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桜町プロジェクト

掲載日:2026/04/20

フードコーディネーターの照美が、日向大神宮で幼馴染と再会するところから始まります。京都の桜が弱っている。京都の人と人のつながりも、どこか希薄になっている。そんな話をしながら、久しぶりに懐かしい顔が集まっていきます。

 三月の日向大神宮は、ひっそりとしていた。


 照美はスマートフォンにメモを打ち込みながら、境内の石段をゆっくり上っていた。春の特集。京都の神社と食——フードコーディネーターとしての仕事と、ライターとしての仕事が、最近こうして交差することが多くなっていた。


 日向大神宮は「京の伊勢」とも呼ばれる古社だ。住まいからすぐそこにある。近所に住んでいながら、ゆっくり歩くのは久しぶりだ。


 境内の奥に進むと、桜の木が目に入った。


 咲いていない。当然だ。まだ三月の初めだ。枝先もまだ硬く、どこか元気がない、老木なので仕方がないのかもしれない。


「照美?」


 声がした。


 振り返る。


 男が立っていた。背が高く、上品に背筋ののびた、綺麗な目をした男だ。


 照美は三秒、固まった。


「……藤原君じゃない!」


-----


 二人で石段の上に並んで座った。


 藤原君は矢印サイダーの役員をしているそうだ。勧修寺に住んでいる。最後に会ったのは——何年前だろう。


「なんでここに?」


「桜を見てた」


「桜、まだ咲いてないよ」


「わかってる」


 藤原君は境内の桜の木をじっと見た。


「最近、京都の桜の花の寿命が随分短くなってるらしい。ニュースで聴いてな、気になって、桜の木の状態を見て回ってるんや」


「趣味で?」


「趣味で」


 照美もつられて桜の木を見た。枝の先、つぼみの大きさ。


「なんか……弱ってる気がするよね」


「そうやろ。なんとかならないかなあ」


 藤原君が少し身を乗り出した。「でも俺にできることなんてないし。照美、フードコーディネーターやろ、なんかわからへん?」


 照美は少し考えた。桜と食——直接の接点は思い浮かばなかった。


「桜だけじゃない気もするんだよね京都」と照美は言った。「京都人どうしのコミュニティも崩れてきてる気がして。繋がりが希薄になってる。私達、京都人がもっと元気にならなきゃって」


 深い意味はなかった。ただ、そう感じていた。


「なるほどなあ」


 藤原君はゆっくりうなずいた。


「子供の頃、毎日一緒に遊んでたみんな、どうしてるかな」


 しばらく、二人で黙った。三月の日差しが石段に当たって温かかった。


「缶蹴り、よくやったよね」


「私は観てただけでしょ」


 照美がそう言うと、藤原君が笑った。「そうそう」


 おもむろに、藤原君がリュックに手を入れた。缶をニ本取り出した。


 矢印サイダーだった。


「懐かしい!」


「復刻版なんだ、昔のままの缶」


 再会を祝って小さく乾杯、温かい午後にサイダーの泡が心地よい。


照美は飲み終えた空き缶を、大切にバッグに入れた。


-----


 家に帰って、照美はパソコンを開いた。


 桜、京都、イベント——いくつかのキーワードで検索した。


 あるページで、指が止まった。


「第一回・伏見桃山城 大缶蹴り大会」


 会場:伏見桃山城。主催・月海イベント企画。そして——桜まつりの関連イベント。月海って、月海渉の会社じゃない…


 照美はもう一度読んだ。「桜町大神宮」という文字が目に入った。大会場所の近くに、この神社がある。多分昔、缶蹴りをした神社だ。照美は更にその神社を調べてみた。


 創建は平安時代末期。桜をこよなく愛した公卿・藤原成範が建立した。成範は桜花の短命を惜しみ、落花を遅らせるよう天照大神に祈願した。神明はその願いを憐れみ、花の齢を三十七日延ばしたという——


 照美は画面から目を上げて、問い合わせ先の電話番号に、電話をかけた。


-----


「はい、月海イベント企画です」


 その声には、やっぱり聞き覚えがあった。


「……わたる?」


 少し間があった。


「幼馴染の照美です。」


「照美か!」


 笑い声が重なった。それだけで、十何年が縮まった。


「渉といえば——豊ちゃん、元気?」


「元気やで」


「三人で会えない?」


「どこで」


「桜町大神宮」


-----


 桜町大神宮は、子供の頃と変わらなかった。


 石畳の冷たさ。楠の大きな根。鳥居をくぐるときの、あの独特の空気の変わり方。


 豊子は少し早く来ていた。夫である渉のイベント成功を願いに来たのだと言った。照美は手を合わせた。三人並んで、しばらく本殿の前に立った。


「桜、まだ蕾が固いね」と豊子が言った。境内の桜の枝が、風にかすかに揺れていた。


-----


 三人で石段に腰を下ろす。


 照美はイベントの話を聞きながら、渉の顔を見た。子供の頃より少し疲れた顔をしているが、話しているときの目は昔と変わらなかった。


「食べ物の店のコーディネート、やらせて」


「ほんとに?」渉の顔が明るくなった。


「豊ちゃん、一緒にやろうよ」


 豊子が目を丸くした。


「私が?」


「豊ちゃんは子供の頃からお料理好きやったやん。私においしいおにぎりだのサンドイッチだのくれたよね。あれ、本当に美味しかった」


 豊子が照れたように笑った。


「……やってみようかな」


「決まり」


 照美は用意したメモを開いた。幼馴染たちの顔が浮かんだ。律子、藤原君、國男——あの頃のメンバーが次々と頭に出てきた。


「それにしても、みんな食べ物に携わってない?」


「ほんとだ…私みんな集める!」


「そうだ」と照美は言った。「勝のパンも売りたいね。利休あんぱん、知ってる?晴明神社の神水と上林春松本店の抹茶で作った——」


 渉が黙った。


 照美は気づいた。豊子も気づいていた。


「……別にええんちゃう、他にも出店者おるし」


「何があったの」


「何もない」


「話して」


 照美が踏み込んだ。


 渉は少しの間、楠の幹を見ていた。それから、ゆっくりと話し始めた。


-----


 話し始めると、止まらなかった。


 勝は上級生で体力もあったので、何をやってもかなわなかった。ある日を境に、何かが自分の中で変わった。うまく言えないが、走ることが怖くなくなって、それからいろんなことが変わった。


「ある日、僕が勝を捕まえて、勝がオニになったんだ。勝は僕を捕まえられなかった。」


それ以来、勝は缶蹴りをしなくなった。上級生達と一緒にいて、神社には来なくなった。ちょうどその頃、勝の父親が店を伏見から上京区に移した。聚楽第の近くに。それで二人の距離が自然に開いた。それだけのことのはずだった。


「何が原因かは、自分でもよくわからへん」


 渉はそこで止まった。


 照美と豊子は何も言わなかった。境内に風が吹いた。楠の枝か揺れた。


-----


 翌日、照美と豊子は渉には内緒でブーランジェリー聚楽に行った。


 勝は渋った。


 照美が説得した。豊子も頼んだ。


 勝は首を縦には振らない。


 女二人で店を出た。豊子は帰り際、ショーウィンドウの利休あんぱんを三つトレーに乗せた。


「お金はいらないよ」


-----


 その夜、豊子が利休あんぱんをテーブルに出した。


 渉が何も知らずに口に入れた。


 しばらく、黙っていた。


「……なんやこれ」


 豊子は何も言わずに見ていた。


「こんなん食べたことない。なんやこれ、すごいな。美味い!もっと味わおうとすると、すーっと消えてしまう。どこで買ったん?」


「勝くんのパン」


 渉の手が止まった。


 テーブルの上に、食べかけの利休あんぱんがあった。渉はそれをしばらく見ていた。


-----


 イベントまで時間がない。照美と豊子は動いた。


 律子に電話した。「六甲からソフトクリーム持ってく」と即答だった。


 藤原君に連絡した。矢印サイダーの缶と飲み物を提供してくれることになった。


 島根の國男にも声をかけた。餅入りぜんざいを作ってくれるという。猿田くんのコーヒーショップにも話を通した。


 出店者が揃っていった。勝だけを除いて。


-----


 律子が京都に下見に来た日の夜、渉に電話してきた。


「りっちゃん、何時やと思ってんの」


「ちょっと聞いて」


 律子の声は静かだった。迷いがない、昔からそうだ。


「勝ってさ、昔から乱暴な素振りしてたけど、いつも下級生のわたるのこと気にしてたよ。ほんとはもっと遠くまで蹴れたし、わたるが缶を見つけるまでじっと見てた。わたるの走りが早くなってからは、わざと負けてたんだよ」


 渉は黙っていた。


「わたるも、ほんとは憧れてたんでしょ」


 電話の向こうで、しばらく沈黙が続いた。


「……イベント、よろしくね、うちのソフトクリーム、美味しいんだよ。

…疲れたんで、おやすみ」


 律子が電話を切った。


-----


 翌日、渉は思いきって勝に電話した。


「パン、食べた」


 勝は何も言わなかった。


「めちゃくちゃ美味かった。——イベント、来てくれへんか。秀吉と利休を仲直りさせたいんや、あの勝のあんぱんを伏見城で売りたい。お願いします」


 間があった。


「……利休あんぱんしか持ってかへんよ。いろいろなパンは持ってかない。利休あんぱんだけや、それでもいいなら」


「もちろん。利休あんぱんだけでいい」


-----


 大会前日の夕方、イベントの準備をあらかた終えた幼馴染たちが、桜町大神宮に集まってきた。


 昔もそうだったように、誰かが声をかけたわけではない。当たり前のように集まった。


 渉と豊子が先に来ていた。照美と律子、藤原君、それから島根から來た國男と伊勢の猿田くん。準備を終えた者から、自然に神社に足が向いた。最後に、勝がやって来た。


 全員で本殿の前に並んだ。しばらく、誰も喋らなかった。みんなで手を合わせた。


 参拝を終えて、それぞれが境内を懐かしく見回していた。國男がおもむろに言った。


「そういえば、勝があんまり乱暴なことばかりするから、照美が拗ねてあの倉庫に入って出てこなかったことあったよなあ」


「そうそう」と猿田くんが言った。「あの時は大変だったよな」


 みんなの視線が照美に向いた。


「……えへへ」


 照美が笑った。境内に笑い声が広がった。


-----


 照美がバックに手を入れた。


 満面にいたずらっぽい笑顔をうかべながら、矢印サイダーの空き缶を取り出した。復刻版の缶だ。


 みんなが顔を見合わせる。


 勝が思い切り蹴った——缶は高く舞い上がり、神社の隅の茂みの中へ消えた。


 オニは渉だ。


 渉は茂みの中へ入っていった。枝をかき分け、足元の枯れ葉を踏んで少し進むと、銀色の缶が落ちているのが見えた。


 手を伸ばして、缶を拾い上げた、

そしてゆっくりと振り返る。


 みんながいた。笑っていた。


 渉も笑った。缶をみんなに見せるように持ち上げた。


 それを合図に、皆が一斉に逃げ出した。


 満開になった。温かい風が枝を揺らす。桜の花はひらひらと舞い揺れた。

鳥居の影が長く伸びた。伏見城が夕日を浴びて黄金に輝いた。


-----


終わり


-----


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