第1話 異世界の迷い人
初めて書いた異世界転移もの小説です。
「……ここは?」
青年が瞼を開けると、レンガ造りの建物が道の両側に並んでいた。
地面には石畳の道が果てしなく続いて、路肩には果物や民芸品を売る人々が、石動青年に手招きする。
―――彼らが何を言っているのか、さっぱりわからない。
いきなり訳の分からない場所に来てしまった石動は、心の動揺を落ち着かせるべく、冷静に頭の中を整理した。
「髪が伸びてるから、切っておいで」
と母親から促され、近所の大型スーパーで髪を切った。
髪を切ってもらう間、店員との無言の気まずい時間が、嫌に長く感じたのを覚えている。
そして電気屋に向かい、何を買うわけでもないのに、漠然と家電製品を眺めて……そこからの記憶が曖昧でハッキリしない。
記憶にモヤがかかったようで思い出そうとすると、頭がキリキリと痛むのだ。
いったい俺の身に、何が起こっているのか。
脳の処理が追いつかず、立ちつくしていると
「石動祐。元の世界でずいぶん苦しんだみたいだな。ヴォーテゥミラ大陸は迷える君たちのための世界―――一度きりの人生なんだ。もっと楽しめよ、石動」
透き通るような美声が頭に響いて、その謎は更に深まる。
この声の主が、自分をここに招いたというのだろうか。
何から何まで、不可解なことばかりだ。
(……気でも狂ったのかな。ハハハ)
どうしようもなく苦笑していると、端正な顔立ちの自他に厳しいであろう性格のキツさが顔に現れた女性が、石動を睨みつけた。
艶やかな黒髪に革鎧、腰には剣を携えている。
―――間合いに入ったら切られてしまう。
肌感覚で、彼女が危険なのが伝わってきた。
(……なんなんだ、この子は。関わりたくないし、目を合わせないようにしよう)
険しい表情をする女の子の迫力に圧倒され、石動はうつむきながら、見慣れない異世界をあてどなく彷徨う。
どこに向かうのか、どこに向かえばいいのかすらわからない。
今までの自分が送ってきた人生のようだ。
「……あ、すいません。お怪我はないですか」
目的もなく歩いていると、ふと肩がぶつかってしまう。
やってしまった。
顔を上げると、そこにはさきほど石動を睨みつけた少女の姿があった。
「ちょっと、しっかり前を見て歩きなさいよ……って、挙動不審な男じゃないの」
(君だって前方不注意だから、ぶつかったんだろう。悪いのは、お互い様なんじゃないか? その言い方はないだろう)
喉まで出かけた不満を飲み込むと、その場を穏便に収めるべく、彼はひたすら謝り続ける。
「以後、気をつけます。すいませんでした。」
「もしかしてわざと?! ほんと最悪」
少女は苛立ちを隠そうともせず、言葉を続ける。
そういえば男性が女性だけを狙ってぶつかる事案を、耳にしたことがある。
とはいえ大半の男性は、わざとぶつかったのではなく、今のようにたまたまぶつかってしまっただけだろう。
しかし、わざとぶつかられたと認識するかは、ぶつかった相手次第だ。
「あんたみたいな男、存在自体が迷惑なのよ。なんで、あんたみたいのが生きてるんでしょうね」
「……そうだね」
僧でもない自分は、霞を食べて生きている訳ではない。
無職の自分が生活していくには、金がかかる。
生きているだけで両親に、姉に、迷惑がかかる。
(……それは俺自身が一番よくわかってるんだよ。でも、どうしようもないんだよ)
彼女の八つ当たりに、石動は心の中でしか言い返すことができなかった。
「好き放題、僕にイライラをぶつけて満足したかい。じゃあね」
石動が喋った時には、少女の姿は既になかった。
(……なんだったんだ。まぁ、いいや。どうでもいい……)
視線を落とすと、GUILD CARDの英文字が刻まれた。
先ほどぶつかった衝撃で、彼女が落としたのか。
CARDの文字がカードだと理解したが、その前の単語がわからず、石動は眉間に皺を寄せた。
声に出せば、どんな言葉か把握できるかもしれない。
何度も何度も、カードに書かれた文字を読み上げてみた。
「グゥイルド、グゥイルド……ああ、ギルドカードって読むのか。どこかの組合に所属している証、社員証みたいなものかな」
得心した石動は頷くと
(性格がキツくて嫌な感じの子だったけど、失くして困ってるのかな……)
心の中で、名も知らぬ彼女に思いを馳せる。
見失う前に早く届けないと。
良心がそう訴えたが、その瞬間もう一人の自分が―――悪魔が囁いた。
(……所詮は赤の他人。あの子が困っていようが俺にはどうでもいいことだ。しかも、いきなり罵倒してきたし)
辛辣に当たってきた人間に、親切にする必要などあるのだろうか。
さきほどの出来事が、まだ心でくすぶっていた。
「盗んだと思われるのも心外だし、彼女の元に届けてあげた方がいいか……」
ふと口にした言葉で、悪魔の誘惑に負けそうになった心が揺れ動く。
彼女を許したわけではないが、困っているなら助けてあげよう。
まだ彼女が近くにいるかもしれないと周囲を見つめると、周囲の人々の口角が何故か不自然に吊り上がっていた。
石動と目が合うと、彼らはヒソヒソと内緒話をし始める。
(なんだ。俺を見て嗤ってるのか? 違う、ただ談笑してるだけだ。そうだ。俺の頭はおかしくなんてない!)
理性で込み上げる不快感を抑えつけようとするも、胸の鼓動はどんどん激しくなっていく。
何を言っているのかは定かでないが突き刺さる視線に、まるで自分が責め立てられているかのように感じた石動は、恐怖のあまりその場を走り去った。
(……うぅ、怖い。いきなりこんな場所に来ちゃうし、知らない子に罵られるし、俺が何をしたっていうんだ。夢なら覚めてくれ)
度重なる災難に彼は背中を丸めて、なるべく目立たぬように努めた。
再度ギルドカードを見返すと、隅に太陽と三日月を模したような、特徴的な模様があるのに気がつく。
周囲の看板を見渡しても、似たような模様は一切ない。
(……この模様が目印の施設を探せば、彼女がいるかもしれないな。辺りを探してみよう。視線は無視だ、無視)
自分に言い聞かせながら、辺りを見渡す。
だが街の看板に、同じ模様は見つからない。
声のした方を向いてみると日本語を話す、金髪に黒エプロンのウェイトレスの少女を見かけた。
快活で人当たりがよさそうだが、腹の底で本性を隠しているのが人間だ。
おどおどした変な奴と、思われないか。
話しかけて陰口を叩かれないだろうか。
(でも、この機会を逃したら……他に日本語を話せる人がいないかもしれないし)
何度も何度も生唾を飲み込んで、。
「え、ああ、その……ちょっといいですか」
「どうかしましたか?」
話しかけられた少女は嫌がる素振りも見せず、聞き返す。
どもってしまったが急かされることも、笑われることもなく、安心して言葉を紡げた。
「お、落とし物を拾ったので本人に届けたくて。これを発行している場所、どこか知りませんでしょうか?」
「ああ、それ。冒険者ギルドの模様ですね。ギルドの場所はね~、ずっとまっすぐに進むとありますよ。すごい特徴的だから、着いたら、まず間違えないと思う」
落し物を見せて訊ねると、その少女は快く応じてくれた。
見ず知らずの赤の他人の自分を助けてくれたことが、なんだか無性に嬉しく、胸がほのかに暖かくなっていく。
人間も捨てたものではない。
「忙しいところ、ありがとうございました。失礼します」
頭を下げて礼を言うと
「いえいえ、お互い様ですよ~。よかったら、ウチの店をご贔屓に~」
眩しい笑顔を向けて接客する。
(いい人で助かったな。心の中でバカにしたのを反省しないと……お金が手に入ったら、ここで食事しよう)
目標が決まって、石動の体に少しだけ生きる活力が沸いた。
好きな雑誌やゲームの発売日。
そして今のような、誰かにいつか恩を返すため。
様々な理由で、死ぬのを先送りにしてきた気がする。
こんな自分に親切な人もいるのだ。
(いつか恩返しを……いつかって、いつになるんだよ……)
自己嫌悪の感情に苛まれながら、石動は冒険者の組合に向かっていくのだった。
数分後
「なんじゃこりゃ」
冒険者ギルドを見た石動は、自分の目を疑った。
火が、水が、レンガの建物の出入口の宙を浮いていた。
火と水は、人が通ろうとする度に施設の利用者に近づいていき、冒険者を驚かせた。
まるで心があるかのようだ。
しかし何故か石動が通ろうとした際には、その火と水は、彼に近寄ろうともしなかった。
(……なんなんだろう、嫌われてるのかな。それとも他に理由が?)
疑問に感じたが、そんなことに時間を費やす暇はない。
足元はタイル張りで、滑りやすい。
出入り口近くの掲示板に貼られた羊皮紙には、凶悪そうな怪物や不可思議な植物の挿絵が描かれていた。
魔物を倒してほしい、採取してほしいという誰かからの依頼なのだろう。
甲冑を身につけた男性が、我先にと条件のよさそうな羊皮紙を手に取ると、悪戯っぽく周りに微笑んで近くにいた人々をからかう。
「あれ、ない?! どこに落としたんだろ。もしかして連中に盗まれた?! 〝仮想派〟は本当にろくでもない連中ね!」
怒気を含ませた声が、冒険者ギルド内に響く。
心当たりはあるようだが、彼女の推理は残念ながら不正解だ。
「そこの君、落とし物かい?」
名も知らない少女に呼びかけると、彼女は石動の方を振り返る。
声の正体が先ほど罵声を浴びせた男だと気づくと、剣士の少女は威嚇する獣の如く歯茎を剥き出しにする。
「何よ、私を嗤いにきたの? いい性格してるわね。私は恨みは忘れないの、それを覚えておきなさい」
「……違うよ。用件があって追いかけてきたんだ。これ」
転ばぬようにゆっくり近づくと、カードを差し出す。
「あ、それ」
「ぶつかった時に落としたんだと思う。一応聞いておくけど、君の物だよね?」
確認をすると、そっぽを向きながら彼女はカードをひったくる。
そして
「……ありがとう。冒険者を続けていると、いろいろあってね。無関係なあなたに八つ当たってしまって悪いと思ってるわ」
ゆっくりと心を込めて、石動に謝罪する。
「……そうなんだ」
態度は悪いが、案外根は悪い子ではないのかもしれない。
見た感じ二十歳前後の彼女が、冒険者で生計を立てられるのだろうか。
彼女が身につけた鎧は、小学生高学年の体重くらいの重量がありそうだし、腰の剣も玩具でないなら重いに違いない。
どこに、そんな力があるんだろう。
「反省してくれれば、それでいいから。じゃ、俺はこれで帰るよ」
いきなり見ず知らずの場所に飛ばされて、帰る手段すらわからないのに、どこに帰るというのか。
条件反射で返事した自分を自嘲する。
「もしかしてあなた、ここに来たばかりなの?」
「……」
嘘をついてもしょうがない。
頷いて肯定すると
「なら、ギルドの受付で適正を調べてもらいなさい。結果によっては依頼を斡旋してくれるから。あとこれ」
そういうと英文字の上に日本語のルビが振られた紙の束を、ぶっきらぼうに手渡した。
どうやら英語を日本語に訳したものらしい。
この世界でも、共通言語は英語のようだ。
「文字がわからないと不便でしょう。私にはもう必要ないから、あなたにあげる」
「恩に切るよ。本当に何もわからなくて……」
「勘違いしないで、他人に借りを残すのは嫌なのよ。用事も済んだし私は失礼するわ。じゃあね」
感謝の言葉も受け取ろうとせず、その場を立ち去る。
良くも悪くも感情をありのままぶつける、竹を割ったような性格の彼女と話すと、心に爽やかな風が吹いたような気がした。
「……名前を聞き忘れちゃったな。貸しができたのに」
手に持った紙を眺めて、石動が呟いた。
―――彼女とはまた出会えそうな気がする。
彼女にばかり、構ってはいられない。
まずは自分のことをやろう。
「ええと、すいません。適正について調べてもらいたいのですが。言葉、わかりますか?」
「はいは~い。了解でーす」
ゆるい話し方をする分厚いレンズの眼鏡をかけた、ローブを纏う女性が応答してくれた。
「では、ついてきてくださ〜い」
奥の部屋に案内されると、たいまつとなんの変哲もない鏡があるだけの空間に着いた。
「鏡の前に立ってくださいね。すぐ終わるので緊張しないで~」
間延びした職員の声のお陰か、少しづつ肩の重荷が取れていった。
宗教的には火は真実を照らす、不浄を払うのだと聞いたことがある。
鏡は異世界の入口だったり、日本では天照大御神が天岩戸に籠った際、彼女を岩戸の外から出すのに使用されたり、不思議な話には事欠かない。
儀式的な意味合いとしては
〝火が不浄を浄化して、鏡が穢れなき真実の心を映す〟
といった所だろうか。
こういった儀式は、その地に根付いた風習と密接に繋がっていたりする。
本当に民族学というのは、奥が深い。
火を見つめていると、自然と心が安らいでくる。
色々と考察していると職員の彼女は
「悪魔、昆虫、破壊、混沌。なるほど、なるほど……石動さんは面白いですね~」
と、半笑いで喋り出す。
なんだか小馬鹿にされているような気がして、石動は顔を歪めた。
昆虫も昔のヨーロッパ―――今の異世界のような国では、悪魔と扱われていた。
不穏な単語ばかりが並んでいるが、これらの言葉が適正に関係しているなら、適正をある程度は推察できそうだ。
(ソロモン72柱、ゴエティア、レメゲトン、ヌクテメロン、タロットカードの15番。黒魔術師や占い師か。いや、一神教の神々にとっては他の宗教の神々は全て悪魔か。考えれば考えるほどドツボにはまるな。結果が出るまでゆっくり待とう)
考えるのをやめようとしても、一度考えてしまうと、頭は悪魔のことで一杯になった。
そうこうしていると、あっという間に時間が過ぎていき、眼鏡の女性職員が口を開いた。
「結果がでましたよ。ええと、石動さんの適正は悪魔交渉ですね。おお、珍しいですね~。すごいですね〜」
「あ、あくまこうしょう?」
驚きのあまり、棒読みで彼女に言われた言葉を反復する。
石動の頭上に疑問符と同時に浮かんだ、悪魔交渉の四文字。
職業の名前には聞こえない上、そもそも何の役に立つのかすら理解不能だ。
「ええと、それは具体的に何をするんですか?」
「悪魔を呼び出す術者の代理人などをやる職業ですね。仕事の依頼自体は少ないですが高給な職業ですし、一部の物好きな方々から羨望の眼差しで見られますよ」
「物好きな方?」
「ええ。それはそれは物好きな方々から」
素朴な疑問をぶつけると、受付の女性は含みを持たせた言い方で、明言するのをはぐらかす。
創作に生かせないかと思い、六法全書のような悪魔の辞典を読み込んだ時期がある。
その経験があったからこそ、悪魔交渉の適正なのか。
しかし本当に自分にもできる内容か、考えてしまう。
高給ということは、それだけ誰もやりたがらなかったり、危険が伴う職業に違いない。
不安に駆られたが決定回避の法則といって、選択肢が増えれば増えるほど迷いが生じると言われている。
(よくわからないけど……選択肢がこれしかないなら、悪魔と交渉するのが俺の生きる道なのかもしれない)
「まず意思疎通ができないと、どうにもならないのですが。依頼の際には、通訳してくれるような人を派遣してくれませんか?」
恥を忍んで訊ねた。
「大変申し上げにくいんですが、今の所は悪魔関連の依頼はないですね。すいません」
「……そうですか。無一文なんですが、これからどうしたら」
髪を切るようにと母親から手渡され、余った硬貨を握り締める。
無論こんな物が、異世界の通貨として使えるはずもない。
今の状況が遠くない未来を暗示しているようで、胸が痛くなる。
「それについては安心してください。冒険者をみすみす死なせるほど我が国、フィリウス·ディネ王国の人間は馬鹿ではありませんよ」
「……え」
「石動さんのような方のために、冒険者専用の宿屋を用意してあります。冒険者として登録をすると施設をご利用いただけるので、まずはギルドカードの発行をお願いします」
受付の女性に言われるがまま、手続きを済ませた。
剣士の彼女にギルドカードを渡していなければ、路頭に迷っていたのは想像に難くない。
それだけではない。
酒場で働く女性は親切に道案内をしてくれたし、受付の女性職員も仕事とはいえ嫌がらずに接してくれた。
いつか彼女たちに、ほんの少しでも感謝の気持ちを返してあげられるだろうか。
人と人を繋ぐ奇妙な縁に救われたと、心の底から感じられた一日だった。
自分は昆虫や動物、悪魔、ファンタジーRPGが好きなんで、それを全部詰め込んだ小説にしていくつもりです。




