手引書はやけによく話す
パン屋の件に合わせ、周囲の整備についても進めることにした。わたしはエドガーとリズを前に、今後の方針を告げる。
「この街を――正確にはパン屋の周辺に人々を住まわせるわ。いずれ整備するけれど、こちら側にも商店街を置くつもりよ」
この街はパン屋とは反対側、共和国王都に面する方向に中心部を据えている。ゆえに、この一帯は未だ開発の手が及ばず、他の街と比べて活気に欠けていた。
「かしこまりました。その場合、移転の検討も同時に行うのがよろしいかと存じます」
エドワードは手元の資料を静かに繰る。
「なぜ? パン屋の周りに商店街を置けばいいだけでしょう」
かつて露店が点在していた通りを使えば、場所は十分に確保できるはずだった。
「ええと……どうでしょうか。できなくもないとは思いますが、周辺にはすでに民家がございますので……」
「移動するのはどう? 季節ごとに違う場所で開くのよ。共和国でなくても問題ないでしょう?」
「他国ですか!?」
エドワードは一瞬言葉を詰まらせた。
「い、いえ……それは当主様に一度ご相談ください。当主様から指示を頂いていない為、何とも申し上げられません」
「ではもう一か所、場所を確保しておきましょう。パン屋が二つあってもいいわ」
「はい、手配しておきます」
「どれくらいかかるのかしら?」
「魔法使いであれば三ヶ月ほどです。遺物を使用すれば、三日で完成いたします」
「便利よね。もう作り手がいないのが残念でならないわ」
わたしは小さく息を吐いた。
「目の前に現れてくれないかしら……できることなら、何でもしてあげるのに」
エドガーが目を見開いた。
「お嬢様……もし、仮にですが現れたとしましょう。しかし殿方の前で、その台詞はお控えください」
わたしが黙していると、リズが戸惑いがちに口を開いた。
「お嬢様。先ほどのお言葉は、ご結婚にも当てはまるのでしょうか?」
わたしはリズの真剣な眼差しを受け止め、わずかに間を置いて答える。
「少し軽口に聞こえたようね。……もし、その方が望むのなら、結婚して差し上げてもいいわ。そのつもりで」
「「かしこまりました」」
「それよりも、婚姻が成立するかどうかが問題よ」
「この世でお嬢様をお断りする者など、愚鈍な者に違いありません!」
エドガーは眉を吊り上げ、断言した。
「……そうね」
確かに間違ってはいない。相手が遺物の作り手でなければ、の話だけれど。だが、今はそれよりもパン屋だ。二人を見据え、わたしは決断を告げる。
「しっかり準備するわ。支えてちょうだい」
「「お任せください!」」
夢物語のような人物を、わたしが手にすることはできない。現実は、常に冷酷だ。だから、もし次の婚約者も愚鈍なら――正しく矯正してあげましょう。婚約者だからと気を遣っていたけれど、それは誤りだったわ。今度は、きちんと管理しなければ。
「あなたも、そう思う?」
目の前の二人は意図を測りかねているのか、静かに次の言葉を待っている。
「……なんでもないわ」
わたしは手元に置いていた、やけに都合のいい手引書を開いた。
《人を尊重する気持ちは、とても尊く、美しいものです。決して失くしてはなりません!》
いいえ、導きも必要ですわ。そう心中で応じながら、ページをめくる。
《人は失敗を経て成長します。エゴで人の人生を奪ってはいけません。矯正は導きではありません。訂正を要求せざるを得ません》
……?何かしら。エゴ?聞いたことのない言葉ね。そもそも言語なのかしら。まさか壊れた?
《自分の都合、という意味です。壊れていません。元気です。心配したんですか?》
壊れていないことに、わずかに安堵する。とはいえ自己申告だから、当てにはしないでおきましょう。念のためお母様にも聞いてみるべきね。
……導き、ね。参考にしておくわ。
《実行することを強く推薦します。自由意志は素晴らしいです!》
わたしは手引書から手を離した。人は放っておくと、思い通りにいかないばかりか、道を踏み外し、不幸になろうとする。だから、少しだけ必要な場所に配置して、幸せにしてあげるだけよ――。心の中でそう呟く。
《応援しています!》
手引書を閉じ、鞄に丁寧に仕舞った。――手引書は、人ではないわよね?そう思いながら。
寝る前、相談しながら店の構想を描いていく。
《人が並ぶから、通りは広めにすべきです!》
「今の場所は路地が狭いから無理よ」
《移転するべきです。利用者を増加する予定ならなおさら……》
わたしは口ごもった。
「……そうね。ただ、店主は規模が大きいと負担でしょう。そうなると、新しいパンのレシピを継ぐ料理人を雇うことになる。そのためには弟子を探して……平民に、習いたい相手を見つけなければ」
《難しいと思います。料理人は基本的に貴族がなるんですよね? だったら嫌ではないですか?》
「ええ。他所のパン屋の人間を引っ張ってくるわけにもいかないし……いずれは見つかるでしょうけれど、当座のあいだどう凌ごうかしら」
パン屋はどこも人手不足だった。主食を担う存在でありながら、成り手は少なく、ほとんどが一子相伝の状態にある。
《命令すればしばらくの間はやってくれそうですよ。密偵に頼むのはどうですか?》
「……気がついていたの。お父様に頼むわ。彼らは父の管轄の者達ですから。ただ、パンを作れるのかしら?」
《分からないですが、力仕事だけサポートしてもらうのはどうですか?》
「あぁ。それくらいなら良さそう。きっと店主も喜ぶわ」
《もういっそのこと、今のパン屋はそのままで、新しい店だけでいいと思います。それに、働くって……帳簿だってすぐ終わるじゃないですか。他の時間は何をするんですか?》
「……お茶会?」
《違いますよ! 労働のことですよ!パン屋でないと出来ない、賃金が発生する行動のことです》
「……パンを作る? いえ、売るのかしら?」
《……何も考えていなかったとよく分かりました。では、まずは魔力を使ってみたらどうですか? 意識的に使用できるようになれば、体力面の問題は解消されます》
わたしは思わず羽ペンを取り落とした。魔力は知っている。だが、それはそんなに容易く手に入るものではない。そもそも生まれつき持たぬ者が扱えるようになるなど、ほとんど奇跡に近い。
《今までも無意識に使っていた時がありましたよ。でも、仕事となるとムラがあると困るじゃないですか。なので、訓練してから……》
「わたくしは魔力なんてないわ。幼少期に王宮の管理機関で検査を受けさせられるのよ。その時には、なしと判断されたわ。もちろん後天的に芽生える事例もあるけど……」
《あ、それは……ち、違いますよ。わざとじゃないんです。当時はそんなことありませんでしたし、悪気もありません!》
明らかに後ろめたさを隠しきれていない。むしろ気づいてほしくて、わざと策士めいた振る舞いをしていたと考える方が、まだ納得できるほどだ。
《と、とにかく安心してください! シンタイキョウカという、素晴らしい最高の魔力の使用方法を提供します。これさえあれば、どんなことでも奪回出来……ない時もありますが、なんとかいけます》
頼りにならない、せめて言い切るべきよ。だが、その不器用な誠実さに、奇妙な安心感を覚えてしまう。
誤魔化しが下手な相手と話すのは、楽ね。
パタパタと浮きながら懸命に弁解する様子を、わたしは半ば呆れて眺めていた。もはや自身が魔道具であることを隠そうとしていない。
「そうね。訓練をするのは構わないわ。けれど、令嬢は労働しないのよ……」
お茶会で流行を広げるのは立派な責務ですもの。貴族のお茶会ともなれば立派な労働よ。
《? 追放されたんですよね!》
「何を言っているの?」
《ですから、国外追放ですよね。テンプレのあるあるです。まぁ、認めたくないのは分かりますが――》
「ただの休暇よ」
国外追放など、罪人でもあるまいし、そんなはずがない。
《……あ、あー。そういう感じですね! 了解です。そういう体でいきます。失礼なこと言って申し訳ありませんでした》
……どうやら、私が強がっていると受け取ったらしい。余計な気遣いをされている気もするが、訂正するのも煩わしい。この手の説明は、長くなるだけだ。
何かすれ違いがある気はしたが、納得した様子なので放っておくことにした。
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