奈良旅館殺人事件⑩(ともに歩む)
「のり子ちゃん、言ったわよね、私にはきょうだいがいないって。両親ともうまくいってないって」
「……はい」
「一人でも大丈夫って思ってたけど、やっぱり私も人の子だから……心のどこかで家族が欲しいって思ってた。嬉しい時に一緒に喜んでくれるような、悲しい時に一緒に悲しんでくれるような、そんな存在が私にはいないんだなって……寂しかった」
家族の存在、それはいて当たり前と思いがちなので見過ごされやすいが、やはり大きい。頼れるお姉さんな夕香梨さんとて、やはり他者の支えが必要なのだ。のり子は改めてそう感じた。
「そんな気持ちを紛らわせようと奈良に旅行に行ってこの旅館に泊まった時に、涼葉ちゃんに出会った。可愛くて優しくて凄く気が合って、すぐに惹かれたわ。菜葉さんもとても優しくて包容力があって……こんなお母さんが私にもいたらって思った」
「夕香梨さん……」
「それから私は奈良に行く頻度が増えて、いつもこの旅館に泊まってた。涼葉ちゃんと一緒に笑い合うのが楽しくて、菜葉さんに甘えると心が落ち着いて、旦那さんも優しくて……幸せだった。血の繋がりはなくても、私にとっては大切な家族だった」
「……」
夕香梨は立ち上がって嬉し涙を流しながら語り、涼葉と菜葉はそれを静かに聞いていた。語らずとも涼葉も菜葉も夕香梨のことを大切に思っているのは、明らかだった。
「なのにあいつらは……身勝手に苦しめた!! 傷つけた!! 私の……大切な家族を!!」
夕香梨の表情は一変して、憎しみに溢れたものへとなった。湧き出る怒りをどうすることも出来ず、口調は普段の夕香梨からは想像もできないくらい荒々しかった。
「あいつらが泊るっていう連絡を菜葉さんから受けた時は、積極的に私も同じ日に泊まるようにした。あいつらの横暴を止められる時は止めたし、傷ついた涼葉ちゃんを慰めて、菜葉さんや旦那さんの相談にも乗るようにしていた。それでも……限界があった」
「……」
「しかもあいつら……涼葉ちゃんを執拗に狙っていた。私聞いちゃったよ、『あの幼い仲居の子は、純粋でイジメ甲斐がある』ってあいつらが言っていたのを」
「なっ!?」
萌希はこれ以上ないくらい目を大きく見開いて驚き、憎悪に満ちた表情を浮かべた。のり子とて表情に出さないだけで、気持ちは同じだった。そこまで人間醜くなれるものかと。
「その時、私の中で何かが切れた気がした。涼葉ちゃんを……涼葉ちゃんの家族を……守るためには……あいつらを排除するしかないって思った」
夕香梨の殺意に満ちた声に、のり子はゾッとした。あの連中の非道な行為に怒り心頭だったのり子だが、夕香梨の声で幾分冷静になれた気がした。
「坂上由介さん、沢野麻事さん。あなた達2人はあいつらと違って積極的にイジメをしていたわけじゃないし、奴隷みたいに扱われて同情できる面もあったから殺すつもりはなかったけど……見て見ぬふりをしたのは事実だから、罪を被ってもらおうと思ったの」
「ひっ……」
「ご、ご、ごめんなさい!!」
由介と麻事は鬼の形相の夕香梨に気圧され、腰を抜かして謝り続けた。夕香梨は2人をキッと睨みつけた後、涼葉の方を向き、すがるように微笑みを浮かべた。
「そういうことなの、涼葉ちゃん。すべてあいつらから涼葉ちゃん達を守るためにやったのよ、これでもうイジメられることも」
「……やめて」
「え?」
「やめてええええ!!!!」
涼葉が絶望的な表情を浮かべ、頭を抱え、天井が吹っ飛ぶほどの悲鳴をあげた。瞳からは大粒の涙が溢れ出て、止まらない。
「お願い夕香梨さん……もうやめて」
「ど、どうして? 私は涼葉ちゃんを守りたくて」
「夕香梨さんがウチのことを大切に想ってくれるのは嬉しいよ。あの連中のことは、ウチだって憎かった。せやけど……こんなんってないよ。夕香梨さんが人殺すところなんか……見たくない」
夕香梨はただただ困惑していた。涼葉を、涼葉の家族を守るためにやったのに、どうして涼葉はこんなにも悲しそうなのか……
「夕香梨さんが殺人犯として捕まって、会えなくなっちゃうなんて……ヤダよ。ウチはただ、夕香梨さんの優しさにずっと包まれていたいだけやったのに……」
「涼葉、ちゃん……?」
のり子は静かに二人の近くに歩み寄り、困惑している夕香梨に告げた。
「夕香梨さん、あなたの涼葉さんに対する愛情は本物だと思います。ですけど……やり方を間違えた」
「……」
「あなたがすべきだったのは……涼葉さんと一緒に乗り越えていくことだったんですよ」
「!!??」
夕香梨は魂が抜けたかのような表情を浮かべ、再び膝をついた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、涼葉ちゃん……ああああ!!!!」
「夕香梨さん……ひぐっ」
夕香梨と涼葉は滝のように涙を流し、泣き続けた。菜葉はその様子を悲しそうな顔で見つめていた、瞳からは一筋の涙が流れた。
「のり子ちゃん……うう」
「萌希……」
萌希ものり子の肩に寄り添い、大粒の涙を流していた。相手のことを想う優しい心……それが引き起こした悲劇に、のり子も涙を堪えることが出来なかった。
***
涼葉はしばらくして落ち着き、夕香梨は警察に連れていかれている。そんな夕香梨を、菜葉が呼び止めた。
「夕香梨さん」
「菜葉さん……本当に、すいませんでした」
「謝らんとってください。やり方は間違っとりましたけど……あんたん気持ちはほんまに嬉しかったんやから」
「……」
「罪を償ったら、またここに戻ってきてください。涼葉もウチも旦那も、待っとりよるさかいに(待っていますから)」
「私……戻ってきていいんですか?」
夕香梨は菜葉と涼葉の顔を見つめた。涼葉はそれに気づき、満面の笑みを浮かべた。
「もちろんだよ。夕香梨さんはウチの……大切なお姉ちゃんやから」
「涼葉ちゃん……ありがとう。私、絶対に戻ってくるから」
「うんっ!!」
夕香梨と涼葉はお互いに最高の笑顔を浮かべ、一時の別れを迎えた。長い時間離れていたとしても、この2人なら大丈夫だろう。強い絆で結ばれた……姉妹なのだから。
「……のり子ちゃん、萌希ちゃん」
「はい」
「ありがとう、二人とも。また……会えたらいいな」
「もちろんです!!」
夕香梨はのり子と萌希にも挨拶をした後、パトカーで連行されていった。萌希も何とか落ち着いたようだ、傷心の涼葉にとってこれからも心の支えになってくれるだろう。
「のり子君」
「五條刑事……」
「見事な推理やった。会うて間もない頃、えげつない態度を取ってしもて、ほんまに申し訳ない」
「いえ、気にしないでください、無理もないことですから。その後色々協力してくださり、信用してくださって、ありがとうございます」
「……君は心まで透き通っとるのやな」
五條刑事は人生の先輩らしい、落ち着きのある笑顔を浮かべた。良い刑事に出会ったものだ、のり子も自然と笑みがこぼれた。
「それにしても、悲しい事件でしたね……」
「うむ、カスハラは今の日本ではなかなかややこい(難しい)案件や、簡単やないやろ」
「そう、ですよね……」
「やけど、あの男2人は相当にまいっとるようやからな。聞いたら素直に吐くだろうし、早瀬夕香梨が録音した連中の暴言もある、この旅館を救うことは出来ると思うぞ」
「……ありがとうございます」
この旅館はこれだけ魅力的なわけだし、連中のカスハラさえなくなれば戻ってくる客もいる。のり子はこの旅館の未来に光が見えた気がした。
「それでは、私達はそろそろ帰る時間なので、これで失礼します」
「分かった。また奈良に来た時は言うてや。今回の恩もあるわけやし、奈良県警で君達を歓迎するで」
「ふふ、ありがとうございます。楽しみだね、のり子ちゃん」
「うん。五條刑事……またいつか」
「達者でな」
***
五條刑事と別れ、のり子と萌希は帰り支度を始めた。最終列車の時間が近づいているので、そろそろ旅館を出ないといけない。のり子と萌希は旅館の前で、涼葉に最後の挨拶をしていた。
「色々とお世話になりました」
「ほんまにおおきに……のり子さん。夕香梨さんを救ってくれて」
「気にしないで。涼葉さんも辛いと思うけど、私も萌希もいつでも相談に乗るからさ」
「そうだよ涼葉ちゃん、どんどん頼って!!」
「のり子さん……萌希ちゃん……おおきに」
涼葉の瞳から嬉し涙がこぼれた。やはり涼葉さんに悲しい顔は似合わない、明るく笑っている涼葉さんが好きだとのり子も思った。
「……あのみぃ(あのね)のり子さん、一つお願いがあるの」
「何?」
「のり子さんのこと……のり子ちゃんって呼ばせてほしいの。ウチのことも……涼葉でええから」
「もちろんだよ……涼葉」
「よろしゅうな、のり子ちゃん!!」
色々なことがあった今回の奈良旅行、悲しいことも確かにあったが……のり子は非常に充実したものだったと感じた。一番の理由は……こんなに素敵な友達が出来たからだ。
「あ、ちょっと赤くなってる涼葉ちゃん。もしかして、照れてる?」
「ぺちゃこく(平たく)言うたらそうかもね……えへへ」
「それじゃ、またね涼葉」
「また来るよ、涼葉ちゃん」
「絶対やで、約束やからね!!」
~『奈良旅館殺人事件』 完~
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
これにて『奈良旅館殺人事件』は完結です。この後はショートエピソードを挟み、次の事件に移ります。
今後ののり子の活躍も見守ってくださると幸いです。




