のり子達の日常:いつかまた、あなたの隣に
「面会の時間だぞ」
「はい……」
早瀬夕香梨は立ち上がり、面会の場所にゆっくり向かった。刑務所の中にいると時の流れに鈍感になる、慌ただしい現代での生活とは180度違う印象だ。最も、今の夕香梨にとって鈍感であろうがなかろうがどうでもいいのだが……今日の面会だけは逃すわけにはいかない。自分は……この子のために殺人を犯したのだから。
吉野涼葉……夕香梨がよく泊まる奈良の旅館の一人娘である。確かに明るく優しい、愛され体質の良い子だが、傍から見れば赤の他人だ。どうしてこの子のために夕香梨がここまで出来るのか……それは夕香梨にとって涼葉が家族同然の存在だからである。
「結局、未だにお父さんとお母さんは面会に来ず、か。分かってはいたけど……改めて失望したなあ」
夕香梨は一人っ子であり、実の両親とは犬猿の仲だ。それゆえに、避けるように夕香梨は一人暮らしをしていた。しかし、夕香梨もやはり人の子、家族が欲しいという気持ちが消えることはなかった。そんな時に奈良に行き、出会ったのが涼葉とその両親なのである。
その温かさに触れ、夕香梨は頻繁に涼葉の旅館に泊まりに行くようになった。そのうち、夕香梨は涼葉とその両親を本当の家族のように想うことになり、特に涼葉のことは可愛い妹のように可愛がっていた。
「あの時、何で私は……一人で突っ走っちゃったんだろう。涼葉ちゃんがどう思うかなんて、考えれば分かったはずなのに」
しかし、そんな涼葉とその両親を悪質なカスハラで苦しめる輩が現れた。もちろん夕香梨もいきなり彼らを殺そうとはしなかった、涼葉とその両親を守るために色々と奔走した。しかし、それも限界があった。そしてある日、その連中が涼葉を特に面白がって執拗に狙っていることが分かり……夕香梨の中の何かが切れた。
夕香梨はその連中の殺害計画を立て、それを実行した。すべては涼葉とその両親の為……しかし涼葉はそんな夕香梨の姿を見て、絶望した。自分のせいで夕香梨が殺人犯になってしまった、もう一緒に歩んでいくことが出来ない……そんな涼葉の言葉とのり子の指摘により、夕香梨は自分がやり方を間違えたことに気付き、涙を流した。
「こんにちは、夕香梨さん。久しぶり」
「涼葉ちゃんは……元気そうだね、良かった」
夕香梨は涼葉と向き合い、挨拶した。明るく人懐っこい笑顔……この子の笑顔を見るだけで、心のモヤモヤなどすべて吹き飛んでしまう。夕香梨にとって、涼葉以上に心の栄養になる存在などなかった。
「夕香梨さんもね。最も……ちょっと前まではそうやなかったんやけど」
「どういうこと? 何か……あったの?」
「先日の週末3連休に、のり子ちゃんとそのお友達と一緒に京都に旅行に行ったん」
「のり子ちゃんかあ……元気にしてるかな。でも、何でそれが問題なの? むしろ楽しそうだけど」
「うん、旅行自体はごっつ楽しかったで。のり子ちゃんのお友達……詩乃ちゃんっちゅうんやけど、その子とも仲良ぉなれたし」
涼葉に新しい友達が出来たことは、夕香梨にとっても喜ばしいことだ。のり子は夕香梨にとっても恩人であり、こうしてその繋がりで涼葉の交友関係が広がったことは、涼葉にとってのり子との出会いはとても良いモノだったのだと夕香梨は感じた。しかし、それなら猶更なぜ……
「その旅行の宿としたってな、以前ウチが京都に行った時にお世話になった風桜朋美ちゃんって子の家に泊まらせてもうてん。めっさええ子で、のり子ちゃんと詩乃ちゃんもすぐに仲良ぉなれたんやけど……」
涼葉は風桜家で起きた、恐ろしい殺人事件のことを話した。朋美が過去に両親を亡くして養子として風桜家に来たが、すっかり溶け込んで風桜家を照らす太陽のようになっていたこと。姉に懐いていたこと。
しかし犯人はその姉であり、妹の朋美を財産相続の邪魔者として虫けらのように殺したこと。その姉には生まれつき、脳の情緒を司る部分に重大な損傷があり、母親はそれでも諦めずに愛情を注いだが、結果的にその姉に鼻で笑われすべてを否定されてしまったこと。
「……何よ、それ」
「夕香梨さん?」
「酷すぎる!! 人間じゃないわ、そいつ。いくら生まれつき脳に障害があったからって、許されることじゃない!!」
「……」
「どうしてよ……どうして誠実に生きている人ばかりが、そんな目に遭わないといけないの。涼葉ちゃんも、その朋美ちゃんって子も、そのお母さんも……」
夕香梨は灼熱の怒りの炎を燃やしつつ、大粒の涙を流した。正直者は馬鹿を見る、という言葉があるのは当然夕香梨も知っており、世の中そういうものだということも大人である夕香梨は分かっている。
しかし……だからといって納得できるわけではない。夕香梨が殺人に手を染めることになったのも、涼葉が心ない連中に悪質なカスハラを受けていたからだ。涼葉にせよ朋美にせよその母親である奏芽にせよ、みんなとても心優しい人達なのに……世の中の理不尽さに打ちのめされている夕香梨に涼葉がそっと呟いた。
「やっぱり夕香梨さんは優しいね……そないして怒ってくれるんやから」
「……涼葉ちゃん?」
「夕香梨さんがウチの為に人を殺した時に、ウチはもうやめてって言うたけど……ウチもね、今回同じことをしそうになったん」
「!!」
「朋美ちゃんを殺した犯人が憎うて憎うて……怒ったら更に朋美ちゃんを侮辱するようなことを言うて。頭の中が憎しみで満たされて、それ以外考えられんくなっとった。気ぃ付いたら、犯人を殺そうって思うて凶器を手にしてて」
夕香梨は驚愕した……自分と同じだと。心優しく穏やかな涼葉ですら、大切な人を傷つけられ殺されれば同じ行動を取りそうになるのかと。
「せやさかいね、今ではほんまの意味で夕香梨さんの気持ちが分かったような気ぃすんの」
「でも、結果的に殺さなかったんでしょ?」
「うん。詩乃ちゃんがね、止めてくれたん。ウチより先に犯人に平手打ちして、一喝してくれて……その後ウチに言うたの。どないに憎くても、心が傷ついても、殺人だけはダメって」
「……」
「のり子ちゃんも詩乃ちゃんも、前に大切な人を理不尽に殺されたことがあんねん。もちろん犯人が憎うて憎うてたまらなんだけど……殺しはせなんだ(しなかった)」
「のり子ちゃんも……」
女子高生探偵としてののり子の活躍っぷりは夕香梨も涼葉から聞いており、何より自分が起こした事件を解決したのが彼女だが……考えてみればそれは人一倍人の心の闇に向き合っているということだ。それでも潰れることなく、道を間違えることなく前に進んでいる。自分が思っている以上に、あの子は凄いのかもしれない。
「夕香梨さん、ウチはたくさんの人に守られてここにおると思うん。のり子ちゃんに、詩乃ちゃんに、萌希ちゃんに、おとんにおかん。もちろん……夕香梨さんにも。せやさかいね、夕香梨さんも困ったり悩んだりしたら、人を頼って欲しいなって」
「!!」
「のり子ちゃんだってたくさんの人に支えられとるから今の自分があるって言うとった、ほななかったらとっくに潰れてるって。夕香梨さんは……一人やおまへんで」
「……何だか、涼葉ちゃんの方がお姉さんみたいだね。成長したなあ」
「もう、何言うとんねん。ウチはいつまでも、夕香梨さんの妹やで」
涼葉の屈託のない笑顔に、夕香梨の心は温かくなった。姉として支えてきたつもりだったけど、実は支えられてきたのは自分だったのかもしれない。そして……とても大切なことも教わった。一人じゃない、か……これが幸せなのかもしれない。
「今日はありがとう、涼葉ちゃん。私も頑張るよ、涼葉ちゃんに負けないようにね」
「うん。ほな、また来るな」
そう言い、涼葉は去っていった。涼葉の頼もしくなった背中を見て、夕香梨はもう自分が傍で支える必要はないのかもしれないと思った。素敵な家族や友達に囲まれ、涼葉自身もとても強くなった。自分が今、傍にいることが出来ない立場だから猶更だ。それでも……
「涼葉ちゃんのお姉さんって立場は……譲りたくないな」
涼葉のことを思って、という気持ちとは別に涼葉の傍にいたいという気持ちは決して夕香梨の中から消えることはなかった。我儘と言えば我儘だが、例えそうであっても決して諦めることは出来ない。
ちょっとズルい言い方になってしまうが……涼葉自身もそれを望んでくれているのだ。そのためには、胸を張って良い姉だと言えるような自分にならないと。
「いつかまた、あの旅館で会えたら良いな……」
夕香梨は、何度も通った涼葉の旅館のことを思い浮かべた。自分が殺人事件の舞台にしてしまった場所だが……罪を償い終えたら、またあそこで笑い合いたいと思ったのだった。
~『のり子達の日常:いつかまた、あなたの隣に』 完~
読んでくださり、ありがとうございました。
前の事件では涼葉が活躍しましたが、涼葉といえばやっぱり夕香梨の話を
書かないわけにはいかないなと。
涼葉の出番は今後も増やしていきたいと思っているので、自然と夕香梨の名前が出ることも
多くなってくるかもしれませんね。




