奈良旅館殺人事件⑨(大切な人)
「犯人は……あなたです、早瀬夕香梨さん!!」
のり子はそう叫び、夕香梨を指さした。全員の視線が夕香梨に集まる。そんな中、誰よりも驚き、そして悲しい顔をしている人物がいた。
「えっ……う、嘘」
涼葉の目はこれ以上ないくらい見開き、顔は真っ青だった。唇はガタガタと震え、目の前の現実を受け入れられないという雰囲気を醸し出していた。涼葉さんをこんなに悲しませてしまうことは非常に心が痛む。しかし……私はそれでも、進まないといけない、のり子は今一度力を入れた。
「夕香梨さん、あなたは21:30より少し前に仕事の関係で少し抜けると言って食堂を離れましたよね。その足であなたは自室に戻り、犯行に必要な道具を持って奏子さんの部屋を訪ね、彼女を殺害した。そして、奏子さんの死体をベッドに移動して布団をかけ、無線スピーカーと盗聴器を仕掛けて一旦食堂に戻り、私達と談話を再開した」
「あ……もしかしてその後、トイレに行ったのって」
先程まで青い顔をしていた萌希も、幾分落ち着いてきた印象を受ける。ショックで悲しいのは変わらないだろうが……それ以上に涼葉さんのことが心配なのだろう、のり子は続けた。
「そういうこと。急いで奏子さんの部屋に行き、内線電話の受話器を外して通話ボタンを押し、そこから涼葉さんの声が聞こえたら遠隔操作で奏子さんの過去に録音した声を再生し、奏子さんの部屋とは逆の東側の通路を迂回して食堂に戻ったのよ。この旅館はさほど広くないから、ものの5分~10分くらいあれば戻ってこれるしね」
「そういえば……涼葉ちゃんが奏子さんからの電話を受ける5分くらい前にトイレに立ったし、戻ってきたのも涼葉ちゃんが奏子さんの部屋に向かうのとほぼ同時だったけど」
「ふむ、時間的に一致するな」
萌希と五條刑事が、のり子の推理に納得の意を示した。夕香梨は少し焦った顔でのり子の推理を黙って聞いている、まだ観念した様子はなさそうだ。
「そして、私達と談笑しながら盗聴器で涼葉さんが奏子さんの部屋に着いたのを確認し、再び遠隔操作で奏子さんの声を再生して、まるで生きているかのように見せたのよ。あとは22:15に奏子さんのスマホを使ってあらかじめ文面を作っておいたメールを送信し、由介さんが奏子さんの部屋に着いたのを盗聴器で確認し、三度遠隔操作で奏子さんの声を再生してやはり生きているかのように見せたというわけ」
「なるほど、盗聴器での確認も遠隔操作も奏子さんのスマホからメールを送るのも、のり子さん達と談笑しもってでも出来ますし、そうすればアリバイ成立っちゅうわけでっか……」
菜葉は悲しそうな顔でのり子の推理に納得の意を示した。悲しくても、目の前の現実を受け止めないといけない……そんな覚悟が見受けられた。
「音美さん殺しにしても、アリバイがある夕香梨さんを音美さんは疑っていなかったでしょうから、部屋に入れたのも納得です。そうすれば、殺害は容易ですからね」
「ゆ、夕香梨さん……ほんまに夕香梨さんが、奏子さんと音美さんを?」
涼葉は変わらず真っ青な顔で、夕香梨に尋ねた。そうであってほしくない、否定してほしい、そんなすがるような思いがのり子にはひしひしと感じた。そんな涼葉の姿に悲しそうな表情を一瞬浮かべると、すぐに表情を切り替えて夕香梨は沈黙を破った。
「そんなわけないでしょ、涼葉ちゃん。ねえのり子ちゃん、確かに私は仕事やトイレでちょっと抜けたけど、それだけで犯人呼ばわりはちょっと強引じゃないかな?」
「それだけじゃないですよ。そもそも、盗聴器を使ったトリックにしても、出来るのは夕香梨さんだけなんです」
「どういうこと?」
「髪型ですよ。ワイヤレスイヤホンで聴いていたんでしょうけど、誰かにそれを耳に付けているのを指摘されたらお終いです。涼葉さんはツーサイドアップで、菜葉さんは後ろで一つにまとめていますから、耳が出てしまう。ですが夕香梨さんはロングヘアです、自然と耳が隠れますからワイヤレスイヤホンに気付かれる心配はない」
夕香梨は再び少し焦った表情を浮かべた、さすがに髪型に関して指摘されるのは想定外だったのだろう。
「だ、だとしてもそれはそこの男二人にだって出来るでしょ。談話に参加していなかったんだから、ワイヤレスイヤホンがバレるも何も関係ないし」
「まさか。自分にアリバイを作りもしない状況で、そんなことしても意味ないですし。それに夕香梨さん、あなたは不自然な発言をしてるんですよ」
「何ですって?」
「夕香梨さん、私と萌希が夕香梨さんの部屋に行った時にこんなこと言ってましたよね?」
『今回みたいに注文したものを持って行っても、入ることすら許さずに入口に置いとけだのやりたい放題』
「ええ、言ったわね。それに何か問題でも?」
「問題大有りですよ。奏子さんはそこに置いとけとしか言っていないのに、どうしてそれが入口だと分かったんですか?」
「!?」
夕香梨は『しまった!!』という表情を浮かべた。そうなのだ、確かに涼葉さんは入口の近くに置いたが、それを知っているのは涼葉さん本人と涼葉さんからそれを聞いた私と萌希だけ、夕香梨さんが知っているわけがない。のり子は夕香梨の反応を確認し、更に追求した。
「なぜそれが分かったのか。それはみんなが寝静まった後、奏子さんの部屋に無線スピーカーや盗聴器を回収したり奏子さんのスマホを戻したり内線電話の受話器をもとの位置に戻したりする作業をしに来た時に見たから、ということになるんです」
「ゆ、夕香梨さん……」
「違うのよ、涼葉ちゃん!! のり子ちゃん、そんな曖昧な発言は証拠にならないわ。私が犯人だっていう物的証拠はあるの?」
「……ありますよ」
夕香梨はかなり焦った表情を浮かべた。いよいよここまで来た……のり子は一度深呼吸をし、夕香梨に向かって最後のカードを切った。
「五條刑事、奏子さんの部屋の中の入口付近の床にジュースがこぼれた跡がありましたよね?」
「うむ、確かにあったが、それがどうしたんや?」
「その跡に不自然に途切れた部分があるんです。角ばった感じで、ジュースがこぼれた時に四角い物がそこに置かれていた証拠です」
のり子はその部分を撮った写真を全員に見せた。全員が納得する中、夕香梨がそれについて指摘した。
「何よ、その四角い物って」
「ハンカチですよ。夕香梨さん、あなたがトイレに行くと見せかけて奏子さんの部屋に行った時に落としたんです。この時、あなたはとにかく時間との勝負で必死だった、だからハンカチを落としたのに気づくことが出来なかった」
「……」
「その後、涼葉さんがジュースを持ってきて、部屋の中の入口付近に置いた。更にその後由介さんがやってきてドアを開けた時に、はずみでジュースがこぼれてあなたが落としたハンカチにジュースがかかったのよ、だからその跡が不自然に途切れることになった」
「そんなの別の場所でかかったかもしれないじゃない、私がそこに落としたという証拠にはならないわ」
夕香梨は必死に反論するが、無駄だとのり子は分かっている。これが……とどめだ。
「夕香梨さん……残念ですが、それはあり得ないんですよ。なぜなら……そこにこぼれていたのは、その日から販売開始した旅館特製のミックスフルーツジュースだからです」
「!?」
「涼葉さん、一昨日から販売開始したあの旅館特製ジュース、何杯売れたんですか?」
「……あの時、のり子さんと萌希ちゃんに売った分と奏子さんに持って行った分の、合計3杯や」
「菜葉さん、旅館特製ジュースはどこに保管してあるんですか?」
「……この食堂の冷蔵庫の中や。ウチも確かに合計3杯売れたのを確認しましたし、冷蔵庫は鍵がかかっていて、ウチか涼葉以外には開けられまへん」
涼葉も菜葉も自分の言葉が夕香梨にとどめを刺すということを理解しながらも、素直に話してくれた。二人の心中を思うと、のり子は心が痛んだ。
「分かりますよね、夕香梨さん。私と萌希は普通にその旅館特製ジュースを飲み干した以上、私達と談笑している時にかかるわけがない。となるともう、涼葉さんが奏子さんの部屋に持って行った分がかかったとしか考えられないんですよ、他では売ってないんですから」
「あ……あ……」
「ハンカチを回収したのは、無線スピーカーや盗聴器を回収しに来た時でしょう。ハンカチを落としたことに気付いたあなたは焦っていたはずだ。何とか無事に見つけて回収することが出来てホッとしただけに、旅館特製ジュースがかかっていることまでは気付けなかった」
「……」
「夕香梨さん、今あなたが持っているハンカチを見せてください。そして説明してください、どうしてあなたのハンカチが奏子さんの死亡推定時刻に、奏子さんの部屋の中に落ちていたのか」
夕香梨は青い顔をしてガタガタと震えながらしばらく立ち尽くしていたが、やがて力が抜けたかのようにその場に膝をついた。
「負けたわ、のり子ちゃん……完敗よ。そう、私があの連中を……殺したの」
「どうして……どうして夕香梨さんが……殺人なんて」
涼葉はこの世の終わりのような、絶望的な表情を浮かべた。夕香梨が犯人であってほしくない、その一縷の望みは……完全に断たれた。
「涼葉ちゃん、そんなの……決まってるじゃない」
夕香梨は涼葉に軽く微笑んだ後、一変して鬼の形相になった。
「私は……あの連中が心底憎かった。涼葉ちゃんを……涼葉ちゃんの家族を……苦しめる、あの連中のことが!!!!」




