-虜囚-
元は白かったのだろうが、ろくに掃除もされていない独房の天井は、やや黒ずんでグレーに見えた。
「黒原の大地ほどではないけど、ね」
敵軍の中に残され、捕虜となったユキハは、硬いベッドに寝転がったまま、つぶやいた。
黒原の大地は、炭の黒い色が主体であり、天井は、数年掃除してなかったとしても、もともと白かクリーム系の塗装が黒になるほどにはならないだろう。
(まあ、下で火でもつければ、煤で黒くなるかもしれないけどね)
とりとめもないことを考えながら、目を瞑る。
ここは、捕虜用の独房だ。2畳半ぐらいの狭い部屋。ベッドが1畳ほどで、鋼鉄製の重そうな扉がある。その反対側に、腰をかろうじて隠すだけのついたてがあり、その中にトイレがあった。
囚人用ではなく捕虜用だからなのか、一般的な水洗式のトイレである。水を流す以上の機能はないが、戦地にしては贅沢だろう。
部屋の明るさは、イメージしていたように薄暗くはなかった。というよりも、まぶしいほどである。
「眠れないじゃない」
捕虜の脱走や自殺防止のためなのか、深夜も消灯されることはなく、監視は24時間行われているはずだ。見えるところに人がいるわけではないが、監視カメラらしいものが確認できるものだけで4台あった。隠されているものもあるだろう。
あまり影を作らせないためか、それともカメラの性能のためか、理由は様々だろうが、いろんな方向に光源が設置されており、捕虜には過剰すぎるとも思えるほどの明るさであった。
もちろん、光源は手が届かない場所ばかりだし、捕虜の身分で、下手なこと──ライトを壊すなどはできるはずもない。
この断星の大陸は、生命が存在した惑星だったわけではないため、石油や石炭など、いわゆる化石燃料というものがない。だが、電気だけは、ほぼ唯一といっていいエネルギー源として、存在していた。
大陸の東にある月華の山脈には、地球にもなかった巨大な水力発電所群があるし、太陽光を効率よくエネルギーに変える手法も残っていた(太陽電池とは異なるシステムだが)。
壊すことも移動することもできない床と一体となったベッド(というかコンクリート製の直方体)に、取り外せないようにされてる硬いマットレスと、この光量は、拷問かと思えた。
「とりあえず、体力だけは、温存しないと」
同じように部下たちも捕虜となってしまった。
今後、どのようになるとしても、体力がなければ、選択肢はどんどんなくなっていくことになる。
腕を目の上にかぶせ、目をつむり、眠ろうとする。
服装は、迷彩服から、自殺防止に破れないごわごわとした硬い繊維の、袖無しジャージのようなのシャツと、膝丈までの短いパンツだ。くくりつけられそうな場所はそもそも見当たらないが、紐状にしても、なかなか首が締まらない長さしかない。
捕虜の扱いに関しては、地球の捕虜に関する条約以上に、厳しいものがあり、性的に乱暴されるようなことはなかったが、それでも、男性もいる監視のもとで着替えさせられたし、身体検査もされた。
捕虜になるときに、いや、兵士となろときに覚悟の上とはいえ、屈辱で奥歯をかみしめる。
まったく様子はわからないが、部下の中には、今頃、泣いているものもいるかもしれない。とりあえず、自分同様、おとなしくしておけば、乱暴されたり、殺されることはないだろうが。
それでも、我慢して目をつむっていると、たぶん、深夜をだいぶ回ったのだろう、眠気がやってきた。
そして、とらわれてからのことを思い出していく。
ユキハが小隊長を務めることとなった傭兵部隊所属の第2298軽戦車小隊は、乗員4名の紫苑型軽戦車14両に、全て女性が乗る変則編成の戦車小隊だった(制式軍の戦車小隊は、戦車25両+指揮車1両を1単位としていた)。
敵軍の中に残されたのは、自分を含め8名。敵軍がいよいよ迫った段階で、紫苑型軽戦車は、自爆処理を命令し、全員武装解除し投降せよというのが、自分の最後の命令だった。
傭兵部隊であり、機密情報をほとんど持っていないため、抵抗しなければ、殺されないだろう。女性への乱暴を固く禁じる国際法も、正式な捕虜となれば、ある程度信じてもいいだろう。
ただし、不安がないわけではない。敵の探索部隊が少人数の偵察部隊だったら、捕虜とはされず、その場で犯された上に、口封じに殺されてしまうかもしれない。
敵を見極めなければ、隊員の名誉も、踏みにじられ、命も失ってしまう。
隊員に、自爆させた2両の戦車後方に武装解除をアピールさせるため、銃器を捨てて整列させ、自分だけで近づいてくる戦車の目前に立った。
緊張で手足がいうことをきかない。もしかしたら、みっともなく震えているのが、敵にも、後方の部下にもわかったかもしれない。
それでも、部下の命と名誉がかかっていた。
「自由商都市国家軍傭兵部隊! 8名は、投降する! 正式な捕虜として! 扱ってほしい!!」
眼前に止まった5両の戦車に向かって、可能な限り大声で叫んだ。
敵軍の戦車は、自分たちが乗っていた軽戦車より一回り以上大きな敵軍主力戦車で、茶色い迷彩。大型の電磁投射砲と小型機銃が、まっすぐユキハを狙っていた。
「武器は捨てた! 捕虜として! 正式な捕虜として! 正当に扱ってもらいたい!!!」
数秒だったか、それとも数分だったのか。
にらみ合い、といっても、顔を出してるのは、ユキハだけだったが──にらみつけたま時間が経過した。
もしも、恐怖に負けて、逃げ出してしまえば、ためらわずに小銃でなぎ払われただろう。
だが、ユキハは、一歩も動かない。動けない。
意地なのか、それとも恐怖なのか。自分でもわからないまま、じっと敵戦車をにらみ続けた。
風音しか聞こえない緊張の一瞬。静寂を引き裂くように、鉄のハッチが開く音とともに、黒い軍服に金髪の青年が現れた。
「手を挙げて、膝をついて」
若い青年の声だった。ユキハも部下も、すでに武器を放棄しており、それがわかっていたのか、定番の文句、武器を捨てて~というセリフはなかった。
ユキハは、ゆっくりと手を挙げ、なかなかいうことをきかない足を無理矢理動かしながら、嘆くように叫んだ。
「あ、あなたの階級、階級を教えて!!」
やや震えつつも、しっかりと大きな声で、叫ぶように問いかける。
軍服をきっちり身につけた青年は、顔だけでなく、胸元まで見えていた。黒色に金色の紐飾りの制服と軍帽の下の顔は、断星の大陸では、少数派の白人だった。
(今、考えると、戦闘服や迷彩服でなく軍服だったし、階級章も見えてるし、士官なのは、きくまでもなかったけどね)
ユキハは、目を瞑ったまま、その青年士官を思い出す。
金髪で、そのときはわからなかったが、青い目をしていた。
数千年が経ち、混血が進んだ時代。ユキハ自身も、見た目は、ほぼアジア系だが、鼻筋が通っており、僅かに白人の血が混じってると思われる。
だが、ここは、母なる女王が白人といわれる国、もしかしたら純粋な白人が残ってるのかもしれない。
「わたしは、歩、鷲羽、赤川アレクシス。アレクシス中尉。あー、抵抗しなけば、女王法に基づき、正式な捕虜とする」
歩、鷲羽、赤川という3つは、出自を表すもの、つまり3つとも苗字である。この断星の大陸では、地球とは異なる様々な事情から、全員、1+2+2の5つの漢字の名字を持っており、異性間で正式に名乗る場合や、書類に記載する場合の正しい名乗り方である。
だが、交際目的でもない場合は、3つめの赤川と名前のアレクシスだけを名乗るのが一般的だし、捕虜となる敵国兵士に向けて名乗るにしては、かなり固いものではあった。
「わたしとつきあいたい、ってわけでもないわよね」
仮に、何かが状況が変わり、対等の立場となったとしても、そのときに改めて名乗り直すのが、普通だろう。
たぶん、ユキハの、必死な表情で、身分を確かめたいという叫びにも似た問いかけに、誠実に答えようとしたのだろう。
(まあ、何にしても、真面目そうな中尉さんでよかったわ)
そして、最悪の事態、乱暴されて殺されて口封じということだけはなく、兵員輸送用のトラックの荷台に押し込められたとはいえ、ユキハとその部下7名は、かすり傷以上の怪我を負うこともなく、無事に(?)正式な捕虜となった。
もちろん、身体検査時に、男性の兵士もいる中で、Tシャツとパンツ1枚の姿にさせられたのには、屈辱で思い出すだけで、羞恥と怒りがわきあがってくる。
だが、実際に身体検査をしたのは、女性兵士だったし、アレクシス中尉は、その言葉通り、女王法で定められた正式な捕虜として扱うよう手配したのだろう。
ちなみに、女王法は、地球での国際法のようなもので、より罰則がしっかりと規定されている。
とりあえず、今後の不安を挙げれば、きりがないが、あの中尉がこの基地にいる間は、最低でも命と、純血の心配は、少ないだろう。全くないといえないのが、虜囚
(まだ、18才の乙女ですからね、こんなところで死んでたまるものですか)
できるだけ体を丸めるようにして、天井の監視カメラに背を向ける。
(しっかり寝て、体力を温存しなきゃ・・・ね)
そう心でつぶやくうち、いつの間にか、ユキハは夢の世界の住人となっているのだった。