第七章:自切
春の海の風はまだ肌寒い。
地元の駅で待ち合わせて、先生と私は電車で40分ほど掛かる町の海に来ていた。
私は海に行くのなら岸壁のある海では無くて、砂浜だけの海に行きたいと言ったら、
先生も同じ考えだった。
二人とも会話をほとんどすることも無く、並んで砂浜を歩いた。
ある程度歩くと少し休憩できるようなスペースが有り、そこのベンチに腰掛けた。
「スケッチ大会なのに絵の道具全部忘れちゃいました。」
恥ずかしくて、私は髪を掻きながら苦笑いをした。
私は先生と初めて学校以外で逢う事に完璧に舞い上がっていた。
先生が海で多分、私が聞きたくないような話をすることは予想が出来ていた。
それでも、不安以上に嬉しさが勝っていた。
「綾瀬と一緒に居る時間が長くなるにつれ、綾瀬の色々な面が見れて楽しいよ。」
先生は私の頭を軽く撫でながらそう言った。
お昼の時間が近づいて来た為、私達は近くの食堂で軽くご飯を済ませた。
先生はこの後どこかに行きたいか尋ねてきたが、私は行きたい場所も無くどうせなら海に戻りたかったので、そう答えた。
夕暮れ近くの海は風が更に冷たくなっていた。
私は薄手のパーカーを羽織った。
ふと先生の方を見ると先生も薄手のジャケットを同じタイミングで羽織っていた。
「先生、真似しないで下さい。」
「綾瀬が真似したんだろー。」
二人で同時に笑った。
「きれいー。すごっく綺麗。ねぇ先生っ!」
私は落ちていく夕日を指差して言った。
春の空の雲がピンク色に染まって行く。
なんだか私は切なくなってきて、先生の肩に頭を預けた。
「ねぇ、先生。今日私に何か話があったんでしょ?言いにくい事でも私は大丈夫だから話して。」
その姿勢のまま私は先生の顔を上目遣いに見ながら言った。
「綾瀬、俺結婚する事になった。」
先生は何の動揺もなくハッキリとした口調でそう言った。
私は少し動揺した。
先生の言葉にでは無くて、ある程度こういう話だろうと言う事は予想が出来ていたのに、
傷ついている自分の心に動揺していた。
先生にセックスの後に見せる涙以外の涙は見せたくなかった。
涙を見せない為に何か他の話題に変えようかと思ったとき、私の視界の隅に乾いているのか湿っているのか分からない星形の生物が映った。
「先生、ヒトデってトカゲの尻尾みたいに、自分の身体を切って又再生する事が出来るんですよ。」
砂浜近くに居るヒトデを指差して私は言った。
「再生能力が高くて簡単に自切しちゃうんです。真っ二つに切れても再生して、その場合は二匹になるんですよ。」
砂浜のヒトデは少しグロテスクな表皮を夕陽に翳しながらただそこに存在する。
生きているのか死んでいるのかの判断が微妙な具合の・・・でも、多分生きている。
私は言い訳も説明も何もしない先生に話し続けた。
「私と先生は最初は一つだったけど、真っ二つになって再生した片割れ同士だったんですよ。」
「だから、心とか愛情とかそんな高尚な物じゃなくて、感覚で結びついてただけです。」
「乾いてたり湿ってたり、ただただ欲したり、我慢せず押し付けたり押し付けられたりそんな感覚で・・・。」
先生は黙って私の話を聞いていた。
「気にしないで下さい。片割れさん!」
私は勢いよく立ち上がると、お尻に付いた砂を掃った。
「私は自切して再生します。先生今までありがとう。」
別れの言葉を伝えると、私は一人で駅の方へと向かった。
真っ二つになったような心の片割れを必死に抱きしめながら。