京都涙雨殺人事件③(薄幸の少女)
夕食まで朋美とその姉の夜美と一緒に遊ぶことになり、のり子達は朋美の部屋に行った。朋美の部屋はやはり和風であり、上質な畳に障子・床の間が心を落ち着けてくれる。人数が多いこともあり、トランプをすることになった。ちなみに、ババ抜きである。
「はい、終わり」
「むー、のり子ちゃん強い」
「まあ、のり子だからねえ」
涼葉がのり子の強さに舌を巻いている。実は、のり子は昔から割とババ抜きが得意だ。探偵をやっていることもあってポーカーフェイスはお手の物であり、先を読む能力に長けているのもある。連続で1抜けである、ちなみに2抜けはというと……
「はい、お終い」
「おねえ、やっぱし強いなあ」
「あんたが分かりやすすぎんねん、朋美」
意外……と言えば意外だが、夜美である。ちょっと派手目で今時っぽい感じがする人だが、そこは何だかんだで年長者、落ち着いた雰囲気もあるだけにこういう心理戦は苦手ではないのだろう。
「あとはウチと詩乃ちゃんと朋美ちゃんか。うーん……どうぞ、詩乃ちゃん」
「……よいしょっと、あがり」
「あー!! もう、悔しいなあ」
「まあ、涼葉もどこか朋美ちゃんに似てるからねえ」
詩乃が3抜け、その後は涼葉と朋美で最下位争い、というパターンが多かった。涼葉も朋美も素直な愛されキャラなだけに、やはりこういうのは不得手の様だ。その後はお菓子を食べながら、お喋りタイムになった。
「へえ、のり子ちゃんってそないに頼りになんにゃ。ババ抜き強いのも道理やわぁ」
「あはは、みんな大袈裟というかなんというか」
「そんなことないでしょ、実際のり子を頼りにしている人は多いよ」
「やんな(だよね)、ウチも相談乗ってもろたことあるし」
事前に話し合い、のり子が探偵だということは詩乃と涼葉には内緒にしてもらっている。お世話になる家とはいえ、やはりあまり大っぴらに言うことではないからだ。朋美としても今日初めて会うのり子と詩乃のことは気になるようで、次は詩乃についての話になった。
「詩乃ちゃんは和風な美人はんだやんな、着物やら似合いそう」
「実は今日の昼に着物レンタル屋に行って着てもらったんだけど……びっくりする程似合ってたよ。ほら、これ」
スマホで撮った写真をのり子は朋美と夜美に見せ、2人とも目を丸くしていた。ちなみに、着物姿の詩乃の写真はこの一枚だけじゃない、あれだけ抜群に似合っていただけにのり子も写真を撮る手が止まらなかったのだ。
「何ちゅうか、その……理想の大和撫子って感じやな。着物雑誌の表紙飾るレベルやわぁ」
「まいったね、こら。京美人コンテストの入賞者も真っ青やわ」
「詩乃ちゃんは京都が合うと思うんやけど……奈良に来てほしい気持ちもあるんだよなあ」
「私の進路、なぜか関西方面って流れになってない?」
と言いつつも、詩乃も満更ではないようだ。まだ高校2年生とはいえ、のり子も進路のことが全く気にならないわけではない。詩乃は関東にいてほしいんだけどなあ……
ちなみに、最初こそさん付けだったが、今はもう朋美はのり子と詩乃をちゃん付けで呼んでいる。年下とはいえ一つ違いであり、そもそものり子と詩乃と同学年である涼葉のことは元々ちゃん付けなだけに違和感はない。こういう人懐っこさも朋美の良さなのだろう。
「そういえば、涼葉と朋美ちゃんの出会いってどんな感じだったの? 確か涼葉が宿を取るのを忘れていたのを、朋美ちゃんが助けてくれたとか」
「そうやねん。京都に観光に来たのはええんやけどうっかりしててね、慌てて取ろうとしたけどどこも満員で。一度奈良に戻るしかあらへんかなあと思っとったところに、朋美ちゃんが声をかけてくれたん」
「なんか困っていそうな感じやったさかいな。で、話してみたら結構気合うたんで、ウチの案内で一緒に京都観光もしたってわけ」
「いや~、改めて朋美ちゃんおおきに、ほんまに助かってん」
「ううん、ウチも家に友達呼ぶって経験なかったさかい、楽しかったわぁ」
涼葉と朋美がお互いに感謝し合い、弾けるような笑顔を浮かべた。この2人は相性が良いのだろう。思えば涼葉は奈良旅館の事件で、心の支えである夕香梨さんに頼れなくなった。朋美ちゃんという良いお友達が出来たことは大きい、のり子は優しい笑みを浮かべた。
「まあ、ウチとしては急に朋美が『宿取り忘れたみたいやさかい、泊めたって!!』やら言い出したもんやさかい、驚いたけどなぁ。しかもその日初めて会うた子だっちゅうし」
「やら言うて、結局拒否はしいひんかったやん。涼葉ちゃんとも普通に話しとったし」
「……まあ、そうやけどな」
「あはは、その件は驚かせてしまってすんまへん。夜美さんのお気持ちは分かるさかいに」
夜美は痛い所を突かれたという感じで、頬をかいていた。ぶっきらぼうに見えるが、何だかんだで認めてくれる優しさがあるから、朋美ちゃんも彼女に懐いているのだろう。
「そうや!! 明日はウチも京都観光、付いて行ってええかいな? 案内も出来るし」
「あ、それありがたいかも。ウチも案内は出来るけど、やっぱり京都に住んでいる朋美ちゃんの方がよく知ってるし」
「朋美ちゃんお勧めの店とか場所とか知りたいし、お願いできるかな?」
「任せとぉくれやす!!」
朋美は胸を張り、右手の握りこぶしで叩いた。これは明日が余計楽しみになったかも。愛されキャラ朋美ちゃんと京都を巡る、何だかわくわくしてきた気がする。
「やったら明日は浴衣着ていったらええんとちがう? 理想の大和撫子の詩乃ちゃんもおるんやし、2人で浴衣着て歩いたら」
「あ、おねえナイスアイデア!! やけど、着物もええんとちがうかな」
「どうせ着物は今日着るんやん? 詩乃ちゃんは今日既に着物着てるわけやし」
「なるほど、やったら明日浴衣の方がええなぁ」
詩乃と朋美ちゃんが揃って浴衣を着て歩く……これはまた明日は周囲の目を物凄く惹くことになりそうだ。
「朋美ちゃん、今日着物着るの?」
「うん。普段は洋服なんやけどなぁ、改まった席やらお客はんが来た時は着るようにしてんねん、いつもってわけやないけど」
「この子は着物好きやさかいね。おかんや莉愛はんの影響やろうけど」
「へえ、夜美さんは着ないんですか?」
「うちはそんなんは全然、和風文化の良さやらよう分からへんし」
「むー、おねえも美人はんだし、似合う思うんやけどなあ」
詩乃が興味津々に、着物の話に食いついた。やっぱり、こういう話には人一倍興味があるのか。本人は興味がないみたいだけど、確かに夜美さんの着物姿も見てみたいな。
***
その後、莉愛が食事の用意が出来たことを告げに来てくれたので、のり子達は茶の間に向かった。すると、そこには奏芽以外に3人の人物がいた。
「こんばんは、君達朋美ちゃんの友達かいな?」
「はい。えっと、あなたは?」
「僕は鴨井正忠、朋美ちゃんの家庭教師をさせてもろうてる者やわ」
「家庭教師お願いしてるんだ、朋美ちゃん」
「あはは、ウチがお願いしたちゅうより、おかんがね」
年齢は20代後半くらいだろうか、スラっとした長身で顔もなかなかのイケメンだ。話してみた感じでは誠実そうだが、モテそうだし遊んでそうな気もしなくはない。
「朋美ちゃん、今日この後授業なの?」
「ううん、今日はあらへんで。もう結構長い付き合いやさかい、授業以外でもおかんが呼ぶことあんねん」
「今日は朋美のお友達がぎょうさん来るさかい、一緒に食事でもどないですかって誘うたんです」
「僕としてはお邪魔とちがうかな思たんですけどなぁ」
「いえ、そんなことはないですよ。お気になさらず」
詩乃の問いに朋美と奏芽が答えた。正忠も気遣いはしてくれたようで、詩乃もそこは汲み取った。さすがにさっきのは邪推かな。
「この人達が朋美ちゃんの友達……ほんまに女の子やったんや」
「そやさかい、そう言うたとちがう(だからそう言ったじゃない)、卓巳君」
「……別に疑うとったわけとちがうで」
「えっと、自分は朋美ちゃんのお友達?」
「俺は八甲卓巳。近所に住んでんねん」
「時々、遊びに来んねん。今日はお友達がぎょうさん来るんやでって言うたら、俺も行くって言うとったさかい呼んだの」
涼葉の問いに、卓巳はどこかぶっきらぼうな感じで答えた。といっても別に不快な感じはしない。根は悪い子ではないのだろう、ちょっと不貞腐れているようにのり子には見えた。
「卓巳君は高校生?」
「高校一年や。おねえ達は?」
「私達は高校二年生だよ」
「そっか」
「卓巳君、のり子ちゃん達は先輩なんやさかい、言葉遣いをね」
「朋美ちゃんだってちゃん付けやん」
「むう」
のり子の問いに、卓巳はやはりどこかぶっきらぼうな感じで答えた。これが彼の自然体なのだろう。ちょっと生意気な感じの卓巳君に天真爛漫な朋美ちゃん、案外いいコンビかもしれない。
「うふふ、賑やかで楽しい食事になりそうね、奏芽はん」
「そやな。こちらは福知節奈はん、近所に住んどって昔からの長い付き合いなんです」
「よろしくお願いします」
詩乃がお辞儀をし、節奈は温和そうな笑顔で応えた。年齢は奏芽さんと同じ50代くらいだろうか、奏芽さんにとって歳が近く仲が良いご近所さんといったところか。一人で朋美ちゃんと夜美さんを育てている奏芽さんにとって、貴重な存在だろう。
ちなみに、朋美の父は既に病気で亡くなっていると涼葉からのり子は聞いている。だけど、今はもう立ち直っており、大丈夫とのこと。正忠さんと卓巳君と節奈さんの存在も、朋美ちゃんにとっては決して小さくないのかもしれない。
***
一通り自己紹介を終え、夕食が始まった。莉愛の料理の腕はかなりのものであり、のり子も箸が進んだ。はんなりとした京美人であり、礼儀正しく温和な対応、料理も上手か……改めて莉愛さんは良い家政婦だな。
「莉愛さん、凄い料理上手なんだね、朋美ちゃん」
「そや、やみつきになるやん?」
「うん。私としても、参考になるな」
「詩乃ちゃんも、料理するん?」
「詩乃の料理は天下一品だよ、満場一致で調理部部長に選ばれたのは伊達じゃない」
「もう、恥ずかしいからやめてよ、のり子」
詩乃は謙遜するが、実際詩乃の料理の腕はそのくらい凄いのだ。のり子が調理部の部員から聞いた話でも『新部長、他に誰がいるのよ?』『詩乃の腕は別格』と絶賛の嵐である。
「そういえば詩乃ちゃんの料理、まだ食べてへんなあ。莉愛さん、明日も泊めてもらうわけやし、明日の夕食はウチと詩乃ちゃんもてとて(手伝って)ええの?」
「お客様に夕食の支度をさせるちゅうのんは……奥様、いかがいたしましょう?」
「ええんとちがうかしら。楽しそうやし、涼葉ちゃん達望んでるんやさかい」
「……かしこまりました。ほな、明日はよろしゅうおたのもうします」
「やった!! 詩乃ちゃん、頑張ろな」
「まあ、恩返しということで」
明日は詩乃と涼葉の料理も食べられるということに、のり子の心は自然と踊っていた。それに莉愛の料理も加わるのだ、高価な料亭に行くよりも満足できそうである。
「楽しみやなあ。さて、一通り食べ終わったし、着替えてくるなぁ」
「着物に?」
「うん、ちょい待っとってや」
のり子にそう伝え、朋美は茶の間を出て行った。改めて無邪気で良い子だな。彼女の天真爛漫さが、この家の明るく温かな雰囲気を作っているのだろう。
「良い子ですね、朋美ちゃん」
「はい、ほんまに。それに芯も強おして……辛いのんはあの子もおんなじやのに、主人を亡くして悲しんどったウチを支えてくれたし」
「ほんまに、出来すぎた妹ちゅうか……」
のり子の言葉に対し、奏芽と夜美は優しい笑みを浮かべた。朋美の天真爛漫さに支えられているのは彼女達だけではないようで、正忠も微笑みを浮かべた。
「僕は朋美ちゃんに勉強を教えてる立場やけど、人としては彼女に教えられてる部分多々ある思うんやんな。僕には出来ひんな、あないに人を元気にさせることは」
「俺はこないなんやさかい……朋美ちゃんみたいになれたらって思うことはある」
「なんか辛いことあっても、朋美ちゃんの笑顔を見たら頑張れる気ぃするわ」
卓巳も節奈も同じように微笑みを浮かべた。のり子としても、朋美の真似をしろと言われても出来る自信はない。凄い魅力を持った子だと、素直に尊敬した。
「お待たせー!!」
「……」
戻ってきた朋美の姿を見た瞬間、のり子は言葉を失った。パステルピンクの花柄の振袖は天真爛漫でまだあどけなさが残っている朋美によく似合い、髪飾りも彼女の可愛さを引き立てている。ちょっとはにかんだような笑顔を浮かべる朋美は、少し大人びて見えた。
着物や浴衣を着た女の子は普段よりも可愛く見える、よく言われることであり、のり子もそう思っている。その理由について、以前詩乃に『普段見慣れないからっていうのもあるけど、着ると構造上自然と姿勢とか歩き方が綺麗になるのが大きいの』と説明されたけど、まさにその通りかもしれない。
「朋美ちゃん……可愛い」
「本当ね、着付けもしっかりしてるし。のり子もほら、感想」
「あ……ごめん、見惚れてて。うん、凄く似合ってて可愛いよ、朋美ちゃん」
「えへへ、おおきに。着付けはおかんから教わったさかい、自信あんねん」
詩乃のような理想的な大和撫子も良いが、朋美ちゃんのような愛らしさと少し芽生えた大人っぽさが魅力の和風美少女もまた素敵だ。二人が一緒に歩く明日が実に楽しみだ。
「卓巳君、どないかいなウチの振袖姿」
「え、ええんじゃねえの。ちゅうか、見慣れてるし」
「もう、結構気合入れたんやさかい、もっと褒めてくれてもええのに」
「やかましいなあ、もう……」
朋美から感想を求められてもどこか塩対応な卓巳だが、顔は赤くなっており目を逸らそうとしていながらチラチラ朋美の方を見ている。ああ、なるほど……のり子は察した。
「ねえ詩乃、卓巳君って朋美ちゃんのこと」
「だね、間違いない」
涼葉も同じことを思ってるようで、少し悪戯っぽい笑顔を浮かべた。まったく、素直になればいいのに……そんな温かい雰囲気の中、団欒は続くのだった。
***
夕食が終わり、のり子達は朋美と一緒に朋美の部屋に向かっていた。思った以上に夕食での話が盛り上がり時間が経ったこともあって、このままお開きということになったのだ。
「朋美ちゃん、ありがとう。おかげで夕食、楽しめたよ」
「ウチのおかげちゃうくて、みんなのおかげやわぁ。みんなええ人達やさかい」
「朋美ちゃんは本当に良い子だね。お母さんも褒めてたよ、優しくて強くて本当に良い子だって」
のり子がお礼を言い、奏芽が褒めていたことを伝えると、朋美は首を傾げた。
「ウチが強い?」
「お父さんが亡くなって悲しんでいた時に、支えてくれたって。朋美ちゃんだって辛いのに」
「……まあ、2回目やさかいね、ウチの場合」
「2回目?」
「ウチね、実は養子やで。元の苗字は幸府で、おかんが事故で亡くなった後はおとんが一人でウチを育ててくれたんやけど、病気で亡くなって。それで、おとんと親友やった今のおとんがウチを引き取ってくれたの」
いつも明るい朋美の顔が曇り、当時を懐かしがるように語りだした。暗い雰囲気になってしまい、のり子が申し訳なさそうな顔をしていると詩乃が朋美に尋ねた。
「元のお父さんの親戚とかは?」
「親戚の人達はみんなウチとおとんに冷たかったさかい……」
「その……ごめんなさい朋美ちゃん、嫌なこと思い出させちゃったかな?」
「ううん、気にしいひんでのり子ちゃん。もう立ち直ってるし、今のおとんもおかんもえらい優しいし。おとんは病気で亡くなってもうたけど……おかんもおねえもおるし、莉愛はんも家族みたいなものやさかい」
朋美の顔に笑顔が戻り、暗い雰囲気が和らいだ。本当に優しくて強い子だ……京都に来て良かった、のり子は心底そう思ったのだった。
「ほな、おやすみ」
「あれ、朋美ちゃんの部屋って鍵が付いてるの?」
「元々特別なお客様をもてなすための部屋やったんやって。といっても今はウチの部屋やさかい、鍵をかけることなんて滅多にあらへんのやけどなぁ」
なるほど、だから鍵付きのドアの後に襖なんていう珍しい構造になっているのか。そういえば、京都の旅館でそういう構造のところがあると聞いたことがあるな。
「鍵かけて、一日中邪魔されずに寝てることもできるね」
「むう、そんなんしいひんよ。こう見えても、結構早起きなんやわぁ」
「あはは、冗談冗談。それじゃ、また明日」
のり子は朋美を少しからかった後、ドアを閉めて自分達が寝る部屋に戻った。今日は色々回ったし、明日に備えて早めに寝ることにしよう。
***
「詩乃ちゃん」
「ん……何、涼葉」
「朋美ちゃん、養子だってことウチにも話してへんかったん。もう大丈夫だって言うてたけど……ほんまはまだ吹っ切れてへんほなないかな」
「その話が出てからずっと静かだったけど、そのこと気にしてたの?」
「うん……」
部屋の電気を消し、畳の上に敷かれた布団に3人とも横になっている状態で涼葉が詩乃に先程のことを相談している。それを傍で聞いているのり子も、気になることだった。優しくて強い子だからこそ……自分一人で抱え込んでしまうかもしれないリスクがある。だが、のり子はそのこと以上に、不安になっていることがあった。
「のり子、どうしたの。何だかさっきから凄く真剣な顔してるけど」
「……ううん、何でもない。明日の天気、大丈夫かなって」
「天気か……ちょっと降り出してるね。このくらいなら、大丈夫だと思うけど」
「このくらいの軽い雨のことを、涙雨っちゅうねん。悲しみの涙が化して降ると思われる雨って意味もあるらしいけど」
涙雨か……涼葉の説明を聞き、のり子の脳裏に一か月前の辛い記憶が蘇った。織絵と一緒に海へ旅行に行き、そこで出会った愛らしい少女。出会った初日にも関わらず織絵が一生の友達になれると思う程仲良くなり、のり子も可愛さの塊だと感じた程魅力的だった子。素敵な彼氏と一緒に幸せな時間を過ごし、それはこれからも続いていくと思われた。だが……
「綾乃ちゃん……」
その幸せは一瞬にして壊されることになった。その日の夜、数日前に起きた恐るべき通り魔殺人事件の犯人の手によって綾乃は惨殺され、彼女の幸せな未来は永遠に訪れることは無くなった。事件は解決したとはいえ、彼女を救えなかった事は今でものり子のトラウマだ。
「考えすぎ、なのかな……」
そんな綾乃と朋美が、のり子の頭の中でどこか重なって見えてしまう。明るく優しく、誰からも愛される可愛らしい少女……そんな子の命が理不尽に失われるのはもう見たくない、そんな思いがのり子に不安を抱かせているのである。
「……寝よう」
***
翌朝、目覚めたのり子は窓の外を見た。まだほんの少し降っている、つまりは涙雨……特に大事が起きている様子はないか。
「やっぱり杞憂だったのかな。でも……」
やはり気になったので、のり子は朋美の部屋に向かった。ドアを開けようとすると、鍵がかかっていた。
「おかしいな、滅多なことがない限り鍵はかけないって言ってたのに」
のり子はスマホを取り出し、朋美に電話をした。昨日、番号を交換したのだ。しかし、朋美は出ない。まだ7:30だから無理もないが、昨日早起きだって言っていただけにのり子は気になった。部屋に戻り詩乃と涼葉を起こし、夜美も呼んできた。
「確かに変ね。あの子が鍵をかけるのほとんど見たことあらへんし、このくらいの時間にはまず起きてるんやけど」
「ちょっと電話してもらえますか?」
「……出えへんわな。結構寝起きはええ方やさかい、2回も電話したらまず起きるんやけど」
のり子の背筋が凍るように冷たくなってきた。おかしい……明らかにおかしい。のり子の頭の中に、不安が加速度的に増してきた。
「まさか……何かの病気で倒れているとか!?」
「ちょい詩乃ちゃん、縁起でもあらへんこと……」
「夜美さん、この部屋の鍵は?」
「朋美が持ってる1本だけやで」
「奏芽さんを呼んできてください、大至急!!」
「え、ええ」
のり子の迫力に押された夜美がすぐに奏芽を呼んできた。奏芽の顔は真っ青だ、娘の身に何かあったのかもしれないとなれば当然だろう。
「じゃあ、やっぱり鍵は今も朋美ちゃんが持ってるんですね?」
「はい。誰かに預けるちゅうことはまずあらしまへんし、念のため莉愛はんにも聞きました」
「やむを得ないか……奏芽さん、ドアをぶち破りますけど、良いですね?」
「は、はい!!」
のり子は奏芽に許可を取り、詩乃と一緒にドアに何度も体当たりをし、ドアが開いた。その瞬間、のり子の目は大きく見開かれ、心臓は破裂しそうな程激しく鼓動を繰り返した。
「朋美ちゃん……」
朋美は畳の上に振袖姿で倒れ、その左胸にはナイフが刺さっていた。パステルピンクの振袖は血で染まり、瞳は涙が溢れ、口からは一筋の血が流れていた。
「朋美……? 朋美!!!!」
奏芽が朋美のもとに駆け寄り、首と手首を触った。その瞬間、軽い悲鳴をあげ、顔は絶望の色に完全に染まった。聞くまでもない、朋美は……死んだ。のり子は深い悲しみと無力感に襲われ、がっくりと首を垂れた。また……救えなかった。
「朋美……なんで……なんで、こんなんに。昨日は、あないに楽しそうに笑うとったとちがう。なのに……」
「奏芽さん……」
「嘘よ、こんなん。朋美が死んだなんて……なあ、嘘や言うてや。朋美……朋美ぃぃぃぃ!!!!」
奏芽は部屋中に響き渡るほどの悲鳴をあげた。夜美はがっくりと両膝を付き、両腕を畳に付けた。顔は真っ青に染まり、ガタガタと震えていた。
「何よ、これ……朋美が死んだ? はは、さすがに笑えへん、そないな冗談……」
「夜美さん……」
「いや……いやああああ!!!!」
夜美は両手で頭を抱え、大粒の涙を流しながら大きな悲鳴をあげた。涼葉は呆然と立ちつくし、顔を真っ青に染めフラフラと頼りない足取りで隣の詩乃の胸に抱きついた。
「朋美ちゃん……そんな……そんな……」
「涼葉……」
「今日、一緒に京都観光に行くんやろ? 詩乃ちゃんとお揃いで浴衣着て、京の街を歩くんだって言うてたがな。やのに……やのに……なんでやああああ!!!!」
胸の中で号泣する涼葉を、詩乃は大粒の涙を流しながら抱きしめた。のり子は一度深呼吸をした後、朋美のもとに歩み寄ると、再び目を大きく見開いた。
「振袖の帯の上に……鍵?」
正確には振袖の帯の上に朋美の右手が置かれており、掌の中に鍵があるのだ。この部屋の鍵はこの1つだけ、そして部屋には鍵がかかっていた。のり子はすぐに部屋の窓を確認したが、どれも鍵がかかっている。つまり……
「この部屋は、密室……これは?」
のり子は朋美の傍に、ノートのページを破いたようなものを見つけた。中身を確認し、この部屋が密室だということも加味して考え、ある仮説がのり子の頭の中に浮かんだ。
「朋美ちゃんは……自殺?」




