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1.崩壊




 暗い雪道を炎が明るく照らしている。横倒しになった輸送車からは「ベキ」だの「バキ」だの異質な破壊音が響く。ギチギチと鳴る音が、唯一『奴ら』と青年の距離を測る判断材料であった。

 我武者羅に駆け抜ける道は雪が降り積もり、重い雪に足が取られては上手く前に進めない。それでも精一杯の最高速度で青年は前に前にと進んでいく。止まれば死ぬ、止まらなくてもいつかは死ぬ。でも、それでも死にたくない。

 死んでしまう状況で、死にたくないから死ぬほど頑張って走る。矛盾を感じてしまう程に切羽詰まった状態だが、それが今の彼の全てだった。

 ふと、背後から何かを叩くような鈍い音が鳴る。振り返らずともわかる。あの化物達が追ってきているのだ。それも、先程よりもずっと近い距離まで詰めてきている。


(嫌だ、死にたくない)


 爆発音が聞こえる。輸送車のガソリンに炎が引火したのだろう。その爆音すらも自分の心臓の音でかき消されてしまいそうだった。


(死にたく……)


 また少し距離が詰まる。もはや耳元にまで迫っているかのような錯覚を覚えるほどの轟音の中で、それでもなお青年は自分の心の声を聞き続けた。


(死にた……くない!!)





 時は遡り五時間前。都市部から少し離れた所に設立された孤児院にて、一人の青年の姿があった。名前はシグル。歳は十七であり、もう一回歳を重ねる時はこの孤児院から出ていく時でもあった。


「シグル、ちょっといいかしら」


 マザーと呼ばれている女性に声をかけられ、シグルは振り向いた。マザーはこの孤児院の代表であり、子供達からは母のように慕われる女性である。引き取り手がいないシグルに何か言う訳でも無く、家族として接し続けてくれる彼女には多大な恩があった。

 返せる恩から返したい。それがシグルの望みであったため、マザーのお願い事は出来る限り叶えたいと考えていた。


「何ですか」

「最近の警報についてのことなんだけれど」

「……警報レベル、上がってきていますもんね」

「そうなの」


 百数年程前から、政府は新しい警報を鳴らすようになった。どういうものかはまったく伝えられていないが、内容は主に避難要請の警報であった。レベルによって要求は異なり、最近までは自宅待機・必要があれば避難が求められるレベル3・4ばかりだったのが、一部地域では避難命令のレベル5が鳴らされたのだ。

 避難命令の出された地域は完全閉鎖となり、状況さえも分からない。状況を伝えない政府に不信感を抱いていたシグルは、そんな警報は無視するべきだと考えていたのだが、マザーが酷く気にしていたようなので何も言わなかった。


「もしかしたらこの辺りにもレベル5の警報が出るかもしれないわ。そうなった時、子供達を貴方にもお願いしたくて……」

「当たり前じゃないですかマザー。俺に任せて下さい」


 胸を張って答えたが、シグルの内心では不安もあった。マザーにはいつも世話になっているし、尊敬している。だからこそ、もし万が一のことが起きた場合は俺が守らなければ、と。だが、本当に守りきれるのだろうか、とも考えてしまうのだ。だからといって断るつもりもないが。


「ありがとう、助かるわ」


 微笑むマザーを見て安心感を得る。それと同時に、自分を頼ってくれた事に嬉しさを感じた。自分が頼られているという事実が自信へと繋がっていく。シグルは良くも悪くも単純で、前向きな人間なのだ。


「そういえばマザー、昨日来てた人達なんですけど……」


 シグルが微笑んだままマザーに問い掛けようとしたその時、けたたましいサイレンの音が鳴り響いた。


『緊急警報。緊急警報。19番地の人間は、すぐさま避難を開始してください。これはレベル5の警報です。繰り返します。19番地の人間は……』

「なっ!?」

「貴方達! 早く戻っていらっしゃい!」


 警報に驚くシグルだったが、それよりも早くマザーが行動に移った事の方が驚きだった。

 マザーは普段のおっとりとした様子からは想像出来ない程に素早く、冷静に子供達に指示を出していた。そんなマザーの様子を見てか、庭で遊んでいた子供達も慌てて戻ってくる。


「シグル、子供達を纏めておいて頂戴。私は車を取ってくるわ」

「わ、分かりました」


 マザーに言われて子供達を集める。サイレンにビックリしたのか、泣き出しそうな子を宥める。そんなシグルの脳内には焦りと不安が渦巻いていた。こんなタイミングで本当に警報が発令されるなど、考えてもいなかったのに。


「ね、ねぇシグルお兄ちゃん。私たち、大丈夫だよね?」

「地震とか起きるのか?」

「大きい音やだ……」

「ほら、落ち着け。大丈夫だ。俺とマザーがいるから、皆は怪我一つしないぞ。落ち着いてマザーを待ってような」


 泣き出す子供をあやしながら、他の子も同じようにして落ち着かせる。

 こういう時に一番パニックになりやすいのは、小さい子達よりも少し成長した子供達だ。知識が付き始めた分、自分たちが危ないという状況も理解してしまう。そうして歳上の子達が恐怖すると、それが連動して歳下の子達までもが慌て始める。

 パニックを起こさないためにも、シグルは自分自身を鼓舞し決して焦りを見せなかった。子供達を宥め続けていると、マザーがようやく戻ってきた。


「皆、裏庭にいらっしゃい。車に乗って避難するわよ」

「ほら、皆行くよ。マザーに着いて行って」


 マザーの言葉に従い、シグルは率先して子供達を連れて行った。シグル自身もまだ少し動揺していたが、それでもマザーの落ち着いた声を聞くだけで不思議と心が落ち着くのだ。

 マザーが運転する車は大型のもので、シグルは乗る機会こそ無かったものの何度か見たことがあった。運転席の後ろには何十人もが乗れそうなスペースが存在している。マザーはそのスペースに子供達を押し込むようにして乗せていった。


「シグル、貴方は助手席に座ってもらえるかしら」

「分かりました」


 言われるがままにシグルは車の中に乗り込んだ。初めて見る車の内装に感動を覚えつつ、外の様子を眺めた。既にマザーはエンジンをかけており、いつでも発進出来る状態になっていた。

 マザーが何か操作をしている間、シグルは窓の外をずっと見ていた。青空に散らばる雲も、そのもっと向こうから照りつける太陽も、草原を吹き抜けていく風も、何もかもがいつも通りの風景だ。警報など何かの間違いではないのか、と思ってしまうほどに平和そのものの世界が広がっている。


「よし、動くわよ。皆、しっかり掴まっていなさい」

「は〜い」


 マザーはそう言ってアクセルを踏み込んだ。ヴヴン、という音と共に車が動き出す。警報が鳴ってからここまで、数十分程しか経っていない。シグルは未だに警報の意味を理解していなかった。

 孤児院を出て、暫くは道なりに進んでいた。しかし、マザーが急にハンドルを切ったことで景色が変わった。

 シグルは一瞬何が起こったのか分からず、目の前をチカチカとさせる。だが再び視界がハッキリ戻った時、あんぐりと口を開けてしまった。


「な、何が起きて……!」

「あぁ、気づかれた!」


 枯れ草が生い茂っていたはずの田舎道は、一瞬の間に雪道へと姿を変えていた。轟々と激しい音をたてながら雪風が車を叩く。突然の変化に、シグルは驚きが隠しきれなかった。


「マザー、これは一体」


 シグルの問いには答えず、マザーはアクセルを思い切り踏み込んだ。車は雪の上を滑るようにして加速する。タイヤが空回りしているのか、ガリガリと嫌な音が聞こえてきた。

 そして次の瞬間、ガクンッと車体が揺れた。どうやら急な坂道を下っているらしい。凄まじいスピードで下っていくため、車が激しく上下に揺れている。あまりの速度にシグルの口から悲鳴が漏れた。後ろからもきゃあと言う声が聞こえる。


「み、皆掴まってろ!」


 シグルは慌ててシートベルトを掴み、身体に固定した。それからすぐにまた大きな衝撃が走った。タイヤが回る音は聞こえるのに、外の景色が一切変わらない。


「マ、マザ……」


 シグルが異変に気づいたその瞬間、フロントガラスに大きなヒビが入った。バキバキと嫌な音を立ててヒビが広がっていく。


「ひっ! 何が起きてるんだ!」

「早く車から降りて! 早く!」

「はい!」


 マザーに言われて急いで外に出ると、すぐ後ろにいた子供も出てくる。シグルはすぐに車から離れ、他の子も同じように離れさせた。

その直後、車が爆発した。耳をつんざくような爆音が鳴り響き、辺り一面に黒煙が立ち込める。シグルは思わず顔を背けてしまうが、その煙の中から飛び出してくる人影を見た。


「あ……あ…………」

「マ、マザー……?」


 炎を身にまとい、黒く爛れた『ナニカ』が覚束無い足取りで歩いて来る。それは紛れもなくマザーだった。だがその姿はまるで化け物のように変わり果ててしまっている。

 シグルは呆然と立ち尽くし、動けずにいる。他の子供達も同じく、その場から動こうとはしなかった。ただマザーの姿を見て怯えることしか出来なかったのだ。しかし、車から伸びてきた何かによってマザーが引きずり戻されたことにより、シグルは理性を取り戻した。


「っ、逃げるぞ! お前ら走れ!」


 シグルは叫び、子供達の手を引いて走り出した。マザーのことなど気にする余裕などない。今はとにかくあの場から離れることが最優先だ。

 シグル達は必死になって逃げた。どこに向かって走っているのかなんて分からないし、どこに行けば良いかも分からない。それでもシグルは子供達を連れて逃げ続けた。しかしこんな大雪では素早く動くことなど不可能だ。雪に足を取られて上手く進めない子もいる。そんな子達の手を引きながら走っていたせいか、シグルの体力にも限界が訪れた。息が上がり、足が思うように動かない。


「はぁ、はぁ……」

「お兄ちゃん、大丈夫……?」

「俺は平気だから、先に行け……!」


 心配そうにシグルを見つめる子供を突き放すように言うと、シグルはその場に座り込んだ。もう立ち上がる力さえ残っていない。


「でも」

「いいから早く!」

「おにっっっ、ぎ、あ」

「…………は?」


 ポタポタとシグルの顔に何かが掛かる。頬を拭った手を見ると、真赤の液体が付いていた。

 恐る恐る視線を上げると、そこには胸元を真っ赤にした子供の姿があった。血を流しながらシグルの方へ手を伸ばそうとしてくる。しかしその手がシグルに触れることはなかった。

 ドサッと音をたてて子供は倒れ込む。白い雪に赤い血がゆっくりと滲んでいく。


「は、え、何、なんで」

「きゃぁー!」

「痛い痛い痛いぃ!!!」

「助けて! だずげでおに」


 次々と子供達が殺されていく。シグルはそれを何も出来ずに見ていることしか出来ない。恐怖に身体が震え、涙が溢れ出す。駄目だ、動かないと。守らないと。マザーに頼まれたのに。俺は、何で見てるだけなんだ。動け、動け、動け!!









 そして最初に繋がる。

 悲鳴と轟音が響く中、シグルは混沌に背を向けて逃げ出した。守るために動かすはずの手足は、シグルを逃がすためだけに動いている。守りたいとか、恩を返すだとか、己の生命の前では霞んでしまうような小さなことを気にしていられるほど彼は強くなかった。


(死にたくない)


 乗ってきた車が破壊音とともに転がってくる。火達磨になった車はシグルの背を照らした。ギチギチと未知の音が聞こえる。


(死にたくない)


 振り向かずに走る。全力で走っているのに、慣れない雪のせいか上手く走れない。身体が想像より重い。

 何かが空気を斬る音がした。それと同時にシグルの左頬に熱が宿る。流れてくる液体を確かめる余裕は、今のシグルにはなかった。


(嫌だ、死にたくない)


 爆発音と同時に背に熱が走る。衝撃に耐えきれずに地面に倒れた。手足の感覚は既にないが気合いで立ち上がる。足をもつれさせながらも必死に前に前にと進んでいく。


(死にたく……)


 自分以外の何かが雪を踏みしめる音がする。その音がどんどん近づいてくる。振り返らずとも分かる。止まってはいけない。もっと早く、もっと、もっと!


(死にた……くない!)


 しかし現実はそう易しくない。何とも言えぬ音と共に、シグルの胸を鋭利な何かが貫いた。ゴボ、と口から血が溢れ出る。痛みと言うよりも強烈な熱さを胸に感じ、シグルは膝から崩れ落ちた。しかし視界は上に上にと上がっていく。胸を貫いた何かがシグルを持ち上げているのだと、遅れながらにシグルは気づいた。


(いや、だ。死にたくない、やだ、いやだ)


 何メートルも上に上がっていく中、シグルは霞む視界で下を見下ろす。血塗れで転がる子供達に、真っ黒に固まった何か。車は今もなお炎に染まり、熱を帯びている。本で見た地獄絵図というものに似ているな、とシグルは思った。


(あぁ、いやだなぁ……俺、死ぬんだ)


 そう思うと何故か笑いたい気分になる。だが笑うことは出来なかった。口を動かすことすらままならないのだ。


(俺、最期まで自分のことばっかだ……)


 マザーのことを考えることも出来なかった自分が酷く滑稽に思えた。でもそれで良いのかもしれない。自分は所詮そんな存在なのだから、とシグルは薄れゆく意識の中で考える。そういえば、こんなこと前にもあった気がする。


(俺は……ここに来るまで…………)




 数秒ほどに感じる暗転。

 次に目が覚めた時、シグルは雪の上に転がっていた。


(は、何、何で、俺生きて)


 その時、甲高い断末魔が耳に飛び込んだ。周りを見たくても、身体が上手く動かない。瞼を開けているのも精一杯なくらいに身体が疲弊しきっている。


(何が起きているんだ)


 少しすると、シグルの耳に何かが引き摺られるような音が聞こえてきた。段々と近付いてきており、そしてそれはシグルのすぐ側で止まった。

 誰かが、シグルの目の前にいる。シグルはそれが誰なのか確かめようと必死に瞼を持ち上げた。


「えっ、この子生きてるじゃん! モルガナ〜! こっち来て〜!」

「嘘でしょ!? すぐそっちに行くわ!」

「腹に穴空いてんのにすげーなコイツ。生命力だけならガルーダ並じゃん」


 女の声が二つ、男の声が一つ。シグルはその姿を目に映そうとするが、ボヤけてしまい上手く見ることが出来ない。


「やばっ、気失うかも」

「しっかり! 私達のこと見えてる?」


 見えているけど見えない、なんて口にも出せない。段々視界は白くなり、やがて黒く染まっていく。何か言われていることは分かるのに、何と言われているのかが聞き取れなくなってきた。

 シグルはそこでまた暗転した。

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