侍女リズ視点前編
自身の主人について、憶測で決めつけるのは良くない。私は常々そう思っている。
私がお嬢様に仕えるようになったのは、名ばかりの伯爵家に生まれたことがきっかけだった。正直なところ、食事の内容は庶民と変わらない。むしろそれ以下だったかもしれない。
お嬢様に最初の宿でお出しした黒パンとスープ。あれだって、我が家では「どちらか片方だけ」という日もあった。
それでも私は長女だったから、まだマシだったのだと思う。長男が生まれるまで頑張った両親は、気がつけば六人の子の親になっていた。
子どもが一人増えても、収入が増えるわけではない。年々食事は質素になり、やがて「質素」という言葉では足りないほどひもじくなった。――ああ、これが貧しいということなのだろう。当時の私は、ぼんやりとそんなことを考えていた。
転機が訪れたのは、お嬢様の婚約が決まった頃だ。当時のエドガーが、侯爵様にとって懸念事項となっていたらしい。そのため、監視役として私を拾ってくださったのだ。
侯爵様は、わざわざ我が家まで足を運び、私の目線に合わせて話してくださった。その日のことは、今でも鮮明に覚えている。
『君が必要なんだ。来てくれるかい?』
『え?』
『私の家で暮らすことになる。この家からは出ることになるが、これからは私が君たち家族を養おう』
その時の私は、てっきり白馬の王子様が求婚に来たのだと思った。……今思えば、非常に独特な言い回しである。
もっとも、よく考えれば政略結婚でもない限り、かなりの変人ということになる。求婚ではなくて良かったのだろう。
私はその日のうちに侯爵邸へ連れて行かれ、侍女長から直々に指導を受けた。そして何とか妥協点を勝ち取り、お嬢様にお会いする許可を得るまでに――半年ほどかかった。
『リズ、おめでとう。今日から私の娘に仕えてくれ。字が書けるようになるまでは口頭で侍女長に報告しなさい。その後は報告書を作るように』
侍女長の指導を受けるうちに、侯爵様は王子様ではないな、と感じていたので、私は素直に頷いた。
『はい、お任せください!』
『よし。それと同僚になる者がいる。エドガーという。仲良くするように。なるべく一緒にいなさい』
『はい!』
最初は「見本にしなさい」という意味だと思った。だが今思えば、単純に警戒されていたのだろう。
お嬢様は婚約している。もしエドガーと恋にでも落ちられたら困る――ということだ。
私は純粋に、エドガーもお嬢様も好きになった。だから言われた通り彼について回った。その結果、言いつけの仕事以外の時間は、ほとんどお嬢様と一緒に過ごすことになった。
第四王子もエドガーをよく睨んでいた。そしてある日、お嬢様に直接こう言っているのを聞いた。
『あの男、解雇したらどうだ』
それに対するお嬢様の返答は――
『あら、何か粗相を?どのようなことでしょう。私は気づきませんでしたわ。教えてくださる?』
さすがお嬢様。なんて素晴らしいお言葉。
……ただ、王子の嫉妬に対する答えとしては微妙では?
いや、きっと計算の上だ。そう思っている間に、王子は走り去ってしまった。
私は慌ててお嬢様に声をかけた。使用人とはいえ、まだ幼い。エドガーと一緒なら多少の無礼は許される。何より、このまま関係がこじれたら、気が利かないと思われて追い出されるかもしれない。
『お嬢様、行ってしまわれましたね。驚かれましたか?』
まずは事実確認。決めつけは良くない。
するとエドガーが言った。
『とんでもない無礼者です。お嬢様、追い払ってもよろしいでしょうか』
よろしくないわ!相手は王子!お嬢様の未来の伴侶よ!
するとお嬢様は、あっさりとおっしゃった。
『きっと急用ができたのよ。お父さまもよくそう仰るわ』
……え?
侯爵様とは違いませんか?だって今のは、話の途中で何も言わずに――。
だが、お嬢様がそう言うのだ。疑うなんて使用人失格である。
私は「そういうものなのか」と納得した。
――実際の意味は違った。政略結婚の相手との対面で無礼を働く人間に、配慮する価値はない。
つまり、そういうことだったらしい。
……へえ。切り捨て方が凄いですね、お嬢様。
その夜、侍女長に報告したところ、侯爵様に呼び出された。
『リズ、君の働きはよく聞いている。これからもエドガーと仲良くするように』
『はい』
『では、昼間の第四王子殿下の件を詳しく。王子が帰った理由についての見解も簡潔に』
『エドガーを辞めさせるよう、お嬢様に言っていました。多分……エドガーに嫉妬していたのだと思います』
『そうか』
短い返事。さっきよりも低い声。
私は失敗したのだと思った。
『申し訳ありません!追いかけて、お嬢様との仲を取り持つべきでした!』
『ん?それは困る。娘の行動は妨げないように。必要なら娘が指示する』
『は、はい。追いかけません』
『うん。今日の対応も問題ない。これからも頑張りなさい』
おそらく王子の態度が気に障ったのだろう。その後、王子が侯爵邸を訪れたのは――私の知る限り一度もなかった。
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