83.騎士団長の雑務
ハイランジアの騎士団の日課である朝の訓練を終えて身を清めて部屋へと戻れば、既に日は最も高い位置に登りつつある。あの双子はもう出立しただろうか……律儀にもあの双子から世話になったと挨拶されたのは、昨日の昼頃だった。クロエと共にサンタナムに行くことになったと……。てっきりタキナ様があの2人を伴って旅をするのかと思ったが、戦えぬ2人を連れ歩けば危険に晒すと断念したようだ。サンタナムに行くと聞いた時は、2人を自分が引きとると喉まで出かかったが、知人がいるのだと言う言葉を聞いてなんとか飲み込んだ。
サンタナムもミッドラスの件でキナくさい。だが、どの国が1番安全なのかと言われれば、答えに困る。弱い者が生きていくには世界はあまりにも残酷だ。まして、タキナ様の言う世界の終わりがヒタリヒタリと一歩つずつ着実に近づいている。何故かその感覚がわかる自分が居る。
深い深呼吸をして、自分の机を見れば向こう側が見えないほど積まれた書類の山を見て思わず呼吸が止まるが、努めて深く、深く再度深呼吸をして席へと向かう。最近は、オリエンテ様の命により外に出ていることが多かったため、書類仕事が二の次になっていた。迂闊に部下へと回すと騎士団長の立場を狙う貴族の派閥が、直ぐに横槍を入れて仕事を止めようとするので結局滞るのだ。故に、自分でやるしかないが最近は昔ほど長く書類仕事ができる体ではくなってきている。剣を振うにしても似た様なものだ。寄る年波には敵わないと言うやつか……。
席に座る直前に窓の外から見えた青い空に、綺麗な赤い鳥が羽ばたいって行った。
「私は潮時かもしれないな……フィルニーナ…」
若くして旅立った妻の名をそっと呟いて目を閉じれば、妻も笑ってくれている様な気がした。
がっ…
ドンドンドン!!
そんな感慨深い気持ちを打ち破る無遠慮なノックの音と共に、若い騎士の声が響く
「騎士団長!陛下が執務室まで来る様にと仰せです!」
入室を許可する言葉も待たずに、部屋の外で叫んでいる若い騎士に思わず自分の眉がピクリと痙攣するが努めて冷静な声で
「直ぐに向かう」
そう返事をすれば、バタバタと廊下をかけていく音が響いた。
椅子におろしかけていた腰を上げると、深いため息を吐いてドアへと向かう。
書類が永遠に片付かない……。
何故騎士が政務官かと見間違うほどの書類仕事を抱えなければならないのか……こんなにも事務次官のように書類を抱えなければならない騎士団長は自分くらいではなかろうか?
世界の終わりが……書類がっ……憂鬱な気持ちを抱えたまま、急足でオリエンテの執務室へと向かうのだった。
時を同じくして、グアドシル帝国の騎士団長であるレオンの部屋にも騎士の声が響いた。
「レオン騎士団長、こちら先の戦で我が国の属国となったヴェントリラウス、ハヌト、ローレンのそれぞれの騎士、兵士の再編リストになります。それとこちらが、自治体を維持するための法改正の詳細と刑罰も今回の改正に伴い、我が国も変更がありましたので騎士団の皆様にもと法務から預かってー、あーっと忘れるところでした此方が「まてまてまて!一度に話すなっ!」」
鋭い眼光のレオンの目の下には、深いクマが刻まれており髪もところどころ跳ねている。
隙のない鉄壁の男も、書類仕事で1週間まともに睡眠を取れていない上に、追い打ちをかけるような2徹ともなれば戦とは別の疲労が溜まるらしい。
「戦の方がマシだ……」と、普段愚痴などこぼさないレオンの口から出た言葉に目の前の騎士は思わず騎士団長が重症だ……。と、思わずにはいられない。
何故こうも急激に書類が山積みになったかと言うと、元凶は国王であるハイルバルドの言葉
「早急に属国の再編を進め、次の戦の準備を整えよ」
との命により、戦続きだった事により疲弊した騎士や兵士、そして政務などの事務を担当している者達は、前回の戦がようやく終わりしばらく戦はないだろうと高をくくって、ゆっくりと時間をかけて……、と思っていたのだがそれを察したのか、戦を早くさせろと国王に追い立てられてしまったのだ。未だ陛下の口から、どの国を次の標的と定めているのかは明確に発表されていないが、周知の事実であろう。内政が落ち着き次第、軍議が開始されるはずだ。
がっ、しかし、次の戦に進むには問題が山積みだ。
先の戦で敗戦した属国は、王族、もしくは国を担っていた政務に携わった多くの者は皆処刑されている。
戦に負けた国々は帝国の一部となったが、混乱した内政に帝国の法を組み込まねばならなかったりと激務であるのは想像に難くない。帝国から政務官を派遣してはいるが、属国の多くは戦で若者が死に、生活に困った者達が路頭に迷い奴隷商人の餌食になっている。あらゆる場所で人手が足りない事だろう……足りないのも帝国も同じだが!?国が巨大になればそれだけ雑務も増える。属国の騎士や兵士の管轄ももちろん、帝国の騎士団が受け持つのだ。
「書類が永遠に片付かない……」
レオンが自分の前髪をグシャリと握りつぶしながら、もう片方の手で持っていた書類を握り潰す。
「リンデバルト様も同じことを仰っておいででした。」
その言葉に、ハタと気づいて顔を上げる。
「殿下のご様子は?」
「相当疲弊しているご様子です。
騎士団長の書類の山に負けず劣らずの書類の量に加えて、日に3時間ほどこれまでの戦の流れを学び直しておられるとか…。」
「……まだ陛下から何も聞かされていないが、その様子だと次の戦では殿下が指揮を取られるのだろう。
次期国王であれば当然とも言えるが…その前に過労死されないか心配だ。」
「それは騎士団長も同じです……政務官達も………。
帝国は戦に勝っても事務と書類に敗戦しそうですね。」
「シャレにならん……過労死という形で事実あり得る」
「騎士団長、雑務は我々で引き継ぎますのでお休みください。」
「お前達も各国に派遣され、行ったり来たりと大変だろう。
無理をするな……」
「ずっと座ってるよりかはマシだと思います…多分…」
「お互い辛いな…」
「はいっ……」