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日本鬱になった王子の為に、魔女のレシピを再現します! ~異世界の魔女の料理は日本食!?~

掲載日:2026/09/15

「お前は私が買った。荷物をまとめてこい」

 整えられた金髪に青緑色の瞳の美形が、無表情で私に言い放った。年齢は三十歳前後だろうか。紺色に金の装飾が施された上着に真っ白なシャツ、黒いズボンとブーツ。すらりと背は高く、百八十五センチはありそう。舞台衣装のような煌びやかな服が自然に似合っていて、カッコいいとすら感じる。


「流石は公爵様、お目が高い。この娘は異世界人の上、清らかな身。読み書きもできる知性も持ち合わせております。公爵様のお望みのままにお使い下さいませ」

 娼館の女主人が、ねっとりとした声で私を公爵へと紹介する。客からは見えない場所に、屈強な用心棒たちが潜んでいるので、逃げ出すことは無理と諦めた。


「支度してまいります」

(私の人生、詰んだ……)

 公爵へ軽く頭を下げながら、私の心は折れかけていた。新宿駅を歩いていた時、突然、中世から近世ヨーロッパ風の異世界に転移した私は、最初に出会った村人に騙されて、娼館へ売られた。


(親切な夫婦だと思ったのになぁ……。人なんて信用しちゃダメな世界なのよね)

 娼館常駐の女医に身体検査をされ、処女と判定されてから、私は高級奴隷として売りに出されていた。異世界人の希少性も加わって超高額。半年経っても誰も買う気配がなかったから、安心して油断していた。


 異世界では言語が違う。それでも何故か言葉は日本語に変換されて聞こえるし、私の言葉も相手に伝わる。異世界転移で付与される特殊能力。そんなご都合主義は、いざ体験してみると有難いとしか言いようがなかった。


 私室に戻って、客を迎える為の白いドレスから生成り色のブラウスと、深緑色のロングスカートに茶色の短いベストというこの世界での平民女性の服に着替えて、数少ない私物をカバンの中へと詰めて身支度終了。

 真昼間の娼館では起きている者も少なく、数人と簡単な別れの挨拶を交わしただけで、私は豪華な馬車へと乗せられた。


      ◆


 これまで見たこともない豪華な箱型馬車の中は、向かい合わせの四人掛け座席。進行方向に背を向けて座る公爵の正面に座らされて、緊張してしまう。何か話さなければと思いつつも、買われた身では何を話題にすれば良いのか迷うだけ。


 石畳を走るせいなのか、乗り心地が硬い。えんじ色のベルベットが張られたふかふかした座席も、大して衝撃を吸収しないので、油断していると体が跳ねる。


「名前は?」

「……世田崎(せたざき) 琉亜羅(るあら)です」

「家名持ちか」

「はい。名のルアラとお呼び頂ければ幸いです」

 ずっと嫌だと思っていたキラキラネームが、異世界では気にならなくて妙な安堵の気持ち。高学歴エリートの両親が、妄信する有名コンサルタントに大金を払って付けてもらったと聞いた。


「私はテオフィル・デュメルグだ。好きなように呼べ」

(好きなようにって……どう呼ぶのが正解?)

 公爵の綺麗な顔が無表情過ぎて、感情が読み取れない。突然馬車が大きく揺れ、座席から飛び上がった私は、公爵に抱き留められた。


「あ、ありがとうございます」

「あ、ああ」

 公爵の顔が、一瞬だけ慌てたのをはっきりと捉えた。再び無表情になった公爵は、私を座席に戻し、何故か私の隣へと着席した。


「異世界人にはわからないだろうが、貴族の当主が平民を同じ馬車に乗せることはない」

(意味がわかんない。今、私が乗ってるよね? 異世界人は平民じゃないの?)

 また馬車が揺れると、公爵がさっと腕を回して私の肩を押さえる。隣に座る公爵が、ほのかに漂わせる透明感のある香りをかぐと、不思議と心が落ち着く。


 馬車が走る音が変化して、揺れが落ち着いてきた。窓の外に流れる景色も変わって、雑多な街並みから、白を基調にした整った建物と美しい庭園になっている。揺れが安定したところで、私の肩を抱いていた公爵の手が離れた。


「お前は、ヴァランデールの〝離宮の魔女〟の料理を完璧に再現できるそうだな」

「はい。できます」


 遠く離れたヴァランデール王国に住む〝離宮の魔女〟は、おそらく私と同じ異世界転移した日本人。日本料理のレシピをたくさん公開していて、この異世界に広く知れ渡っている。この世界で用意できる食材や調理方法が使われていて、大して料理経験のない私でも、レシピ通りに作れば懐かしくて美味しい日本料理が再現できて、私が作る娼館の(まかな)いが美味いと評判になっていた。


 ただし、識字率の低さのせいか、間違ってメモされたり、伝言ゲーム状態で全く別物になっているレシピも多い。私は元の料理を知っているから間違いを防げても、全く知らない人が完全再現するのは難しいと思う。


「今、魔女の料理本を取り寄せている。三か月後、我が公爵家の上級町屋敷(タウンハウス)で、王子を招いて晩餐会を行う。その晩餐会で完全再現した料理を供したい」

 王子を招いての晩餐会。フランス料理のディナーや和食のコースを思い出しても、魔女の料理とは程遠い。


「何か意見があるようだな。聞こう。正直に言え」

「はい。……魔女の料理は、晩餐会向けの料理ではありません。どちらかというと、家庭料理……平民が日常で食べる料理です」

 この世界で男女問わず人気なのは、からあげ、オムライス、カツカレー。異世界転生系の小説あるある過ぎて、苦笑してしまう。日本料理無双なんてご都合展開、実際にあるわけないないと笑っていた過去の私に、この状況を教えてあげたい。


「そうか。家庭料理か。……隠す必要もないから言うが、今回の晩餐会は第二王子オディロン様の為なのだ」


「半年前、殿下はヴァランデール王国で一か月滞在なされた。そこで魔女の料理を食して、大層お気に召したそうだ。我が国へとお戻りになられてから、食事が口に合わないと悩まれている」

(なんか聞いたことある話……外国人が日本旅行した後に発症する日本鬱か)


「魔女の料理を再現できる者を探していた所、お前のことを知った。本来なら王宮へ入れるべきだろうが、清らかな身とはいえ、娼館にいた女だからな」

 公爵の話し方は平坦で、感情を読むのが難しい。私を一体どう思っているのか全くわからない。


(勝手に売られて、お客の相手もしてないのに、これからは元娼婦って言われるのか……うわ、きっつー)

 人生ハードモード。そんな言葉が頭を過る。元の世界では、今とは違う人生を歩みたいと願っていたけれど、異世界転移までは望んでいなかった。


「王宮は男女問わず、噂好きな者たちが多すぎて手を付けられないが、我が屋敷なら私の目が届く。お前の気分を害する者がいれば、私に報告しろ。必ず対処する」

「あ、ありがとうございます」

(これって、私を噂から守ってくれようとしてる?)

 無表情で冷たく見えても超誠実な美形に心がぐらりと揺れるのを自覚した。公爵を称するのなら、おそらくは既婚者。二十二歳の私にとっては年上過ぎるし、好きになっちゃダメだと思う。


「これからは、魔女の料理専門の料理人と名乗れ」

「あ、あの、晩餐会が終わった後はどうなりますか?」

 料理人としての仕事が終わったら、この異世界で外に放り出されるのだろうか。娼館も、ある意味では隔離された安全な場所だった。異世界人の女が一人で暮らすには、危険すぎる世界なのは簡単に予想できる。


「私の客人として、いつまでも滞在していい。今後の生活は私が保障する」

(あ、そうか。私を客人扱いする為に、馬車に乗せてるのか)

 使用人からすれば、公爵と同じ馬車に乗ることができる階級として、私を扱うことになる。


(公爵が後ろ盾なら、まずは一安心ってことかな)

 元の世界なら、見知らぬ男性に後ろ盾になってもらうなんてと非難されそうだけれど、異世界では階級がすべてを決める。娼館の中で半年過ごしただけでも、階級の重要性は身に染みていた。


      ◆

 

 到着した公爵家のタウンハウスは、王宮の近くにあった。深緑の屋根と白塗りの壁が眩しい、立派な四階建て。門から入り、馬車で進む広い広い庭園の中央には、立派な噴水が見える。


「王宮の四方を公爵家が守る形になっている。我が公爵家は北門を背にしている」

 万が一にも、王宮が敵に落とされた時に王族を逃がすため、そして、王宮の防衛のためにこの国の公爵家は存在していた。


「この庭は、いざという時に兵や馬の準備を行うための場所だ」

(噴水は装飾だけじゃなく、実用性があるのね)

 

 先に降りた公爵に手をひかれて降りると、濃灰色のモーニングコートに似た服装の老齢の男性と中年男性が、驚きの表情で直立していた。

「今、戻った。……彼女の為に三階の部屋を準備してくれ」

「はい。承りました」 

 

 老齢の男性が家令、中年男性が執事だった。家令は屋敷のすべてを預かる総責任者。執事は公爵の杖や手袋を預かり、予定の調整や身の回りの世話をする者と説明された。


 部屋を準備する間、私は公爵に連れられて、厨房へと挨拶に向かった。


      ◆


「はー、しんどーッ!」

 一人になる時間が欲しいと希望して、美しい庭園に造られた東屋のベンチに座り込み、がっくりと項垂れて微笑みを消す。高校生の頃から短期バイトで様々な職場で働いてきた私は、人の機嫌を感じ取れるようになっていた。あちこちで正社員登用の話を頂いても、長く働くことができなかったのは、子供の頃から入退院を繰り返す祖母の介護を請け負っていたから。


(あの料理長は、頼られたら応えてくれるタイプ。副料理長には、真面目さをアピールして信用を積み重ねるしかないなぁ)

 紹介された人々の、顔と名前を頭の中で繰り返し覚えこむ。『名前は絶対に間違えてはダメ』そう教えてくれた祖母も、最期の一か月は私の顔と名前もわからなくなっていた。


「お前は誰だ?」

「うわっ!」

 突然声を掛けられて、可愛い悲鳴を上げるのは無理無理。振り向くと褐色に近い金髪に青緑の瞳の美青年。年齢は二十歳くらいで、少し長めの前髪が、まだ幾分か少年のような雰囲気を残している。着崩した白い綿のシャツにはきっちりとアイロンが掛けられていて、黒いズボンとブーツも上質感がある。まとう空気があきらかに違う。


「失礼致しました。わたくし、魔女の料理専門の料理人、ルアラと申します」

 慌てて立ち上がって挨拶をすると、髪色は違っても青年の顔が公爵に似ていることに気が付いた。公爵が三十歳前後に見えるから、兄弟だろうか。


「料理人? 恋人ではなく?」

「恋人? 違います違います! 王子様の為の料理人です!」

 もしも公爵夫人が聞いたら、愛人と誤解されてしまう。そんな厄介事はお断りしたい。


「なんだ。違うのか。兄上が、やっと結婚するのかと思ったのに」

「兄上?」

「俺は弟のジスラン・デュメルグ。兄上は俺の為に十二の歳から公爵をやってる」

 家族の為に。その言葉は、子供の頃から介護をしていた私の心に重く響いた。


「当時公爵だった俺たちの親が突然死んで、この家を親族に乗っ取られかけた。それを兄上がたった一人で防いだんだ。兄上が公爵にならなかったら、きっと俺はどこかに売られていた」

 私の両親は健在だった。両親は仕事のキャリアを優先し、優秀な兄は医学部へ。子供のころから介護をしていた私は、ギリギリで高校を卒業。祖母が亡くなり、次は顔を見たこともない親族の介護を住み込みで頼みたいといわれていた。


「兄上の婚約者だった第二王女は、他国の王子に見初められて嫁いで行ったんだ。……王子も王女もお互い一目惚れだったらしいから、王も止められなかった。というより、出会ったその日に一夜を過ごしたっていうから、それが理由だろうな。それ以来、兄上は女嫌いになった」


「兄上がお前を案内(エスコート)している姿を見て、皆で期待してたんだけどな」

 皆というのは、出迎えてくれた家令と執事、そして使用人たちのことだろう。


「お前、兄上と結婚する気はないか?」

「ありません!」

 いきなり何を言うのか。驚きで全力否定した私を見て、ジスランは吹き出すように笑い出した。


「お前、はっきり言いすぎだろ。まぁ、子供にいきなり聞いてもそうなるか」

「子供ではありません。私は二十二歳です」

「二十二? 兄上と同じ歳? どうみても十三か十四だろ」

 ジスランの驚きは、娼館でも慣れていた。異世界人は背の高い人ばかりで、背の低い日本人はどうも幼く見えがちらしく、いつも年齢で驚かれる。それよりも、公爵が老け顔というのが衝撃。苦労人なのだろう。


「そもそも二十二と十三って、歳離れすぎでしょ? ロリコン(少女趣味)なの?」

 衝撃過ぎて、敬語を忘れた。口が滑ったヤバイと思ったのに、ジスランはニヤリと笑うだけ。

「兄上は少女趣味じゃねーよ。でも貴族階級だと普通にありだからな。要するに血が残せるかどうかってだけだからな」

 基本的に男尊女卑の階級世界なら、その年齢差でも普通になるのかと複雑な気持ちになる。


「……恐れ入りますが、ジスラン様のご年齢をお聞きしても?」

「俺に様はつけなくていい。……十五歳だ」

 待て待て待て。こっちも老け顔。身長も百七十五センチはあるし、十五歳には到底見えない。異世界人は全般的に老け顔なのか。


「ま、よろしくな。兄上と同じ歳なら好都合だ。ちょっとは可能性を考えてくれ」

「何の可能性ですか」

「兄上との結婚に決まってんだろ! ……じゃあ、また後でな!」

 がくりと項垂れる私を残し、ジスランは上機嫌で去っていった。


      ◆


 翌朝、私は公爵の執務室へと駆け込んだ。同い年と知ったからには、遠慮は無用。

「公爵様、提案があります!」

「何だ?」


「王子様をお迎えするにあたり、料理だけでなく環境も整備したいと思います」

「環境?」

 私の意見を聞いてくれる公爵を利用するようで申し訳ないけれど、どうしても改善したいことがある。

 

「必ず、お喜び頂けると思います!」

 たぶん。という言葉は飲み込む。中世から近世ヨーロッパ風のこの異世界では、お風呂に入る習慣がなく、シャワーを数か月に一回という者がほとんど。それどころか生まれてから一度もシャワーを浴びたことがないという者もいる。清潔感のある公爵でも、数日に一回シャワーを浴びるだけと、侍女から聞いて卒倒しかけた。


 実際に清潔であることと、清潔感があるとは違うと痛感する。整えられた髪や手入れされた爪、きっちりとアイロンが掛かった服と磨かれた靴。近づくとほのかに香る優しい香油。それが公爵の清潔感の正体。


 人の顔やスタイルの美醜は気にならなくても、臭いは気になる。主人の前に出ない下働きに至っては、とんでもない臭いを漂わせている者もいる。強い香油を重ねて体臭をごまかす者もいる。この世界の人々は気にならないのかもしれないけれど、異世界から来た私にとっては地獄の臭いと感じてしまう。


 公爵の了承を得た私は、広い屋敷の裏庭の一角を大浴場にすることを提案した。呼ばれた職人たちは当初首をかしげていたものの、私が描いた絵と説明を元にして、建設に着手してくれた。


 浴場の完成を待たずに、公爵から使用人まで全員に毎日シャワーで髪と体を洗うことを義務付けると、たった数日で明らかに屋敷の空気が変わった。


      ◆


 公爵から私に与えられた部屋は日当たりが良く、窓を開けると美しい花々が咲く庭が見える。洗い立ての外国製のふかふかのタオルは、幸せの匂いがして心が躍る。

「はー、タオルってやっぱこれよねー!」

 そもそも入浴習慣のないこの国では、ふかふかのタオルはなく、ガーゼのような布切れしか無かった。そんな布切れでも、もちろん水は良く吸うし、洗ってすぐ乾く便利さはある。


「自動で髪と体が乾く偉大な装置のおかげで、毎日入っても疲れないって素敵!」

 この異世界には魔法が存在する。魔力の電池ともいえる魔法石を使った装置がたくさんあって、明かりもロウソクではなく、魔法灯。王族が契約する精霊たちが管理する上水道完備で、温かいシャワーも出る。


「これ、家にも欲しかったぁぁ!」

 シャワーを浴びた後、壁に描かれた魔法陣に手を当てると髪と体が乾く。指先だけで触れると少ししっとり。掌全体で触れるとからりと乾燥。片手で触れる面積によって乾燥具合が調節できる。ドライヤーもタオルも不要の夢のような装置。娼館と貴族の屋敷には当たり前にあって、平民の家にはないらしい。これが現代日本にあれば、風呂キャンセル界隈も激減しそう。


「お前、なんでいつも一人で叫んでるんだ?」

 振り向くと、ジスランが立っていた。馬鹿にしているようでもなく、心配しているように見えるのは気のせいか。

「……いつも独りだったから、癖なのよ」

 家ではいつも独りぼっち。介護で家から出られない私は、家へ呼べる友達も作れなかった。同級生のキラキラしたSNSを見るのも苦しくて、独りの寂しさを紛らわせる為に生まれた癖。明るく楽しく声を上げれば、暗い空気が打ち消せるような気がしている。


「って、女性の部屋に無断で入るって何?」

「扉、開いてたぞ」

「え?」

(そういえば、タオルに気を取られて扉閉め忘れたかも)


「ルアラが頼んでた物が届いたって呼びに来た」

(何、突然名前呼び? ま、いいか)


「やったー! 何届いたのかな」

「俺に聞くなよ。また変なもの頼んだんだろ」

 二人で笑いながら扉を閉めて、私たちは階下へと走った。


      ◆


 滞在して一か月が経った頃、魔女の料理本が五冊届いた。茶色の革で装丁されたA4サイズの分厚い本には、懐かしい料理だけでなく、珍しい料理のレシピも日本語で印刷されていた。


「へー。〝離宮の魔女〟って料理研究家なのかしら」

 文章だけでなく、料理の詳細イラストまでが印刷されていて、見ているだけでも楽しい。料理だけでなく、お菓子の種類も豊富。


「売ってる場所まで書いてる!」

 味噌や日本酒、みりんに酷似した品が売られている国や村。その注文方法。買えない時の代替品の作り方や加工の仕方が、本の半分に記載されている。


「あー、しょうゆは無いのかー。そりゃそうよね。残念残念ッ!」

 ぱらぱらとページをめくり、何気なく最後を開くと、著者のメッセージが目に入った。


『この本を手に取った日本人の方へ。本当に困った時には空から見える場所に、この図形を一メートルのサイズで描いてSOSのメッセージを添えて下さい。人工衛星で確認後、必ず助けに向かいます』

 添えられた図形はおそらく魔法陣。頑張れば描けるレベルの難易度。


「人工衛星? ……この人、ヤバイ人じゃない?」

 この異世界で人工衛星という言葉を見るとは思わなかった。このメッセージは見なかったことにしようと思う。ここは魔法や奇跡の力がある世界だとは知っている。王族は魔法の力を持っていて、精霊とも交流がある世界。機械や科学技術は皆無。そんな世界で、人工衛星を操作している時点で怖すぎる。


「さて。まずは何作ろうかな」

 娼館で手に入れたレシピと、私が知っている料理は、すでに何度も作って試食してもらっている。晩餐会に出しても良さそうな料理を作りたい。


「カカオの加工方法まである! 工程めっちゃあるけど、頑張ったらチョコレート食べられるってこと?」

 朗報過ぎて涙が出そう。チョコレートからしか取れない心の栄養が確かにある。


「まずはカカオの入手! 燃えてきたッ!」

 魔女のレシピの本を前に、私は自分を奮い立たせた。


      ◆

 

 整えられた公爵の私室の窓は全開で、さわやかな風が吹き抜ける。小さなテーブルを挟んで公爵と二人だけで座っていると、不思議と安心感がある。


「何か不自由はないか?」

「ありがとうございます。公爵様、不自由なんてありません。……昨日も申し上げましたよ?」


 公爵は職務で忙しい中でも、必ず私とお茶を飲む時間を作ってくれている。今日のお茶菓子は、冷めたアップルパイ。シナモンなしの優しい味わいが、花茶と呼ばれるハーブティに合う。ジスランから、公爵は甘いものが苦手と聞いているから、砂糖は控えめに仕上げた。


「……これもとても美味いな」

「はい。魔女のレシピはとても良く出来ています。きっと誰が焼いても美味しくできます」

 時間を図る時計がなくても、焼き目と中の温度で判断できるように書かれている。


「そうか。……明日、王都へ買い物に行かないか?」

「買い物ですか?」

「ああ、ドレスでも宝石でも、何でも好きな物を買うといい」

「いえいえいえ。今、持っている物で十分です」


 この世界のドレスは完全オーダーメイド。採寸されて、デザインと色を選んで制作される一点物。平民の服は完成品が吊るしで売られていることはあっても、基本的に受注制作。だから高い。


「……殿下との謁見にドレスが必要になるかもしれない」

「そ、それは……」

「だから、諦めて注文してくれ」

「はい……」


 そうして貴族専用の高級店に連れて行かれた私は、ドレスと普段着、外出着と靴、小物一式を注文することとなり、たった数日でクローゼットに大量の服が増えた。


      ◆


 晩餐会までの二か月間、食材を集め、レシピの再現を繰り返した。食材を買い集めるだけでなく、公爵やジスランと一緒に野山へ出かけ、深い森に入ることもあった。

 大浴場も完成し、皆が浴槽へ浸かる習慣も定着した。

 その間、使用人たちのおかげで、屋敷全体が見違える程に清潔で快適な空間へと生まれ変わった。


      ◆


 晩餐会の招待客は王子のみ。みんなでコース料理風のメニューを一生懸命考えていたのに、三日前、王子の希望でカツカレーとポテトサラダになったのは笑い話。


 広大すぎる王宮から公爵家までは、徒歩四十分、馬で十分、馬車で三十分。という謎の距離。正装で移動の場合は馬車に限定されるそうで、王子は豪華な白い馬車で、日が落ちる直前に公爵家にやってきた。


「久しぶりだな、テオフィル」

 馬車から降りた王子は、気さくで親しい挨拶を公爵へと向けた。まばゆく輝く白金髪に、吸い込まれそうな深く青い瞳。微笑みは憂いを帯びて、その美貌を強烈な印象へと変える。ロイヤルブルーに金の装飾がされた上着に白いズボン、黒のブーツ。舞台衣装のような派手さでも、その身に馴染んでいて自然。


(うわ……常人とはオーラが違うッ!)

 公爵と並ぶと、相乗効果で圧倒的な神々しさをまとう二人が輝いて見える。二人は同じ二十二歳。多くの学びの時間を一緒に過ごしてきた学友でもあるらしい。


(あんな二人が現代日本の学校にいたら、とんでもないことになりそう……怖ッ!)

 親衛隊とかファンクラブが出来て、SNSで晒されて、人気爆発でアイドルデビュー……そんな光景が一瞬で頭をよぎる。


(カッコいいけど……カツカレー食べるのに白いズボンって大丈夫なの? いや、そもそもそんな服で食べる料理じゃないって!)

 公爵とジスランのおかげで、美形がお箸で丼ご飯食べる姿も見慣れてきた。それでも違和感はまだぬぐえずにいる。


 公爵と並んで、玄関ホールへと入った途端、王子が周囲や吹き抜けのホールを見回した。

「何だ? ヴァランデールの離宮で感じた空気と似ている。……以前からこうだったか?」

「殿下をお迎えする為、異世界での習慣を取り入れました」

 

 掃除と換気。カーテンと絨毯を全て洗い、花を飾る。そして何よりも、住人の全員がこまめに手を洗い、毎日体を洗っている効果は大きい。


「そうか。最上のもてなしに感謝する」

 並んで出迎える使用人たちへの、王子の微笑みの尊さに圧倒される。これが本物の王族なのかと感心する中、公爵に紹介された私は、静かに王子へ挨拶を終えた。


      ◆


 王子のたっての希望で広い食堂ではなく、狭い部屋で晩餐会が開催された。円卓に王子と公爵、ジスラン、そして何故か私も着席を求められ、運ばれてくる料理を待つ。


「魔女の料理は九か月ぶりだ。楽しみだな」

「私の自慢の料理人が作った料理です。必ずお気に召して頂けると思います」

 期待のまなざしの王子へ、公爵は自信たっぷりの表情で返す。公爵が時折見せる淡い笑顔は破壊力抜群で、胸がどきりとしてしまう。


 テーブルに並べられた料理の説明を求められ、私は口を開く。

「カツカレーとポテトサラダでございます。こちらは野菜のピクルスと、コールスローサラダ、温野菜のサラダでございます」

 どどんと大きな皿にカツカレーと山盛りのポテトサラダ。サイドメニューは赤、黄、緑の色鮮やかな野菜と卵がたっぷり取れるものにした。


 皿を目の前にして、王子が口を押えながら優しい目で微笑む。

「どうなされました?」

「ああ、〝離宮の魔女〟がカツカレーを出した時、野菜も食べて欲しいと言っていた。懐かしいな」

 魔女も考えることは同じ。カツカレーとポテトサラダだけなんて、野菜が足りないと思う。


「とても優しい方ではあったが、〝離宮の魔女〟を連れて帰るのは危険すぎた。……魔女に手を出せば、命がいくつあっても足りないだろう」

(魔女って、やっぱヤバイ人だったッ!)

 溜息を付く王子からは、魔女への執着が感じられる。きっと、完全に胃袋を掴まれた状態。


 笑いの絶えない晩餐会の後、浴場があると聞いた王子は公爵とジスランと共に、お風呂を楽しんだ。お風呂の後は公爵と酒を交わし、真夜中になると宿泊すると言い出した。


 王子の側近や従者が予定外の行動に慌てる中、私たちは快適に整えた寝室を王子へ提供することができて無事に晩餐会を終えた。


      ◆


 翌朝、ご飯とお味噌汁と魚の塩焼きとだし巻き卵、野菜の酢の物というド定番の和風朝食を、見事な箸捌きで完食した王子は、側近に促されて仕方なく王宮へと戻ることになった。


 玄関ホールでの見送りの際、王子は公爵の隣にいた私へ声をかけ、手を差し伸べた。

「私は君の料理が気に入った。君を王宮へと迎え入れよう」


「お待ちください。彼女は私と婚約しております」

(はぁ!? そんな訳ないないッ!!!!)

 公爵の言葉に内心慌てつつも、ここで否定すれば、私が王宮へ連れて行かれるのは目に見えているから口を引き結ぶ。


「それは本当か?」

「は、は、はいッ!」

「……残念だ。君がすでに婚約をしていたとは……」

 美しい憂いの微笑みを浮かべた王子は、色気たっぷりの流し目で残念と繰り返し呟きながら、馬車に乗り込んだ。


 豪華な馬車が見えなくなるまで見送った後、公爵がぽつりとつぶやいた。

「……あれは、諦めていないな……」

「そうですよね……しつこそう……」

 二人で同時にため息を吐いて、顔を見合わせると、公爵の顔がどんどん赤くなっていく。


「……あ、あ、そ、その、だな。こ、婚約というのは、咄嗟の嘘で、だな、で、そ、その」

「ええ。わかっています」

 日頃無表情な公爵が、顔を赤くして目を泳がせる姿は可愛くて微笑ましい。


「よーし、次は兄上の婚約披露パーティだな」

 頭の後ろで手を組んだジスランがにやにやと笑い、横にいた家令と執事が涙を流して喜んでいる。


「ちょっと待て! こ、これは!」

「兄上、ルアラを王子に取られたら困るだろ?」

「そ、そ、それはそうだが! あ、そ、そうではなくて! ほ、本人の意思を確認してだな!」

「――だって、ルアラ、どう?」


「まずはお試しということで」

 いきなり質問を投げかけられた私は、少し意地悪な笑顔を向ける。


(テオフィルのことは好きだけど、まだ、愛とは言えないかな)

 この三か月、公爵――テオフィルは私の話をすべて聞いてくれた。たったそれだけでと思われるかもしれない。それでも、私の人生の中で、遮られず、否定されずに話を聞いてもらえた貴重な日々だった。


 胸のどきどきや、ときめきよりも、安心して隣にいられることが嬉しい。

 人の心は変わってしまうこともあると知っている。

 それでも、願わくば、ずっと一緒にいられますように。

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