第11話 11月18日
朝のホームルームで、瑠奈が行方不明になったことが伝えられた。
冬真と関係があるのかは分からないものの、小春にはその身が案じられてならない。
1限目を終えた休み時間、紗夜からメッセージが届いた。
【話したいことがある。いつでもいいから連絡して】
教室を出て中庭へ向かうと、メッセージアプリから紗夜に電話をかける。
ほどなくして応答があった。
『もしもし……』
「あ、紗夜ちゃん? 話って?」
一拍置いて、紗夜は切り出す。
『別にあなた個人への特別な話ってわけじゃないの。ただ、何となく共有しておいた方がいいかなって』
「うん?」
『わたしたちは……小春たちに接触したのと同じような感じで、ほかの魔術師たちとも繋がりを持ってた』
「あ、うららちゃんも言ってたね。“伝手がある”って、そういうこと?」
『うん……。でも、昨晩から何人かと連絡がとれなくなった。何かあったんだと思う』
そう聞いて、自ずと今朝のホームルームを思い出す。
「……実は、瑠奈も昨日の夜から消息不明になっちゃって」
偶然かもしれないけれど、いまの話を踏まえると関係があるようにも思える。
『嫌な予感がする。……とは言っても、連絡がとれなくなってまだ一日も経ってない。思い過ごしだといいんだけど……』
紗夜は単調な語り口で続ける。
『とにかく、あなたたちも気をつけて。如月冬真の仕業にしろ、ほかの魔術師の仕業にしろ、手強いのは確かだから……』
「分かった。ありがとう、紗夜ちゃん」
────通話を終えると、廊下を歩きながら顳顬に指を添えた。
(大雅くん、瑠奈とテレパシー繋がってる?)
間を置くことなく、彼から声が返ってくる。
『いや、それがな……昨日、切断されたんだ。瑠奈が意図的に切断したのか、意識がないのかも分かんねぇ』
奇しくも、冬真についた嘘が現実となってしまったのだった。
昼休みになると、小春と蓮、琴音はいつものように屋上へ出た。
「何のつもりかしらね、瑠奈は。自分から消息を絶ったっていうなら、あいつの性分的に納得できるけど」
弱くて怖がりといった小心者の瑠奈のことだ。
冬真が恐ろしくて逃げ出したか、琴音と顔を合わせるのが怖くて逃げ出したか。
「何か関係ありそうだけどな。紗夜の知り合いの魔術師と連絡とれなくなったのと、瑠奈の件と。タイミング的にも」
蓮は険しい表情で言う。
ただ逃げただけならその方がいいと、小春は思った。
「……それはそうと、そろそろ百合園さんにかけられてた術が解ける頃じゃない?」
琴音の言葉にはっとした小春は、スマホで時刻を確かめる。
星ヶ丘高校の屋上で一悶着あってから、そろそろ半日が経つ頃だった。
「本当だ。うららちゃんに連絡────」
とってみよう、と言い終える前に、うらら本人から電話がかかってくる。
『申し訳ないですわ!!』
開口一番、彼女は謝罪した。澄んだ声が響く。
「大丈夫なの? 怪我とかしてない?」
「いまどこにいるんだよ」
続けざまに問うと、うららは「ええ」と頷いた。
『無事は無事ですけれど、どこかと聞かれれば……分かりませんわ』
3人はそれぞれ顔を見合わせた。
うららはまだ冬真たちの手中にあるのだろう。
術は解けたけれど捕らわれたまま、という可能性が高い。
『え? 何ですの、桐生さん……記憶?』
ふいにうららがひとりで喋った。
彼女の意識が正常に戻ったことに気づいた大雅が、テレパシーでコンタクトを取ったのだろう。
『ちゃんとありますわよ。如月冬真の異能を奪うと息巻いて向かったけれど、返り討ちに遭ったという記憶が! 我ながら情けないですわ……』
どうやら記憶の方も、消去や改竄された形跡はなさそうだ。
ひとまず安堵の息をつくと、琴音が尋ねる。
「ねぇ、そこはどんな場所なの?」
『そう、ですわね……。備品倉庫みたいなところですわ』
「スマホは取られなかったの?」
『奪われたけれど、倉庫の中にあったから磁力で引き寄せましたわ』
遠ざけられてはいたものの、うららには手に取る手段があったわけだ。
『縛られてはいるけれど、ある程度の自由は効きますわ。ただ、大声を出しても誰も来ないし、外から音や声なんかもしませんわね……』
いったいどこなのだろう。
小春たちは困惑したように視線を交わす。
『俺が捜してみる』
唐突に、頭の中で大雅の声がした。
『まだ校舎内だとしたら、旧校舎の備品倉庫かも』
星ヶ丘高校の旧校舎は本校舎から少し離れたところにあり、かなり荒れたものだった。
使われていないのに取り壊しが行われないまま年月が過ぎ、瓦礫やガラスの破片が散乱している。
そのせいで誰も近づかない。
そういう意味では、うららの隠し場所としてうってつけだろう。
『じゃあ、わたくしはここから動かずにいますわ。どうかお願い、桐生さん』
『ああ、待ってろ』
そうして通話は切れた。
小春は改めてうららの無事にほっとしたものの、どこか釈然としない気持ちに陥った。
(何だか、あまりにも都合がいいような……)
何かが変だ。腑に落ちない。
表情を曇らせた小春に気づき、蓮は首を傾げた。
「どうかしたのか?」
「……あ、えっと」
うまく表せない違和感を、慎重に言葉を選びながら伝える。
「何か、何ていうか……うららちゃんが無事だったのはよかったけど、冬真くんはどういうつもりなんだろうって」
実際に大雅が動き出したように、このままいけばうららを助け出すことができるだろう。
こちらにとっては好都合だけれど、冬真がなぜそんな隙を与えるのか分からない。
「確かにな。普通なら記憶も奪うはずだもんな」
うららの異能からしても、彼女のことは手下にした方が冬真には都合がいいだろう。人質ではなく、完全な手下に。
そのために記憶を奪い、書き換えてしまうのが自然な判断のように思える。
そうでなければ、こうして仲間たちに連絡を取られてしまう。
「その通りね……。監禁してスマホを遠ざけたとはいえ、百合園さんなら手に取れることは分かってたはず。なのに取り上げなかった。わざと、わたしたちと連絡がとれるようにしたんだわ」
「まさか……」
「これは、わたしたちを誘い込むための罠だわ」
琴音は顳顬に人差し指を当て、大雅に語りかける。
「桐生、百合園さんのことはわたしに任せて。いまから向かって瞬間移動させるわ。旧校舎の備品倉庫とやらに行ってみる」
『……マジ? でも、飛べんの?』
「校舎自体は通ったことがあるから行けるわ」
旧校舎には行ったことがなくとも、ひと目見れば分かるはずだ。
琴音がやってくれるのであれば、大雅が動くよりもさらにリスクが低くなるように思えた。
仮に冬真と遭遇したとしても、能力で逃げてしまえばいい。
『じゃあ、頼んでもいいか?』
「ええ、任せて」
琴音は顳顬から指を離した。
わたしたちを、とは言ったものの、正確には大雅を狙う罠だろうと踏んでいた。
星ヶ丘高校という隠し場所からして、真っ先に大雅が動くことは明白だ。
冬真たちの狙いが大雅なら、なおさら自分が動くしかない。
彼らの思い通りにはさせない。
「行ってくるわ。すぐ戻る」
小春の胸の内に蓄積するもやもやが消えないうちに、琴音は決然と告げた。
はっと顔を上げる。瞬間的にひらめいた。
違和感の正体────思いちがいをしていた。
彼らが誘い込みたいのは、ほかでもない琴音。
これは彼女への罠だ。
「待って……! だめ!」
それこそが冬真の狙いだ。
思わず引き止めたものの、目の前からは既に彼女の姿が消えていた。
◇
星ヶ丘高校の校舎前へ移動した琴音は、あたりを見回しつつ旧校舎へ向かう。
本校舎よりもかなり廃れた雰囲気で、ひと目見れば分かった。
フェンスが一部破れていて、乗り越えるまでもなくそこから入り込める。
備品倉庫とやらもすぐに見つかった。
旧校舎裏にぽつんと佇んでいて、なるほど監禁場所にぴったりだ。
「…………」
そっと歩み寄ってみる。
倉庫の扉は開いていて、うららの姿はない。
その代わり、床に蔦のようなものが落ちていた。あれで縛られていたのだろうか。
冬真の手下の異能を借りただろう。
都合のいいときに呼び出しては、彼または彼女の異能を我がものにしているというわけだ。
「────よく来たな、瀬名琴音」
その声に振り返ると、冬真と律が佇んでいた。
「……やっぱり罠だったのね。わたしたちをおびき寄せるための」
さして驚くこともなく言った。
罠である以上、彼らが待ち構えていることくらいは想定内だった。
「その通り。だが、甘いな」
律は頷きつつ、冷淡な眼差しをやった。
「“わたしたち”? ちがう……おまえだ、瀬名琴音。これはおまえへの誘い水だ」
「……何ですって?」
警戒を深めて眉を寄せる。しかし、何てことはないはずだ。
危機を感じたら瞬間移動するか、もしくは彼らを移動させればいいだけ。
「百合園さんは?」
拘束は解かれているようだけれど、どこへ行ったのだろう。
ふいに冬真が倉庫裏に消えると、うららの両肩に手を添えながら現れた。
彼女はもの言いたげな顔で琴音を見つめるも、大人しく冬真に従っている。
どうやら再び絶対服従の術にかけられてしまったようだ。
今度は発言すら禁じられたのかもしれない。
「……電話で話してたときから操ってたのね」
「いや。その段階では、確かに術は解けていた。通話が切れてからだ」
彼らは最初から倉庫の近くに潜んでいたわけだ。
大雅が現れても、どのみち危なかった。
「それで? 百合園さんを使って、わたしの異能を奪うつもり?」
「それも考えたが現実的じゃない。百合園に術がかかっていると気づいてるおまえが、30秒間も大人しくしているわけがない」
「当然でしょ。……なら、記憶でも書き換えてみる? それとも、わたしのことも絶対服従させて殺す?」
挑発するように言う傍ら、懸命に頭を働かせた。
自分ひとりが逃げる分には何とかなる。けれど、うららはどうすればいいだろう。
ここに置いて帰れば、今度こそ永遠に冬真から解放されないような気がした。
律は嘲るように笑う。
「どれもはずれだ。おまえは殺すがな」
「!」
その瞬間、琴音は背後から何者かに捕らわれた。
首にしっかりと腕を回され、振り返れない。
身長や腕の造形からして、男だろうことは窺える。
突然の出来事だったものの、あくまで冷静な琴音は思いきり肘を引き、相手のみぞおちに食らわせようとした。
しかし、そのまま身体が動かなくなる。金縛りに遭ったような状態だ。
(硬直魔法……!?)
そう思い至ると同時に、頭の中にその持ち主の顔が浮かぶ。
まさか、背後にいるのは奏汰なのだろうか。
さすがに琴音も動揺した。
正面では冬真がほくそ笑み、律は頷いている。
「それが硬直魔法か。有用だな」
「まあ20秒だけだけどねー。そんだけあれば十分かにゃ?」
聞こえてきたのはおどけた口調の男の声だった。少なくとも奏汰ではない。
硬直魔法にかかった琴音を離すと、彼は冬真たちの方へ歩いていく。
ふわふわの白髪と半狐面、それに和服。どう見てもここの生徒ではない。
「誰……!?」
「ボク? ボクは通称、祈祷師。ま、呼び名なんてどーでもいいさな。キミはいまから死ぬんだから」
「祈祷……? 魔術師とはちがうの?」
「ちがうよ、異能は使えるけどね。……って、もうボクに質問しないでくれる? つい答えちゃうじゃん。時間稼ぎのつもりー?」
“祈祷師”なんて初めて聞いた。
まさか、祈祷師は祈祷師同士でゲームが繰り広げられているとでも言うのだろうか。
けれど、それなら魔術師に手を貸す理由が分からない。
「さあ、トーマっち。因縁のコトネンは目の前で動けなくなってる。殺るならいましかないよ」
冬真に向き直ると、やけに親しげな呼び名でそう言った。
いったい、どういう繋がりがあるのだろう。
おもむろに冬真はポケットの中から折りたたみ式のナイフを取り出した。
普段からあんなものを持ち歩いているのだろうか。いまさら驚きはしないけれど。
琴音は鋭いナイフの切っ先を認めた。
歩み寄ってくる冬真の靴音を聞いた。
────あれを退ける方法が、何かあるはずだ。
「そんなもので殺していいの?」
最後の抵抗としての命乞いだろう、と高を括った彼は、面倒そうにその眼差しを受け止める。
琴音はそのとき、ふいに身体の硬直が解けたことに気がついた。20秒が経過したようだ。
けれど、状況を覆す隙を見出すためにそのままの姿勢を保つ。
ふ、と唇の端を持ち上げ、勝ち誇ったような表情を作ってみせる。
「あなたが喉から手が出るほど欲してる硬直魔法……。持ってるのはこのわたしよ」
冬真の歩みがぴたりと止まる。
驚いたように息をのんだ。律も目を見張る。
「異能は異能で殺さないと奪えない。それがルールよ。そんなものでわたしを殺しても、あれだけ求めてた硬直魔法は得られないわ。残念だったわね」
冬真が硬直魔法を得たいのなら、冬真本人が異能で琴音を殺害する必要がある。
────と、思わせることができただろう。
「……なら」
先に衝撃から立ち直った律が、祈祷師の方を向いた。
「自殺の場合はどうなる?」
冬真に操られるか、律に記憶を書き換えられ、自殺するよう仕向けられたら。
琴音はひやりとした。
「ザンネンだけど自殺じゃ異能は奪えないんよね~。異能で殺すしかない。ま、唯一の例外がそこにいるウララたんの磁力魔法だけど……硬直魔法を奪いたいのはトーマっちだもんね?」
ほっとすると同時に、訝しむ気持ちが膨らむ。
この男は何者なのだろう。
紗夜たちですら知らないルールまで把握している。
「……っ」
冬真は苛立ったようにくしゃりと髪をかき混ぜ、ナイフを投げ捨てた。
「如月……」
律の顔に戸惑いの色が滲む。
予想外の展開に、彼もどうすればいいのか決めかねているようだ。
ただひとり、祈祷師は「ふふふ」と愉快そうに笑って一歩踏み出した。
「トーマっちが戦意喪失しちゃったんで、代わりにボクが殺るね。ボクはキミから異能を奪えないし、キミもボクから異能を奪えない。だからボクはキミがどんな異能を持ってようがカンケーなーし!」
祈祷師はそう言うと、手の内に雷を蓄えた。バチバチと青白いスパークが徐々に大きくなる。
琴音ははっとした。あれは────。
「どーやら、この異能に思い入れがあるみたいだからね……。これで殺ってあげるよ」
興がるように笑みを深めた祈祷師が琴音にてのひらを向けると、光線のような雷撃が放たれる。
それを見きり、飛び退いて避けた。
シュウゥ……と、黒く染まった地面から煙が上り、焦げくさいにおいが鼻につく。
「あちゃー、もう動けるか。20秒って短いなぁ。そんじゃ、もう1回────」
再び何らかの攻撃を繰り出そうとした祈祷師の腕を、冬真はガッと掴んで制した。
鋭い視線で祈祷師を睨みつける。
声が出ないため言葉こそないものの、言わんとすることは理解できた。
「おいおい、トーマっち。キミにはカノジョを殺す異能がない。諦めてボクに────」
そこまで言ったとき、ふいに琴音が目の前に現れた。
瓦礫の山から拾ったであろう鉄棒が振り上げられる。
祈祷師は身を逸らして避け、そばにいた冬真も律に引っ張られたお陰で難を逃れた。
「……鼬ごっこはもう十分。わたしがここであなたたちを葬る」
鉄棒を構え、決然と告げる。
瞬間移動で逃げるつもりはもうなかった。
彼らを気絶させて拘束しておく。
そして、うららの能力で異能を奪う。
それが、この状況で信念を曲げずに冬真たちを破る唯一の方法だろう。
「……っ!」
冬真はなおも祈祷師に訴えかけていた。何がなんでも、琴音は自分の手で殺さなければ。
すっかり冷静さを欠いている彼は、うららに命令したり律を傀儡にしたりすることなど頭にないらしく、ただ意地になっていた。
祈祷師は息をつき、ふっと笑みを消す。
「邪魔しないでくれる?」
これまでの飄々とした態度から一転、苛立ったような冷たい声色だった。
「ボクは別にあいつらが死にさえすれば、手を下したのが誰かなんてどーでもいいの」
“あいつら”? 琴音は怪訝そうに眉を寄せる。
再び笑みをたたえた祈祷師は、冬真に向き直った。
「キミには機会をあげただろ。でも、くだらない執着でそれを無駄にした。もうキミに用はない。下がってろ」
青白い光が明滅する。
再び電光の走るてのひらを向けられ、きびすを返した琴音は逃げるように旧校舎へ駆け込んだ。
“立ち入り禁止”とあったものの、気にしてはいられない。
(“あいつら”って……)
そこに自分が含まれていることは分かる。あとは、もしや仲間たちのことだろうか。
雑然とした廊下を駆け抜けながら、顳顬に触れる。
「桐生! みんなにも伝えて。わたしたちを狙ってる奴がいる。如月たちのほかに、祈祷師とかいう────」
突如として、半狐面が目に飛び込んできた。
瞬間移動で目の前に現れたことに戸惑う間もなく、彼は手を銃の形に構える。
「ばーん!」
祈祷師の指先から眩い光線が放たれる。
その光弾が一瞬のうちに琴音の額を貫いた。
『琴音……? おい、琴音!』
大雅は呼びかけたが、間もなくテレパシーが切断された。
どさ、と琴音は膝からその場に崩れ落ち、うつ伏せに倒れる。
即死だった。
額に空いた風穴から、思い出したようにあとからどくどくと血があふれ出す。
「おい、おまえ!」
追いついた律が咎めるように祈祷師を呼ぶ。
駆け寄って屈み、琴音の息を確かめた冬真は、その死を悟ると憤然と立ち上がる。
祈祷師の胸ぐらを勢いよく掴んだ。
「もう、なーに? お望み通り消してあげたじゃんか」
「……っ」
「それともまさか……トーマっちともあろう者が、コトネンのはったりに踊らされてたりしてー!」
困惑しながら彼を離した。律も戸惑う。
「はったりだと?」
「え、ふたりとも本気でコトネンが硬直魔法持ってると思ってたの? ありゃー、案外ピュアなんだね、ぷぷぷ」
「なに……?」
「持ってたらとっくに使ってるって。ここで明かしたあとは、使えない理由がないんだからさ」
言われてみれば確かにその通りだ。
冬真に狙われないように硬直魔法を持っていることを隠していたのだとしても、冬真本人に明かした以上は使わない理由がない。
────もとより祈祷師は、全員の異能を把握しているのだが。
「…………」
冬真はうなだれる。……やられた。
それなら、別に異能で殺さずともよかったのだ。
最初にナイフで刺していれば。
とはいえ硬直魔法を持っていないのなら、冬真が殺すことにこだわる必要もなかった。
「……この場合、こいつの異能はどうなる?」
律は祈祷師に尋ねた。
「奪えない、と言っていたが」
「コトネンの持ってた瞬間移動魔法は、即座に“天界”へ還るよ。天界っていうか、ボクらのリーダーのもとへ」
祈祷師は言いながら、倒れた彼女の傍らに腰を下ろして胡座をかく。
「そのほかにもー、魔術師が死んでから異能を奪われることなく5分経過したときとか、さっき言ってたように自殺したときにも、おんなじように異能は還ってく」
「……天界? リーダーとは誰だ?」
「はいはい、質問タイム終わりー」
さらなる疑問が募ったものの、祈祷師に答える気はないようだ。
「そんじゃ、この死体どうする? 欲しいならあげるけど」
「誰がいるか。異能も奪えないんだろ」
祈祷師の話からして、琴音の異能は既に天界とやらへ還ったあとなのだろう。
「じゃ、せめてこれあげるよ」
祈祷師は琴音の眼帯を外した。
左目には眼球がなく、眼窩に闇のような空洞が広がっていた。
「おい……」
戸惑う律をよそに、祈祷師は眼帯を差し出す。
「はい、どーぞ。戦利品だよ」
拒絶するかと思ったものの、冬真はそれを受け取った。
何を考えているのか律にも分からない。
「じゃ、いらないということなんで消しまーす。バイバイ、コトネン」
祈祷師が遺体に手をかざした瞬間、あたりに閃光が走った。
瞬く間に琴音の身体が透けて消え、血溜まりだけがその場に残る。
「ボクもそろそろお暇しよう。また何かあったらヨロシクね、トーマっち。リッちゃんも」
「やめろ、その変な呼び方」
思わず律が反発するも、聞き終える前に祈祷師は姿を消した。
「もう二度と手は借りないからな」
彼がいた空間に向かって言う。
とことん掴みどころがなく、ちゃらけたように見えて残酷な男。
強力なのは確かだが、いつ裏切られるか分かったものではなかった。
「…………」
しばらく眼帯を眺めていた冬真は、それをポケットにしまい込む。
血溜まりを見下ろすと、口を結んで背を向けた。
◇
大雅は小春たちとテレパシーを繋ぎ、琴音の言葉を伝えた。
“祈祷師”という、新たな敵の可能性。それから────。
『琴音の意識が途切れた。……殺されたんだと思う』
感情を押し殺し、事実だけを伝えた。
にわかには信じがたいものの、繋いでいたテレパシーへの反応が消えてしまったのだ。
それの意味するところは、すなわち死。
「うそ……」
掠れた声がこぼれ落ちる。
つい先ほどまでここで話していた琴音が、いまはもうこの世のどこにもいないなんて、信じられるはずがない。
「マジかよ……。何で」
蓮も動揺しながら視線を彷徨わせた。
うららを餌に冬真が待ち構えていたのかもしれない。
────恐らくは、その“祈祷師”とやらにやられてしまったということなのだろう。
「うららは?」
『あいつは生きてる。たぶん、また冬真に術かけられてると思うけど』
「な、何があったのかな……」
小春の声は弱々しく溶けた。
琴音の身に何があったというのだろう。
『……桐生さん』
ふと、大雅はうららからテレパシーで呼びかけられる。
「うらら! おまえ────」
『わたくしのせいで瀬名さんが殺されてしまった。わたくしのせいで……』
「おい、落ち着け。何があったか見てたのか?」
彼女の声は震えていた。
声を直接発してはいないはずだけれど、よほどのことがあったにちがいない。
『最期を直接見たわけではありませんの。わたくし、あのあと再び術にかけられてしまって……。発言しないこと、一定の距離を置いてついていくことを命じられましたわ。それで、突然あの場に祈祷師という男が現れて』
要領を得ないながら、必死で言葉を紡いだ。
テレパシーさえ禁じられる前に、起きたことをできるだけ詳しく伝えておきたかった。
『瀬名さんは何とか旧校舎内に逃げたのだけれど……。でも、そのあと聞こえましたの。銃みたいな音や“死体”なんていう言葉が』
やはり、琴音に直接手を下したのは祈祷師だ。
冬真と手を組んだ彼が琴音を殺したのだろう。
『祈祷師は瀬名さんの遺体を消すと、自分自身も消えた……。それはこの目で見ましたわ』
「消えた?」
『ええ。それと、瀬名さんを殺めたのは祈祷師だから、彼女の異能が如月さんたちに渡ったということはありませんわ。天界とやらにいる、祈祷師のリーダーのもとへ還った、と……』
大雅は険しい表情を浮かべた。
仲間の死を悼む間もなく、分からないことばかりが増えていく。
「“天界”とか“祈祷師”とか、もうわけ分かんねぇよ……」
うららの話を伝え聞いた蓮も困惑をあらわにした。
祈祷師などという異能者は、魔術師の一種なのだろうか。
それとも、まったくの別ものなのだろうか。
天界とは何を指すのだろう。
なぜ、自分たちが狙われるのだろう。
なぜ、祈祷師は冬真たちに手を貸すのだろう……?
教室へ戻って席につくと、どっと身体が重くなった。
思わず目を閉じると、琴音との記憶が蘇ってくる。
当初、瑠奈から救ってくれた彼女は、仲間として常にゲームにおける指標となってくれていた。
『────助けてくれてありがとう、小春』
やっと、理解し合えたところだったのに。
もう二度と会うことはできない。声も聞けない。
主を失った彼女の机を見た。鞄やペンケースが置かれたままだ。
よくやく、死という事実が認識として深く浸透してきた。
悲しみ、怒り、驚き、やるせなさ。あらゆる感情が混濁して涙に変わる。
喉の奥が締めつけられるような痛みを飲み込んで、必死でこらえた。
ふと、小春は瑠奈の机を見やる。
(まさか、瑠奈も……?)
突如として姿を消した彼女も、もしかすると祈祷師の襲撃を受けたのかもしれない。
祈祷師とは、いったい何者なのだろう。
「…………」
小春は俯いた。
自分の言葉が、自分を責めるように頭の中でこだまする。
『そのときは……襲われたときは、わたしが助ける。わたしが守る、みんなのこと』
ぎゅう、と膝の上で拳を作った。
(わたしに何ができる……?)
何もできない。何もできなかった。
だから、次から次へと仲間を失う。
誰も守れない無力感に苛まれながら。
────小春はスマホを取り出す。
縋るように強く、両手で握り締めた。