉が開かれた。
「入って。」
「あ、ど、どうも・・。」
入れてくれるの? あのやり取りで? なんだか、罠です、と書かれた檻の中へ入って行くような、そんな気分になるのだけれど、今さら後にも引けない。
私は誘われるまま、家の中へと足を踏み入れた。
入るとすぐ、そこは大きな間取りの部屋になっていて、真ん中には施術台っていうの? 敷物で覆われたテーブルが置かれている。その周りを取り囲むようにして背の高い棚が置かれ。なんだか怪しげな液体の入った瓶や、乾燥させた草花、なにかの牙みたいなものなんかが、所狭しと並んでいる。
ぶら下がったランタンの灯火に照らされたその揉み屋さんを見ると、まだ若い。というか、ほとんど、私と同じくらいの年齢設定だ。
どちらかというと緑に近い黒髪を長く伸ばし、後ろで無造作に縛っている。丸縁メガネがよく似合う、整った顔立ち。クラス委員長という印象が一見あるんだけれど、メガネで隠しきれない目の下のくまと、重めの一重まぶたが、こう言っちゃあ失礼かも知んないけど、「陰鬱」という言葉を思わせた。
木目の美しい机にそなえられた椅子に座って、ちょっと暗い雰囲気の揉み屋さんは言った。
「どうぞ。」私にも椅子を勧めてくれる。
「あ、ありがと。」
「それで? あなたが代理という肩こりのお友達というのは、どこの誰?」
「フェニックス亭のアイオンちゃんて、知ってる? 猫耳の。」
「ああ、あの子。」
どうやら、知ってるらしい。
「あの猫耳娘の肩こりを解消してほしいということ?」
「そうなの。私もさっき揉んでみたんだけどね、もうかっちかちのこりっこりってやつなのよ。あれはかなり辛いはずよ。それで、腕のいいあなた、ええと・・・。」
「ソフィアよ。ソフィア・デロトワ。」
あんまり「ソフィア」という感じのしない目の前の女の子、ソフィア・デロトワは、自分の名前なんかどうでもいいという投げやりな調子で名乗った。
「私はミユ・アイスリング。でね、ソフィア、あなたに揉みの依頼をしにきたんだけど・・・。」
と、ここで私は言葉に詰まる。面と向かって言いにくいとはこのことで、どう切り出したものか、私は必死に頭をひねっていた。つまり、1500デナリって高くない? もっと安くしてよ、と、こういうお願いなのだけれど、いくらなんでもいきなりこの話にはもって行きにくい。
「・・・・・。」
あちこちに視線を彷徨わせながら言いあぐむ私を、じっと見つめて待つソフィア。なんだか絡みづらい人だわ。
ここで話を逸らしちゃあ、ここまで来た意味もない。思い切って、私は切り出してみた。
「その、料金のことで、ちょっと相談が・・・。一回1500デナリって聞いてたんだけど、もうちょっと安くならないもんかなぁ、なんて・・・。」
「料金?」ソフィアの一重まぶたが、ちょっぴり持ち上がる。
「あなたは、アイオンの肩もみの依頼を代理でしに来ただけじゃなく、料金交渉まですると、そういうこと?」
「ええと・・、うん。まぁ、そういうこと。」
「へぇ。」
とだけ言って、あとは黙ってしまうソフィア。その「へぇ」は、私にあきれているのか、興味をそそられたのか、それとも怒ってしまったのか、いずれとも判断のつかない一言だった。私もソフィアに負けず、見つめ返してみる。
ソフィアが再び口を開いた。
「・・・変わった人ね。なぜそこまでアイオンに肩入れするの?」
「肩入れっていうか、その、友達だしね、友達。ほっとけないっていうかさ。」
「そう・・。友達のつらさを、放っておけない。優しいのね。」
おや? ソフィア、見た目の冷ややかさとは裏腹に、案外、情にもろいのかな。この流れなら、いけるかも・・?
「でも、料金は一デナリともまけられないわ。」
「あぅ。」
やっぱだめか。きっぱりと、断られてしまう。
「それに、肩こりへよく効く薬の材料を、今、ちょうど切らしているところなの。」
「薬を? ソフィアって揉み屋じゃないの?」
「一応看板はそうなっているけれど、効果があるのは薬を併用しているから。ここへ依頼に来るほどのこりだと、きっと、薬なしでは解消できないわ。」
「そ、そうなんだ。」
なんだか、どんどんゴールが遠のいて行くなぁ。
「ちなみにさ、その材料って、なんなの? いつ頃、再入荷するとか、予定って・・・?」
「さぁ。一月先になるか、三ヶ月先か・・・。」
「三ヶ月・・・。」
そんな悠長に待ってられない。
「必要な材料は、オーガの背脂よ。」
「オーガ? だったら、一石二鳥だけど・・・。」
私は思わずひとり、つぶやいた。オーガっていったら、今ちょうど街道の通せんぼをしてる奴がいる。薬の材料獲得がてら、オーガ退治にもなる、と。一気に問題解決できそうなんだけれど、ハードルはかなり高い。
ところで、とソフィアが私を見つめて、というよりほとんど睨むに近い視線と共に、話題を変えてくる。
「アイオンのことはいいとして、あなたよ、ミユ。」
「私?」
「友人のアイオンに会うため、だけに来たんじゃなさそうよね。何をしにこんな小さな村まで足を運んだの? 何か、目的がある気がするんだけれど。」
この子、なかなか鋭い。これまでの私の話に、違和感を感じているんだろう。
「いや、アイオンちゃんに会いに来ただけだって。」
「本当に?」
「ほ、ほんと・・・。」
ソフィアの射るような視線。まるで私は、蛇に睨まれた蛙のエルフだ。
「・・・あなたのジョブは?」
「ジョブは特務騎士・・。」
しまった。
口から出た自分の言葉を聞いて、私は思わず身体を硬くした。言っちまったよ。
「特務騎士・・? とても騎士には見えないけれど。特務ということは、何かの任を帯びている、ということよね。アイオンと関係することかしら。オーガの背脂と聞いて、一石二鳥とか口走っていたけれど、オーガの討伐に来たということ? いえ、そうは思えないわ。何か、もっと別の・・・。」
うぐぐ。鋭い。ソフィアはぐいぐいと推理の矛先を核心へと向けてくる。
問い詰められて私が窮しているところ、ソフィアは急にため息をついた。
「はぁ・・。羨ましいわ。」
「う、羨ましい?」
「そうよ。だって、何の任務か知らないけれど、そうやってリムラルクからやって来たわけでしょう。私だって、揉み屋をやりたくてワルファン(ここ)にいるわけじゃないのに・・。」
「そうなんだ。もしかして、揉み屋ってソフィアの初期ジョブ?」
「ええ。あの猫狸に無理やりね。」忌々しそうに語るソフィア。
「猫狸っ・・て、もしかして、メリンクランクのこと?」
「知ってるの?」
「知ってる、知ってる。狸って呼ぶと、失礼な! とか言って怒る、耳の長いあいつでしょ。私だって、最初のジョブは城侍女だったのよ。」
ソフィアもまた、自分の思惑とはかけ離れたジョブを選択せざるをえず、そこへ収まっているってわけか。私と事情が似ている。これはもしかすると・・・。
「ねぇ、ソフィア。猫だぬ・・、メリンクランクに不本意なジョブの選択を迫られたのよね。ということは、他になりたいジョブがあるってこと?」
「ええ。私がやりたいのは、アルケミストソーサラー。」
なんじゃ、それ。滅茶苦茶かっこいい響きだ。
「アルケミスト・・・? なんかかっこよさそうなジョブだけど、何それ?」
「錬金魔導師、とでも言えばいいのかしら。収集した様々な触媒を使って、高威力の魔法を使うジョブよ。触媒の収集はかなりたいへんなんだけれど、その苦労に見合うだけの威力は保証される。」
魔導師、いわゆる魔法使いってやつか・・・。
思えばこのディレクトリ作りの道行き、私一人では手に負えないことも多くなるだろう。さっそく立ちふさがった、街道のオーガがいい例だ。ソロプレイでどうにかできる相手じゃない。パーティーを組むってのは、もしかして、ありかも。
私は、ソフィア、蛇のような視線に負けじと見つめ返した。
「・・・なに?」
と、ソフィアは首をかしげる。
「じゃあ、ソフィアはさ。この村で揉み屋をやってることに満足してなくて、そのアルケミストソーサラーとして、この世界を巡りたい、そう思ってる?」
こくり、とソフィアはうなずいた。
「今のジョブでも、薬の仕入れという形で触媒収集は進められるけれど、レアなものはほとんど市場に出回っていないわ。自分で原生地へ出向く必要がある。資金が集まったら、それを元手に旅へ出るつもりだったのよ。この村にいるばかりじゃ、魔法を実践する場にも事欠くし。」
それで、高めの料金設定にしてたのか。旅に出たくて。ジョブチェンジのための資金集めって、なんだか世知辛いけれど、望むことをやるために苦労はつきものなんだ。そこは現実の世界と変わらない。たまたま王子と出会った私は、運がいい方なのかもしれない。
「だったら、いい方法があるんだけれど。」
私は、不思議そうな顔をするソフィアに向けて、にや、と笑いかけた。
翌朝。まだ太陽も出ておらず、加えて深い海霧があたりを白くひたしていた。私とソフィアは、冷たく湿った草むらへ腹ばいになって、その先の様子をうかがっている。
ソフィアが、疑わしげな声で私に言った。
「あの話、本当なんでしょうね?」
「ほんとよ。ただし、かの人の目にかなうだけの実力がソフィアにあれば、の話だけれど。」
なんて、偉そうに言う私。
かの人、というのは、王子、ケイルのことだ。ソフィアにはまだディレクトリ作りのこととか、詳細は話していないんだけれど、彼女の魔法が実戦に耐えうるものだったら、かの人に掛け合ってもいい、という提案をしてみた。つまり、ソフィアが私と同じような「特務」つきのジョブへ転向できるよう、王子に打診してみると、そういうことだ。
ソフィアは二つ返事で承諾、してはくれたものの、ほんとにジョブチェンジしてもらえるのか、そこがいまひとつ懐疑的みたいで、そんな質問をしてくる。
王子には昨日の夜、テガミムシでソフィアのことを伝えて、さっき届いた返事にはひとこと、任せる、だって。どんだけ私に全権を委任してるのよ、って感じだけれど、任せると言われたからには任せられましょうよ。ソフィアにはぜひとも、ディレクトリ作りを手伝ってもらいたい。
ただし、その実力次第だけれど。
「っし。来たよ。」
私は人差し指を口に当てて、静かに、とソフィアへジェスチャーを送る。深い霧の中から現れたのは、例のオーガ、街道を通せんぼしている奴だ。のしのしと歩きながら、大きなあくびなんかしてる。
「昨日はよくも・・・! 危うく首を跳ね飛ばされそうになったわ。リベンジしちゃる。」
とはいうものの、霧のせいもあって、オーガとの距離は7、8メートルってとこか。もう目と鼻の先だ。ここで見つかると、また蹴散らされてしまう。
「ソフィア、できる?」
私は隣にいるソフィアを見た。ものに動じなそうなソフィアだけれど、巨躯のオーガを目の前にして、さすがに緊張してる・・?
かと思ったけれど、全然そんなことはないみたいだ。
あっさりと、心強い言葉。
「もちろん。」と、ソフィアはうなずいた。
ソフィアは立て膝の姿勢になって、たすき掛けにした鞄の中から、黄味を帯びた小さな石片のようなものを取り出す。
「なに、それ?」私は囁き声で訊いてみる。
「ゴブリンランカスターの奥歯を、ナナミラの樹液に浸した触媒よ。」
「奥歯? うっへぇー。それで、ちょっと黄色っぽいんだ。」
けど、ゴブリンの奥歯なんて、どういう経路で入手したんだろ。それに、ナナミラって? 聞きたいことはつきないけれど、今はそれどころじゃない。
ソフィアは、ダイヤの原石を取り扱うかのような、大事そうにその歯を握りしめる。
「高価な触媒よ。ジョブを「特務」つきにしてくれるというから、奮発してるの。じゃなきゃ、滅多なことでは使わないわ。」
「オーガ退治も滅多なことだと思うけど・・。その触媒って、一回しか使えないの?」
「ええ。一度きり。二回目以降は効果ががた落ちになって、使い物にならないわ。」
「そうなんだ。まぁ、とにかく、あいつをやっつけられるならなんでもいいわ。」
ソフィアはうなずいて、握った拳を口元へ近づけ何かを囁き始める。呪文の詠唱なんだろう、どこか英語のようにも聞こえる。ネイティブの外人さんが話しているような、とても流麗な響きだった。
ソフィアは英語が得意なんだろうか、ふと、そんなことを考えてしまう。英語の苦手な私からすれば、羨ましい限りだ。
ソフィアの拳が淡い光に包まれた。軽い地響きのようなものが、ソフィアの全身から伝わってくる。
「な、なんか凄そうね・・・。」
周囲の霧を押しのけて行く不思議な圧力。鈍感そうなオーガも、さすがに感づいたみたいだ。
こっちを振り向く。
「ソ、ソフィア・・! オーガの奴、気づいた。こっち気づいたよ。」
ぱたぱたとその肩をたたく。ソフィアの身体から、詠唱中のせいだろうか、熱気のようなものを感じた。
「今撃つわ。騒がないで。」
そう言って、ソフィアは拳を空高くかざす。
詠唱が完了したんだ。
「ファイヤーウォール!」
圧倒的な威圧感をもって、この世界の理のすべてが自身の御す配下にあるかのごとき、確信に満ちた宣言を。ソフィアの拳の輝きが頂点に達した。
で、出る。大技が。
そびえる炎の火柱を一瞬錯覚した、のだけれど。
ぷすん、というオンボロ車のエンジンが立てるような、しけった音がしただけで、何も起こらない。
私は何が起こったのか分からず、というより、あれだけ前振りをしといて何も起こらないという状況を理解できず、
「え? なに? なになに? どうなったの? ファイヤーウォールは?」
と、ソフィアを見た。
「・・・あ。間違えた。」
「ちょ、ちょっと、ソフィア?」
間違えたって、なにを?
というより、それどころじゃない。私達に気づいたオーガが、不機嫌な咆哮を上げながら迫る。いくら短足とはいえ、数歩で詰められてしまう間合いだ。
「ちょ、ちょお! 逃げるよ、ソフィア!」
慌てて走り出す。視界の隅に入る、木々の茂った森。あそこへ逃げ込めば、オーガの追走をまけるかも知れない。
魂が抜けたみたいに走り抜いて、もう少しで森、というところで、
「いて。」
と、妙に冷静な声でいながら、ソフィアが盛大にすっ転んだ。
両手をバンザイの形で前に出し、きれいに膝から先を曲げた格好は、ベースへ向かってスライディングをする野球選手のように見えなくもない。もちろん、ここに一塁ベースなんてない。
「なにやってんのよ、ソフィア!」
「なにって、転んだのよ。見れば分かるでしょ。」
「そうじゃなくてさっ! ああ、もう!」
私はソフィアを無理やり助け起こし、ほとんど引きずるようにして、森の中へと飛び込んで、木の陰に隠れる。
追って来たオーガは私達の姿が急に見えなくなったものだから、木々を脇へ除けながら、ぐるる、と唸りつつうろうろしてる。
「はぁ、はぁ・・。ちょ、ソフィア。さっきの魔法、どういうこと? 不発だったの?」
「不発というか、間違えたのよ。ゴブリンランカスターの奥歯と思っていたら、ゴブリンランケオンのものだったわ。」
「ラ、ランケ・・・? 使う触媒が違ったってこと?」
「そう。形状が似てるけど、歯の根元の長さが少し違うの。ほら、こっちがほんとのランカスター奥歯。」
と言って、もう一つの奥歯を見せるソフィア。
「確かに似てるし、間違えやすいけどさぁ。ラベルを貼っとくとか、わかり易い容器に入れとくとか、方法はあったんじゃないの?」
大丈夫なのだろうか。さっきも盛大にずっこけるし、もしかしてソフィア、クールだけどドジという、クールドジってやつなんじゃあ・・・。
私の焦りぶりとは対照的に、ソフィアは飄々とした顔で、
「高い触媒だし、なかなか使う機会もないから。高額触媒ボックスに入れといたら、取り出すとき間違えただけよ。そんなに怒ることないじゃない。」
と、毛ほども動揺を表に出さない。
「怒ることないって、オーガに潰されかけたのよ。よくそんな冷静でいられるわね。」
「次は大丈夫。」
「ほんとかなぁ・・・。」
ほんとに大丈夫なんだろうか。実力次第で「特務」の称号をあげる、なんて約束をしてしまったけれど、この分では、やっぱあげない、という結果になりそうな。そんな気がしてならない。
木々の間でうろうろするオーガに対し、ソフィアは再び詠唱に入る。
触媒を握った拳が光り出し、その全身が、ほんのりと熱気を帯びる。さっき、失敗したときとあまり変わるところはないけれど・・・。
「では、あらためて。」
「う、うん。」
「あ、そうだ。」
「なによ、もう。」私は張り詰めた気持ちを折られた気分で、かく、と前にのめる。
「対象にあんまり動き回られると、当てにくいのよ。ミユ、オーガを足止めして。」
「あ、足止めって、あいつを?」
「そう。まともにやり合う必要はないから。数秒、足を止めさせるだけでいいわ。」
「そんな簡単に言ってくれるけどさぁ。」
「・・・・・。」
ソフィア無言の瞳に、私の反論する余地はなかった。
「分かった。分かったわよ。やってやろうじゃないの。」
私は意を決すると、足元にあった手頃な石を拾い上げて、木の陰を出る。
確かに、オーガは私達を探そうと躍起になって、右へ行ったり左に折れたり、うろちょろしている。せっかくの魔法も、当たらないんじゃ意味がない。
ふぅ。私は、ばくばくと動く心臓をちょっとでも落ち着けようと、息を整え、それから、思いっきり石を投げた。オーガの背後にある大木に向かって。
かつ、という音が森に響き、オーガが石の当たった方を向く。間髪入れずに私は大声で言った。
「おい、オーガ! 昨日はよくも蹴散らしてくれたわね。今日はリベンジしてやるわ。」
言いながら、手にした盾を、樫の棒でがんがんと叩く。
ふぉお! 見得をきったはいいけれど、これは、冷や汗ものだ。オーガは、背後の音と、私の出現に挟まれるかたちとなって、一瞬、どっちを狙ったものかと硬直する。足が、止まった。
今よ、ソフィア。早く!
私は心の中で叫んだ。一秒が永遠にも思えるほどの時間。
そこに、
「ファイヤーウォール!」
ソフィア、本日二度目の宣言が、高らかに響いた。
・・・・やっぱり、何も起こらない? また不発か、と思った瞬間、1テンポ遅れて、大気が揺らいだような気がした。目の錯覚・・・、じゃない。
突如、オーガの足元から凄まじい勢いで一本の火柱が立ち上がった。瞬く間に周囲の木々を焼き焦がし、火柱は高さ十メートルを優に超える。
大地から突き出た、大樹のような火炎だ。
「うぉぉお、す、すごい・・・!」
まさに、紅蓮の炎とも形容すべきその火炎柱の中で、オーガは悶える間もなく真っ黒焦げに皮膚を焼かれ、その巨体を地に横たえた。
「すごいじゃん、ソフィア。触媒使った魔法って、ここまでの威力なの? 一撃よ、一撃。無敵じゃん!」
私が興奮して言うのに対し、ソフィアはうかない顔で、手のひらにあるランカスターの奥歯、その残滓を見つめている。
「どしたの? オーガを倒しちゃったんだよ。」
「ええ・・・。それはいいのだけれど、15000デナリ・・・。」
ぽつりと、ソフィアはそんなことをつぶやく。
「ん? 15000デナリって、何が?」
「このゴブリンランカスター奥歯の値段よ。今のファイヤーウォール一発で、15000デナリがとんだのよ。」
「ほぁ! マジすか? 15000デナリって。」
円にして、15万円ってところか。高っ!
「言ったでしょ、奮発するって。今手持ちにある中で、最高ランクのものを使ったのよ。」
「そ、そうだったんだ。魔法って案外、コストパフォーマンス低いのね。」
これじゃあ、いくら無敵といえども、乱発するわけにはいかない。まさに、ソフィア、取って置きの一発だったんだ。
「ミユ。これで証明できたわよね。私が実戦でも役に立つって。」
「う、うん・・。まぁね。」
ちょっとドジっ子要素が垣間見えるのだけれど、魔法の威力は本物だ。私は念のため、
「あ、そうだ。ほんとにやっつけたのか、オーガの様子見ておこう。背脂も回収しなきゃだし。話はそれからよ。」
そう言って、倒れたオーガに歩み寄る。
「・・・いいわ。」
私達は、黒焦げになったオーガへ近づく。豚肉を炙ったような、香ばしい匂いが漂ってきた。どうも、焼きオーガの発する匂いらしい。
「なんだか美味しそうな匂いね・・・。」
オーガの指が、ひくひくと動いている。長い間隔ではあるけれど、うつぶせになった背中のあたりがかすかに上下するところから見て、まだ息絶えてはいないみたいだった。
「まだ息があるみたいね。」
私の言葉に、ソフィアがうなずいた。
「ええ、そうみたい。例え傷が癒えても、これだけ酷い目にあえば、もうこの辺には寄りつかないでしょうけれど。退治というより、追い払った、ということになるかしらね。」
「追い払えるだけでも上等よ。これで、街道に往来が戻ってくれればそれでよし、と。さて、オーガの背脂ってやつだけど・・・。」
私が恐る恐る、横たわったオーガを眺めていると、
「私が採集するわ。」
ソフィアは、ちょっときのこ採ってくる、みたいな感じであっさりと言う。
腰に差していた短剣を抜いて、オーガの背中を、魚の鱗を取るみたいにこそげ始めた。そこからじわりと、黄色味を帯びた透明な液体がにじみ出し、ソフィアはそれを器用に小瓶の中へ収めた。
「これでいいわ。」
「やったね、ソフィア。」
「じゃあ。」
と、ソフィア。認めろ、と。「特務」つきのジョブを認めてほしいと、そう促しているのだ。貴重な触媒を使ったということもあるんだろうけれど、利害に対して遠慮のない子よ。
「分かってる。こほん。」
私は軽く咳払いをして続けた。
「汝、ソフィア・デロトワ。ケイルシュタット・ゲトルクスの名代として、我、ミユ・アイスリングが任ずる。特務アルケミストソーサラーとして、我の助けとならんことを。」
こんな感じだろうか。
ふわ、とソフィアのローブの裾が風にそよいだような、一瞬そんな感覚が広がって、ソフィアの身体が柔らかな光に包まれた。どうやら、うまく行ったらしい。
「これでいいはずよ。後で、ステータス手帳も確認してみて。」
村の揉み屋さんあらため、特務アルケミストソーソラー。ちょっと長い肩書きだけれど、なかなかイカしたジョブだ。
もっと、喜ぶものと思っていたけれど、ソフィアはうつむいたまま動かない。
「ソフィア?」
違う。喜んでいないと思ったのは、私の勘違いだった。
「ふふ。ふふふ。ついに。ついに村を出られるこのときが来たのね。ありがとう、ミユ。恩に着るわ。」
がっ、と私の手を握るソフィアだった。
なんだ。笑うと結構かわいいじゃないの、この子も。睨むと、冷たい蛇みたいな印象しかないんだけどね。
私達が村に戻ると、フェニックス亭の朝は早いようで、すでに仕込みなどの開店準備が始まっているみたいだった。中をのぞくと、オルガスさんが厨房で忙しそうに立ち働いている。
アイオンもその手伝いで忙しそうだったけれど、そっと手招きをして呼び止める。
「アイオン。アイオン、ちょっと。」
「あら、ミユさんと、ソフィア、さん? こんな朝早くから、どうしたんです?」
「うん。まず報告なんだけれど、街道にいたオーガね。倒したよ。」
「・・たお、した?」
その言葉の意味するとおり、私達はオーガを倒したわけだけれど、アイオンにはそこがうまく伝わっていないみたいだ。素手で工事現場のロードローラーをひっくり返してきたよ、と言っているようなもんで、伝わらないのも無理はない。
「ソフィア、あれ貸して。」
と言って、私はきれいな黄金色の、オーガ背脂が入った小瓶をアイオンに見せる。
「ほら、これ。オーガの背脂よ。回収したの。肩こりに効くんだって。さっそく使ってみようよ。あ、これ、薬の材料にするんだっけ?」
私がソフィアに向かって訊くと、
「材料にもなるけれど、そのまま使っても効果は十分あるわ。」
だそうだ。
「だってさ。今ちょっと、やってみない?」
「え? あ、はい・・。あの、オルガスさん。すいません、ちょっとだけ抜けます。」
私がぐいぐい引っ張るものだから、事態をまだ飲み込めていないアイオンちゃんだけれど、奥に向かって言った。厨房のオルガスさん、ちら、と私達を見てうなずいてくれた。オッケーってことみたいだ。
「じゃあ、アイオンちゃんの部屋でね。」
そう言って、私はアイオンちゃんの背中を押して歩く。
アイオンちゃんの屋根裏部屋は、お世辞にも広いとは言えなかったけれど、ベッドと小さな机、南向きの窓がついていて、居心地のいい小部屋、といった感じだ。カーテン越しの朝日が柔らかく差し込んでいる。
「服の上を脱いで、ベッドにうつ伏せになってくれるかしら。」
淡々とそんなことを言うソフィアに、アイオンちゃんもちょっと驚いたみたいだ。
「え? ぬ、脱ぐんですか?」
「そうよ。地肌に直接施術した方が、効果が高いから。ほら。」
と、有無を言わせない。
「あ、じゃ、じゃあ・・。」
そう言って上半身だけ裸になったアイオンちゃんの、まぁ、肌のきれいなことといったらない。思わず、頬ずりしたくなるほどの、キメの細かい肌だった。
ソフィアはオーガの背脂を少量、手のひらに落とすと、それを両手で擦り合わせ、アイオンちゃんの肩をマッサージし始める。
「はふっ。あ、ああ・・・。」
アイオンちゃんの口から、吐息が漏れた。気持ちいいってことなんだろうけど、
「な、なんかエロいわね。」
私が言うと、ソフィアは眉も動かさず応える。
「エロいって、肩を揉んでるだけよ。あなたの妄想が、方向性として淫らなだけじゃない。」
「ほ、方向性が淫らって、なによそれ。私は別に・・!」
「はぁ、はぁ・・。あ・・・。」
快感に悶えるアイオンちゃん。やっぱエロいって、これ。やばいって。いつからワルファンは、18禁のエロゲになったっていうのよ。
ソフィアはなおも、怪しげな手つきでアイオンちゃんを揉みしだく。
「ふふ。効いてきたでしょう。ここはどう?」
「あぅ・・。すごく、いいです・・・。」
「我慢しなくていいのよ。快楽に身を任せるように、全身の力を抜いて。」
「はい・・・。」
ほぁあ・・!
なんだか、ディープな百合世界を見ているようで、もう恥ずかしいやらなんやら、私は両手で顔を覆った。左手の中指と薬指の間から、しっかりのぞいてはいるんだけどさ。ものすごく、どきどきしてしまう。
しかし、ソフィアのマッサージ、そんなに気持ちいいのかな。蕩けるような、恍惚の表情を見せるアイオンちゃんからして、かなりのモノみたいだけれど。私も今度、やってもらおうかな・・・。
ソフィア、悦楽の施術が終わると、アイオンちゃんは起き上がって肩をぐるぐる回す。
「肩こりが・・・なおった・・? 肩が軽いわ・・!」
なにか、憑き物が落ちたようなアイオンちゃんの、しおれていたヒゲがピンと立ち、満面の笑みで言うのだった。
「ありがとう! ソフィアさん、ミユさん。街道にいたオーガまで倒してくれて、ほんとに、なんとお礼を言っていいのか・・・。」
陽光の中でひこひこと揺れるアイオンちゃんの耳といい、ああ、この子が看板娘ってのも納得だわ。だってリピートしちゃうもの、アイオンちゃんがお店にいたら。
「いいのよお礼なんて。」
私はちょっと照れくさくなって、頭を掻きながら言った。
「あ、でも、お代が・・。」
「ああー、いいの、いいの。そこはサービスよ。ちょっとこっちの事情もあるしね。」
「事情が?」聞き返すアイオンちゃんだけど、まぁ、詳しいことは伏せておこう。
す、と私の横に立つソフィアが、私にだけ聞こえる声で囁いた。
「揉み代、あなたにつけておくわよ、ミユ。」
「う・・。」
大団円のエンディング、そのどさくさまぎれに料金のこともうやむやにしようと、そんな私の目論見もソフィアには通じなかったみたいだ。
「わ、分かってるわよ。払う。払うからさ。」
1500デナリか・・。とほほな感じだけれど、アイオンちゃんの笑みには替えられないか。
「おっと、忘れるとこだった。」
私は鞄からディレクトリを取り出すと、空白のページをアイオンちゃんに向ける。
「・・? それは?」
微笑みながら、不思議そうに首をかしげるアイオンちゃん。
「ああ、気にしないで。なんというか、記念写真みたいなもんよ。」
たぶん、大丈夫だ。心配を取り除いた今のアイオンちゃんになら、きっとディレクトリも反応する、はず。
不意に、ディレクトリが光を帯びる。炎やランプのものとは違う、魔光ってやつだ。
やった。
成功だ。
「お、きたきた。ふふふ。プロファイル、ゲットね。」
猫耳娘のアイオンちゃん、お店で楽しそうに働くその肖像が、ディレクトリに浮かび上がってくるのだった。
フェニックス亭を去り際、店主のオルガスさんが私に差し出してくれるのは、年季の入った革の鞘に収まる、一本の長剣だった。
オルガスさんは、相変わらずの強面だけれど、こんなことを言ってくれる。
「アイオンから聞いた。街道のオーガを追い払ってくれたそうだな。さすがに俺でも手こずりそうな相手だったが。」
手こずりそうな、ってことは、倒せなくはなかった、と。さすがオークのオルガスさんだ。その実力は、なんだか底が知れない。
「礼代わりだ。使ってくれないか。」
「これは・・?」
「昔、戦友が使っていたものだ。少しくたびれてはいるが、まだまだ斬れる。」
「お友達の・・? 大事なものなんじゃあ・・。」
「なに。地下の食料蔵に眠っていたものだ。振るわれないまま錆びついてゆくより、使われた方が剣も喜ぶ。受け取ってくれ。」
「ありがとうございます!」
にこにこと笑みを浮かべて手を振りながら、アイオンちゃん、
「村に来たら、また寄ってくださいねー。必ずですよ。」
そう言って、村を出る私とソフィアを見送ってくれるのだった。
「ふぉお! やったぁ! ようやく、武器らしい武器を手に入れられたわ。」
〔装備〕
武具:古びた長剣
物理攻撃力:15
これで、物理攻撃力がかなり強化された。鞘からそっと抜いてみると、刀身表面には無数の傷がついているけれど、刃の部分は鋭利に研ぎ澄まされ、まさに歴戦の剣、という感じだ。
「これよ、これ。こんなんが欲しかったのよ。思わぬ戦利品ってやつね。」
私は長剣をぎゅっと抱きしめた。
隣を歩くソフィアが、私の興奮とは裏腹、冷めた口調で言う。
「武具をもらって浮かれるのはいいけど、つけになってる1500デナリ、忘れないでちょうだい。」
「わーかってるって。この喜びに水を差さないでよ、ソフィア。」
「水を差してるつもりはないわ。釘を刺しているのよ。」
「うまいこと言ったみたいになってるけどさぁ。」
「それで。」浮かれる私を置いて、ソフィアは話を変えた。
「アイオンの前で広げていた本。あれは何なの? アイオンに会いに来た理由、もしかして、あれが本命だったんじゃないかしら。」
「うん・・。」
さすがに、ソフィアは鋭かった。特務アルケミストソーサラーとなった以上、ソフィアに隠す意味もない。
「実は、あの本、名鑑には不思議な力があってね。」
私は、ソフィアにすべてを語った。王子ケイルとディレクトリ。邪王の復活。信奉者たるコラプタルの存在。この世界の、本当の意味での終焉・・・。
沈黙したまま聞いていたソフィアは、やがて、肩を震わせた。実は、かなりの大事に巻き込まれている、それを知って、怖くなった・・・わけないか。
「く、くくく・・。そんな面白そうなことをやっていたなんて。どうして最初から言わなかったのよ。」
「い、いや。あんまり、ディレクトリのこととか、知られたくなかったし・・。」
「私のことが、信用できなかったというのね。」
「うん、まぁ・・。」
この子を初見で信用できるとしたら、かなり図太い神経の持ち主ってことになるだろう。胡散臭いというか、怪しいのよ、ソフィアは。
「それでもいいわ。こうして、一枚噛めるようになったんだから。邪王の復活を阻止しつつ、触媒収集にもなる。まさに、一石二鳥だわ。くく。焼き尽くしてやる。」
「な、何をよ。」
アルケミストにして、ソーサラー。それも、単なるソーサラーじゃなく、マッドが付いて、マッドソーサラー。いろいろ不安なあるけれど、かくして、ソフィアが仲間になったのだ。
「・・なんにしても、心強いよ、ソフィア。私一人じゃ限界もあったしね。剣士と魔法使い、いい感じのバランスじゃない。」
「オーガを倒したのは、ほとんど私の魔法の一撃だったけれど。」
「そうだけど! 武具もランクアップしたし、これなら私だってやれるのよ! ソフィアも詠唱中は無防備になるわけだし、協力プレイをすれば、かなり楽になるはずよ。」
「せいぜい期待してるわ。」
「期待しちゃってよ!」
「で、これからどうするの? ディレクトリに収める娘を、探すんでしょ。」
ソフィアは言いながら、目を細めて先へ続く街道を見据える。
「うん。とりあえず、このウォートホール街道を下ってみようと思うの。途中、いろんな村や町もあるらしいし。」
「そのディレクトリにプロファイルとして登録される乙女? っていうの。なんだか、登録条件がひどく曖昧な気もするけど、どうなっているの?」
「うーん。そこは私もよく分かんないんだけどさ、とりあえず、かわいい娘の幸せな笑顔ってやつが、必要みたいなのよ。対象が困ってる人なら、人助けにもつながる訳だし。フェニックス亭のアイオンちゃんみたいなさ、看板娘とか、町で評判の娘さんとかいると思うのよ。そんな彼女らが狙い目ね。」
「ふぅん。なんだかはっきりしないけれど、なんとなくイメージはつかめたわ。私としても、ワルファン(ここ)がなくなるのは困るし。」
「あんまり深いことは考えずにさ。旅に出られたんだからいいじゃない。さぁ、先を急ごう。」
「・・・ミユ、あなた。」
「ん?」
「能天気って言われない?」
「よく言われる。」
「でしょうね。絵に描いたようなマイペースだもの。」
「能天気とマイペースって、ちょっと違わない?」
「似たようなものよ。マイペースだから、のんきにしてられるのよ。」
「せっかくこの世界に来たんだから、好きなようにやった方が楽しいじゃない。」
「否定はしないけど。」
「でしょ?」
私はソフィアを振り返りながら言って、街道を歩き続ける。まばらな雲が浮かぶだけの真っ青な空と、風が気持ちいい。旅の道連れソフィアを得て、ワルファン世界を救うため、私達はさらなる道行きへと進むのだった。