奈良旅館殺人事件②(カスハラ)
受付を済ませ、のり子と萌希は涼葉の案内で旅館の中を散策していた。決して大きい旅館ではないし、豪華な内装が備わっているわけでもない。しかし、清掃や手入れはしっかり行き届いており、雰囲気も心地いい。スタッフである涼葉も礼儀正しくて明るく、のり子的には良い旅館だなという印象を受けた。
「萌希ちゃんから色々お話は伺っとります。萌希ちゃんも色々助けてもろたみたいで、ほんまに感謝しとります」
「いやいや、萌希が持ち上げすぎなだけだから」
「そんなことないよ。まったく、のり子ちゃんは自分を過小評価しすぎ」
そんな他愛もない話をしていると、廊下の向こうから年配の女性が歩いてきた。備品関係を多く持っていることから、おそらくこの人も旅館のスタッフだろう。
「あ、おかん、萌希ちゃん達来たから案内しとんの」
「ご無沙汰してます、菜葉さん」
「お久しぶりね萌希ちゃん、今日はゆっくりしていってね。そちらの方は、お友達?」
「せやで。ほら、萌希ちゃんが言うてた河澄のり子さん」
「初めまして、萌希さんの友人の河澄のり子です、今日はお世話になります」
どうやら年配の女性は涼葉の母親のようだ、確かに見た目が似ている。温和で優しそうな印象だ。涼葉が人当たりのいい子に育ったのは、この母親のおかげというのもあるのだろう。
「こちらこそ初めまして、涼葉の母の吉野菜葉です。噂はかねがね伺っとります、とても頼りになる探偵さんとか」
「あはは、ちょっとみなさん持ち上げすぎと言いますか」
「そないなことはございまへんで、お若いのに素晴らしいことです。色々お辛いこともあったのに……」
「……お気遣い、ありがとうございます」
「せやから、思いっきり羽を伸ばしたってください、精一杯のおもてなしをいたしますね」
人生の先輩としての頼もしさと優しい包容力を持つ、立派な女性だ。おそらくこの方が女将なのだろうが、だからこそこの旅館はこれほど魅力的な場所になっているのだろう。
「そういえば涼葉ちゃん、お父さんは?」
「……おとんは今、入院しとんの」
「入院……」
「過労です。この旅館は夫が支配人、ウチが女将、涼葉が時間を見つけて仲居をしてくれとるんやけど、最近経営があんじょう(上手く)いっていのうて…」
「せやさかい(だから)人を雇う余裕がのうて、おとんもおかんも働きづめやねん。ウチも可能な限り手伝っとるんやけど、ほんでも厳しうて……遂におとんは倒れてもてん」
ただでさえ世界的に広まった感染症の影響でホテルや旅館は大打撃を受けたのだ、ここのように決して大きくない旅館の経営は楽ではないだろう。
「まあ、経営があんじょういってへんのは色々理由があるんやけど……」
「涼葉さん……?」
涼葉が神妙な面持ちで呟いていると、旅館の扉が乱暴に開かれ、入ってきた派手な茶髪のロングヘアの女性が乱暴な口調で大声を上げた。
「予約した者よ、さっさとチェックインしたいんだけど」
「はい、少々お待ちください。粕谷様ですね」
「何度ここに来てると思ってるのよ、失礼じゃないの?」
いや、何度来ようが名前を確認するのは当然だろう。のり子は客の女性の態度に不快感を抱いた。
「申し訳ございまへん、こちらに名前をお願いします」
「はいはい。ちょっとそこの仲居、重いから荷物持って頂戴」
「は、はい」
そう言い、派手な金髪のショートヘアの女性が涼葉に向かって乱暴に荷物を投げつけた。スタッフが荷物を持つのはおかしいことではないが、さすがに投げつけるのは……こちらの女性の態度もかなり問題だろう。
「ほら由介、さっさと行くわよ。今日あちこち歩いて疲れてるんだから、部屋に着いたらマッサージくらいしなさい」
「分かったよ奏子……ちっ」
「麻事も行くわよ。ほら、ぐずぐずしない」
「してないっての……ったく音美は」
女性2人に男性2人の4人組か。男性2人はそれぞれの女性の彼氏……というより、召使い的な立ち位置に見える。決して良好な関係ではないだろう。
「あ、仲居、喉乾いたから部屋にジュース持ってきて」
「はい、料金は後払いでよろしいですか?」
「はぁ!? 私は常連なのよ、一杯くらいサービスしなさいよ!!」
いやいや、何無料で飲食しようとしてるんだ。常連だろうが何だろうが旅館だってビジネスなんだから、お金払うのは当たり前だろ。のり子は奏子と呼ばれる茶髪の女性に呆れてモノが言えなかった。
「申し訳ございまへんお客様、ジュースの無料サービスは行っておりません。無料でしたら水かお茶になりますが」
「ちっ……緑茶で良いわよ」
「私は麦茶で。女将、私達常連がいるからこんな場末の旅館が成り立ってるってこと、忘れないことね」
「感謝しとります、肝に銘じます」
涼葉が戸惑っているところに、菜葉が入り事を収めた。女性2人男性2人の4人組は自分達の部屋に向かったようだが……それにしても不快な連中だった、のり子は心底軽蔑した。
「な、何なのあの失礼極まりない人達!!」
「堪忍な萌希ちゃん、あれでも一応常連やから無下には出来んで」
「だとしても、お客さんだからって何しても良いわけじゃないでしょ?」
温厚な萌希があれだけ怒るのも珍しいが、無理もない。それほど不快な連中だったからだ。
「実は、経営があんじょういっとれへん原因の一つは、あの輩なんやねん」
「どういうこと?」
「他のお客さんがおる前でもあんな感じなんで、他のお客さんが逃げてしまって……」
「なるほど。カスハラじゃないですか、あれって」
「ウチもそう思うんやけど……世の中的にカスハラはまだ明確な定義が決まっていのうて、色々とむつかしいんですわ」
のり子同様菜葉もカスハラと思っているようだが、確かにカスハラの定義はまだまだ曖昧だ。
「うう、何だか納得いかないなあ」
「名前は何ていうの、あの人達」
「茶髪のロングヘアの女性が粕谷奏子さん、金髪のショートヘアの女性が原崎音美さん。奏子さんの彼氏が坂上由介さんで、音美さんの彼氏が沢野麻事さねんで」
「不快な思いをさせてほんまにすんまへん、萌希ちゃんにのり子さん」
「いえいえ、菜葉さんが謝ることじゃないですよ」
「萌希の言う通りです、悪いのはあの人達なんで」
接客業が大変なのは分かってはいたが……ああいう輩を見ると、せっかく良質な空間とサービスを提供してくれる涼葉や菜菜が不憫に思えた。
「どうしたんですか、深刻そうな顔して」
のり子達の暗い雰囲気を吹き飛ばすような形で、温厚そうな女性が話しかけてきた。歳は30代くらいだろうか、キャリーケースを持っているので客だろう。
「あ、夕香梨さん、いらしとったんやね」
「お知り合い?」
「うん、早瀬夕香梨さんって言うて、昔からの常連さん。優しくて頼りになる、ウチにとって年の離れたお姉さんみたいな存在かな」
「ふふ、涼葉ちゃんみたいな可愛い妹なら大歓迎だよ。ところで、こちらのお二人は涼葉ちゃんのお友達?」
「うん、こちらがウチが文通してる蓑里萌希ちゃんで、こちらがそのお友達の河澄のり子さん」
「なるほど。初めまして、早瀬夕香梨です。涼葉ちゃん、とても良い子なんでこれからも仲良くしてくれると嬉しいかな」
涼葉の言う通り、優しくて頼りになりそうな女性だ。先程のような理不尽な常連もいれば、こういう温かな常連もいる、敵ばかりではないんだとのり子は少しホッとしたのだった。
「もちろんです、夕香梨さん」
「はい、むしろこちらからお願いしたいくらいです」
「ほな、少しゴタゴタがありましたが……夕香梨さんに萌希ちゃんにのり子さん、お部屋に案内いたしますね」
「不快な思いをさせちゃった分、頑張っておもてなししますね!!」




