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旅路の食事と宿事情

 ソルヴィア共和国への旅路は、いつもと変わりなかった。街道を進む馬車の揺れや護衛の配置、景色さえも普段と大差はなかった。それでも窓から目に映るどのような景色も、何故か新鮮に見えて気分が高揚した。


 ……行き先が違うからかしら?


 


 どれくらい走っただろうか。突然、馬車が停まった。緊急事態でもあったかと、馬車の扉に注視しながら耳を澄ます。静かな外の様子が気になりカーテンに手を伸ばすと、馬車の外から声が掛かった。


 「お嬢様、入ってもよろしいでしょうか?」


 わたし付きの侍女であるリズの声だった。安堵しながら、馬車の扉を開ける許可を出す。扉を開けて見えた外の景色は、低い草が生い茂り見晴らしのいい、開けた場所だった。街や民家どころか人の姿も見えないため、目的地に着いたわけではないだろう。


 「朝食のお時間になりましたので、ご用意致します」


 日が天辺に昇りつつある中、わたしは馬車から出ようとした。準備が終わるまで日に当たり、景色を眺めたかったのだ。その時、膝の上に置いていた手引書が目に飛び込んできた。母に渡されてから一度も開いていないことに思い当たり、パラリと捲ってみた。


 《庶民の生活とは、しっかり労働して対価を得ながら日々を生きることである》


 ……役に立つ内容ではないわ。


 1ページ目の真ん中に、それだけがポツンと記載されていた。隙間なく文字が埋められていると思ったが、そのようなことはなかった。他には何が書いてあるのか確認しようと、次のページに手を掛けたところで呼ばれる。


 「お嬢様、用意が出来ました。本日のメニューはテリーヌでございます」 

 「ええ」


 それは普段の侯爵邸での朝食と変わらない味で、美味しかった。食後の紅茶を飲みながらその後の予定を聞き、ゆっくりと寛いだ。

 



 馬車の揺れるランタンを頼りに道を進まなければならないほど暗くなった頃、再び馬車が停まった。


 「お嬢様、今晩お泊まりいただく宿屋に到着致しました」


 執事見習いのエドガーの声がして、扉が開いた。少し冷たい外気と土埃を感じながら、わたしは馬車から顔を出した。その途端、周囲の空気が変わったのに気が付いた。街の住民たちが、じろじろとこちらへ視線を向けてくる。わたしはその視線を不愉快に感じ、首を傾げながらそちらを見遣ると、すぐに人々の視線は消え去った。


 ……何かしら?


 「お嬢様、こちらへ。本日は二階にお泊まりいただきます。緊急時の経路確認はすでに済ませてありますので、ご安心ください」


 エドガーの声により、不快さはいったん思考の隅へ追い払った。案内されたのは、宿の中でも一番奥にある個室だった。質素ではあるがシーツは綺麗に敷かれ、小さな窓もあり空気の澱みを感じさせなかった。

 わたしが初めて滞在する宿を隅々まで見渡した感想は、『不自由そうね』だった。幸いベッドは小さくない。手狭だが一泊だけなら身体を休められそうだ。見慣れぬ寝具に落ち着かないながら、それでも安心して肩の力を抜いた。


 「ここで寝るのかしら?」

 「……はい。いかがでしょうか?」


 エドガーの返事は、少しだけ詰まっていた。伺うような視線でこちらを見ているのに気づく。理由は本来の想定とは異なる部屋を用意してしまった、申し訳なさから来ているのだろうと察した。

 通常では、旅先で宿泊する際には貴族の屋敷に招待され、ゲストルームを用意させることが多い。だから宿屋であっても、泊まるだけの最低限の設備しかない部屋を本来なら選ばない。きっと手違いがあったのだろう。しかし、わざとでないのなら、この失敗は二度と起きないはずだ。わたしはそれなら構わなかったので、今回は叱責を見送ることにした。


 「エドガー、気にしなくて大丈夫よ」

 「お嬢様……っ」


 エドガーが、はっと耳に届くほど大きく息を吸い込む。


 「急でしたもの。泊まれる場所を押さえたことは、素晴らしいことよ」 

 「……はい。ありがとうございます」

 「こんなに小さくて可愛らしいお部屋で過ごすのは、今までの人生で一度もない、初めての経験よ」

 「お、おっしゃる通りでございます。次回からは、もっと大きなお部屋をご用意致します」


 言葉を交わすごとに、薄っすらと涙を目に浮かべ、顔色を青くしていくエドガーを、わたしはあえて労った。


 やはり今回だけの失態なのね。次はありませんよ。



 

 しばらくすると、夕食が運ばれてきた。わたしの前に置かれた二品は、実家の食器に盛られていた。凝った皿に乗せるには些か疑問に思う風貌のパンと、スープである。いつもと随分と異なる中身を眺めながら、運んできたリズの説明に耳を傾けた。


 「本日のメニューは、一般的に普及している黒パンと、くず野菜を使用したスープでございます」


 わたしは、おそらく前菜であるそれらを、見たことも食べたこともなかった。見た目通り黒いパンと、『くず』という名称の野菜を用いたスープは、どちらも食欲を刺激する見た目ではなかった。簡素すぎる説明に戸惑いながらも、わたしはパンを摘んだ。

 触感はラスクのように硬く、想像していたパンとの違いに驚きつつ、一口齧る。


 ……か、硬い。


 パンの文化には硬さの違いもあるのね。口から出す訳にはいきませんが、噛まずに飲み込むことも困難ですわ。これは配膳を間違えたのではないのかしら?と問いただしたいわ。どう考えても、咀嚼出来ないのではなくて?


 助けを求めてリズに視線を送ろうとした時、スープが視界に入った。浸して食べるのだと気づく。一度口に入れた物を出すのは気が引けたが、どうにも歯が通らない。仕方なく口元を手で覆い、そっとスープに浸す。

 柔らかくなるか疑問に思いながら、先にスープを浮かんでいる野菜も共に掬って口に運んだ。


 …………喉を潤し、乾燥を和らげる効果はあるようね。


 味わいに衝撃を受けながらも空腹を埋めるため、わたしはスプーンをマナーの許す限りの最高の速度で口に運び続けた。スープの底に残ったパンを除き、すべて平らげる。最後にそれをフォークで刺してみたが、まだ早かったのかすんなりとは刺さらない。なんとか無理矢理フォークを押し進め、未だ噛めるか怪しいそれを口に含んだ。

 硬く、野いちごよりも味気ないが、かすかにスープの香りは残っている。わたしはこれは前菜だからと内心の落胆を宥めながら噛み続けた。

 なんとか飲み込み、次の料理を待つ間、空腹を紛らわせるために手引書を捲る。


 《命の値段は安いから、宿は個室を選びなさい》


 ……わたしに命令するというの? 偉そうね。著者名の記載もないけれど、一体どんな偉人だったのかしら。確かに護衛は旅行中のため普段より少ないけれど、わたしの護衛は優秀よ。何も言わずとも、心配することは何も起こりません。それよりも、この口調が気に入らないわ。そもそも個室でない部屋は、未婚者は使わないものよ。

 ……庶民は安い命を持っているなんて大変だこと。場合によっては管理してあげなければなりませんね。

 頷きながら、読み進める。


 《食事は簡素です》


 そうね、先程の前菜は確かに簡素だったわ。明らかにいつもより手間が掛かっていない。それでもメインディッシュはともかく、デザートのチーズは手の加えようがないでしょうから、今度は美味しいはず。

 不安を宥めながら、さらに先を読む。


 《甘い物を勧められても、まだ、絶対に口にしないでください》


 ページをめくる指が止まった。

 ――そうね、甘味は禁忌よ。……今までは、だけれど。

 手引書の記載に従う必要はないわ。母は『忘れなさい』と仰っていたもの。どうせなら、この後に食べてみようかしら。どうしても食べたい訳ではないけれど、知らないのも良くないでしょう。ただの書物なのだから、何かを強要できるはずもない。だから、無視すれば良いだけのこと。

 なのに……一度出た許可を、こんな手引書に否定されて我慢を強いられる気分を味わうなんて、とても不愉快よ。従いたくないわ。理由もありませんしね。


 取り留めのない思考で空腹から意識を逸らそうとしていたが、ついに耐えきれず決断する。礼儀に反するとは思いつつベルを鳴らし、リズを呼んだ。


 「お嬢様、いかがなさいましたか?」

 「メインディッシュの内容は何かしら?」


 敢えて催促だと悟らせない言い回しをした。あくまで内容が気になるだけよ。今日は旅の初日で、慣れない馬車に長時間揺られ、疲労も溜まっているのだもの。多少は多めに見てほしい。


 「……お嬢様、本日はチーズを、先にお出ししてもよろしいでしょうか?」


 リズは少し顔色を青くしていた。入室どきには気づかなかったが、どうやら体調が悪そうだ。わたしは心配して休むように促す。


 「構わないわ。具合が悪いなら、リズは休みなさい」 

「いえ、お任せください!」


 無理をしない方がいいとは思うが、その気持ちも分かる。わたしも無理をしがちな性分だから、強くは言えなかった。


 「そう。旅先なのだから程々にね」 

 「はい、少々お待ちください」


 チーズを取りに出ていく背中を見送りながら考える。


 ……メインディッシュの内容、答えていないわね。はぐらかされた?

 ……まさか、リズに限ってそんなことはないわ。きっと疲れているのよ。


 「お嬢様、チーズでございます。こちらの町の牛で作った物だそうです」 

 「まぁ、美味しそうね……こちらは柔らかいのかしら?」


 一応、念のために確認しておく。


 「……申し訳ありません。特別柔らかいチーズではございません。一般的なチーズでして、温めれば柔らかくなりますが、いかがなさいますか?」

 「いつもと同じでいいわ」


 良かった。これは同じ文化ですのね。


 チーズは量もあり、前菜だけでは収まらなかった空腹がようやく落ち着いた。ゆっくり時間をかけて食べ終える頃には、メインディッシュが運ばれてくる。


 「本日のメニューは、この町の牛肉を使用しました。塩と胡椒で味付けいたしました、ステーキでございます」


 わたしは頷き、肉を切り分けて口に運ぶ。いつもの牛より少し硬い気はしたが、大きな違いはない。


 ……ふぅ。メインディッシュとデザートは良かったわ。


 すべて食事を終えて、その日は就寝した。

 



 こうしてわたしは、旅の食卓における小さな勘違いから一歩を踏み出し、知らぬ間に甘味へと近づいていった。

お読みくださり、ありがとうございます。

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