思っていたより重い
屋敷に着いた馬車が止まり、わたしはユージーンの手を取り馬車を降りる。
「シャルロッテ嬢、ご一緒させてください。」
「いいえ、大丈夫よ」
両親へ本日の報告を、代わりに説明する申し出を断った。わたしは本日の失態を思い起こし、心配するのも無理はないと納得して、ユージーンに言葉を掛ける。
「それくらい、出来るわ」
「そのようなこと、おっしゃらないでください。......本日は帰りますが、いつでもお呼びください」
あっさり引き下がったユージーンに、ホッとして見送った。屋敷に戻り玄関をくぐったら、いつもは出迎えに出ない執事がいた。
「おかえりなさいませ、お嬢様。 旦那様と奥様がお待ちです。しかしながら、旦那様から『疲れたなら、明日でも構わない』とのお言葉を仰せつかっております」
「今すぐ案内して頂戴」
急を要する事態だから、一刻も早い報告が必要だろう。わたしは精神的には疲れたが、早々に帰宅したので、身体は全く疲れていなかった。両親への申し訳なさのせいか、廊下がいつもより長く感じていた。人払いしたであろう、使用人が他に見当たらない廊下を渡り、父の執務室で執事は足を止めた。
「お嬢様をお連れいたしました」
心の準備が整う前に、父の返事が届いた。即座に開いたドアの向こうの執務室は、いつもと変わらないインクの匂いがした。幼い頃はよく此処で、父に領地の話を強請っていて、大きくなるにつれ領地の発展する余地を探しては、質問したのを思い出す。
両親がソファーから立ち、こちらに歩いてきた。
その場で立ちながら見ていたわたしを、両親は何も言わずに――
父が、静かにわたしの肩に手を置いた。
母は、そっと背中に手を当てて寄り添った。
二人とも、婚約破棄については何も口にしない。責めることも、慰めることもない。それでもわたしは、理解していた。この沈黙は、拒絶ではない。
――きっと、すべてを知っていたのだ。
「分かって、いたのですね」
「大丈夫だ。全て問題ない」
「ええ、安心してちょうだい」
2人の力強い声に心が温かくなる。両親の言葉は、いつもわたしを守ってくれていた。ホッとして、じんわりと目元が熱を持つ。
「頑張ったな、エーデルシュタイン侯爵家の誇りだ」
まだ、誇りと思ってくださるのですね。
「ええ、素晴らしい振る舞いでしたよ。流石私たちの自慢の娘です」
今でも、自慢に思ってくださって嬉しいですわ。
何処からか、すでに本日の報告が両親の元に届いてだろう。熱くなった目から頬を、何かがつたっていくのを感じた。
「胸を張りなさい。間違えたことなど、していないのだから」
はいお父様、胸を張りますわ。
「ええ、今日も美しくて立派な淑女でしたわ」
ありがとうございます、お母様に淑女と褒められて光栄です。
「っっっ」
喜びを伝えたくても、わたしから意味なす言葉は出なかった。
「小さい頃からロッテは優秀だった」
「ええ、ちゃんと言いつけも守っていましたね」
……ありがとうございます。侯爵令嬢として、褒められて嬉しいです。
「……重くて、すまないな」
ありがとうございます。重くて……。
……え?……おもい?
「ロッテ」
何が重いのか聞こうとしたら母が、横から静かに言った。
「もう、家訓は忘れなさい。これからは、貴方が美味しいと感じるものを食べなさい。帝国を出て、大人になった貴方は自由です。それが、私たちの――最後の命令です」
最後、という言葉に、胸の奥がわずかに揺れた。けれど、その感情に名前をつけることはできない。
「……承知いたしました」
わたしはそう答え、一寸の狂いもない最上級のカーテシーを捧げた。その姿勢を保つために、どれほどの時間を費やしてきたかを、思い出す必要がないほど、身体に染みついている。
教えられ、叩き込まれ、繰り返した結果として、ここに立っている。
正しく振る舞えたかどうかは、両親の沈黙が教えてくれる。それ以上の評価も、言葉も、わたしには必要なかった。
二人とも、一言も「愛している」とは、言わなかった。けれど、その厳しさが、今日まで生かしてきたのだと――今なら分かる。
「お嬢様おやすみなさいませ」
「ええ」
姿勢が崩れそうになりながら、なんとか全てを終えて、わたしは寝台に横になりながら、カーテシーを披露した後の両親の会話を思い出した。
《今後のことだが、しばらくは共和国に行っていなさい》
《ちょっと貴方! 何も今言わなくても》
《先延ばしにしてなんになる。ボヤボヤしてたら、また巻き込まれる》
《それもそうね。ロッテ、明日直ぐに出発ですからね》
《侍女に言っておくから、いつもより早くても起きて用意するように》
《ちゃんと荷物も人も、手配してありますから、安心してちょうだい。上手くいくわ!》
《ああ、秘訣はやりたいことやしたいことは、言葉になるべく出すことだ》
わたしは突然の決定事項を、並び立てる両親を前に何も言えず、ただ聞いていただけだった。その夜はいつまで経っても寝付けなかった。
翌日、起きた頃は真っ暗だった空が、日の出となり明るくわたしの出発を祝福していた。父から渡された袋は、持ち上げた瞬間に腕が沈んだ。
「……重いですね」
手に持ちながらじっと眺める。見た目は黒い部分が所々あり、変わったデザインになっている。
昨夜の重いとは、このことでしょうか?
「銀貨だ。庶民の暮らしでは、少し多いかもしれん」
少し、の基準が分からない。金貨と価値が違うのだから、量が多くないと生活に支障をきたすのだろう。
この量は……一週間は保つでしょう。
「承知いたしました」
そう答えると、父は一瞬だけ視線を逸らした。視線を逸らすのは珍しい。わたしは袋を抱え直し、落とさぬように指に力を込めた。
「あら、お父様ったら不器用ですわね。ロッテ、お母様からはこれらの服を。今着ているものの柄違いよ。……少し、お節介が過ぎたかしら」
母が手ずから選んでくれたという麻の服。不自由なドレスを脱ぎ捨てて着替えたそれは、驚くほど軽くて、今のわたしの心に似ていた。
それから母は、わたしの手に一冊の本をそっと乗せる。
『手引書』
簡素な表紙に、そう書かれていた。
「困ったら、これを読みなさい」
「はい」
それ以上の説明がないのはいつものことで、言質を与えないのが私達家族の日常だった。
父のエスコートで、わたしの邸宅だった道を大切に歩いた。玄関を出て、用意されていた大きい方の馬車に乗り込んだ。御者は、いつもの見慣れた者だ。無言で手綱を握り、出発の合図を待っている。
「……ねぇ」
「はい、お嬢様」
「この馬車は、共和国まで行くかしら?」
「左様でございます」
「......路銀を金貨で頼むべきだったかしら?」
「銀貨がよろしいかと」
ずいぶんと長旅になる。宿代を払い、共和国に着いたら銀貨が一枚もないなんて事態が起きないと良い。わたしはそれ以上、何も尋ねなかった。出発の合図を出して、外にいる両親に目を向ける。父の瞳がわずかに潤んでいたことを、わたしは見逃さなかった。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、膝の上に置かれた手引書をそっとなぞった。
「……寂しいですわね」
――これが、両親の選んだ道なのだ。
わたしは一歩、共和国への道を踏み出した。
読んでくださり、ありがとうございます。




