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あの時代  作者: 大井 未知
戦後
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ホントは日本人

 「李香蘭」という名前が強く印象づけられたのは、私が国民学校四年生のとき、昭和二十年のことであった。

 この年の八月、日本はポツダム宣言を受諾し、連合国に無条件降伏をした。当時私たち家族は上海に住んでいたので、そのまま敗戦国の国民として制約された生活をすることになった。通っていた学校も接収されたので、九月になっても学校に行けず、近所で遊んで何となく日を過ごしていたが、そんなときに、「李香蘭が来る」という知らせが口づてで回ってきた。

 李香蘭がどんな人か、多分私はわかっていなかったと思うが、「李香蘭ってホントは日本人なんだって」と、誰かが言ったことが妙に気になった。「ホントは日本人」って一体どういうことなんだろう。

 近くの集会所のような所で、子供たちも含めて五、六十人の観客を前に、李香蘭は歌ってくれた。何よりも驚いたのは、それまで私が身近に接してきた女性とはまったく違う華やかさだった。顔も衣装も歌声も。私は目を見張り、ただただ息をのんで聴いていた。

 何曲か歌ったあと、

 「何か歌ってほしい曲がありますか?」

と、彼女の方から声がかかった。すると、すかさず「はとぽっぽ!」と男の子が答えたので、みんなが声をあげて笑い、会場の空気が動いた。彼女も笑っていたが、さすがに「はとぽっぽ」はレパートリーになかったようだ。


 あれから六十年余りが過ぎて、つい先頃『李香蘭』というテレビドラマを見た。彼女が敗戦の前年から上海で活動していたこと、戦後の収容先は虹口にあって、その虹口という地名は私にも聞き覚えがあったこと、そして私たちと同じころ引き揚げ船で博多に着いたことなど、十歳の少女では知り得なかったことが描かれていて、たいそう興味深かった。

 もっと詳しく知りたくなった私は、原作本『「李香蘭」を生きて』(山口淑子 著)を探して読んだ。「山口淑子」があの「李香蘭」だということを私が知ったのは、彼女の名前がマスコミに出るようになってからのことだろう。女優としてだけでなく、後年参議院議員を三期務めて、政治家としての顔も持つ。

 

 今回のドラマと本で、敗戦前後の上海の様子が少しはっきりした。中国で生まれ育ち、中国人としてデビューした李香蘭が「ホントは日本人」だということは、彼女にとって生死を分ける問題だったのだ。中国政府は、戦時中日本に協力した中国人を「漢奸」として銃殺刑にするという。日中合作映画に出演していた李香蘭にも「漢奸」の容疑がかけられ、処刑日の報道まであったが、やっと手に入れた戸籍謄本で日本人であることが証明され、無罪宣告を受けることができたのは昭和二十一年二月、二十六歳のときだった。

 中国を愛し、「祖国は日本、母国は中国」と言う李香蘭が、抗日運動のなかで苦しんだことも生々しく語られており、私は改めて「あの戦争の時代」を思い、「ホントは日本人」の深い意味も理解することができた。

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