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第10話 11月17日


 朝のホームルームが始まる前に、小春は教室から瑠奈を連れ出した。


 瑠奈はいっそ休んでしまおうかとも思ったものの、琴音の能力の前ではどこにいても同じことだと諦めて登校したのだった。


 屋上へ出ると、青白い顔の彼女を振り返る。


「これ、返すね」


 鞄から取り出したステッキを差し出す。


 ステッキからしか能力を繰り出せないわけではなかったと判明したいま、預かっている意味もなくなった。


 彼女は黙り込んだまま力なく受け取る。


「瑠奈」


 硬い声でその名を呼んだ。


「望月くんにしたことはわたしも許せない。もう二度と、あんなふうに誰かを殺したりしないで欲しい」


「だけど、それじゃあたしが殺される……!」


 慧を手にかけた罪の意識よりも、差し迫った自身の命の危険の方が気にかかっているようだ。


「あたしが悪いのは分かってる。あたしが望月くんを殺したから……。ううん、望月くんだけじゃないね。和泉くんもそう」


 短く息を吸った瑠奈は、泣きそうな声でまくし立てた。

 勢いよく小春の上腕を掴み、必死に訴えかける。


「でも、あたしは死にたくないの。死にたくないだけなの!」


 不条理なゲームがもたらす、死への恐怖────それは小春にもよく分かる。


 瑠奈はあくまでルールに従っただけなのだろう。

 ほかの魔術師を殺した、それはこのゲームにおいては正義だ。


 痛切な瑠奈の双眸(そうぼう)を捉えると、やるせない思いが怒りに変わる。


 その矛先が向く相手は、やはり彼女ではなく運営側だ。


「……大丈夫。わたしが守るから」


 その言葉に瑠奈の力が緩んだ。


「もちろん、どんな理由があっても瑠奈のしたことが許されるわけじゃない。さっきも言ったけど、わたしも庇うつもりはないよ」


 守るというのは、彼女の行為を肯定するという意味じゃない。


「でも、敵は魔術師じゃないから。恨み合ったり殺し合ったりしてちゃだめなの。悪いと思うなら、もう二度と誰も殺さないで」


 瑠奈は言葉の意味を完全に理解できたわけではなかった。


 敵が魔術師じゃないのなら、何だと言うのだろう?


 けれど、小春がどんな気持ちで自分にそう話してくれたのか、それは推し量ることができる。


 一度は小春のことも害そうとしたのに“守る”とまで言ってくれた。


 凍てついて凝り固まった心が溶かされていく。

 そこに蔓延(はびこ)っていた恐怖や不安、その裏返しの虚栄心が霧散(むさん)していく。


 瑠奈の瞳がゆらゆらと揺れた。

 がく、と地面にへたり込む。


「ごめん……ごめんなさい……」


 (くう)を見つめ、うわ言のように繰り返した。

 とめどない涙が頬を伝っていく。


 どうすればよかったのだろう。ルールに従う以外、どうすれば。


 本当はとっくに分かっていた。

 人殺しが悪だということくらい、最初から知っている。


 それでも必死で正当化し、手を汚した。

 自分のためだけに誰かの命を奪った。取り返しがつかないことをした。


「ごめんね……!」


 利己的な一存(いちぞん)で命を奪った和泉と慧に、心の底から告げた。


 いまさら瑠奈の罪は消えない。それでも。


「…………」


 小春は沈痛な面持ちで彼女を見やった。

 ()きものが落ちたように感じられる。


 もちろん、その態度や言葉のすべてを信用するべきじゃないのだろう。

 だけど、信じたいと思った。




 ────昼休みになると、いつものように屋上へ出た。


 蓮は神妙な表情で、慧が横たわっていた位置を見つめる。


 血が染みているかもしれないが、黒ずんだアスファルトと同化して分からない。


 彼の死は今朝のホームルームで担任から伝えられ、全員で黙祷(もくとう)を捧げたところだ。


 ────あのとき、閃光(せんこう)とともに慧の遺体は()()()


 一瞬の出来事だった。

 あまりの眩しさに目を瞑った隙に忽然(こつぜん)と消えてしまったのだ。


 週が明けてみたら、その死が周知の事実になっていた。

 運営側が何らかの措置(そち)を施したにちがいない。


 もしかしたら、和泉も最終的にはああして消されてしまったのかもしれない。


『みんな、聞いてくれ』


 唐突に、それぞれの頭の中に大雅の声が響いてきた。


『冬真が、右手を封じれば琴音の異能は使えないってことに気づいた』


 琴音は険しい表情になった。高架下で勘づかれたのだ。


『あいつは瑠奈に、琴音の右手を石化するように言ってた。一応、俺が律を利用してその記憶を消しといたけど、記憶操作は完璧じゃねぇから、何かの拍子に思い出しちまうかも』


 小春は思い返した。


 記憶を改竄(かいざん)された大雅が冬真の命令で動いていたとき、ふいに記憶を取り戻していた。


 何がきっかけになったのかは分からないけれど、ああいうことが起こりうるわけだ。


『気をつけてくれ』


「ええ、分かった。ありがとう」


 顳顬(こめかみ)に人差し指を添え、琴音は告げた。


「ねぇ、大雅くん。大丈夫なの?」


 口をついて小春は言う。


 あんな目に遭っても、冬真のもとに留まり続けるつもりなのだろうか。仲間のために。


『……ああ、いまのところはな。心配いらねぇよ』


 大雅も小春の案ずるところは重々承知していたが、いまは離れるわけにいかなかった。


 琴音の顔も割れてしまい、ほかの仲間たちもいつ狙われるか分からないのだ。


 だからこそ彼らのもとに留まって、危機を事前に警告する。

 その役目を負えるのは自分しかいない。


 それから、隙を見て再び律を操作し、今度は冬真の記憶を部分的に消したい。

 そんな密かな目的もあった。


 彼の野心や敵意を忘却(ぼうきゃく)させられれば、安全を確保できるはずだ。


「……大雅くんも気をつけてね」


『おう、サンキュ』


 その意思は固く、信じて任せるほかになかった。


「……なあ、小春。今朝、瑠奈と出てっただろ。何ともなかったか?」


 蓮はふと不安気に切り出す。


「あ、うん。大丈夫。ステッキを返したの」


「それだけか?」


「……ううん、少し話した。瑠奈は自分のしたことを反省して、泣きながら謝ってた」


 その言葉に蓮は視線を落とし、琴音は眉をひそめる。


「だからって簡単に許せはしないけど、憎んで敵対し続けるのがいいとは思えないんだ。それだと、琴音ちゃんもずっと危ないままだし」


「────まさか、瑠奈も仲間にしよう、なーんて言い出さんよな?」


 声のした方を向けば、小さなアリスが塔屋(とうや)の上に腰を下ろしていた。


 本当に彼女は神出鬼没だ。普段もこんなふうに情報収集をしているのだろう。


「仲間にとまでは言わないけど……協力、できないかな」


 小春はおずおずと控えめに言った。率直(そっちょく)に言えば、琴音の反応が怖かった。


 慧の一件で瑠奈に(いきどお)っているのは全員同じだけれど、特に彼女はその根が深いように思える。


「あんた、ほんまにどこまでお人好しなん? 瑠奈の本性なら、身をもって思い知ったんとちゃうんか?」


 琴音が何かを言う前に、アリスが呆れたように笑う。


 河川敷へ誘い出され、石化しかけたときのことを言っているのだろう。

 どうして知っているのか、なんて考えるのはもはや野暮(やぼ)だ。


「それは、でも……」


「命が懸かってんねんで? 涙くらい、いくらでも流すわ。ころっと騙されて、あいつの思うつぼやん」


 容赦なく小春の甘さを批難した。

 そんな純粋な優しさは、このゲームにおいては自身を滅ぼす隙を生むだけだ。


「馬鹿正直に他人(ひと)のこと信用しすぎや」


 ここまででも散々、人の悪意に触れてきたはずなのに、どうしてそうも信じる気になるのか分からない。


 言い返す言葉もなく、小春は黙って俯いた。


 明確な根拠なんて何もない。

 それでも、瑠奈の涙と懺悔(ざんげ)がすべて嘘だとは思えない。


 小春は知っている。……瑠奈は、そんなに強くない。


 だからこそ彼女はゲームに飲まれ、冬真に利用された。

 和泉や慧への仕打ちは、自身の弱さが具現(ぐげん)した結果だ。


 だけど、そんな小春の主観による説得をしてもアリスは納得なんてしないだろう。


「……おまえはどうなんだよ」


 それまで黙って聞いていた蓮が、険しい表情でアリスに言った。

 彼女は「何が?」とでも言いたげに首を傾げる。


「おまえが最初、どうやって俺たちのとこに来たのか忘れたのかよ?」


「…………」


「ほかの奴は拒絶したけど、小春が真っ先に受け入れたんだろ。おまえが言う“馬鹿正直”さに救われたんじゃねぇのか? じゃなきゃ、おまえはいまも独りだったかもしれねぇぞ」


 アリスが全面的に否定した小春の純粋さと優しさを、蓮は逆にすべて肯定した。


 時に危なげで心配になるものの、それでこそ小春だと思わせてくれる彼女の性分(しょうぶん)だ。


 小春は顔を上げ、蓮を見やった。

 ぶっきらぼうで不器用だけど、いつも彼は優しい。

 真っ先に心を救ってくれる。


「……そうね。珍しくいいこと言うじゃない、向井」


「珍しく? いつもだろ」


 くす、と笑った琴音に、蓮はあっけらかんとして返した。


「なら、せめて小春の言う“考え”が何なのか教えてや! いつまで待てばいいのか、はっきりしてくれんと」


「……ごめん。それは、いまは言えない」


 小春はきっぱりと告げた。

 言えば、反対されるに決まっている。


 アリスは不服そうな表情を浮かべた。じと、と懐疑(かいぎ)の眼差しを寄越す。


「ほんまに考えとかあるんやろな? この場しのぎのでまかせちゃうよな?」


「ある……! それは信じて」


 小春は思わず半歩踏み出しつつ、まっすぐアリスを見据えた。


「まあまあ。そのうち聞かせてくれるんだろ?」


 蓮の言葉に頷くと、彼も「ん」と頷き返してくれる。


「じゃあもうこの話は終わりな。で、瑠奈の話に戻るけど……俺は小春に賛成」


 彼は毅然と続ける。


「小春の意見だからってだけじゃねぇぞ。現状、瑠奈は冬真側にいるわけだろ。その瑠奈がこっちにつくなら、冬真たちと和解する足がかりになるかも」


 考えるように目を伏せていた琴音は、ややあって顔を上げた。


「わたしも……同意よ」


 決して無理やり自分を納得させたわけではなかった。

 瑠奈を殺すことだけが復讐ではない。慧の遺志を無駄にはできない。


「琴音ちゃん……」


 小春が驚きをあらわにすると、彼女は微笑み返した。


 儚いながらも強気なその表情には、様々な葛藤(かっとう)を経た清々しさのようなものが含まれていた。


「前提として、瑠奈にそこまでの価値があるのかは疑問だけど、小春や向井の言うことにも一理あると思うわ」


 瑠奈を人質にするにしても、全面的に受け入れるにしても、冬真たちと交渉する材料になる。

 蓮が言ったのはそういう意味だ。


「そう容易(たやす)くないやろなぁ。()()如月冬真と和解なんて」


 小春は表情を引き締める。


 そんなことは百も承知だ。だけど、いずれなさなければならないことである。


 運営側に挑むことも、冬真の脅威を退けることも、一筋縄ではいかない。

 それでも、やるしかない。


「……わたしは諦めないよ」




     ◇




 傾いた太陽が街をオレンジ色に染め上げる。


 病院の屋上のアスファルトに影が伸びていた。

 独自に改造したゴスロリ風の制服をまとう、小柄な少女が佇んでいる。


 その左手首に巻かれた包帯と比べても遜色(そんしょく)がないほど、彼女の肌は色白い。


【名花でまたひとり……】


 少女の指先が言葉を紡いでいく。


 風の噂で聞いた────名花高校の男子生徒が、背中に石弾を撃ち込まれて死亡したとか。


【皆殺しって本当に何だったの……? 魔術師はほかのクラスにもほかの学校にもいるのに】


 SNSにそう書き込んだものの、投稿はエラーが起きて一瞬で削除されてしまった。


「はぁ……」


 ため息をつくと、ポケットからカッターナイフを取り出す。

 その一連の動作は手馴れていて迷いがなかった。


 刃を押し出し、躊躇(ちゅうちょ)なく左手首に当てる。


 力を込めようとした瞬間、誰かが少女の手に触れた。


「ちょっと、紗夜(さよ)。リスカは勝手だけれど、わたくしといるときはやめてくださる?」


 はっと顔を上げた少女もとい紗夜は、いささか冷静さを取り戻した。


 ただでさえ物憂げな顔に不服そうな表情を浮かべながら、カッターナイフをしまう。


「うらら、邪魔しないで……」


「何ですって? 感謝してくれたっていいくらいなのに」


 紗夜は取り合うことなく再びため息をつき、スマホの画面を見やる。

 うららもその視線を追った。


「また、消されたんですの?」


「うん……」


 ふたりはウィザードゲームの運営について情報を得ようと動いているのだが、成果はいまのところ(かんば)しくなかった。


 SNSをはじめ、人の目に触れるところへ書き込むと瞬時に消されてしまう始末なのだ。


 思うように情報が入らず、あらゆる仮説はいつまでも推測の域を出ない。


「基準は何なの……? 誰が消してるの……」


「それもだけれど、警察や世間もおかしいですわ。運営が操作してるとしたら、連中はいったい何者なのかしら?」


人智(じんち)の及ばない何者か……」


 当然、異能もお手のものだろうけれど、運営連中も自分たちと同じ“魔術師”なのだろうか。


 ゲームにおけるフィールドも、対象となっているプレイヤーの属性も、メッセージの真意も、何も分からないまま。


「弱りましたわね。このまま魔術師同士で殺し合ったら、運営側の思うつぼだと言うのに」


「早く止めないと……。こんなくだらないバトルロワイヤルなんて」


 紗夜も言う。声色に焦りが滲む。


 自分たちのほかにも共闘している魔術師は存在しているはずだ。


 そこには友情、恋情、ほかにも色々な情が絡んでいる。

 それを断ち切り、仲間内で殺し合って最後の生存者になるなんて簡単なことではないだろう。


 紗夜とうららも仲こそよくはないものの、殺し合いなんて望んでいなかった。


「やっぱり、もっと情報が欲しいね……」


「あ、そうですわ! 名花へ行ってみましょう」


 ひらめいたようにうららが手を打つ。


 直近で死人が出た名花高校なら、何らかの事情を知る魔術師がいる可能性が高い。


 人との積極的な関わり合いを好まない紗夜は面倒そうな表情をしたものの、情報には代えられないと判断したのだろう。

 ややあって、こくりと頷いた。




     ◇




『陽斗が目覚ましたみてぇだ。また意識が繋がった』


 そんな大雅からのテレパシーを受け、小春たちは放課後、陽斗の入院している病院を訪れた。


「よ! 何か思ったより長いこと寝ちゃってたみたいだ」


 そう言って笑う陽斗の様子を見て、ひとまずは安心できた。

 死の(ふち)を彷徨っていたとは思えないくらい回復している。


 ここ数日の悲惨な出来事を知らない彼に、蓮は端的に説明した。


 陽斗も慧の死には衝撃を受けたようだったけれど、すぐに事実として受け入れた。


「何ていうか……ショックだけど、塞ぎ込んでられないよな。ここにいる誰にだって起こりうる」


 陽斗はそう言うと、気まずそうに肩をすくめる。


「魔術師を殺し回ってた俺が言うのもあれだけど」


「せやな。小春に怒られんで」


「小春に? 何で?」


「……あのね、陽斗くんにも聞いて欲しいんだけど────」


 改めてはっきりと告げた。

 運営側を倒すという途方もない目的と、魔術師同士で殺し合わないという約束。


 陽斗は吟味(ぎんみ)するように目を瞑り、腕を組んだ。


「んー。戦えなくなるのはつまんないけど、どっちみち俺、暴れないって約束しちゃったもんなぁ」


「戦えなくなるわけじゃないわ。戦う相手が変わるだけよ」


「あ、確かに! じゃあ賛成」


 彼の場合はただ戦いたいだけなのだろうけれど、最終的な目的は一致した。


「……ありがとう、陽斗くん」


「礼なんていらねぇよ。俺も力になるぜ」


 初めて小春たちと会った日、問答無用で戦いを仕掛けた陽斗は彼女たちを苦しめた。


 それなのに、小春は命を奪う選択をしなかった。仲間として受け入れてくれた。


 今度は陽斗がその意を()んで受容(じゅよう)するべきだ。仲間なのだから。


「……戦闘狂っつったらよ、陽斗襲った奴って結局瑚太郎なのか?」


 難しい顔をしながら蓮が尋ねると、陽斗の表情が曇る。


「分かんねぇ、顔隠してたし……。でも使ってた異能は瑚太郎のだった」


 フードを目深(まぶか)に被った男と、彼が繰り出してきた水魔法を思い出す。


「いっそ問い詰めましょ。佐伯に連絡して、連れてきてもらって」


「大雅くんも来られないかな?」


 この場に瑚太郎を呼び出して問い詰めたとしても、結局この間と同じ展開になって終わるような気がした。


 らちが明かない。その点、大雅がいれば真偽は一発で分かる。


「確かに。……なあ、大雅」


 蓮はさっそく人差し指を顳顬に当て、彼に呼びかける。


 ────それから20分と経たずして、病室に3人が姿を現した。


「先に聞かせてくれ」


 陽斗は険しい表情で瑚太郎を見上げる。


「おまえが俺を殺そうとしたのか?」


 単刀直入に尋ねた。

 この場で唯一答えを知っている大雅は、何も言わずに彼を見やる。


「僕は……」


「相手は水魔法の使い手だった。その能力の持ち主は瑚太郎、おまえだろ」


 語気を強めた陽斗に、瑚太郎は狼狽(ろうばい)するように俯いた。

 迷子の子どものように不安定な表情だ。


 大雅は彼自身の答えを待った。

 誤魔化したり嘘をついたりするようなら、この場で真実を明かすつもりで。


「僕、は……」


 瑚太郎は戸惑っていた。


 友だちである陽斗のことを襲うわけがない。

 そう思うものの、心当たりがあるのも事実だった。


 陽斗を襲った魔術師が水魔法を使っていたという事実。

 そして、それが()()だったこと。


「……ごめん。たぶん、僕だと思う」


 それぞれが困惑したような表情を浮かべる。


「“たぶん”ってどういうことだよ?」


「……実は僕、二重人格なんだ」


 それは、この場にいる誰もの予想を大きく裏切る事実だった。


「二重人格……?」


「うん、夜の間は確実に裏人格に乗っ取られる」


 瑚太郎は眉を下げ、厳しい顔になった。


「日中でもたまに人格が入れ替わっちゃうことがあって、その法則は自分でも分からない。意図的に人格を交代する方法も分からない……」


 また、瑚太郎のときに裏人格の記憶はないし、裏人格のときに瑚太郎の記憶もない。


 その証拠に、大雅はヨルと顔見知りだが、瑚太郎は大雅を見たとき初めて会うようなリアクションをしていた。


 裏人格の存在を自覚したのは最近のことだった。


 朝、目が覚めたとき、服や顔に血がついていることがあったり、出かけた痕跡があったりしたのだ。


「だから、たぶん……陽斗を襲ったのはもうひとりの僕だ。本当にごめん!」


 瑚太郎は陽斗に向き直り、ばっと頭を下げる。


 ようやく仲間ができるところだったのに、厄介払いされるのが怖かった。


 そんな自分本意な理由で、この間は真実を打ち明けられなかった。


「いや……何か信じがたい話だけど、おまえが嘘ついてないってことは分かるよ」


 陽斗の言葉に、瑚太郎は顔を上げた。

 持ち前の鋭い嗅覚から判断したのだろう。


「大変な事情だね……。でも、こうなったら早坂くんも仲間ってことでいいんじゃない?」


 奏汰は瑚太郎に労るような眼差しを注ぎつつ、全員に向けてそう言った。

 この()に及んで誰からも反論はない。


「わたしもそう思う。よろしくね、瑚太郎くん」


 いち早く小春は同調し、泣きそうな表情の彼に笑いかけた。

 奏汰が言わなければ自分がそう言うつもりだった。


「うん……!」




 ────それから「外の空気を吸いたい」という陽斗の所望により、揃って屋上に出た。


 もとより活発な性格の陽斗は、病室にいるときよりも晴れやかな表情で空を仰いでいる。


「寒くないの?」


「全然。やっぱ冬は空気がパキッとしてて気持ちいいな」


 そのとき、ふいにドアが開く。


「結局ここへ戻る羽目になった……」


「まあまあ、そういうこともありますわよ」


 ぼやく少女と、それをなだめる女子生徒。

 どちらも見慣れない制服だ。


 小春たちの視線に気づいたうららは気を取り直し、両手を腰に当てて威厳を(かも)してみせた。


「ごきげんよう、魔術師のみなさま」


 そのひとことが爆風のように全員の警戒心を煽る。


「……何だ、おまえら」


 なぜか自分たちが魔術師であることは既に露呈(ろてい)しているようだ。

 否定や韜晦(とうかい)の余地はない。


「わたくしは百合園(ゆりぞの)うらら。聖ルリアーナ女学院の3年よ。お察しでしょうけれど、わたくしも魔術師ですわ」


 うららの言う通り、彼女たちが魔術師であろうことはそのワードを出した時点で悟っていた。


 けれど、アリスは別の部分で驚きをあらわにする。


「聖ルリアーナ言うたら、超お嬢さま学校ちゃう?」


「あら、ご存知ですの? いかにもだけれど、いまは関係ないですわ」


 うららは特に鼻にかけることもなく肯定した。

 その学校名と評判はほかの面々も聞いたことがある。


「わたしは雨音(あまね)紗夜……。月ノ池(つきのいけ)高校の2年」


 カッターナイフを持ち歩くゴスロリ風の少女も、うららにならって名乗った。


 かなり小柄だけれど、小春や蓮と同い年のようだ。


「あなたも魔術師なのね」


「うん……」


「あんたは何て言うか……メンヘラ?」


 アリスは苦い表情で言う。


 それを聞いた紗夜は、どこからか注射器を取り出した。

 濃い紫色の液体が容器を満たしている。


 目にも留まらぬ速さで距離を詰めると、その針をアリスの首元に突きつけた。


「死にたい……?」


「ご、ごめんごめん、冗談やん!」


「もう……こちらこそごめんなさい。でもその言葉は紗夜の地雷だから気をつけて」


 紗夜を引き剥がしつつ、困ったようにうららは言った。


 小春は紗夜の握っている注射器を見やる。

 ガラスの中で揺れる禍々(まがまが)しい液体の正体は────。


「もしかして、それって……」


「うん、毒だよ。わたしは“毒魔法”の魔術師」


 頷いた紗夜は、またどこからか幾本もの注射器を取り出して構えた。


 黒いレースの手袋をしているせいか、さながら魔女のようにも見える。


「こえーな。何で注射器に入れてんだよ?」


「それはまた追い追い話すから……」


「きみは?」


「わたくしは“磁力魔法”と“消音魔法”よ。磁力の方は、物体やわたくし自身に磁力を流して、引き寄せたり退けたりすることができますの」


 うららは能力について端的に説明した。

 実戦においては攻守に不備のない異能だろう。

 消音魔法は読んで字のごとくだ。


「今度はあなたたちのことを聞かせてくださる?」


 それぞれが思わず顔を見合わせる。


 ふたりの態度や早々に素性を明かしたところを(かんが)みると、敵意は感じられない。

 信用してもいいだろうか。


 そう思ったとき、おもむろに大雅がふたりの前へ歩み出た。


「どうするかは俺が()()決める。それでいいか?」


 いつものようにポケットに両手を突っ込み、ふてぶてしくも悠々と振り返る。


「うん、お願い」


 大雅は真剣な表情で、まずはうららと目を見交わす。


「な、何ですの……?」


「いいから、3秒だけ黙ってろ」


 恐らくこれまでの人生において、大雅のようなタイプの人間とは関わったことがないだろううららは、彼の乱暴なもの言いに怯んだように口をつぐんだ。


 大雅の頭の中に、うららの情報が流れ込む。


 まず、磁力魔法は磁力を操る能力────うららの言葉通り、物体および術者自身に磁力を流し、引き寄せたり退けたりすることができる。


 ただ、それだけではなかった。


 磁力魔法の真髄(しんずい)

 どうやら、磁力で引き寄せられるのは物体だけではないようだ。


「……()()()引き寄せられるのか」


 大雅は呟いた。

 彼女はあえてそのことを口にしなかったのだろうか。


 磁力で奪われた相手は“無魔法”の魔術師に戻るだけのようだ。

 つまり、これは相手を殺さずして異能を奪うことができる唯一の能力だった。


 その場にいる全員が驚きをあらわにした。

 うらら自身も別の意味で目を見張り、大雅を凝視する。


「どうして、それを……?」


「見ただけだ。まずかったか?」


 反応を窺うようなもの言いに、うららは首を左右に振る。


「とんでもないですわ。ただ、言うと警戒されるでしょうから、あとで話そうと思ってただけですの。お気を悪くしたなら謝りますわ」


 確かに相手の異能を奪取できる能力の持ち主と聞けば、嫌でも防衛本能が働く。


 たとえ命があったとしても、魔術師が“無魔法”となるのはほとんど死と同義なのだ。


「それより、あなたがさっきからおっしゃってる“見る”って……どういうことですの?」


「あー、あとでまとめて説明する。悪ぃな」


 大雅は軽く受け流すと、再び読み取った情報を整理することにした。

 もうひとつの能力、消音魔法だ。


 両手を打ち鳴らすことによって発動し、再び手を叩くまで、術者と術者が触れた物体から発せられる音が完全に消失する。


 周囲の音を拾うことは可能で、音が消えている者同士の会話も可能だ。

 また、特定の対象のみの音を消すこともできる。


 そして────と、大雅はやや目を細める。


「……奪ったんだな、消音魔法は」


 磁力魔法により奪取したようだった。

 もはやうららも驚かず、正直に頷く。


「わたくしを襲ってきた魔術師と揉み合いになって、そのとき初めて、磁力で異能を奪えることが分かりましたの」


「……ってことは、触れることで奪えるとか?」


 陽斗が推測を口にすると、うららはまたも頷いた。


「ええ、厳密には30秒間」


「なるほど。簡単だけど厳しい条件ね」


 少なくとも意識があれば、知らないうちに異能を奪われていた、という事態になることはないだろう。


 消音魔法の元持ち主は、そういうわけにいかなかったようだけれど。


 大雅は、今度は紗夜に向き直った。


「次はおまえだ」


「…………」


 伏し目がちな視線を上げ、紗夜は大雅と目を合わせる。


 あらゆる毒を扱うことができる毒魔法。

 かぶれる程度の軽い毒から、死に至るほどの猛毒まで様々に調整が可能だった。


 どうやら、毒性が強くなるほど反動が大きくなるという弱点があるようだ。


 毒を作り出すだけでなく、術者自身も毒性を帯びることができるが、その場合が最も大きな反動を伴う。下手をすれば命を落としかねない。


 また、術者の血液を飲ませることによって解毒できる。

 必要な血液量は、毒の強さによるようだ。


「なるほどな。だから注射器使ってんのか」


「……おい、大雅。俺らにも分かるように教えてくれよ」


「ああ、分かってる」


 蓮の言葉に応じた大雅は全員とテレパシーを繋ぎ、それぞれの意識へ呼びかける。


 顳顬に触れながら、空いた方の手でそれぞれの腕に触れていく────。


 頭の中に何かが流れ込んでくるのが分かり、小春は思わず額に手を当てた。


 言葉というよりは認識だった。

 紗夜とうららの情報が、勝手に脳裏(のうり)に焼きついていく。


「凄いですわね。不思議な感じ」


「テレパシー魔法か。そういうこと……」


 うららと紗夜はそれぞれ口にした。

 説明しなくても能力の全容を把握していた理由に合点がいく。


「……なあなあ。能力は分かったけど、紗夜が注射器を使う理由が分かんない。大雅はさっき“なるほど”って言ってたけど、何でなんだ?」


 陽斗は首を傾げた。


 注射器はリーチも短ければ、扱うのに手間もかかる。

 素手から毒を繰り出せるのなら、そうした方がいいように思えた。


「“温存”しておくため?」


 確かめるように口にした小春に、紗夜は小さく頷く。


「どういうことだ?」


 陽斗はさらに首を傾げた。

 自ら説明する気などなさそうな紗夜に代わって小春が続ける。


「紗夜ちゃんの異能は、毒性が強くなるほど激しい反動を伴う。たとえば戦いの中で使ったら、反動で動けなくなってやられちゃうかも」


 しかし、戦闘においてこそ強い毒を使いたい。────だから。


「あー! 分かった、そういうことか。余裕がある間にストックを作っとくってわけだな」


 いまのような平常時にあらかじめ猛毒を作り出し、注射器に蓄えておくのだ。

 戦いの最中でなければ反動を受けても支障はない。


 そのために注射器を用いるのは、単純に毒と相性がいいからだろう。

 効率よく相手の体内に注入できる。


 あるいは、単に紗夜の趣味かもしれないけれど。


「────ところで」


 ふと、紗夜は口火を切った。


「みんなはこのゲームのことどう思ってるの……?」


 この場にいるほとんどの面々が、眉をひそめたり俯いたりと否定的な反応を示した。


「……わたしは魔術師同士で争うんじゃなくて、ゲームを仕組んだ運営側を倒したいと思ってる」


「小春だけじゃねぇよ。俺たち、な」


 それぞれの言葉と強い眼差しを受け、紗夜とうららは顔を見合わせた。

 やがて、うららは嬉々として頷く。


「どうやら、わたくしたちと同じ志をお持ちのようね。よかったですわ」


「それじゃ、きみたちも……」


「うん、わたしもうららもみんなと同じ考え。同志と情報が欲しくて、あなたたちを尾行して接触したってわけ……」


 “運営側を倒す”という目的に対し、すぐさま肯定的なリアクションを受けたのは初めてだった。

 ほっと緊張と警戒が緩む。


「ちょうどよかったわ。わたしたちも情報が欲しいところだったの」


「でしたら、正式に同盟を組みましょう。さっそく情報共有といきますわよ」


「とりあえず、わたしたちの把握してることを教えてあげる……」


 紗夜はおもむろに背負っていたうさぎ型のリュックサックを下ろした。

 中から一冊の小さなノートを取り出す。


「これ、読んで……」


 差し出されたそれを受け取った小春は、そっと表紙をめくった。


【〈ウィザードゲームのルール〉


①魔術師同士で殺し合うこと。


②一般人を殺すと、ペナルティとして異能を没収され、魔術師の資格を剥奪(はくだつ)される。


③魔術師を異能で殺すと、その相手の異能を奪うことができる。ただし、1人が保有できる異能は最大で5個まで。

既に5個保有状態なら、すぐさま取捨選択する。

手動でスロット内のいらない異能と入れ替えると、その瞬間処理される。また、殺したとしても異能を奪うかどうかは自由。

※異能以外で殺害した場合、死体の保有する異能は即時消失。


④異能の会得に代償がかかるのは「ガチャ」を使用したときのみ。ほかの魔術師から奪った場合は代償なし。


⑤異能は、殺した本人のみ奪取可能。異能の残留時間は5分。

死後5分が経過しても死体に異能が宿ったままだと、その異能は自然消滅する。


⑥魔術師同士の認識はない。つまり、誰が魔術師で誰がそうでないかは分からない。

ただし、見分けられる異能もある。


⑦異能を使用すると反動を受ける。特に時空間操作系、回復系は体力消費が激しく、連発することは難しい。あまり無理をすると吐血するなど身体にガタがくる。

最悪、異能の使いすぎで命を落とす場合も。


⑧基本的に、術者が死亡あるいは気絶すると、異能は強制的に解除される。例外もある。


⑨いかなる場合も異能の譲渡は不可。


⑩共闘は自由。ただし、最終的に生き残れるのは、たったひとりだけ】


 各々が思わず嘆息した。中には初めて知る内容もある。


 それへの驚きもそうなのだが、何よりここまで突き止めたふたりの労力に感心してしまう。


「すごい……。これ、どうやって?」


「色々な伝手(つて)がありますのよ。ただ……その反応からして、どうやらこれ以上の情報は出てこなそうね」


「うん……。でも、まだまだ不完全だよ。ゲームのルールもこれでぜんぶってわけじゃないだろうし、見て分かるように運営側については何も分かってない……」


 これほどの情報があっても、紗夜たちの状況は小春たちとほとんど同じのようだった。


 ゲームに関する情報は生存のために不可欠だけれど、喫緊(きっきん)で求めているのは運営側の情報だ。


 それが皆無である現状、手詰まりと言わざるを得ない。


「……そういえば、名花で死亡者が出たらしいですわね」


 うららの言葉に琴音の眉がぴくりと動いた。

 小春は小さく頷く。


「うん……。彼は、わたしたちの仲間」


「あら、そうでしたの……? 無神経に踏み込んでごめんなさい」


「どうして亡くなったの? 誰かに殺された? 異能はどうなったの?」


 掘り下げることに躊躇(ちゅうちょ)を覚えたうららとは一転、紗夜は無遠慮に尋ねた。


「ちょっと、紗夜」


「なに? 立ち止まっててもしょうがないじゃん……。仲間だったって言うなら、残された人間にできるのは、せいぜい彼の死を無駄にしないことでしょ」


 いつものようにたしなめたものの、今回ばかりは紗夜の言い分が正しいように思えた。


 琴音は一度目を閉じてから「そうね」と静かに頷く。


「あなたたちにも話しておくわ。同盟も結んだことだしね」


 慧の死に関して、そしてその日の出来事に関して、琴音が中心となりながら説明した。


 冬真や律という脅威と、彼らと大雅の関係、さらに瑠奈の存在に至るまで包み隠さず伝える。


 すべてを聞き終えたとき、うららの表情が怒りに染まった。


「とんでもない畜生ですわね、如月冬真とやらは……。わたくしたちも加勢するから、さっさと殺してしまいましょ」


 目には目を、歯には歯を、死には死を────。

 紗夜もうららも小春たちと目的は一致していたものの、殺しを(いと)うことはなかった。


 危険因子も、悪党も、仇敵(きゅうてき)も、ひとり残らず殺してしまえばいい。

 魔術師となったことで、せっかくそれが許されたのだから。


 憎い相手に直接制裁を下すことができる権利を行使(こうし)しない手はないだろう。

 さもなくば泣き寝入りだ。


「待って、だめ。わたしたちは誰も殺さないって決めたの」


 彼女たちにも笑われるだろうか。それでも、この主張だけは譲れない。

 相容(あいい)れないのなら、同盟も諦めるほかない。


「どうして……?」


 紗夜が(かげ)った瞳を小春に向けた。

 うららも不思議そうな表情で答えを待っている。


「……わたしたちにそんな資格はないから。殺したら、運営側に踊らされてるのと同じだよ。わたしたちはみんな同じ立場なの。だから、殺し合うんじゃなくて助け合いたい」


 言いながら小春はどことなく緊張した。

 この答えが、彼女たちとの道を決するように思えた。


「……ふーん、まあそれも一理あるかも。ちょっと悠長(ゆうちょう)すぎる理想かもだけど」


 ややあって、紗夜は言った。

 全面的に支持するわけではないものの、理解も納得もできる。


 その理想を追えたら、どんな結末を迎えても後悔だけはしないでいられそうな気がした。


「一理どころか十理も百理もありますわ。わたくしはなんて愚かな勘違いをしてたのかしら……。まんまと力に溺れて恥ずかしいですわ」


 一方のうららは、小春の言葉に心から感化されたようだった。

 つい先ほどの発言を取り消したいほどだ。


 力を得たからと思い上がって図に乗るなんて、()骨頂(こっちょう)でしかないというのに。


「……ま、情報も同志も増えたしともかくよかった。な?」


 蓮は小春を見やる。

 ほっとした小春は顔を綻ばせて頷いた。


「大団円とはいかないでしょ……。如月たちのことはどうするの?」


 紗夜は冷静に言い放った。

 脅威と分かっていながら放っておくのだろうか。


「わたくしに任せて」


 名乗りを上げたのはうららだった。

 強気な表情で微笑んでみせる。


「わたくしの異能があれば、殺すことも傷つけることもなく如月さんを無力化できますわ」


「確かに……!」


 うららの磁力魔法により、冬真の異能を奪ってしまうというわけだ。

 いくら冬真でも傀儡魔法を失えば、勢いが()がれるだろう。


 まともに戦うつもりなどないこちら側にとって、彼の挑発に乗っている暇はないのだ。

 さっさとかたをつけた方がいい。


「今夜にでも幕引きしてきますわ。桐生さん、彼らの居場所を教えてくださる?」


「……待て、俺も行くから」


 大雅は決然と言った。


 冬真から異能を奪う────それができれば理想的だが、果たしてそううまくいくだろうか。


 それに、もともと冬真たちと因縁(いんねん)があるのはほかでもない大雅だ。


 決着がつくにしても、してやられるにしても、その場に自分がいないのでは無責任すぎる。




 ────解散したあと、ひとりになるのを見計らって大雅は瑚太郎に声をかけた。


「なあ。おまえの裏人格……ヨルについてどこまで分かってんだ?」


 夕陽が街を溶かしていく。もう少しで日が暮れる。


 瑚太郎の中で静かに眠るヨルの息遣いが聞こえた気がした。


「えっと、だいたいのことは……」


 自分とは正反対の荒々しい性格で、戦闘狂で、血も涙もない残忍な男。


 物証がなければ、瑚太郎はそんなもうひとりの自分の存在なんて信じられなかっただろう。


「じゃあ、ヨルが冬真たちの一味だってことは?」


 はっと目を見張り、息をのんだ。


「嘘だ……」


「残念だけどマジだ。あいつらにもおまえの素性は割れてる」


 瑚太郎の顔色が悪くなっていく。絶望したような白い色と、動揺に揺れる瞳。


 それを目の当たりにすると、ようやく大雅の警戒も解け、代わりに同情的な気持ちが募った。


 意図せず瑚太郎を追い詰めているようだった。

 彼には逃げ場がない。


「……そうだ。だったら、大雅くんが止めてくれないかな? 僕がヨルになったとき、テレパシーで」


 (すが)るような眼差しを向けられたものの、首を横に振らざるを得なかった。


「それは無理。ヨルにはテレパシーが使えねぇんだよ」


「そんな……」


 瑚太郎は打ちひしがれるように愕然(がくぜん)とする。


「……俺はそんなに優しくねぇから、この話はここで打ち止めるぞ。みんなに打ち明けるなら自分で言えよ」


「…………」


「どうにかできるのはおまえだけだ。おまえが自分で何とかするしかねぇよ。……悪ぃな」


 きびすを返し、大雅は歩き出す。

 瑚太郎は口をつぐんだまま、地面に視線を落とした。


 伸びる長い影が、触手(しょくしゅ)を伸ばしてくるような幻を見た。

 闇が絡みついて離れない。


 自分ではない、自分の気配────夜が近づくたびに確実に存在感を増していく。


 いつか自分自身さえいなくなってしまうのではないかという恐怖が、足元から這い上がってきた。




     ◇




「……瑠奈は?」


 冬真は傀儡の律を介して尋ねる。

 その眼差しに捉えられた大雅は口を結ぶ。


 瑠奈のことは小春から聞いていた。


 本当に改心したのかどうか怪しんでいたものの、この場に現れなかったところを見ると、信じてもいいような気がする。


 馬鹿正直に冬真から逃げ出したようだが、案外その選択は正しいのかもしれなかった。


 それができなかった自分は、こうしていまも冬真の呪縛(じゅばく)に囚われている。


「さあな。返り討ちにでも遭ったんじゃね?」


 大雅が律を利用して瑠奈の記憶を操作したことを、冬真は知らない。


 彼女が琴音の右手を石化してくるものだと思っているはずだ。


「電話もメッセージも応答なしだし、ありうるか。テレパシーでも連絡とってみてよ」


「切断されたよ。意図的に切ったのか、意識がないのかも分かんねぇ」


 大雅はあっけらかんとして嘘をついた。


 罪を悔いて(あがな)おうという瑠奈の覚悟を()んでやることにする。


「……急がば回れってことかな。こうなったら、瀬名琴音は一旦放置だ。どうせ向こうは僕らを殺せない。むきになって執心する必要はないよね」


 それよりも────。


(殺すべき敵は、彼女だけじゃない)


 時間操作系の魔術師も硬直魔法の魔術師も、まだ見つかっていないのだ。

 琴音のせいで目的を見失うところだった。


「やっぱり、まずは星ヶ丘の魔術師リストを完成させようか」


 灯台もと暗しというように、()むべき相手は案外近くにいるかもしれない。


 大雅は油断なく冬真を見た。

 ひとまず琴音に迫っていた危機は逸れたが、今度は奏汰が危ない。


「ね、大雅」


 そんなことを考えていた矢先、冬真に呼ばれた。

 悪い予感を抱かずにはいられないほど、甘ったるい声色だった。


「……あ?」


 不機嫌そうに見やれば、彼は律を伴って正面に回り込んできた。


 向けられた氷のような笑顔に、心臓が嫌な音を立てる。


「やましいことがないなら、僕の目を見てよ。一度でも逸らしたら記憶を消す」


 動揺して思わずその双眸(そうぼう)を見つめかけ、慌てて顔を背けた。


(くそ……。何でいつもこうなるんだよ)


 どこかで失敗しただろうか。何か怪しまれるような挙動があっただろうか。


 完璧に立ち回っていても、どうしていつも最終的に疑われるのだろう。


 冬真は楽しそうに笑った。


「あはは、大雅って本当分かりやすいなぁ。そんな反応したら、やましいことがあるって認めたも同然だよ?」


 そんなことは承知の上だ。

 大雅はきつく拳を握り締める。


 しかし、あのまま大人しく冬真と目を合わせたら、結局は記憶を改竄(かいざん)されて駒になるだけ。冬真はそういう人間だ。


 疑わしきは罰するつもりなら、逃げる以外に選択肢がない。


「うるせぇ……。だったら何だってんだよ。俺のこと殺すか?」


「へぇ、開き直るんだ」


 興味深そうに笑みを深める。


「よし、決めた。やっぱりきみの記憶は消しておこう」


 大雅は慎重にあとずさった。

 “やっぱり”という言葉に腑に落ちる。


 どれほど巧妙(こうみょう)に立ち回ったところで、最後には疑われる理由────驚くほど単純だった。

 冬真が、(はな)から大雅を信用していないというだけだ。


「手荒な真似はしたくないんだ。大人しく従ってくれるかな」


 冬真の手が伸びてくる。

 大雅を押さえ込んで無理やり目を合わせるつもりだろう。言葉とは真逆の魂胆(こんたん)だ。


(来い、早く────)


 思わずそう念じたとき、ふっと風がそよいだ。


「大人しくするのはあなたの方ですわよ、如月さん」


 ふいに声がしたかと思うと、屋上の中心にひとりの女子生徒が立っていた。

 それを認めた大雅は思わず息をつく。


「は……?」


 冬真は突如として現れたうららを訝しげに見据えた。


 ドアが開閉したような様子もなければ、足音も聞こえなかった。


 最初からここに潜んでいたとでも言うのだろうか。

 あるいは、瞬間移動でもしてきたのだろうか。


「きみは誰? どうして僕の名前を知ってるの?」


 冬真は穏やかな微笑を貼りつけ、うららに向き直った。


「答える必要があるかしら。既にお察しなんじゃなくって?」


 やっぱり、と思った。琴音の仲間だ。

 ここへは彼女に瞬間移動させてもらってきたにちがいない。


 冬真の情報を流したのは大雅だろう。

 危惧した通り、とっくに本来の記憶を取り戻していたわけだ。


 不興(ふきょう)を滲ませて笑みを消す。


「……さてと、さっそくかたをつけさせてもらいますわよ。お喋りに来たんじゃありませんもの」


 うららは鋭い眼差しで、かざした両手を冬真に向けた。


 てのひらから彼までの軌道にある空気が揺らいでうねり、細い電光が空中に走る。


 その光景に冬真は戸惑った。


(何だ、これ……)


 ず、と靴裏が地面を滑っていく。

 踏み留まろうにも、引っ張られる力の方が圧倒的に強い。


(もしかして、磁石的なことか?)


 そう思い至ると同時に、ふっと身体が宙に浮かび上がった。ひやりとする。


 たとえば地面と反発し合って浮遊しているなら、高度を上げた上で、今度は地面と引き合うように操られるのではないだろうか。


 それは、冬真の身体が地面に叩きつけられることを意味する。

 潰れて原型も留めないかもしれない。


「心配いりませんわ。あなたに危害を加えるつもりはないから」


 そう言ったうららのもとへ、否応なしに急速に引き寄せられていった。


 かざした手でそのまま冬真に触れると、その部分がぼんやりと淡い光を(とも)し始める。


 大雅自身は初めて見る光景だが、あれは具現化(ぐげんか)した異能なのかもしれない。


「……!」


 冬真は焦りを滲ませ、彼女から逃れようと身をよじった。

 よく分からないけれど、触れられているとまずい────直感的にそれだけは分かる。


 思わず顔を歪めながら、凄まじい磁力に(あらが)い、うららの髪を乱暴に引っ掴んだ。


「痛……っ」


 ハーフアップにまとめていた巻き髪が、ぐしゃりと崩れる。

 つい冬真を離して頭を押さえるものの、彼は力を緩めなかった。


「大丈夫か。……おい、冬真!」


「なに? きみに僕を(とが)める権利があるの? 裏切り者の言葉を聞く必要なんてないでしょ」


 寄越された冷酷な視線と正論に、大雅は口をつぐむほかなかった。


 だからと言ってうららを傷つけていい理由にはならないものの、反論しても冬真には届かない。


「うらら! 弾き飛ばせ!」


「……っ」


 言う通りにしようと、再び冬真に手をかざした。

 今度は引き寄せるのではなく、反発させて弾き飛ばそうと磁力を宿す。


 いち早く察知した冬真は、さらに強く彼女の髪を引っ張った。


 怯んだ隙にもう一方の手でうららの手を払うと、その首を絞めるように強く掴む。


「うぅ……っ!」


「やめろ!」


 とっさに踏み出した大雅の腕を、傀儡の律が掴んだ。


 不意をつく形で強引に引き戻され、バランスを崩した隙に両手首を後ろでまとめ上げられる。


「おまえ……」


「動くなよ、大雅。一歩でも動いたらぜんぶリセットする」


 いつもより低いトーンで律が言った。いや、実際には冬真の言葉だ。

 大雅の記憶を盾にうららを殺す気かもしれない。


「ふざけんなよ、てめぇ。離せよ!」


「はあ? よく言うよ、先に仕掛けてきたのはそっちのくせに」


 大雅が抗うたび、うららの首は強く締め上げられた。


 彼の非道かつ巧妙なやり口は、ふたりの動きを完全に封じてしまった。


「く……っ」


 声にもならない声がこぼれる。うららは霞んだ視界に冬真を捉えていた。


 その手を引き剥がそうともがいても、いっそうぎりぎりと締められて爪が食い込む。


「おい、うらら! 目閉じてろ!」


 大雅は慌てるも、もはや彼女にその言葉は届いていなかった。

 耳鳴りがして、涙で目の前が滲む。


「残念、もう限界みたいだよ。5、4、3……」


「やめろ!!」


 大雅は叫び、駆け出そうとした。

 けれど、踏み出した一歩が着地する前に律に引き戻される。


「……2、1。はい、僕の勝ち」


 冬真はうららから手を離した。


 どさりとそのまま地面に崩れ落ちた彼女は、咳き込みながら必死で酸素を(むさぼ)る。


 呆然とする大雅に対し、冬真は満足気な微笑みをたたえた。


 大雅の裏切りを暴いただけでなく、琴音を潰すための新たな人質(こま)を手に入れたのだ。


「……クズ野郎」


「あはは、言ってなよ。作戦が甘かったんじゃない? いまさら何言ったって所詮は負け犬の遠吠えってやつ」


 何も言い返せなかった。


 大雅はうららに委ねるばかりで、そのうららは自身の能力を過信した。

 どこかで冬真を(あなど)っていたのかもしれない。


「さあ、次はきみの番だ。これで何回目のリセマラかな」


「……させねぇよ。舐めんな」


 大雅は器用に腕をよじり、律の腕を抜け出すと同時に彼を突き飛ばす。


 うららは冬真の手に落ちてしまったが、人質である以上、殺されることはないだろう。


 そう考えると吹っ切れた。全力で抵抗し、逃げられる。


「強がりもほどほどにね。どうせ、きみにできることなんてないんだから」


 その言葉を受け流しつつ、大雅はうららを窺った。


 隙があればテレパシーで絶対服従の術を解除したかったものの、どうやらそんな余裕はないらしい。


「うらら、大雅を捕まえて」


 冬真が命じると、彼女は動き出した。

 先ほど冬真にしたように、今度は大雅に向かって両手をかざす。


「ご、ごめんなさい、桐生さん……。身体が勝手に────」


 戸惑いと動揺に明け暮れた。

 意思とは無関係に、身体が言うことを聞かない。


 うららのてのひらから大雅までの軌道が歪んだ。薄い紫色の細かな電光が走る。


「くそ……」


 大雅は勢いよく地を蹴った。

 軌道から逸れるべく走り続けるが、一度逸れても次から次へと磁場に吸い込まれてらちが明かない。


「さっさと諦めなよ。いつまで逃げ続けるつもり?」


 腕を組んだ冬真が嘲笑する。


 いくら身体能力の高い大雅でも限界があった。息を切らせながら肩で呼吸する。


「うるせぇな……。そっちこそやべぇんじゃねぇか? 反動で死んじまうぞ」


「ご忠告どうも。その前にきみを捕まえるから安心して」


 させてたまるか、と身構えたものの、ふいに感じた背後の気配にはっとして振り返る。

 そこには、能面のような律が立っていた。


 そのとき、うららが金切り声で叫んだ。


「逃げて! お願い、避けて!」


 既に遅く、大雅の靴裏が滑り始める。うららの磁力で引き寄せられていく。


 律は陽動(ようどう)で、本来の狙いはこっちだったようだ。


「……っ」


 一度引き寄せられ始めると、大雅に抗う(すべ)はなかった。


 まるで強力な掃除機に吸い込まれていくようだ。

 どれだけ踏ん張ってもその場に留まることは到底叶わず、掴まれるようなものもない。


 うねりのせいか、やけに空気が重たく感じた。


「く……!」


 うららの傍らに悠然と冬真が歩み寄る。……終わった。


 記憶も自我も取り上げられ、またしても都合のいい駒にされる。


 距離が詰まるたび、絶望への秒読みが進んでいるように思えた。

 ふわりと身体が宙に浮く。嘆くように、思わず目を瞑った。


「大雅くん!」


 闇を裂くように、その声は唐突に響いた。


「小春……!?」


「こっち、掴まって!」


 真っ白な羽根を羽ばたかせ、夜空に現れた小春が手を差し伸べた。

 大雅は腕を伸ばし、懸命にその手を掴む。


 先ほどよりもさらに身体が浮いた。

 磁場を脱し、小春の能力で浮遊しているのだろう。


「おまえ、何で────」


「あとで話すよ。とにかくいまはここを離れよう!」


 大雅の手を引いたまま、小春は一気に高度を上げる。

 ひんやりと冷たい夜風が真横を通り過ぎていった。




「小春! 大雅!」


 蓮の声がしたかと思うと、小春は手を引いて一気に降下していく。

 下には蓮や琴音、紗夜の姿があった。


 風に煽られながらそっと地に足をつくと、その手を離す。

 見慣れない風景に、大雅は周囲を見渡した。


 もう使われていないのか、中途半端な舗装(ほそう)の一本道。


 色の濃い木々が茂る中、ぽっかりと口を開けている古びたトンネル────深夜であることが不気味な雰囲気を助長させていた。


 風が吹くと、はらはらと黒い木の葉が落ちる。


 トンネル内の電灯は切れており、スマホで照らしていないと人もものも輪郭しか捉えられない。


「ここは?」


「新しい拠点だよ。高架下は冬真くんにバレちゃったから……」


「そっか。……ともかく、助かった。サンキューな、小春」


「ううん、遅くなってごめんね」


 紗夜は不安気な表情でその袖を引いた。


「うららは? 小春、うららと話した……?」


「ううん、話せなかった……。わたし、いまから戻って────」


「待て、それはやめとけ。危なすぎる」


「でも」


「作戦は失敗だ。一旦、態勢を整えるべきだろ。そうじゃねぇと、冬真に接触した奴全員がもれなく絶対服従させられて、律に記憶を書き換えられる」


 大雅は厳しい声色で言った。


 心配なのは理解できるが、ここで小春が戻れば利するのは冬真だ。


 彼ひとりならどうにかできるかもしれないけれど、うららに磁力魔法を使われると、苦戦を()いられる羽目になるだろう。


 不服そうな小春の腕を蓮が掴んだ。


 (おぼろ)な月が少しだけ視界を明瞭(めいりょう)にする。

 この上なく真剣で、かつ切なげな表情をしていた。


「おまえまで操られたらどうすんだよ。……俺、さすがに耐えらんねぇって」


「そうよ、小春。わたしたちと意図はちがうけど、如月たちにも魔術師を殺せない理由がある。だから、百合園さんは殺されないわ。絶対服従の術にもかかってるわけだし」


 自身の駒にするため、という理由がある以上、闇雲に魔術師を殺すことはないだろう。少なくともいまは。


「……分かった」


 いずれ助けに向かうとしても、それはいまじゃない。

 小春はどうにか不安と折り合いをつけて頷いた。




     ◇




 瑠奈は自室のベッドの上で膝を抱えていた。


 自身の両手を見下ろす。自分のためだけに散々汚してきた。

 だけどもう、これからは────。


「誰も、殺さない」


 小春との約束を決然と呟き、両手を握り締める。


 こんなゲーム、まともにやっていられない。


 異能なんて特別な力でも何でもない。

 術者を(むしば)むだけの毒でしかない。


 小春のお陰でやっと正気を取り戻した気分だった。


「────それじゃ困るんだよねぇ」


 突如として、そんな暢気な声が響いた。


 部屋の中には瑠奈しかいなかったはずなのに、いつの間にか入り込んでいた奇妙な男が、悠々と机の上に腰かけている。


 ふわふわの白髪(はくはつ)をそなえる彼は、しかし加齢による髪の変色ではないのだろう。声も雰囲気も若々しい。


 少し着崩した和装姿で、顔の上半分を覆うような半狐面(はんこめん)をつけていた。


 口元に笑みをたたえる彼を見やり、弾かれたように立ち上がる。


「誰……!? 魔術師なの?」


 何だか得体が知れない。

 飄々(ひょうひょう)として見えるのに、威圧感を感じる。


「ボクが気になる? うーん、万にひとつでもキミが勝ったら教えてあげてもいいよー」


 完全に(あなど)った態度だった。


 瑠奈はベッドの上に置いていたステッキを素早く掴み、男に向けて構える。


「……!」


 ────ちがう。だめだ。

 誰も殺さないと、傷つけないと、決めたのだ。


 思い留まって、ゆっくりとステッキを下ろした。


 それでも手放すことができなかったのは、防衛本能がうるさいくらいの危険信号を鳴らしていたせいだ。


「あれ? 戦わないの? じゃ、遠慮なくキミのことぶっ殺させてもらうよ~」


 彼は楽しげな様子でその手に炎を宿した。火炎魔法だろうか。


 一瞬にして周囲に熱気が立ち込め、揺れる炎を怯んだように捉える。


「……っ」


 直感的な危機感に突き動かされ、自室を飛び出した。

 転がるように階段を駆け下りて家の外へ出る。


 あてどもなく瑠奈は走り出した。とにかく逃げることしかできない。


 何があろうと、もう判断を誤りたくない。




「はぁ、はぁ……」


 自宅からかなり離れた住宅街で足を止めた。

 心臓が早鐘(はやがね)を打ち、息切れして肺が痛い。


 意味不明な状況ではあるものの、彼に捕まれば、待っているのは“死”だろう。


 呼吸を整えながら振り返った。

 男の姿はどこにも見当たらず、影も形もない。


 必死に逃げた甲斐あって、うまく撒けたようだ。ほっと息をつく。


「ありゃりゃ、追いかけっこはもうおしまい?」


 ふいに声がした。

 はっと顔を上げると、少し先に彼が立っていた。


「……っ!?」


 心臓が止まりかけた。


 さっきは誰もいなかったのに。

 これではまるで、瞬間移動だ。


「誰……? 何者なの!?」


 恐怖を押し殺して尋ねると、金切り声のようになった。


 端正(たんせい)な彼の薄い唇が、にんまりと弧を描く。


「ボクはね、ある人のお使いできたの」


「魔術師なの……?」


「んー、ちょっとちがう。でも異能は使えるよ。キミたちをぶっ殺すのもワケない。……って、つい喋っちゃった」


 男はひとり、けたけたと笑った。

 何とも掴みどころがない上、答えも答えになっていない。


「で、実際“殺せ”って言われちゃったからね~。ザンネンだけど、キミはゲームオーバー。ちょっと制裁を食らってもらうよ」


「な、何で……? 何であたしを!?」


「自分で自分に聞いてみるといいよ~。それじゃ────」


 再びかざした手にまとわせた炎を、瑠奈目がけて放つ。


 燃え盛る炎の塊が迫り来る様が、なぜかスローモーションのように感じられた。


 見開いた瞳から、恐怖で涙がこぼれる。


(あたし、死んだ……)


 そう覚悟した瞬間、ふいに周囲の何もかもが静止した。


 迫ってきていた炎も、半狐面の男も、空の雲も、世界のすべてが動きを止めている。

 実体はあるのに、静止画みたいに奇妙な光景だ。


 ────まるで、時間が止まったかのような。


「え? あれ……?」


 思わず一歩踏み出そうとして、肩に誰かの手が触れていることに気がつく。


 はっと振り返ると、そこには見慣れない女子生徒がいた。




 ────ややあって再び時が動き出す。


 放たれた炎は虚空(こくう)をたどり、ブロック塀に当たって散った。


 彼は不思議そうな表情で首を傾げる。


「あれぇ? おっかしいなー、あのコ消えちゃった。ま、いっか。今日のところは退散~」




     ◇




 朝とも夕ともつかない空模様を、足元の水面が鏡のように映し出す。

 幻想的なその空間に、3つの人影があった。


 ふいに虚空が歪み、そこから半狐面の男が「よっと」と軽い調子で現れる。


「あ、帰ってきた」


 人影のうちのひとつ────市女笠(いちめがさ)を被ったフェイスベールの少女が、さした傘をくるりと一回転させた。


「ただいまぁ」


「“ただいま”じゃないよ、まったく……。収穫を挙げてないのはあんただけだよ。あたしらはみんな、()()()にちゃんと制裁を加えてきた」


 少女の隣に立っていた(あで)やかな雰囲気の女は、呆れたように腕を組んだ。


「だって逃げられちゃったんだもーん。どーせ、一日じゃ片づかないしのんびりやるよ」


「……まあ、それでこそあんただけど」


 彼の気楽な返答には、これ以上何を言っても響かないだろうと思わされた。


 しかし、不真面目ながらやるときはやる男だ。

 懇々(こんこん)と説教する必要もないだろう。


喫緊(きっきん)の問題は────」


 それまで沈黙を貫いていたもうひとりの男が口を開く。威厳や風格の滲む()で立ちだ。


 4人の中に明確な上下関係があるわけではなかったが、彼がリーダー的存在なのは暗黙(あんもく)の了解だった。


「胡桃沢瑠奈よりも水無瀬小春だろう。異能自体が強力というわけではないが、仲間を(つど)わせ、反旗(はんき)(ひるがえ)さんとしている」


 その言葉に少女は大きく頷いた。


「もはやまともにゲームに参加する気はないって感じー。ムカつく! せっかく楽しいバトロワの舞台を用意してやったってのにさ」


「それはただ、あんたの趣味ってだけだろ」


 女の言葉に「まあね」とにこやかに返した少女だったが、次の瞬間には笑みを消した。


「でもさ……こんなの面白くないじゃん。全員協力プレイ見せられて誰が満足できるの。ぬるい!」


 その点をルールに組み込まなかったのは失敗だったかもしれない。


 しかし、()()()()はうまく回ってきた。

 これほどスムーズに魔術師同士で協力関係が結ばれていく方が珍しいだろう。


 男は額に手を添え、ため息をついた。


「おまえのくだらない提案に乗ったばかりに……」


 少女はむっとする。いまに始まったことではないのに。


「まあまあ、陰陽師(おんみょうじ)の言うことはもっともだけど、いまさらそんなこと言ってたって仕方がないだろ」


 女がなだめるように言う。

 ゲームはもう始まっているのだ。


「異能を与えた人間たちにはじゃんじゃん殺し合ってもらわないと。決着がつかなかったら、目的果たせないもんね~」


「だから、あの愚か者どもを殺すんだろ。あんた、サボってんじゃないよ」


「はいはい、言われなくても〜」


 肩をすくめた彼は直後に顔をもたげ、愉快そうな笑みをたたえる。


「じゃ、今度はミナセコハルを狙うよ。カノジョ、お仲間さんがいっぱいいるからさー、一点狙いで確実に仕留めさせてもらおうか」


 ひとまず陰陽師の言葉に従い、制裁の対象を小春に切り替えようという意図だった。


 しかし、少女が「待って」と制する。


「それよりさ……そのお仲間とやらにちょこっとだけ思い知らせてやろうよ」


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