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あの時代  作者: 大井 未知
日常
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文旦物語

 産直の土佐文旦を共同購入で買うようになってから、五〜六年になる。この辺りのスーパーでは滅多に見かけないころだったので、初めは我が家でもあまり馴染みがなかったが、食べてみると、ほんとうに美味しい。くどくない上品な甘さと、ほろ苦さがあって、たちまち家じゅうの者が土佐文旦の味に魅了された。小学校の低学年だった孫娘も気に入って、毎日のように食べていた。ただ、文旦には、けっこう種が多い。


 「ねぇ、このたね蒔いたら文旦ができるの?」

 突然の質問に、一緒に食べていた母親も私も、「できないわよ」と、素っ気なく答えた。

 「文旦は暖かいところの果物だもの、ここでは寒くて育たないわよ」。

 会話はそれで終わった。彼女も、それ以上説明を求めるでもなく,黙って文旦を食べ続けていた。しかし、心の中では自分の疑問がどんどん広がっていったのだろう。誰にも言わず、いつの間にか、庭に文旦の種を蒔いていた。


 そんなことは知らずに、三月も終わりのころ。暖かい日に庭に降りてみると、見慣れない青い芽が出ている。通路になっている堅い土の上に二本、五センチ以上にもなっていた。よく見ると、どうも柑橘系のようだ。


 「文旦のたね蒔いたのぉ──?」

 以前の会話を思い出した私は、思わず大きな声で、部屋にいた孫を呼んだ。

 「芽が出たわよ」と言うと、彼女はそばに寄って文旦の芽を見ながら、「前に、二人で、できないって言ったでしょ」と、得意そうな顔をして私を見上げた。

 「うーん、実がなるかどうかは分からないけどね」

 ともかく、二本の芽は踏まれないよう、大事に鉢に移した。


 夏になって、鉢植えの文旦は三十センチほどにも生長した。青々とした葉が太陽の光を受けて、見ている方までが元気になりそうな生長ぶりだった。ところが、気がついてみると、葉っぱがどんどん減っている。真ん中の芯だけが残っていた。調べてみたら、居た居た、かなり大きくなった青虫が四匹も、文旦の葉を食べていた。


 元来、私は虫が苦手な質で、飛ぶ虫、とくに蛾や蝶のように鱗粉をつけているものは、近くに来ただけでも逃げ出すほどである。しかし、アゲハチョウの幼虫は違う。卵から四齢くらいまではあまり分からないが、脱皮して終齢幼虫になった青虫は、見ていてもけっこう楽しい。胴体はきれいな緑色で、そこに黒い帯状の模様と、下側の腹部に白い斑紋が連なり、大きな黒い眼(?)をして、サクサクと葉を食べている姿は、絵本の『はらぺこあおむし』そのものである。


 もうずっと昔、まだ三人の子育てに追われていたころ、同じようなことがあったのを思い出した。あのときはカラタチだったか、サンショだったか、やはり終齢幼虫になってから見つけた。子供たちに蝶の羽化を見せてやりたいと「教育的配慮」が働いて、青虫の付いた枝を切ってきてそのまま大きな花瓶に挿した。夜は、逃げ出さないように空気穴を空けたビニールで囲った。苦労の甲斐あって幸いにも二度も羽化を見ることができたが、実は私も蝶の羽化する瞬間をナマで見たのはそれが初めてであった。もちろん蝶は庭に放した。末っ子の次男が私の膝で見ていた記憶があるから、三十年も昔の話である。


 夫婦二人の生活に戻ってから三年目、相変わらず文旦はアゲハの幼虫を育て、また新しい葉を繁らせている。庭に黒いアゲハが舞っていたりすると、うちの庭で生まれたんだなぁと、親近感をもって眺める余裕もできた。

 十月に入って風の強い日があった。そろそろ家の中に入れようと、文旦の鉢に近づくと何やら橙色がチラチラと見える。おやっと思ったら青虫だった。夏のより細くて小さい。この時季に見かけたことがなかったので、羽化できるのだろうかと心配したが、どうやらこれは蛹で越冬するものらしい。それなら蛹になって来春羽化するまで見届けようと、文旦の鉢をサンルームに運び入れた。朝な夕な様子を見ていたが、残念なことに私が二日家を留守にしている間にいなくなってしまった。

 来年もまた文旦は元気に生長するだろう。南国土佐から送られた文旦は、北関東の地でたねが芽を出し、アゲハチョウを毎年殖やしている。

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― 新着の感想 ―
山椒は芋虫に好まれるそうで、一度アパートの裏に植えたらエライ事になり、大家さんに怒られました。 何度裸になるまで喰われても何度でも葉を繁らせる強さに驚いた記憶があります。
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