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京都涙雨殺人事件⑪(大和撫子と親友)

「夜美を産んだ時は、ウチも主人もそれはそれは嬉しかったんですけど……育てていくうちに違和感を感じるようになったんです」

「違和感、ですか?」

「人間らしい温かみを感じひんかったんです。人に対する優しさがまるで見えへんし、笑顔も無邪気ちゅうかどっか冷たい感じで」


 子供というのは、その無邪気さから人の心を温かくしてくれるものだ。それが感じられず、むしろ逆のモノを感じる……のり子は一つの可能性を考えた。まさか……


「気になって医者に診てもろうたんですけど……その結果に、ウチも主人も愕然としました。夜美は……生まれつき、脳の情緒を司る部分に重大な損傷があったんです」

「それはつまり……人としての心を持たずに産まれたということですか?」

「有り体に言うたらそんなんです。風桜家の正式な跡取りとして産まれた子が人としての心を持たへん……あまりに残酷な現実、やと思た」

「……」


 夜美は真剣な目つきで奏芽の話を聞いていた。冷酷非情な悪魔と言えど、自分のルーツは気になるのだろう。


「もちろん、それでウチも主人も諦めたわけやあらしまへん。心を持たへんのやったら……与えたったらええ。ウチも主人も夜美に精一杯の愛情を注いだ、周りの人達にも協力してもろうた。さすがに事情は話せへんけど」

「莉愛さんを家政婦として雇ったのは、夜美さんとの時間を増やすためですか?」

「主人が仕事でせわしなく、ウチも身体強うなかったさかいちゅうのもあるんやけど……それも理由の一つです」

「奥様……」


 莉愛が悲しそうな目で、奏芽を見つめた。節奈さんとの交流も、そういう側面がなかったわけではないだろう。奏芽さんは……本当に夜美さんのために尽力したのだ。


「ですけど……現実は厳しいモノでした。夜美の冷酷さは治るどころか増幅する一方で……色々と黒い噂を聞きました。怪我を負うたり、心を壊された子についての話を聞くと、その背景に夜美がおること多おして。おつむのええ子ですさかい、色々と根回しをしとったようで……発覚までには至らしまへんどしたけど」

「……」

「身内だけならまだしも、他の人達にまで迷惑がかかるのんはまずい。ウチも主人もそう思た。ですけど……ほんでもウチは、夜美を見捨てることは出来へんかったんです。こないな形で産んでもうた責任もあるんやし、心を与えること出来へんかった負い目もおました。何より……心を持たんでも、うちの娘なんですさかい」


 この人は……奏芽さんは、本当に強く優しい人だ。残酷な現実に負けずに、我が娘のために必死に愛情を注ぐ、簡単なことではない。


「そないな時に主人の親友が病気で亡くなり、その娘はんを俺が亡くなったら主人に託したい言うとったちゅうのを聞いて……チャンスや思た」

「それが……朋美ちゃんだったんですね」

「はい。天真爛漫でえらい優しい子で、夜美にええ影響を与えてくれるんとちがうか思たんです。最初のうちは上手ういかんと、莉愛はんが聞いてもうたような会話も主人としたけど……段々と夜美に心が見えるようになった思たんです」

「奏芽はん……」


 奏芽の表情が少し嬉しそうになったのを節奈は感じ取ったのか、莉愛と同じく悲しそうな表情を浮かべた。それが真実であれば、どれだけ良かったのだろうか……


「朋美は夜美に懐いてたし、家の雰囲気も明るなって、そのおかげさんで主人病気で亡くなってもやっていけたんです。朋美自身の心のケアも正忠はんが協力してくださって、友達もぎょうさん出来て……順風満帆やと、思たんです」

「奏芽はん……」

「なのに……なのに……こんなんになってまうなんて」


 膝を突き、顔を両手で覆って号泣している奏芽を、正忠はただ項垂れて見つめるしか出来なかった。ようやく掴んだと思った明るい未来……しかし、それは一時の夢でしかなかった。どこまでも残酷な現実に遂に打ちのめされた奏芽に、冷酷な悪魔が追い打ちをかけた。


「あっはっは!! いやー、とんだお涙頂戴だったわねえ。つまり……私の不幸はすべてあんたのせいだったわけだ」

「夜美……?」

「だってそうでしょ。脳に欠陥があるように産んだのはあんた、私を教育できなかったのもあんた、朋美を連れてきたのもあんた。あんたがまともな母親なら、私は殺人犯なんかにならずに風桜家の次期当主として財産をすべて継げていたわけだ」

「そ、そんな……」


 奏芽は夜美の非情な言葉に、がっくりと肩を落とした。残酷な現実に負けずに我が娘に必死に愛情を注いだ結果……その我が娘にすべてを否定されたのだから、当然だろう。


「あー、私だけじゃないな。朋美だってあんたが連れてこなけりゃ殺されることもなく別の人生を歩んでいただろうし、卓巳君も朋美が来なけりゃ風桜家に関わることもなく今も生きていただろうしねえ。つまり……朋美と卓巳君を殺したのは、実質あんたってわけだ」

「ウチが……朋美と卓巳君を……殺した?」

「そういうこと。いやー、とんだ大罪人だねえあんた。それに比べりゃ、私なんか可愛いもんだわ」

「いや……いやああああ!!!!」


 奏芽は絶望し、悲しみに満ちた悲鳴をあげた。酷い……のり子は灼熱の怒りの炎が自分の心に燃え上がったのを感じた。人の優しさや愛情を鼻で笑い、感謝するどころか心が壊れるまでの絶望に追い込む。許せない……人として。そう思ったのは、のり子だけではなかった。


「あんた……人間やあれへん!!」

「あ? 何が言いたいの」

「奏芽さんは辛い現実に負けんと、あんたに精一杯愛情を注いでん? それを嘲笑うなんて……」

「事実でしょ。私をこんな風にしたのはこいつ、諸悪の根源よ」


 背後に火柱が見えそうな程の怒りを露わにした涼葉の言葉を夜美は切り捨て、奏芽にさらに追い打ちをかけた。涼葉の怒りの炎が更に増大したようにのり子には見えた。


「朋美ちゃんだって、あんたんことをお姉ちゃんとしてあないに慕ぉとったのに……やのに、まるで虫けらみたいにいてこます(殺す)なんて!!」

「あっはっは!! この私を姉として慕うねえ……本当に脳内お花畑の馬鹿な子だったよ」


―――


「はいおねえ、こないな感じでええ?」

「おー、ええ感じとちがう。朋美、あんた文才あるかも」

「えへへ、そうかいな。ウチが書いたのんが演劇で使われるのかあ……楽しみやなあ。なあ、いつやるん? 絶対見に行くさかい」

「んー、知ってもしゃあないんとちがうかな」

「え、どないなこと? 関係者しか入れへんやら?」

「もう……用済みだからだよ」

「え……」


 夜美は【妹想いの良いお姉ちゃん】の仮面を脱ぎ、冷たい表情でナイフを取り出した。朋美は驚いたが、すぐに苦笑いを浮かべた。


「や、ややなあおねえ。今度は演劇の練習? 殺人犯の役、やるん?」

「演劇の練習かあ……そうだったら良かったのにね。残念でした」

「……う、嘘やんな? 冗談にしてはちょい性質悪すぎんで、おねえ」

「あっはっは!! まだ分かんないの? 本当、どこまでもおめでたい頭してるねえ」

「……ど、どないしたのおねえ、おかしなってもうたの!!??」


 朋美もさすがに冗談ではなく、夜美が本気で自分を殺そうとしていることに気付き、震えた声をあげながら後ずさりし始めた。顔は真っ青で冷や汗をかき、体はガタガタ震えている。


「悪いけど、これが私の素なの。あんたがいたら貰える財産半分になっちゃうからさ……死んでよ、さっさと」

「い、嫌……やめて、殺さんといて」

「安心して、この通り遺書あるから自殺だって判断されるからさ。ご苦労様」

「お願い、やめておねえ……元の優しいおねえに、戻って……」


 朋美は腰を抜かし、大粒の涙を流しながら命乞いをした。夜美はそんな朋美の表情を楽しむかのように冷たく笑い、死の宣告をした。


「あっはっは!! 最後に良いモノ見せてもらったよ。それじゃ……さよなら」

「どう、して……」


 朋美がこれ以上ない程の悲しそうな顔で呟いた瞬間、夜美のナイフが朋美の左胸に振り下ろされ、パステルピンクの振袖が血に染まった。朋美は力なく倒れ、やがて動かなくなった。


―――


「酷い……酷すぎる!! 朋美ちゃんの心を弄んで」

「弄ぶ? 違うね、あの子が勝手に思い込んだだけ。まったく、どんな風に育ったらあんなおめでたい性格になるんだか。ま、見てる分には楽しめたかもね、滑稽で」

「……許さへん」

「あ? 何だって」

「あんたやけは……絶対に許さへん!!」


 涼葉は憎悪に満ちた表情で夜美を睨みつけ、近くに置いてあった木の棒を手に取った。夜美はそれに怯えるどころか、不敵な笑みを浮かべた。


「許さない、ねえ……で、あんたにそんな度胸あるの? 朋美と同じく脳内お花畑っぽいあんたに」

「ウチを……舐めないで!!」

「へえ、面白いじゃん。やってみなよ」


 涼葉は目をギロリと夜美に向け、木の棒を構えた。まずい!! 夜美さんは明らかに涼葉を挑発してる。つまり……返り討ちにする準備を整えてあるということだ!!


「うああああ!!!!」

「へっ」


 涼葉は木の棒を上段に構え、夜美に襲い掛かった。夜美はナイフを取り出し、冷たい笑みを浮かべた。のり子は涼葉を止めようとしたが……間に合わない!!


「涼葉ぁぁぁぁ!!!!」


パァ――――ン!!!!


 その瞬間、部屋中に乾いた音が響いた。のり子は驚き、音のした方に振り向いた。


「し……詩乃!!??」


 そこには右腕の掌を振り上げた詩乃の姿があった。涼葉は呆然と立ち尽くし、夜美は平手打ちを受けて赤くなった左の頬を手で押さえ、詩乃を睨んだ。


「ぐ……貴様、何をする」

「あなたに……人を悪く言う資格などない!!」


 詩乃は強い意思を感じる瞳で夜美を睨み、芯の通った声で夜美を一喝した。優しいだけではない……強さも併せ持つ大和撫子。これが……詩乃だ。


「生まれつき脳に障害があったのは同情できるかもしれない。だけど……それでも愛情を注ぎ、何とかしようとしてくれた人達を嘲笑い、身勝手な理由で人の命を奪ったことは同情の余地など全くない!!」

「な……何だと」

「あなたは改善しようとしなかった……人の心を持とうとしなかった。あなたの不幸はあなたの罪が招いたもの、人のせいに……するな!!」


 詩乃の凛とした態度と声に、夜美は少々たじろいでいた。ここまで怖いものなしで余裕の笑みを浮かべていた夜美が、である。


「許さない……貴様だけは絶対に許さない!! 牢屋から出てきたら、真っ先に貴様を殺しに行ってやる!!」

「やってみなさいよ、私はそう簡単にやられはしないわよ」

「はいはい、そこまで。ちなみに牢屋から出てきたらって言うとったけど……貴様がそう簡単に出れる思いなや?」

「ぐ……」


 夜美の脅しにも、詩乃は全くひるまない。そして、宮津刑事が間に入り、夜美を一喝して手錠をかけた。詩乃は一息ついた後、呆然としている涼葉がいる方向に振り向いた。


「詩乃、ちゃん……」

「ダメだよ、涼葉。例えどれだけ憎くても……どれだけ心が傷ついても……殺人だけは、しちゃダメ」

「……」

「良かった……涼葉が、殺人犯になるのを止めることが出来て」

「詩乃ちゃん……うわああああん!!!!」


 涼葉は手に持った木の棒を落とし、大粒の涙を流して詩乃に抱きついた。夕香梨が自分のために殺人に手を染め、朋美を失い……涼葉の心は限界だっただろう。そんな涼葉の心は、かつて心美を失った詩乃だからこそ痛いくらいに分かる。そして……それだけ追い詰められたとしても、殺人という手段は決して取ってはいけないということも。


「……良かった」


 涼葉を優しく抱きしめる詩乃を見て、のり子はこの2人は今、本当の意味で親友になれたんだなと思った。そして……涼葉の命を救えて良かった、とも。


***


 涼葉と奏芽が落ち着きを取り戻した後、夜美は警察に連れられて部屋を出ていこうとした。それをのり子が呼び止め、夜美は不機嫌そうに振り返った。


「夜美さん。一つ、聞きたいことがあるんです」

「あ? 何よ」

「今回の殺人計画、本当に……あなた一人で立てたものですか?」

「どういうことよ」

「今回私達は3人でここに来たんですが、当初の予定では4人だったんです。いくらトリックの為に朋美ちゃんに振袖を着てもらう必要があったから客人を招かないといけないとはいえ、これだけ大勢来る時に計画を実行するのはリスクが大きいと思うんです」

「……」

「それに……ここって風“桜”家ですよね。引っかかるんですよ、そのワードが」


 のり子の質問に夜美は頭をかき、仕方がないという表情でため息をつき、語り始めた。


「まあ、別に口止めされてるわけじゃないし、良いか。そうよ、今回の殺人計画は私が立てたものじゃない。他の人に立案してもらったの」

「!!」

「朋美を殺したいとは思っていたけど、ただ殺しただけじゃ財産の件があるだけに私が疑われるのは避けられないと思ってね、実行できなかったの。そんな時にあんたくらいの歳の女の子が現れてね、今回の計画を立案してもらったってわけ」

「私と同じくらいの歳……名前は!? 見た目は!?」

「名前は分からないけど、【生贄の主】とか言ってたわね。見た目は……セミロングの黒髪を二つ結びにしてたかな」

「……やっぱり」


 何となく感じていた違和感……その正体は、やはりそうだったか。のり子は黒幕の正体を確信し、戦慄した。


「のり子……裏でこの事件を操っていたのは、やっぱり」

「うん……間違いない」

「のり子ちゃんくらいの歳で、その見た目……もしかして、先週泊まっとった子かな?」


 涼葉の言葉にのり子は驚き、目を丸くした。のり子のただならぬ様子に、涼葉は少々たじろいだ。


「涼葉の旅館に先週泊まっていたって……いつ頃!?」

「えっと、のり子ちゃん達と京都旅行の話をしとった頃やで」

「まさか……電話で話していた内容を聞いて、今回の殺人計画を立てたんじゃ」

「!? 夜美さん、その人物と会った場所はどこですか?」

「ここから最寄りの公園よ。公園の名前は……」

「!!」

「あ、ちょっと、のり子!!??」


 詩乃の制止を振り切って、のり子は該当する公園に急いだ。外はまだ涙雨……事件はまだ、終わっていない!!


***


 公園に付き、のり子は肩で息をした。走って向かった上に推理で体力を事前に使ったため、当然だろう。


「ふぅ……ちょっと座ろう」


 ベンチに座り、のり子は一息ついた。探している人物はまだ見つからないが……疲労で脳が上手く働かない感じがした。糖分が必要かも……


「缶コーヒーでも飲もうかな。えっと、自動販売機は」

「はい、こちらどうぞ」

「あ、ありがとうございます。わざわざご丁寧に……!!??」


 不意に差し出された手にのり子がお礼を言おうとした瞬間……のり子は目を大きく見開いた。聞き覚えのある声……


「あなたは……」

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