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あの時代  作者: 大井 未知
戦後
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あの時代

 映画「少年H」を観た。原作を読んでもいたし、出演者の顔ぶれにも興味があったので、久しぶりに夫と二人、映画館に足を運んだ。


 原作者は映画化にあたって「“あの時代”を撮って頂きたい、“あの時代”にどんなことが起こっていたのかを、子どもにも伝えたくて書いたので」、と監督に注文したという。

 少年H(作者)は私より五歳年上の一九三〇年生まれ、あの時代は、住んでいる地域や環境、年齢などによって、体験も受け止め方もそれぞれに違う。神戸という地、外国人と交流のある父親、クリスチャンの母親、そんななかで育ったH少年の、ものを見る目も記憶力も、さすがに私より年長者だと感じさせられた。


 私が学齢に達したころには、すでに太平洋戦争が始まっていたので、戦時下の生活が私の日常であった。戦争が終わるということなど考えたこともないし、想像することすらできなかった。だから、映画のなかで父親が「戦争が終わったときに恥ずかしい人間になっていてはいけんよ」と息子を諭すシーン、あの時代に、戦争はいつか終わるのだと言える人たちがいたのだということを私は改めて思い知った。


 さて、映画の中の父親を見ているうちに、いつの間にか私は自分の父を重ねて思い出していた。同じように小柄で、眼鏡をかけていた。若いころに肺結核を患っていたので、乙種か丙種かは知らないが「甲種合格」の人ではなかった。在郷軍人の演習を受けて帰宅したとき、げっそりとやつれていたのもそっくりだった。

 「うちの布団はいいねぇ」と、床に入ってしみじみと言った父、「手榴弾を抱えて敵の戦車の前に突っ込む訓練をさせられたよ」と、自嘲気味に語った父の顔がいま思い出される。


 もう二十年近く前になるが、父の葬儀のあとで従兄がこんなことを言った。

 「伯父さんは戦争中に、これは聖戦じゃないって僕に言ったことがある」「伯父さんは非国民かと思った」と。

 それを聞いた従兄はびっくりして、教師をしている自分の父親にさっそく注進した。伯父さんは非国民かもしれないと訴える息子に、彼の父親は「伯父さんには伯父さんの考えがあるのだから」と諭したのだそうだ。

 戦後半世紀を経て初めて聞く話だった。父は好戦的な人ではなかったが、とくに反戦教育をされた記憶も私にはない。娘にそんな話はしなかった。


 あの時代、市井の人たちのさまざまな考えは封じられていた。あえて主張した人は投獄される時代だった。映画のなかの父親も自分の信念を周囲に広げることはしなかったし、家族にも注意をうながしている。

 そんな「あの時代」を語れる人がほんとうに少なくなった。

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