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速い別れ


注意、虫嫌いの方はお気をつけください。


 甘味を知らないまま大人になったわたしは、今日新たに生き始めた。そのとき、新しい人生の始まりを告げるように遠くで鐘が鳴った。

 

 素晴らしいわ、きっとこれが甘味なのね。

 

 余韻に浸りながら、苺コッペパンを前にふと考える。

 せっかくならここで過ごす間はこの感動に携わりたい。

 店主を専属に召し抱えようかしら?

 いえ、平民だと難しいわ。下の者が納得しないでしょうし。

 ならば、滞在中だけでも通い詰める?

 悩ましいわね。でも、現実的なのはあのパン屋を買収することかしら?無理ならパン職人から探さないといけないわね。


 「エドガー、予定はどうなっているかしら?」

 「まずは本日から住居が決まるまでお泊まり頂く宿へご案内いたします」

 「そうしてちょうだい」


 馬車に乗り込み、小窓を開き景色を眺める。宿までの道のりは、石造りの壁に囲まれた家が連なっていた。湿った土と、色々な食が混じった匂いがした。民家の並びが途切れた先に、控えめに佇む小さな家が建っていた。門をくぐると整えられた芝と人影がわたしを迎えた。


 「こちらです」

 「ようこそ! お待ちしておりました。さっそくお部屋へご案内致します」


 愛想の良い老夫婦に後継ぎの夫婦だろうか、歓迎しているのが伝わってきた。彼らはふっくらとした丸い頬で愛嬌のある笑顔を浮かべていた。

 

 「世話になるわ。エドガー」

 「はい、お任せください」


 性格の良さそうな彼らの相手をエドガーに任せた。宿は白い石造りで、庭には噴水らしき物が遠目に見える。

 エドガーの采配により、リトートアと名乗った息子に案内される。吹き抜けがある玄関ホールに辿り着くと、螺旋階段が目に入った。それを上り二階へ進んだ。


 「ご滞在いただくお部屋はこちらになります」


 緊張して震える声を聞きながら部屋を見た。入り口以外の扉が二つある。広さは、王都の屋敷の自室と大差なかった。家具は木製の寝具と、ドレッサーがあり、どちらも細かい彫り込みが施されている。壁は木目を使用しており、暖かみを感じる作りだった。


 「まずこちらが洗面台でございます。そして、こちらは浴室に繋がっております。ここでの湯浴みは、水が勝手に流れてくる場所に作っているため自室に設置しておりません。移動していただくことになるのですが、よろしいでしょうか?」

 「よろしくてよ」


 開かれた扉の向こうは階段があった。


 「こちらはお嬢様のお部屋からのみお入り頂くことができるようになっております」


 階段から一階に降りて二つほど扉を開けると熱気を感じた。そして、中にはお湯で満たされている浴槽があった。温度調整の魔道具が滝のように流れ出る水の入り口に設置されている。


 「水はいつも循環しておりますので、いつでもお気軽にお入りいただけます」


 その晩、久しぶりの広い浴槽は素晴らしかった。



翌日。


 明け方に目が覚めた。ここのところ移動のために早く起きていた癖がついていた。わたしは起きて朝食を待たずに椅子についた。取っておいた苺コッペパンの包みを、静かに開く。昨日よりも少しだけ形が崩れていたのを観察した。

パンの白い生地はまだ柔らかく、苺の部分は鮮やかな赤を保っている。甘い香りも、十分に残っていた。触れれば潰れてしまいそうで、包みを持つ指に、ほんの少しだけ力を入れ直した。


 だが、その中で――小さな何かが動いた。


 「……?」


 白い部分の縁で、かすかに蠢く影。小さく、弱く、でも確かに生きている。


 何かしら?昨日はなかったはずだけれど。これは良くない現象かしら?


 わたしは昨日リズがそのまま置くのは良くないと言っていたのを思い出した。


 『お嬢様、食べないのならお預かり致しますよ』

 『いえ、置いておきたいの』

 『そうですか? なるべく早めに食べた方がいいと思います』


 この事態がもう遅いのか、間に合っていないのか判断がつかなかった。そして、手引書を捲った。


 《放置した食料には、小さな生命体が宿ることがあります。ですが、食卓に登ることはありません。気づいた場合は、静かに新しいものを用意させましょう》


 それ以上の説明はページを捲っても出てこない。生命体の名前も、誕生した理由も書かれていない。この手引書はとても簡潔で、小さな生命体の記載は新たに明記されていなかった。試しに今度は開き直してみた。


 《食べかけの生ものだからです》


 食べられない結論。


 とにかく、こうして食べられなくなるというのは想定していなかった。だから、解決策が見出せずにショックで気づいたら声に出していた。


 「苺……」


 たった一晩で、変わってしまったの?


 未練を捨てきれずそのまま同じ姿勢で食べ物の扱いから外れてしまった物を眺める。しかし、この小さな生命体がいつも処理されていたとは知らなかった。


 飼育方法はあるのかしら?


 《推奨できません。強く推奨できません》


 勝手に捲れた手引書の警告を見て、わたしは結局どうすればいいか分からなかった。だから、包みを閉じて机の端に置いた。

 その後、起こしに来たリズの生命体への奇声を聞いた。長い間仕えてくれたが初めてのことだった。


 これからの日常は、予測できない想定外が多そうね。


 「お嬢様! 落ち着いてください!まさかこんなものと共寝するのを見逃してしまうとは申し訳ありません」


 そう、落ち着くのは貴方よ。あと語弊がある言い方はやめてちょうだい。おかしなことに謝罪しないで。


 すると、眉間に皺を寄せたエドガーが悲鳴で駆けつけた。背後には剣に手をかけた護衛達がいた。


 「と、共寝ですか?!」


 エドガー、動揺しないでちょうだい。貴方が宥めて場を収めるのよ。ひっくり返った声と言い間違いは聞かなかったことにするわ。


 「何処に、一体何処から!いえ今何処に!」


 リズが持つ紙袋の中から湧いて、今も、そこにいるわよ。リズ、わたしのネグリージュを隠そうと頑張るのは良いことね。でも、そもそも退出させれば良いのでなくて?


 「そんな報告は上がっていない!! 裏切り者か?!」


 どうやらわたしは、夜通し生命体と愛を育んでいたことになっているらしい。エドガーの中では確定事項になろうとしていた。物騒なことになったので制止するために声を掛けた。


 「エドガー、リズ」

 「「はい」」

 「わたしに起こったありのままを語るわ」


 小さな生命体の話は二人にショックを与えたようね。同情してすっかり黙っているわ。


 「飼うのはどうかしら?」

 「「やめて下さい」」


 この者たちも、役割を与えれば働くのでは?


 《ありえません!破棄一択!》


 残念ね、わたしは内心ひっそりとお別れを告げた。お元気で。

お読みくださり、ありがとうございます。

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