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入学して、後は、カッコよくて、おいしくて、楽しいアルバイトをするだけだけど、そうはいかなかった。

 風祭亮太は、この春岩手の片田舎から出て来たばかりの東京☆☆大学の一年生だ。

 何かおいしいアルバイトはないかと探しているうちに、一流ホテルである銀座Jホテルのボーイに採用された。

 風祭亮太は、この春岩手の片田舎から出てきたばかりの東京☆☆大学の一年生だった。

 何かおいしいアルバイトはないかと探しているうちに、一流ホテルである銀座Jホテルのボーイに採用された。

 いよいよ仕事が始まった。一回目は、結婚披露宴の宴会係。亮太はシャンパンの蓋を開けるのは初めてで、それに手間取り、ケーキの入刀に間に合わなくなってしまう。また、てんぷらを運ぶ途中、その皿をエレベータの中で引っ繰り返してしまう。幸いエレベータは目的の階と違う方向に進み、事務室のある十階に着く。そこには便所掃除のおばさんがいて、こぼしたてんぷらをどうしようかと迷っている亮太とその同僚平山に、食べ物を粗末にするのはもったいないと説き、てんぷらにぷーと息を吹き掛けて、埃を吹き飛ばし、爪でゴミを払って皿に並べてしまう。亮太達もそれを真似て事なきをえる。次の会は中華料理の披露宴で、昼食を抜かされた亮太達は、平山の発案で海老チリを運ぶ途中、先程の十階に立ち寄って、海老を摘んで食べてしまう。これを何度か繰り返すうちに、会の終わり頃には、海老チリのゲップで口の中が充満してしまう。そして、この会の後片付けの時、残されたメロンを食べても良いとの許しが出され、亮太達は何十個というメロンを食い散らかす。元ミス東京の花嫁の食べ残しを、亮太はおいしそうにほおばる。最後の仕事はある医師会のパーティー。口うるさい幹事役の禿じじいが、十六万円のナポレオンと八万円のバランタイン三十年ものを持ち込み、どんどん作れと命令する。ところが、亮太がいくら水割りを作っても、なかなか減らない。禿じじいは、何度も巡回しては、酒が減っていないと亮太を罵倒する。余りのしつこさについに亮太は、その高級酒を排水溝に流してしまう。禿じじいの怒りはおさまり、無事終了する。生まれて初めてのアルバイトの一日に、亮太は世の中というものを知る。

「なんか、おいしいバイトねえかなあ・・・・・・」

 とつぶやきながら、東京☆☆大学一年の風祭亮太が、アルバイトのサイトを見ていた。

 引っ越しの運搬助手・コンビニの店員・ハンバーガーショップの売り子・遊園地の動物演技者~要するにぬいぐるみの中に入る人・墓場の掃除人・土方・スキンセールス・・・・・・

 景気が良いのか悪いのか、いずれにしてもアルバイトにろくなものがなかった。

 亮太が探しているアルバイトの条件は、まず屋外ではないこと。次に、格好が良く、きれいな職場であること。そして、一流企業であること。それから、若い女の子がいること。いっしょにやるアルバイトに女の子がいることはもちろん、社員に大人のきれいな女性がいれば、より一層嬉しかった。そして、時給が高く、平日の夜や休日に働けること。以上が亮太の欲している必須事項だった。

 といっても、こんなにムシのいい条件を兼ね備えたアルバイトは、そう易々とあるものではなかった。また仮にあったとしても、このサイトに載った瞬間、申し込みのアクセスが殺到して、少ない定員をはるかにオーバーし、のんびり構えている亮太など、簡単には職にありつけなかった。

 というのも、今までに亮太が、「これはいい」と見つけて、すぐにクリックしても、いつも「閉め切りました」と断わられてしまい、なかなかおいしいアルバイトには到達することができなかったからだ。

 ところで、亮太はこの四月に大学生になったばかりなので、アルバイトというものをやったことがなかった。高校時代は、ひたすらクラブのバスケットに夢中になっていたので、とてもアルバイトなどやる時間はなかった。そして、この春、苦手な古文で、たまたま一度やった問題が出たので試験をパスしたこの大学に合格が決まった三月上旬以降も、アルバイトをする意欲などなく、毎日、毎日遊びほうけていた。

 だから、もしこれでアルバイトが決まれば、亮太にとって、生まれて初めての労働だった。

 数百件以上もある求人を、亮太が隅から隅まで見ていると、めぼしい職種が飛び込んで来た。

 ―ホテル従業員 結婚式・宴会・パーティ 関連 時給一三〇〇円 制服支給 主に休 日・平日の夜 年齢一八~二三歳 学生  男女 銀座Jホテル―

「これだ!」

 思わず亮太は、心の中で叫んだ。

 最初に見た時、”ホテル従業員“という肉体労働的職種に多少引っ掛かったが、屋内で、時給も悪くはない。一応、そんなに手を汚すようなこともないだろうし、それに若い女の子もいそうだ。そして、平日の夜と休日、これは大学生の生活時間にぴったりと合致している。極めつけは”銀座Jホテル“という、一流中の一流ホテルで働けるということであった。

 亮太は時計を見た。午前十時を回っていた。昨日まではなかった求人だ。朝早くからアクセスが集中しているのに違いない。早くしないとすぐに手遅れになってしまう。亮太は、スマホ経由ではなく、直接銀座Jホテルに電話をかけた。三回ぐらいコールされた後、代表が出て、人事部の採用係につながった。

「はい、採用係です・・・・・・」

「あの、わ、わたくし、東、東京☆☆大学の風祭亮太といいます・・・・・・」

 一生を左右する就職試験でもないのに、初めから亮太は緊張していた。

「はい、はい、アルバイトのことですね・・・・・・」

 さすかは人事部だ、相手の声は若い女性だというのに、小憎らしいほど落ち着いていた。

「は、はい、そうです・・・・・・それで、まだ、間に合いますでしょうか?」

「ええ、大丈夫ですよ。採用の希望者は、来週の月曜日に当社に来ていただいて、簡単な面接試験を受けていただきます。決して早い者順ではありませんので、ご安心ください」

 ラッキーなことに、どうやら採用は、早い者順ではなさそうだ。 とはいうものの、面接試験があるらしい。受け付けを済ませて電話を切った亮太は、今度は面接が不安になって来た。とにかく、この世の中で、”面接“というものほど、嫌いなものはなかった。ほんの短い時間で、人間の生き方や性格がわかってたまるか、と疑問を感じながら、それを嫌っていた。

「うーん、面倒くさい面接を受けるくらいなら、一層のこと早い者順に採用してくれた方が良かったかもしれない・・・・・・」

 亮太は面接試験に行くのが、だんだん億劫になって来た。


 月曜日ではあってもそこは銀座、昼下がりは、人であふれていた。

 大学生という立場上、めったに銀座などには来なかったので、人の多さに圧倒され、既に街の雰囲気に完全に呑まれていた。まだ、面接はこれからだというのに、胸がドキドキ、喉がカラカラに渇いていた。

 その上、この春、東北の岩手の片田舎から出て来たばかりだったので、銀座の地理など全くわからず、四丁目の交差点にある交番すら発見できず、通りがかりの人に、その交番の位置を聞く始末であった。

 赤いレンガでできているとは、予想だにしていなかった交差点の交番で、Jホテルの位置を懇切丁寧に教えてもらった亮太は、曲がり角をニ回間違えただけで、無事に目的地にたどり着いた。

 玄関ロビーに立つと、制服制帽に身を包んだホテルのドアマンが、規律良く頭を下げて迎えてくれた。亮太は、これからこのホテルのアルバイトの面接試験を受けに行くので、お辞儀なんかしてもらわなくてもいいのに、と、ちょっと気がひけて、遠慮がちだった。 いきなりフロントへ行って、面接試験場である人事部の会議室への道順を尋ねると、玄関ロビーからではなく、裏口から入るようにと指示された。

 裏口からビルに入ると、事務室の中は薄汚かった。正面にある古びたエレベータの横に、面接会場の案内図が出ていた。

 八階の会場に着くと、学生が百人ほど集まっていた。男女半々ぐらいだった。

 簡単な説明の後、面接試験が始まった。

 とにかく、苦手の面接試験。亮太は、アガりにアガりまくった。もう何をきかれているのか、何を答えているのかわからないうちに終わってしまった。ただ、アルバイトで稼いだ金を何に使うのか、ときかれた時には、まさか遊ぶため、と言うわけにもいかず、とっさに、アメリカ留学の資金にしたいと嘘をついた。そうしたら、二人の面接官のうちの一人が、留学して何を勉強するのか、としつこくきくので、ホテルを初めとして、アメリカの観光事情を研究してみたい、と嘘に嘘を重ねた。すると、とても感心していた。亮太には、このやり取りだけが、やけに印象的に残っていた。このあたりの調子の良さは、B型の両親から血を受け継いだ、純粋なB型の、天性そのものと思われた。

 そんな面接も、とにかく愛想だけは良くしておいた方が良いと思い、あとはニコニコ、ニコニコ、何でも笑ってごまかしておいた。 一律千円の交通費をもらって帰宅した。

 生まれて初めての採用面接試験で、疲労困憊した亮太は、その晩風呂にも入らずに寝てしまった。

 三日後の木曜日、採用の連絡があった。

 さっそく来週の五月二十日の金曜日から来て欲しい、とのことだった。亮太は、「してやったり」とほくそ笑んだ。


 金曜日は一、二時限目にフランス語、英語の必修授業があったが、当然にそれをさぼり、アルバイトに向かった。

 最初の日は、Jホテルについての研修だった。いかにアルバイトといえども、客から見れば、Jホテルの従業員だったので、立ち居振る舞いから、言葉遣いまで、にわか教習ではあったが、みっちりたたき込まれた。特に、客に対しては、いわゆる「お客様は神様です方式で対処し、決して逆らったり、文句を言い返しては駄目だ」、と耳にタコ、いや八本足のタコでは足らず、百本足のムカデのように、何度も何度もたたき込まれた。

 といっても、所詮はアルバイトという意識が抜け切らないのも事実で、腹の底では、「何か気にいらないことがあれば、いつでもやめてやらあ」と思っていたし、みんなもそう思っているに違いないと、勝手に確信していた。

 さて、翌日の八時に集合して、いよいよアルバイトが始まった。

 制服が支給されて、ロッカールームに向かった。

 黒い制服の上下に蝶ネクタイ。自分で鏡を見ながら、思わず吹き出してしまった。隣にいた大柄な男も、亮太と同時に鏡を見ながら笑っていた。

「こんなのカッコ、悪いっすよねえ・・・・・・」

 その男が気さくに話し掛けてきた。

「そ、そうですよねえ・・・・・・」

 しかたなく、亮太が相槌を打つと、

「あのー、僕は日本☆☆大学一年の平山といいます」

 と、いきなり自己紹介して来た。

 亮太は、平山が同じ一年生であることにほっとした。外見では、体格も良く、髭も濃く、七・三に分けた刈り上げが、とっつぁん坊やの雰囲気を醸し出していたからてっきり年上に見えた。

 いくら他大学とはいえ、上級生であれば、敬語を使わなければならなかったので、その意味でも気が楽になった。

「あのー、僕は風祭亮太といいます。東京☆☆大学の一年です」

 亮太が一年であると言った時、平山もほっとしたようだった。何故なら、平山は、二浪して入学したばかりの一年生だったので、この四月に二十歳の誕生日を迎えており、もし、亮太が上級生であれば、年下の者に敬語を使わなければならなかったからだ。

 互いに気楽な気分になった二人は、今日最初の担当の仕事場である”パンジーの間“に向かった。

 そこでは、既に二十人近くが集まって、打ち合せが始まっていた。「バイトの学生だな、平山くんと風祭くん?」

「はい、そうです」

 現場担当チーフが声をかけてきた。胸の名札に小早川と書かれていた。

「いっしょに聞いていてくれ」

「はい」

 さすがに現場のチーフだからか、それともアルバイトをみくびってか、言葉遣いが荒かった。

「・・・・・・というわけだ。矢田さん、この間、クレームが来ていたから、特に注意するように・・・・・・」

 矢田さんというのは、着物を着ているおばさんで、ぺこりと頭を下げていた。

「それじゃ、今日も頑張っていきましょう。新入りの二人は、小林の指示に従うように、以上!」

 一同、軽く頭を下げると、それぞれの持ち場に散った。どうやら、仕事の開始のようである。

 すると、小柄で痩せた貧弱な男が近づいて来た。

「小林です」

 亮太たちも名前を名乗った。

「今日は結婚披露宴が立て込んでます。僕たちの担当は、十時と二時、そして六時です。まず、これからの会は和食です。会が始まり次第、料理を運びます。とりあえず、その前にビールを運んで、テーブルの上に並べましょう・・・・・・」

 と言いながら足早に小林が歩き出した。亮太たちも彼の後を追った。

 通路の突き当たりの脇の部屋に、ビールなど飲み物の冷蔵庫があった。その中から冷たいビールを取り出して、ケースに入れ、台車に乗せて運ぼうというのだ。

 小林の指示でビールケースを台車に乗せた時、早くも亮太は腰が痛かった。

 平山が台車を引いて、パンジーの間に近づくと、既に後ろの出入り口から、披露宴の招待客が入室し始めていた。

 パネルで隠された前方の出入り口で台車を止めて、ビールを運び入れた。

 一通りテーブルに並べ終えたところで、場内が暗くなった。小林が壁側に張り付いたので、亮太たちもそれをまねた。

「それでは新郎新婦の入場です・・・・・・」

 いよいよ披露宴が始まった。

 ♪ジャージャ、ジャ、ジャーン。ジャージ ャ、ジャ、ジャーン。ジャージャ、ジャ、 ジャージャ、ジャ、ジャージャ、ジャ、ジ ャーン♪

 メンデルスゾーンの結婚行進曲とともに、新郎新婦が入場した。

 亮太は、結婚披露宴というものを、生まれて初めて目のあたりにした。

 二人が着席するやいなや、仲人の話が始まった。これがまた退屈な一時だった。だが、新郎は東大出の財務官僚で、新婦は聖心女子大出のある与党代議士の一人娘ということだった。

 それを聞いて、亮太はなんとなく、むっとした。亮太のようないなかもんは、そのような華やかな世界に対して、当然憧れの気持ちはあるものの、一方で、反感もあったからだ。

「ということは、良く細かいことはわからないが、この披露宴は世紀の大祭典なのかもしれないなー・・・・・・」

 亮太は自分ながらに解釈した。

 それにしても、新郎はなかなかハンサムで格好良い男だというのに、新婦は、豚のように太った女で、顔もブスだった。

「いくら、俺が東大出の大蔵官僚で、将来政治家である義父の跡を継ぎたいからといっても、あんなに太ったブスとは、絶対に結婚なんかしたくはないな」

 と思うと、それに堪えて、結婚しようとしていた新郎が、やけに滑稽に見えて来た。

「この二人に、絶対愛なんかないぞ!」

 と、ひがみというか嫉みというか、亮太が勝手に詮索していると、小林がやって来て、今度はシャンパンを運ぶよう、指示された。

 亮太たちが運んできたシャンパンのボトルを、壁側にある荷台用のテーブルの上に並べていると、他のホテルボーイたちが集まって来た。そして、一人一本ずつシャンパンのボトルを手にした。黙って見ていると、小林から亮太たちも一本ずつ持つように指示された。

 ケーキの入刀が始まろうとしていた。

「俺、シャンパンの開け方、知らないんっすよ」

 平山が小声でつぶやいた。

「え、これ、僕たちも開けるんですか? ぼ、僕も、開けたこと、ないですよ・・・・・・」

「それでは、入刀です!」

 再び音楽が鳴った。

 ―シュッ、ポッ― ―シュッ、ポッ―

 いっせいにシャンパンが開けられた。開け方のわからない亮太たちも、誰かに手伝ってもらおうとしたが、全員シャンパンを注ぎに出払っていて、誰もいなかった。

 亮太たちは必死に開けようとした。

 ―ポッ―

 幸いにも小さい音をたてて、平山のシャンパンが開いた。

 相変わらず亮太のは開かなかった。たかだかシャンパンを開けるのに、悪戦苦闘となった。

 が、

 ―シュー、ポッ―

 物凄い音をたてて、蓋が天井まですっ飛んだ。

「まずい!」

 末席近くにいた子供が、

「あー、今頃開いてるー。ねえ、ママ、あのお兄ちゃんのビン、今頃開いたよー」

 と指を差しながら、大きな声を上げていた。

「うるせえ、ガキだなあ・・・・・・」

 と思いながら、注ぎに行こうと二・三歩前に出たら、ぞくぞくとみんなが戻って来た。既に全てのグラスにはシャンパンが注がれていた。

「まいったなあ・・・・・・」 

 と、亮太が思った瞬間、先ほどのうるせえガキと目が合った。

 ガキは舌を思いっ切り出して、亮太をバカにしていた。

「さあ、料理を運ぶぞ」

 小林が亮太の肩をたたいた。

 このホテルの宴会場は二階、三階、そして地下一階にあったが、厨房は三階にのみあった。パンジーの間は二階だったので、料理は全て一つ階を上がって、三階まで取りに行かなければならなかった。

 今回の場合、和食料理だったので、鯛の御頭や刺身などは前もって、テーブルの上に並べられていた。後は、てんぷら、茶碗蒸し、デザートなどを運べば良かった。

 亮太が三階の厨房へ着くと、既にてんぷらがケースに入れられて、所狭しと並べられている最中であった。

「いいか、パンジーの間だけの分を運ぶんだ。くれぐれも他の部屋のを間違えて持って行かないように」

 ざっと数えても、二百人分はある。一ケースには、三個・二個・三個・二個・三個と列を作って十三個入れられており、三人が一つずつ運んでも、五往復はかかった。

「急げ!」

 小林が声を枯らしていた。

 てんぷら十三人前の入ったケースは、とても重かった。

「重たいっすねえ・・・・・・」

 汗をかきやすいタイプなのか、平山はもう、おでこに沢山の汗をかいていた。

「ほんとに、重たいですねえ・・・・・・」

 出入口で亮太たちからてんぷらを受け取ると、正社員のホテルマンたちが素早くテーブルへ運んだ。

 亮太と平山は、業務用のエレベータを使って、二階から三階へと何度も往復した。

「これで、最後っすねえ」

「そうみたいですねえ」

 亮太と平山が持っているケースが、最後となった。二人は足早に歩いた。ちょうどエレベータが三階で止まっていた。平山が素早く駆け寄った。そして、ドアを押さえながら、

「風祭君、早く!」

 亮太も平山の跡を追い、走ってエレベータに乗った。その瞬間、

「あー、あぶねえ・・・・・・」

 つまずいた亮太が、てんぷらを引っ繰り返してしまった。

「いけねえー」

 すぐにドアが閉まった。幸い、皿は割れずに済んだ。無我夢中で亮太はてんぷらを拾い上げた。

「は、早く、元に入れた方がいいっすよー」

 と言いながら、平山も自分の持っていたケースを、いったん下に置き、亮太が拾うのを手伝った。

 海老や鱚、サヤエンドウ等、とりあえずごちゃごちゃにしてケースの中にしまいこんだ。

 その直後、エレベータのドアが開いた、

「や、やべえ・・・・・・」

 ドアに背を向けていた亮太は、背中を丸めながら冷や冷やした。

「あ、おにいさんら、こぼすたのかー、」

 振り向くと、便所掃除のおばさんらしき人が立っていた。

「え、え、まあ、そのー」

 亮太がおどおどしていると、

「あれー、ここ、十階じゃないっすかー、俺たち、ずいぶん上に来ちゃったんですねえ・・・・・・」

「え、そうですかあ・・・・・・」

「そうだ、ここは十階だー。おにいさんら、間違えたんだんべー あんれまあ、それにすてもてんぷらごちゃ混ぜだんべー」

 人の気持ちも知らないで、うるせえばばあだなあ、と亮太は、そのばばあの存在が、うっとうしかった。

「まいったなあ、正直に言って、取り替えてもらわなければなりませんねえ・・・・・・」

「だけど、時間がないっすよ・・・・・・」

 すると、二人の会話を聞いていたおばさんが口を挟んだ。

「そりゃー、ここでいったん降りて、ちゃんと並べ替えて、体勢を整えてから、運んだほうが良かんべー」

「だ、だけど、おばさん、これ、僕が落としちゃったんですよー。衛生上、こんなの出せませんよー・・・・・・」

「だめだー、食べ物をそんなに粗末にすては。もったいねえから、埃を払えば食べられんべー」

 と言いながら、掃除のおばさんが、海老のてんぷらを一つ摘み上げた。そして、おもいっ切り息を吸い込むと、「プーーー」っと吹き付けて、てんぷらについていた埃を吹き飛ばした。そして、まだ残っている埃を、人差し指の爪の先で取ると、

「ほうら、大丈夫だんべ」

 と、皺くちゃの顔を一層皺くちゃにして、微笑んだ。

 亮太たちは、とりあえず十階でエレベータを降りた。この階は事務室だけで、ラッキーなことに、土曜日で事務業務は休みだった。だから、この階には人っこ一人いなかった。

 二人は、おばさんの動作を真似てみた。すると、なんとか埃が取れた。これで、元通りに並べれば、気が付かれないで済みそうである。

 おばさんを交えた三人が、必死で息を吸って、吹きかけて、てんぷらを元通りに戻した。

 その作業をしながら亮太は、どうせ世襲で将来の政治家を目指す財務官僚と、代議士の娘との政略結婚なのだから、落ちたてんぷらを食わせて、ついでに選挙にも落ちるよう、祈ってやれ、俺たち一般庶民にできることはこれくらいだ、と思っていた。

 再びエレベータに乗った亮太と平山は、急いで二階で降りて、パンジーの間に到着した。

 すると、小林が顔をしかめていた。

「まいったなあ、きっと文句を言われるだろうなあ・・・」

「しょうがないっすよ。ちょっと腹が痛くて、便所にでも行ってたって言うしかないっすよー」

 亮太の不安をよそに、意外に平山は平然としていた。

「厨房のやつら、またてんぷらを上げるのを遅れていたんだろう・・・・・・」

 どうやら小林は、厨房の料理人のせいで、てんぷらが遅れた、と勘違いしてくれていたようだ。

「君たちも運ぶのを手伝ってくれ・・・・・・」

 と言いながら、小林がテーブルに配膳し始めた。

 亮太もてんぷらの皿を取った。どのへんに配ろうか迷ったが、ちょうどさきほど、シャンパンを抜く時に、舌を出していたガキのテーブルに、てんぷらが乗っていないのを発見し、そこに配った。

 亮太は、ニコニコしながら心の中で、

「ざまあみろ! バーカ!」

 と、言ってやった。


 最後にデザートを出して、披露宴はお開きとなった。予定の二時間半を四十分ほどオーバーして、一時十分になっていた。

「さあ、急いでくれー」

 現場チーフの小早川が叫んでいた。

 まず、全員が料理の皿やビール瓶、グラスなどを片付けた後、酒や食べ物で汚れたテーブルクロスをはがした。すると、染みと汚れだらけの下地が現われた。

「へー、下はこんなに汚いんっすねー」

 あまりの汚れに平山が声を上げたが、その下地の汚さには、亮太も驚いた。

 結局、その上に地の厚いきれいな真っ白い布をかぶせてしまうので、客は誰一人として、そんなことに気づく者はいなかった。

 こうしてみると、さきほどの”てんぷら落下事件“といい、この汚れたシーツの”覆い方式“といい、ちょっと性質は違っても、要するに客に気がつかれなければいいんだ、という考え方があるように思えた。亮太はこの業務思想を、今後も踏襲して行こう、という方針を決めた。


 二時からの披露宴は、中華料理だった。

 今度は和食と違って、全ての料理を一から運ばなければならず、その分骨が折れた。

 くらげの前菜、つばめの巣、北京ダック、酢豚などと続いた。

「あーあ、次は何でしょうねー」

 大きなため息を、一つつきながら平山が言った。

「何でしょうねー・・・・・・」

「それにしても、腹、空きましたっすよー」

 そういえば、昼飯を食べていなかった。

「昼ご飯、どうなるんでしょうか?」

「小林さんの話によると、この会が時間通りに終われば、十五分ぐらい、飯の時間が取れるって、言ってましたっすよー」

「まいったなあ、それじゃあ、時間がオーバーしたら、また食べられないじゃないですか・・・・・・」

「それは、困りますっよねー。昼飯が抜きだなんて、聞いてないっすよー」 

 ぶつぶつ文句を言いながら、厨房に着くと、次の料理は海老とピーマンのチリソース炒めだった。

 一皿ずつ持って歩き出した亮太と平山は、海老チリのぷーんと立ちこめる臭いを嗅いで、めまいがしそうだった。

「風祭さん、十階で、一休みしませんか?」

「一休み?」

「えー、ほんのちょっとすよー」

 と言いながら、登りのエレベータに乗り、平山が十階を押した。 そこで降りると、

「これだけ大皿にのっていれば、少しぐらい食べたって、大丈夫っすよー」

 平山が手掴みで、海老をムシャムシャ食べだした。亮太は、初め呆気に取られて見ていたが、いうまでもなく空腹の大誘惑には勝てなかった。

 二人で、それぞれ十二・三個ぐらいずつ食べた後、皿を揺すって、全体に平均的に海老が散るように整えてから、二階に降りた。

「まあ、わかんなきゃ、いいや」

 二人はこの作業を何度か繰り返した。そして、最後の皿に到達する頃には、早くも海老チリのゲップが出ていた。


 マスクメロンが食後のデザートだった。それらを配り終えた亮太たちホテルマンたちは、披露宴の成り行きを、誰しも、「早く終われよ」と思いながらしげしげと見つめていた。

「それにしても、花嫁さん、きれいっすよねー」

 亮太の横で、平山が花嫁の美しさに、感嘆の声を上げていた。

「確かに、美人ですねー。さっき誰かの挨拶の中で、元ミス東京だとか言ってましたよー」

「元ミス東京! す、すごいっすねー 俺も将来、あんな美人と結婚したいっすよー」

 それは、亮太も同感だった。その新婦を十人の男が見たら、好みの差こそあれ、十人全員が美人であると答えると思われた。

 さきほどの披露宴と同じように、最後のクライマックスは、新郎新婦からの、それぞれの両親へあてた花束贈呈だった。一通り、新婦とその母親が涙して、幕が閉じられた。

 四時三十五分。またしても、三十五分もオーバー。とにかく早く片付けろとの、小早川チーフの命令だった。

 ところが、その小早川チーフが隣の披露宴会場に行った直後、着物姿の配膳係のおばさんの中の親分格の人が言った。

「さあ、バイトの学生さんたち、メロンのあまり、食べたければ、食べてもいいよ。そのかわり急いで食べてね・・・・・」

 一瞬、亮太は平山と視線を合わせた。が、すぐに、テーブルに残されたメロンのうち手付かずものを、ガブリとかじった。そして、次から次へとスプーンも使わずに、素早く食べていった。というよりも、食い散らかしていった、と言う方が適切かもしれない。それは、まるでドリフターズの志村ケンが、コントでやるスイカをグチャグチャにして食べるギャグに似ていた。

 しばらくすると、手も口もほっぺたも、メロンの糖分でベタベタになった。

 口の中では、残されていた海老チリのゲップの臭いと、新鮮なメロンの匂いが、ほど良く解け合って、素晴らしいにおいを醸し出していた。

 亮太と平山は、テーブルに残っていたメロンを全てたいらげた。平山はそれに満足したのか、次の作業に取り掛かっていた。しかし、亮太は、まだ残っていないかと、会場内をしつこく隅々まで見渡した。

「あった!」

 肝心なのを忘れるところだった。それは、あの美しい花嫁のメロンだった。

「ラッキー」と思った亮太が雛壇へ行くと、そこにはたいていの料理が残されたままだった。亮太は花嫁が使った箸をとって、次から次へとご馳走を頬張った。良く見ると、真っ赤な口紅が付いたまま残されたシャンパングラスがあった。亮太はわざとその口紅の上に自分の唇を当てて、シャンパンを口の中に含み、モグモグとやってから、少しずつ飲み込んだ。

 亮太の口の中では、海老チリとメロンのこうばしさに、美しい新婦の残り香が、一層花を添えていた。


 その日三回目の仕事は、六時からの結婚披露宴だったが、急きょ亮太と平山の二人は、地下一階の”カーネーションの間“のパーティーに変更となった。

 そのパーティーは、東京中央医師会の主催だった。

 亮太は、現場の担当チーフから、ドリンクボックスの中に入って、水割りを作る係を仰せつかった。

 そして、冷凍庫から氷を運んで来て、ドリンクボックスの流し台で水割りの準備を始めた。

 すると、

「おい、にいちゃん、これを作ってくれ!」

 つるっ禿のじいさんが、亮太の前に、ナポレオンのレミーマルタン・ルイ十三世と、スコッチのバランタイン三十年ものを差し出した。

「レミーが十六万、バランの三十年が八万だ。これだけ上等な酒なら、文句はつかねえだろう。この前は、ロイヤルサルートなんて安酒は飲めねえなんて、ほざきやがった奴がいたからなー・・・・・・」

「はー」

 岩手の地酒ならともかく、洋酒の銘柄や値段については、亮太にはチンプンカンプンだった。それにしても、そのじいさんは、亮太に向かって話しているのか、それとも独り言を言っているのか、どちらだか良くわからなかった。一つ間違えれば、”危ないおじさん“、いや、”じいさん“だった。

「いいか、どんどん作ってくれよ!」

「は、はい」

 そのじいさんの胸のネームプレートには、華丘産婦人科・華丘万太郎と書かれていた。どうやら、この会の幹事役らしかった。

 ほどなく、パーティーが始まった。

 それは、医者たちの集まりだった。

 亮太は、幹事役のじいさんの言う通り、ナポレオンのレミーマルタン・ルイ十三世のオンザロックと、スコッチ・バランタイン三十年ものの水割りを、急いで三十個ぐらい作った。

 最初のうちは、ビールを好む人が多いので、ロックと水割りのグラスはあまりはけなかった。

 二十分ぐらい経過して、さっきのじいさんがやって来た。

「どんどん、飲ませろよ!」

 医者という職業のせいか、それともこの人の性格か、亮太に対する口のきき方が、非常に高飛車で、傲慢だった。亮太は、むかついたが、エヘラ、エヘラして、笑ってごまかしていた。

 すると、また二十分ぐらいして、じいさんがやって来た。そして、ナポレオンのボトルを掴み上げるなり、

「なんだ、全然空いてねえじゃねえか! おまえ、なにボケっとしてんだよー もっと、どんどん作れよ!」

「あ、すいません」

 とりあえず、亮太は謝った。しかし、どうして見も知らずのいけすかない禿じじいに、謝らなければならないのか、自分自身が情けなかった。

「しっかり、作れよー!」

 それにしても、あんなにひどい産婦人科医に、股を開いて恥部を見せている女性がいるかと思うと、亮太は、何だか世の中がわからなくなって来た。

「とにかく、何も考えずに、この場はグラスを作ることに専念しよう」

 亮太は、一生懸命に酒を注いだ。

 ところが、いくら高級酒好きの医者の集まりといえども、立食形式のパーティーで、そんなに大量に酒が飲めるわけがなかった。

 沢山グラスを作ろうにも、できているグラスがなかなか空かず、これ以上作れない状況だった。

 二時間のパーティーも後半となった。しばらく来なかった禿じじいだったが、

「このタコ野郎、しっかり作れよ! まったく、さっきからちっとも減ってねえじゃねえか! おまえの給料を減らすよう、このホテルの社長の猿丸くんに言いつけるぞ!」

 ボトルは半分も減っていなかった。

 それにしても、何故、自分が、華やかなパーティー会場の片隅で、小さなドリンクボックスの中で、産婦人科の禿じじいに、罵声を浴びせられなければならないのか、亮太に葉合点がいかなかった。「ほんとに、俺の言うことがきけないんだったら、ぶん殴るぞ!」 酔いも回っていたのか、禿じじいは今にも殴りかからんばかりの勢いだった。

「わ、わかりました」

 亮太はなんとかその場を取り繕った。

「どうしたら、この酒が減るのか・・・・・・どうすれば、この酒を減らすことができるのか・・・・・・」

 亮太は、ボトルに穴があくほど、それを見つめていた。

「そうだ! そうすればいい」

 その時亮太は、名案を思いついた。

「どうして、こんなに簡単な方法に、早く気がつかなかったんだ」

 亮太は、今までこのやり方に気がつかなかった自分が、少しばかり悔しかったが、すぐに実行に移した。

 ―ドボドホドホドホドボドホドホドボ―

 ナポレオンのレミーマルタンのボトルが、底から二センチのところまでを残して空いた。

 ―ドボドホドホドホドボドホドホドボ―

 同じように、バランタイン三十年ものは、底から一センチのところまで空けた。

「うまくいった!」

 亮太は、「我れながら天晴れ」と思った。

 レミーマルタン・ルイ十三世と、バランタイン三十年ものの合計十五万円分ぐらいが、排水溝を伝って、ドリンクボックスの流しの底に溜まって行った。つまりそれらを下水に流してしまったのである。

 パーティーも終わりに近づいて来た時に、また禿じじいがやって来た。既にへべれけに酔っ払っていた。

「おー、空いたじゃねえか! おまえもやればできるじゃねえか!」

 と言いながら、人込みの中へ消えて行った。

 亮太は、これが世の中というものなんだな、とつくづく思った。

 そして、ホテル・バイトボーイの一日目が終わった。

 亮太は、その日一日で、一年分ぐらいの経験をしたような気がしていた。

                                          ―おわり―


 いよいよ仕事が始まった。一回目は、結婚披露宴の宴会係。亮太はシャンパンのふたを開けるのは初めてで、それに手間取り、ケーキの入刀に間に合わなくなってしまう。また、てんぷらを運ぶ途中、その皿をエレベータの中で引っ繰り返してしまう。幸いエレベータは目的の階を通り越して、事務室のある十階に着く。そこには便所掃除のおばさんがいて、こぼしたてんぷらをどうしようかと迷っている亮太とその同僚平山に、食べ物を粗末にするのはもったいないと説き、てんぷらにぷーと息を吹き掛けて、埃を吹き飛ばし、爪でゴミを払って皿に並べてしまう。亮太たちもそれを真似て事なきをえる。次の会は中華料理の披露宴で、昼食を抜かされた亮太たちは、平山の発案で海老チリを運ぶ途中、先程の十階に立ち寄って、海老をつまんで食べてしまう。これを何度か繰り返すうちに、会の終わり頃には、海老チリのゲップで口の中が充満してしまう。そして、この会の後片付けの時、残されたメロンを食べても良いとの許しが出され、亮太たちは何十個というメロンを食い散らかす。元ミス東京の花嫁の食べ残しを、亮太はおいしそうにほおばる。最後の仕事はある医師会のパーティー。口うるさい幹事役の禿じじいが、十六万円のナポレオンと八万円のバランタイン三十年ものを持ち込み、どんどん作れと命令する。ところが、亮太がいくら水割りを作っても、なかなか減らない。禿じじいは、何度も巡回しては、酒が減っていないと亮太を罵倒する。余りのしつこさについに亮太は、その高級酒を排水溝に流してしまう。それを知らない禿じじいはボトルが空いて満足する。生まれて初めてのアルバイトの一日に、亮太は世の中というものを知るのであった。

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