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婚約破棄された時の姿勢はコレ

 人生で唯一、わたしに「甘味」と呼ぶことを許されていたもの――

 それは、侯爵家の広大な箱庭の隅に、不自然に自生しているいちごだった。


 いちごは強い酸味だけが舌に残る果実だった。

 けれど『これ以上の甘さは必要がない』と、幼い頃から教えられてきた。そのため、これ以上の甘さを望んだことは一度としてなかった。




 その出来事が起こったのは、誕生日を迎える数日前のことだった。


 わたしは今日も義務を放棄する婚約者の代わりに、近頃当たり前になりつつある婚約者以外のエスコートをつけて、その日も夜会に出向くことになった。


 「ユージーン様、いつもありがとう。」


 「いえいえ、いつでもお呼びください。シャルロッテ嬢のお父様にはお世話になっておりますから」


 ユージーンは、わたしの父に直系の男児がいないため、エーデルシュタイン侯爵家を継ぐ予定の方だ。その立場もあって、社交に非常に熱心な人物だった。


「シャルロッテ嬢、少し御婦人達と居てくださいませんか?」


「構いませんわ」


 ユージーンが積極的に社交に励んでいるのを知っていたわたしは、いつものように快く送り出した。しばらく談笑し、御婦人と別れた後、ユージーンを一人で待っていた僅かな時間に、それは起こった。



 パーティの会場で全身がギラギラしている男が、こちらにやってきた。宝石を至る所に身につけるその姿は、帝国において個性的なセンスの部類だ。

 よく見ると彼は第四王子ギルバート殿下だった。婚約者でない相手をエスコートしている彼――第四王子ギルバート殿下こそが、わたしの婚約者だった。ギルバートはわたしの正面に立ち言い放った。


 「シャルロッテ・フォン・エーデルシュタイン!」


 シャンデリアがきらめく帝国の夜会場で、わたしの名が荒々しく呼ばれた。わたしは背筋を伸ばし、ゆっくり呼吸しながら、天から一本の糸で吊られるような姿勢を保ったまま、声の主を見据えた。


 「お前のような融通の利かない鉄人形! 本日限りで婚約を破棄する!」


 ざわり、と空気が揺れるなか、わたしは呼吸の深さと、背中の筋肉の張りを確認する。


 侯爵家の令嬢たるもの、崩れてはいけませんわ!


 貴族たちの失笑、好奇の視線、そしてわずかな憐れみ。それらが一斉にこちらへ向けられるのを、冷静に認識していたが、わたしの心は凪いた。特に感情が湧くことはなく、内心も狼狽えることはなかった。   


 瞬き一つしない、完璧な淑女の仮面を崩さないわたしの様子が、気に障ったのだろう。ギルバートは場に酔ったかのように、さらに声を張り上げた。


「聞いているのか! 隣にいるミーナを見てみろ!」


 ギルバートの腕に寄り添うミーナが、勝ち誇った笑みを浮かべていた。しかし、わたしの表情を見て笑みを消し去り、頬を膨らませた。


 「ギル。 甘いの食べて来るね!」


 ミーナはギルバートの腕を離し、お菓子があるテーブルの方へ駆けて行った。ギルバートは微笑んでミーナの様子を見つめる。


 立食形式のど真ん中にある場違いなテーブルとイスは、ギルバートがミーナのために用意させたのだろう。

 すでに引いてあったイスに座ったミーナは、色鮮やかなマカロンを一口かじり、幸福そうに目を細める。


 甘い香りが、夜会場に広がっている。


 「贈った菓子を、あんなにも嬉しそうに食べているのが見えるか? それに比べて顔色も変えない、心まで乏しい女! 私の伴侶に相応しいと思うか?」


 思っていないからこそ、こうして公の場で糾弾しているのだろう。わたしはミーナがテーブルに両肘をつき、マカロンを両手に持って交互に口に運ぶのを眺めた。


 ……幸せそうね。

 けれど、ひとつ気になることがあるの。個性的なテーブルマナーなど、存在しなくてよ。

 ところで、まさかいまだにご存じない?

 普段の余計な、贅沢は国王陛下の“私的な資金”から出ているのよ。それなのに陛下が整えた婚約を破棄しても良いと思っているの?

 ……きっと、わたしが「甘味」を懸命に避けてきたのもご存じないのだろう。


 「承知いたしました、ギルバート殿下」


 わたしは一歩下がり、完璧な角度でカーテシーを捧げた。


 「そのご決断、謹んでお受けいたしますわ」


 ざわめきが止み会場が静まった。


 「まぁ……」 


 「受け入れましたわね」


 「さすがエーデルシュタイン侯爵家……冷たいこと」


 そんな囁き声が聞こえても、淑女の仮面を貼り付けて堂々と佇んでいた。予想外だったのだろう。ギルバートは一瞬、言葉を失っていた。


 わたしはただ、教えられてきた通りの振る舞いをしただけだ。感情を表に出さず、相手を刺激しない。それが、侯爵令嬢シャルロッテの在り方だった。


 この足首の角度が、殿下への最後の「教育」になるでしょう。とても訓練しないとこの角度を保たせることはできないのですわ。


 

     


 その後会場にいられるはずもなく、早々に帰宅の指示を出そうと使用人を呼んだ。ユージーンへの伝言と馬車の手配を命じると、すぐに現れ駆け寄ってくるユージーンが見えた。


 侯爵になるお方なのですから、走ってはなりませんよ。


 「シャルロッテ嬢! 申し訳ありません、お近くにおられず」


 「貴方のせいではないわ」


 「いえ、貴方の取り巻きが今日に限って1人も周りにいなかった時点で、貴方を置いて行動すべきではありませんでした。 そのような教育も受けておりますので」


 ユージーンは沈鬱の表情を浮かべて、頭を下げてきた。取り巻き......お友達と先日までは仰っていたのに。


 わたしもここまでしてくると、想定できなかったのです。1人で対処しきれると、油断が招いた結果ともいえます。


 「気にしないでちょうだい。 それより今日は早々と切り上げることになって申し訳ないわ」


 「それこそ気にしないでください。1人で返すわけにはいきませんよ。 さぁ、帰りましょう」


 「ええ」


 夜会場を離れる際、誰一人としてわたしを引き止めることはなかった。それが、役割の終わりを示している。

 婚約者としての立場も、帝国の未来の一部としての価値も、消え去ったのだろう。しかし、なぜか不思議と心は軽かった。


 「安心してください。 大丈夫ですよ」


 「ありがとうございますわ」


 馬車までの道のりを歩きながら、ユージーンが慰めてくれたことに感謝した。帰ったら両親になんと言おうか、頭を巡らすが上手い言い訳は見当たらない。貴族令嬢の未来が潰れたのだ、どんな反応なのだろう。色々考えながらも、両親への謝罪が浮かんでは消えた。


 いつもより、時間がゆっくり流れる馬車の中は静かだった。




 まさか次の日には、隣国・ソルヴィア共和国へ馬車が走り出すとは思っていなかった。

 わたしの新しい人生は、静かに動き始めていた。

のんびり毎週一話投稿で、日曜日更新予定です。

初回のみ、導入として2話分を連日投稿します。

よろしければ、お付き合いしていただけると嬉しいです。


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