終
静かな死だった。
苦しみの声さえない、でも眠るような穏やかさなんてかけらもない、苦痛にまみれた死。
どうしてこの人はこんな死に方をしなければらないのだろう。
辛くて痛くて、私は声もなく泣いた。
愛されていたんじゃなかったのか。
求められたはずじゃなかったのか。
何でもいい。
誰かに問いただし、喚き散らしたかった。
この人は縋られてこの世界に来たのではなかったのか。
7年暮らしてきた神殿の敷地の隅に、三日三晩かけて兄の墓を作った。
本当ならもっと立派だっただろうそれも、私の非力な腕力では歪もいいところだ。
盛り上がった土に体を預けるように寝転がる。
「一人に、なっちゃった」
崩壊した涙腺は、未だに治らずにまだ涙を流す。
出来あがった兄の墓。
その隣にも一つ同じように歪な墓がある。
この神殿にいた神官のジェイクの墓だ。
ジェイクは兄の数日前に亡くなっていた。
唯一の家族と、この世界で唯一の知り合いを失って、もうどうすればいいのかわからない。
この神殿の外を私は知らない。
鳥籠のように兄だけを捕え、決して出さない神殿の外に興味がなかったわけじゃない。
ただ、出られない兄の手前、出るのが忍びなかっただけだ。
ジェイクに外に出ても生きていけるだけの知識を貰ったけれど、未知の世界に足を踏み出せるほど私は強くなかった。
「ニィニ…」
ほぼ眠らずに行なった墓作りで疲れ切った体が、休息を求めて眠りの淵に意識を落としていく。
このまま、二度と目覚めることがなければいいのに。
そう願うことを止められなかった。
けれど私は生きていて、現実は否応なく私を引き寄せる。
「みーちゃん、どうしてそんなところで寝てるの。風邪ひいちゃうよ」
聞こえてくるはずのない声とともに。
ねぇ、神様。
この世界に兄を求めた神様。
アナタは兄をここまで縛り付けて、貶めて、不幸にすることが望みなのですか。
神子は神殿から、王の迎えがなければ出ることは許されない。
王なくして、神子には自由すら与えられないのだと、それを聞いた私はまるで奴隷のようだと思った。
神が王に遣わした、奴隷。
それがまさか、死してなおのこととは誰が思おう?
生前と同じ、ただジェイクがいないだけでさして変わり映えのしない日常を兄と二人繰り返す。
和やかな日常を繰り返す狂った世界の中で、狂えないからこそ発狂しそうな精神に、苛まされた。
そんな中で、兄が少しずつ日常を変えていった。
「みーちゃん。あそこに花壇作ろうか」
畑ともいえる家庭菜園の世話をしていた時、兄が神殿の庭先を指し示して言ったことが始まりだった。
花の種なんてものはないから、それまで出たことのなかった神殿の敷地の外に、私が花を取りに行って少しずつ植えていく。
花だけじゃなく、目についた木の実とかも摘んでいって、食べられそうなものだけ兄と二人齧ってみたりした。
和やかといえば聞こえがいい、ただ単調な日常に少しずつ色がついて…。
時間だけは無駄にあったせいか、一週間もするころにはそれなりに見栄えのする庭ができていた。
「あ、蒼い花。綺麗だね。ありがとう、みーちゃん」
本当に嬉しそうな兄の笑顔。
でも、その笑顔と裏腹に、私の心は締めつけられる。
この人は、私が死んだ後もこうして日々を繰り返すのだろうか。
来ることのない迎えを、来ることのない王を、待ち続けなければならないのだろうか。
誰に打ち明けることも出来ない胸の内で、悶々と悩み続けるだけで打開策なんてあるはずもない。
神殿の周囲なら出ることが当たり前になって、その日も花を探しながら歩いていると、大きな音がして顔を向けた。
「………狼?」
人より確実に大きいだろう獣がいた。
銀色の毛並みは木漏れ日でキラキラと光ってとても綺麗で、思わず魅入ってしまう。
「綺麗…」
知らず手を伸ばした私に、その獣は鼻先を擦りつけてくる。
人に慣れているのかと考えていると、匂いをすりつけるように擦り寄られた。
どうすればいいのかわからずに硬直していると、ぺろりと口を舐められる。
「ふぇっ」
吃驚してるとさらに驚愕な出来事が起きた。
その獣が人の姿に変わる。
兄とジェイクの顔しか覚えていない私に、人に関しての美意識はないに等しかったが、それでもその人物が美しいと思った。
獣の時とは違う意味で魅入っていると、ぎゅっと抱きしめられる。
身長差に胸に顔を埋める格好になってしまい、その胸の硬さに男だと知った。
「うん。これがいい」
「……うん?」
声もいいなぁと聞き入っていたが、訳のわからない言葉に首を傾げた。
「頂戴」
何を?と問う前にかっぷりと首に噛みつかれた。
「いっ…!」
痛みに顔を顰めている間に、うっすらと滲んだ血をペロペロと舐められる。
訳のわからなさに目を白黒させていると、男はあどけない笑顔を浮かべた。
「俺の。俺の伴侶」
獣の時みたいに尻尾があればぶんぶんと振られていそうだと、現実逃避することで男の言葉を聞き流した。
リシタと名乗った男を連れて一先ず神殿へと戻ると、兄が恐い顔をしていた。
初めて見る兄の怒った顔に、この男を連れてきたのはいけなかっただろうかとビクビクしていると、そんな私に気付いた兄はいつもの優しい表情で私の頭を撫でてくれた。
「僕の妹にマーキングだなんて、何してくれてんだよ。この馬鹿犬」
地どころか地獄まで這っていそうな低い声に、やっぱりビクビクする羽目になったけれど。
兄は神子のためか、私とは違いこの世界のあらゆる知識をこの世界に来た時から持っている。
だから人の姿をしているリシタを馬鹿犬と称したことに驚きはなかった。
「美衣、とてもいい匂いがしたから」
兄の怒りなぞ露ほど気にした様子もなく、リシタが言う。
そのあどけなさに、兄は怒っているのも馬鹿馬鹿しくなったようだった。
これ見よがしに大きく息を吐いてから、ふっと笑って私を見る。
「ちょうどいい機会かもしれない。ねぇ、みーちゃん。外を見ておいで」
「…なに、言ってるの?」
「とても綺麗なモノがいっぱいあるよ。みーちゃんの知らないもの、たくさんあるんだ。ね、この世界を憎まないで。素敵なモノ、たくさん見て、好きなモノ、一つずつ増やしていこうよ」
その言葉に、私は泣いた。
ああ、この人は神子なんだなと、悲しくなった。
一度は死んで、今だって、触れられるけどこれは魂みたいなもので、こんな姿になってまで縛られてるのに、笑ってそれを甘受してる。
私がいなくなって、一人きりになっても、この人は縛り付けられたまま、それを甘受するのだろう。
和やかに、穏やかに笑って、きっと何十年…いや何千年という時間ですら。
「美衣…?」
リシタに手をひかれ、足を踏み出す。
神殿を振り返ることはしなかった。
出来なかった。
温かく無慈悲な場所に兄が佇む姿をこれ以上目に焼き付けたくなかった。
「リシタ。まずはどこ行くの?」
「南。人の街があるから」
開け放たれた世界と新たに手に入れた繋がりだけ。
それだけを胸に、歩きだすことを決めたから。
銀狼の尻尾に包まって眠っていたところをふっと眼を覚ました。
懐かしい、夢を見た。
リシタに出会ったころの、この世界を放浪する少し前の夢。
「…庭」
一ヶ月とかからずに作ったあの庭の花壇に、花はまだ咲いているのだろうか。
もしかしたら枯れてしまっているかもしれない。
一度確かめに戻ろうか。
世話する人がいなくなってもう1年になる。
「ニィニ…」
あそこに戻るのは辛いけれど、今なら、あの時とは違うものが見える気がする。
そうしようと決めてしまえば、心は晴れやかだ。
まだ薄暗い空に、もうひと眠りしようと私は瞼を閉じた。