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豪雨の沼殺人事件⑨(それぞれの底なし沼)

「草真さん、これが何か分かりますか?」

「いや、分からないな。何かの破片か?」

「ええ、倉庫の床に落ちていたんですよ」


 のり子はビニール袋に入れた破片を草真に見せた。草真は特に動揺する様子もなく、肩をすくめた。


「だったら、倉庫にある備品の破片だろ。まさか、それに指紋が付いていたからとか言わないよな? ここに来て一度倉庫を見に行ったことがあるから、その時付いたんだろ」

「いや、それはあり得ないんですよ。なぜなら……これの破片だからです」


 のり子はそう言い、とある証拠品を取り出した。それを見た草真は先程とうって変わって、激しい動揺を見せた。


「それ……私の髪留め!?」

「そう、都子が普段髪に付けているバレッタです。倉庫の床に落ちていたので、おそらくは頭を殴られた時の衝撃で外れたんでしょう。その時に、一部が割れたのがこれです。この破片に……草真さん、あなたの指紋が付いていたんですよ」

「な……何だと」

「都子に床に落ちていたタライを目撃されたあなたは焦っていた。都子を気絶させ、タライを所定の位置に戻すことは出来たが、暗いのもあって床に落ちていた都子のバレッタの破片に気付かずに触ってしまった」


 草真は冷や汗をかき、表情は真っ青だ。のり子はとどめを刺すべく、さらに続けた。


「分かりますよね、草真さん。あなたはここに来て都子のバレッタに触る機会はなかった。だけど、なぜかバレッタの破片にあなたの指紋が付いている。では、いつ付いたのか……倉庫で都子が殴られて髪からバレッタが外れて一部が割れ、それをあなたが触ったとしか考えられないんですよ」

「ぐ……そ、そうだ、都子ちゃんが底なし沼に落ちたって聞かされる直前に一度倉庫に行ったんだよ。どんなものがあるか気になってね、多分その時に」

「残念ですが、それもあり得ません。なぜなら……倉庫の扉には謙護さんと都子、そして私の指紋しか残っていなかったからです」

「ど、どういうことだ?」


 草真は最後の悪あがきか、誤魔化しに走った。そんなのは想定済みだ、通用は……しない!


「あなたがもしそのタイミングで倉庫に来ていたのなら、扉に指紋が残っているはずでしょう?」

「そ、それは……」

「手袋をつけていたから、とでも言うんですか? その理由は? 百歩譲ってそうだとしても、バレッタの破片に指紋が付いている以上、手袋を一旦外したことになりますよね。色々なモノが収納されている倉庫の中こそ、手が汚れたり傷ついたりするのを防ぐために手袋をつけるべきですよね? まるっきりの逆なんですよ、あなたのやっていることは」

「……」

「もう逃げられませんよ、草真さん。あなたこそ若那さんと土久さんを殺害し、都子を底なし沼に沈めて殺そうとした……真犯人なんです!!」


 のり子が声高に指摘すると、草真はしばらく沈黙し……やがて肩をがっくりと落とし、ため息をついた。


「はぁ……ここまでか。のり子ちゃん、本当に凄いよ君は」

「……」

「その通りだよ、あいつら2人を殺したのは俺だ。都子ちゃんを……殺そうとしたのも」

「草真さん……どうしてなんですか? 私、楽しかったんですよ、草真さんと湿地の話が出来て。ご友人が破産させられたのが、そんなに辛かったんですか?」


 罪を認めた草真に、都子が涙目で聞いた。同好の士が殺人犯であり、自分を殺そうとした……認めたくない気持ちは痛い程分かる。


「……友人じゃないよ」

「え?」

「言ったら怪しまれると思って誤魔化していたが……俺の弟だ。小沼若那に騙されて……直後に事故死した」

「事故死……」


 事故死、というワードに謙護が反応した。謙護の娘も土久に騙され、直後に事故死した。偶然とは思えない一致……まさか。


「弟は俺と違って人見知りで人付き合いが上手くなくてな、だからなのかしっかりとした人に憧れる傾向があった。俺のことも慕ってくれて、心優しい可愛い弟だったよ」

「……」

「そんな弟は、あの女にとって格好の餌食だったんだろうな。すっかりあの女の虜になって、それが罠だと気づいた時にはもうボロボロだった……挙句の果てに、永遠の別れと来たもんだ」


 草真の顔は悲しみに満ち溢れていた。大切な弟を傷つけられた上に、理不尽な死……辛くないわけがない。


「色々調べた結果、弟を騙した女が小沼若那なのが濃厚だというのは分かったんだが……明確な証拠がないだけにどうすることも出来なかった」

「ですけど、今回偶然にも出会ってしまった、ということですね?」

「ああ。俺は問い詰めるためにあの女の部屋に行ったんだが、最初は殺すつもりはなかったんだ。弟は事故死だし、誠心誠意謝ってくれれば良いと思ってた。だけど……」


―――


「へえ、あの優男の兄貴ねえ。苗字が違うから気付かなかったけど、確かに似てるかも」

「あの後、両親が離婚して名字が変わったからな」

「で、何しに来たの?」

「事の真相を確かめに来たんだよ。弟を騙したのは……あんたなのか?」

「ええ、そうよ」


 若那は全く隠す素振りも見せず、白状した。まるで興味がないと言わんばかりの態度に、草真は怒りを覚えた。


「……弟が死んだのは事故だ。でもな、あんたが騙して弟を絶望させたのは変わらない。だから、弟に謝ってほしい」

「ぷっ……あっはっはっは!!」

「な、何がおかしい!?」

「弟と同じく、頭がお花畑だからよ。本当に事故死だなんて信じているんだからね」

「ま……まさか」

「事故に見せかけて殺したに決まってるじゃない。もう用済みだったし、口封じって奴よ」


―――


「その後のことは、よく覚えていない。気が付いたら手に灰皿を持ってて、頭から血を流したあの女が目の前にいたんだ。絶対に許さない……殺してやるって思った」

「土久さんは?」

「あの男に呼び出されたんだ。あいつは小沼若那と組んで色々悪さをしていてな。その関係で俺の弟のことも知っていて、顔が似ているってことで俺が小沼若那を殺したんじゃないかって聞いて脅してきたんだ」

「……」

「俺は脅しに屈する振りをして、弟を騙して殺す計画にあんたも加担していたのか聞いたよ。結果は……見事にクロ、こいつも……殺してやるって思った」


 草真の背後には灼熱の復讐の炎が燃え上がっているように見え、目は憎悪に満ちていた。尋ねたのり子も、その気持ちは痛い程分かっていた


「あいつらはまるで底なし沼だ、気が付いたらハマっていて苦しんで苦しんで死んでいく。許すことなど……到底できなかった」

「底なし沼、ですか……草真さん、その気持ちは分かります。実は私達も若那さん殺害の事情聴取の後、土久さんに脅されていたんですから」

「な!?」

「私の推理力を警戒していたみたいです、それで都子を傷つけるかもしれないぞと脅してきて……だからあの連中の外道っぷりはよく分かります。それに、都子を底なし沼に沈めて放置するだけで無理矢理殺そうとしなかったのは……都子と話す時間が楽しかったからじゃないんですか?」

「……かもしれない」

「草真さん……」


 複雑な表情の草真を、都子は悲しそうな目で見つめていた。のり子は一度目を閉じ、そして……怒りを込めた目で草真を睨んだ。


「ですけどね、無理矢理ではないにせよ何の罪もない都子を殺そうとしたのは事実なんです!!」

「……」

「もはやそれは復讐でも何でもない、罪から逃れたいがためのあなたの身勝手でしかない!!」

「のり子……」


 草真はのり子の怒りに満ちた言葉を、黙って聞いている。自分のために怒ってくれているのり子の姿を、都子は様々な感情が入り混じったような表情で見つめていた。


「あなたが若那さんと土久さんを底なし沼と呼ぶのなら、私にとってあなたも都子の命を奪おうとする底なし沼です。私は……あなたを許すことは出来ない!!」

「……本当に、すまなかった」


 草真は一言も言い訳をすることなく、深々と頭を下げた。そんな草真に、都子がそっと呟いた。


「草真さん、どうして……こんなことになってしまったんでしょうね。私はただ、楽しく湿地のことについて語り合いたいだけだったのに」

「……今の俺は、君を殺そうとした許されざる犯罪者だ。歴史にイフは……ないよ」


 草真は都子にそう告げると、警察官に自ら声をかけ、連行されていった。その姿を見送っているのり子に、都子が声をかけた。


「のり子……お疲れ様。ありがとう、私の為に怒ってくれて」

「ううん、私は私のなすべきことをしただけだから」

「……本当にのり子は凄いよ。私はもう、心の中がぐちゃぐちゃでどう整理したらいいのか、まるで分からない」

「……それは私も同じだよ」


 どれだけ事件を解決しても、どれだけ多くの人の心に触れても……何が正しく何をどうすればよかったのか、それを迷いなく断言できる自信は未だにのり子にはなかった。人の心が交錯し合うというのは……そういうことなのかもしれない。


「お疲れ様、のり子」

「すみれ……」

「とりあえず今はさ……ゆっくり休もう。一度落ち着いてから考えた方が、見えてくるものもあると思うから」

「うん」

「都子も、ね」

「……本当、敵わないな」


 こうして、豪雨の沼で起きた悲しい事件は幕を閉じたのだった。長く降り続いていた豪雨はいつのまにか止んでいた、事件の終幕と示し合わせたように。

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