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猫の気まぐれ

作者: 堀河竜

玄関を開けると、どういう訳か猫がいた。

高さ二十五メートル以上もあって、エレベーターで昇らなければやって来られないマンションの五階に、何の因果か猫が鎮座していたのである。

その猫はアビシニアンやマンチカンと言った血統書付きの猫ではなく、ありふれたごく普通のトラ猫だった。

おそらく野良であろうその猫は、目付きが鋭く、体も大きくて、縄張りを治めるボスのような猫だった。


そんな猫がどうして家の前にいるのか、僕は見当も付かなかった。

どうやってこの高さまで上ってきたのか不思議だったし、何故この場所に来たのかも理解できなかった。

しかし、僕にはこの猫に構う時間はなかった。大学生である僕は、講義に出なければならない。

なので、僕は猫を避けて横をすり抜けようと試みた。

通路は狭くて通りづらく、猫の体もなかなかに大きいが、僕が通り抜ける事はできるだろう。


ところが僕が通ろうと猫に近付くと、猫は牙を剥き出しにして、ふしゃーと威嚇してきた。

僕が何かをしてくると思っているのか、敵意を剥き出しにして警戒しているのである。


勿論、僕は猫に何か害なそうという気はなかった。

ただ通路を通って、学校へ行きたいだけなのだ。

僕は何度か通路を通ろうと、猫に接近を試みた。


しかしどうやっても猫は道を空けようとしない。

何度やっても猫は牙を剥き、威嚇し、道を阻む。

終いに猫は足を畳んで伏せてしまった。

眠たそうに欠伸をし、目を閉じて眠り始めてしまう。

対する僕は眠りこける猫を前に悄然と立ち尽くした。


これは少々面倒な事になったぞ。

僕の家は角部屋なので、この通路を通らなければエレベーターに乗る事も階段で下りる事もできない。

つまり目の前の猫を越えなければ、登校の術がないという事なのだ。

特に罪のない僕に単位の危機という試練が無慈悲に襲いかかる。


この問題に対する最終手段は、家にある箒を持ってきて、猫を追い払う事だろう。

だが、その策はできる限り避けたい。

できるなら猫に恨みを売りたくないし、それに僕は動物の中でも猫が特に好きなのだ。


なので箒を使って追っ払うなんて事はしたくないのだが、講義や単位というワードが脳裏に浮かんだ。

猫と講義が、僕の中の天秤で揺れ動く。


ところが僕は、猫を追い払う事以外の手段を思いついた。

確か家の中に猫用の餌があったはず。猫を飼っている訳でもないのに、何故か所持していた餌を使って、猫の気を引けばいいのではないだろうか。


そう閃くと、僕は家から餌を持ってきて猫と対峙した。

しゃがんで目線を合わせ、猫の前で餌をちらつかせる。


猫は先程僕が挑発させてしまった所為か、長いしっぽをびたびたと叩いて苛つきを露わにしていたが、餌を目にすると匂いを嗅ぎながら興味を示した。恐る恐るだが、ゆっくりと僕に近寄ってくる。


僕は背後に餌を撒いて、通路の後方に誘導した。

猫が餌を食べている隙に通路を通る算段だ。

うまく回ってくれるか心配だったが、猫は僕の目論見通り後方に回ってくれた。

相変わらず僕を警戒しながら餌を食べているが、これで僕は登校する事ができる。


僕は安堵の息を吐き、猫から離れてエレベーターに乗った。

何とか学校に行く事ができ、講義への出席を果たす事ができたのだった。


しかし、何故あの猫は僕の家の前にいたのだろう。

人の邪魔をすれば餌を食べられると知っていたのだろうか。

それを知っていて、階段かエレベーターを使って上ってきたのだろうか。


いや、そんなはずはない。

猫というものは気まぐれに生きているから、ただ気が向いて上ってきただけだろう。

僕はそう自分の中で完結させて、一日の講義を受けていた。


ところが、僕が学校から家に帰ってくると、今朝のボス猫はまだ当所に居座っていた。

リラックスしているのか、前足を下ろして伏せていたのである。


その姿は、まるでエジプトのピラミッドにあるスフィンクスを彷彿させる。

スフィンクスがそうしたように、猫が今にも問題を突き付けてきそうに思えた。


『通行料を払え』


僕が横を通ろうとすると、猫はまるでそう言うかのように立ち上がった。

通行料すなわち餌が欲しいのか、今朝と同様に威嚇してくる。


だが今、僕の手元に餌はなく、用意するには近くのコンビニで買ってこなくてはいけなかった。

少々面倒臭いが、猫にやるなら仕方ないだろう。


しかし見ず知らずの猫にそこまでするだろうか。

今朝は時間もなく急いでいて、たまたま家に餌があったから上げたが今は違う。

餌はないし、時間も少しなら余っていた。


それならもう少し他の策を試してみるのもいいだろう。

僕はそう思い、猫に向かって手を伸ばしてみる事にした。

無謀にも、威嚇している猫にゆっくりと伸ばしていく。


すると猫は手で僕の拳を殴ってきた。

所謂猫パンチというやつだ。

なるほど、なかなかに痛い。


それでも、僕は猫パンチに動じず手を伸ばしていった。

何度かパンチされながらもゆっくり伸ばし、猫の背中に触れる。

そして威嚇する猫を(なだ)めるように、優しく撫でてみる。

プライドが高そうな猫なので嫌がりそうだが、構わず撫でていく。


すると、猫は僕に敵意がないと理解し始めたのか、威嚇をやめた。

警戒しながらも僕の手を受け入れ、心地良さそうに目を細める。

その姿はボス猫とは言えとても愛らしく、垣間見えた表情は子猫のようにあどけなかった。

ボス猫でプライド高い猫の見せた、可愛らしい一面である。


この時、僕は猫の後方に回って家に帰れるようになっていたが、猫が可愛くて帰れなくなってしまった。

気が済むまで猫を撫でようと思っていたのだが、猫の方が先に飽きてしまったようで、再び猫パンチをされてしまう。


『早く帰れ』

 

猫はまるでそう言いたげな表情をしていたので、僕は苦笑しつつも家に帰る事にした。

もう少し猫と触れ合いたい気持ちもあったが、無事に家に帰れたので気にしない事にする。

何故猫はあの場所に居座るのか疑問に思ったが、いつもと同じように時間を過ごし、いつもと同じように一日を終えた。

 

しかし、僕は明日もあの猫と会うような気がした。

あの猫は今日一日、ずっと自宅前に座っていたので、もしかしたら明日も変わらず鎮座しているかもしれない。

さすがに猫も飽きてどこかに消えてしまっているかもしれないが、可能性はある。


僕はそんな可能性を考えながら床についたのだが次の日、案の定猫は通路の真ん中を陣取っていた。

相変わらずスフィンクスのように堂々と腰を下ろしている。

 

僕はやはり猫がここに居る理由がわからなかったが、とりあえず通路を通る為に接近を試みた。

しかし昨日同様、猫は威嚇してくる。猫は僕が敵意のない事を忘れてしまったかのように牙を剥いていた。

 

僕はさすがに頭を抱えた。もしかすると、僕はこれから毎日この猫に通路を塞がれるのではないかと思うと、ため息が出そうになった。

猫と触れ合えるのは嬉しいが、こうも道を塞がれるのは厄介である。

 

それならば、いっそ僕の家で飼ってしまった方がいいのではないだろうか。


僕はふとそんな考えが浮かぶ。

毎日道を阻まれ、餌が必要になるなら、まだ家にいてもらった方がいい。

箒で追っ払う事もできたが、猫のあの一面を見てしまった所為か、そんな搦め(から)手を使う気にはなれなかった。


僕は、怪訝そうに見つめてくる猫を凝視しながら、これからの事を考える。

猫を飼えば、壁も爪とぎによってぼろぼろになるかもしれないし、カーペットも汚されてしまうかもしれない。

躾も面倒だし、風呂に入れるのも面倒だろう。

それでも、僕はこの猫を飼い猫として迎え入れてもいい気がした。

何故だかこの猫が憎くても憎み切れず、愛らしいと感じるのである。


僕は猫の目を見つめながら、試しに猫にも尋ねてみる事にした。


「お前、家の飼い猫になるか?」

 

猫は一瞬迷った後、吐き出すように答えた。


「うなんな」


僕はその返答が肯定か否定かわからなかったけども、なんとなく肯定しているように思えた。

否定の意を示すなら、そっぽを向くか猫パンチを繰り出してくると思うからだ。


どうやら僕の推測は合っていたらしく、玄関の扉を開けると猫は歩いて家の中へと入っていった。

尻尾をぴんと立てながらの実に軽快な足取りだった。

 

こうして通路に居座っていた猫、改めスフィンクスが僕の飼い猫になった。

スフィンクスは案の定カーペットを汚し、壁も爪痕でぼろぼろになってしまったけども、家に帰ってくると僕を迎えてくれる。

スフィンクスは玄関に居るのが好きなので、僕が迎えてくれていると思っているだけかもしれないが、それでもいいのだ。

 

ただ、何故スフィンクスがあの通路にずっと居たのか、今でも疑問に思う。

マンションの五階なんて、そもそも猫が来るような場所でもないし、誰かを待つように居座る場所でもない。


まさか誰かの飼い猫になって、楽して生きたかったのでは?

 

僕はそう推測するが、真意はわからない。

気になってスフィンクスに尋ねてみたが、「うなんな」と答えるだけで、やはり真意はわからなかった。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 読ませて頂きました。 スフィンクス可愛かったです!
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