第1発 初めての消滅
面白みのない授業が終わって放課後になると、新城 真は自慢の彼女を誘って近くにあるカフェに行くことにした。このカフェは2人がよく行く店で、コーヒーを飲みながらだらだらと会話するのにぴったりの場所だった。
「コーヒーを2杯。どっちもホットで」
彼らは窓際の席に着き、店員にいつも通りの注文を頼んだ。新城の向かいの席に座っている姫川 なぎさはふうとため息をつき、頬杖をついて外の景色を眺めていた。
新城は経験上、こういうときの彼女が死ぬほどめんどくさいことが分かっていた。ご機嫌斜めの彼女にはあまり関わりたくないのだが、そうすると明日にはさらに機嫌が悪くなってしまう。だから、おとなしく愚痴を聞くのが得策なのだ。
「なんだよ、どうした?」
彼が意を決してそう聞くと、なぎさは再びため息をついて新城の方を向いた。そうすると彼女の白くてきめ細やかな肌がよく見える。柔らかそうで思わず触れたくなってしまう新城だったが、無許可でやると今日はまず間違いなく怒られてしまう。衝動を抑え、言葉を待った。
「いや、実はさ、最近なんかうまくいかないんだよね~」
聞きなれた出だしであった。彼女はここから滝のような勢いで愚痴を言うのだ。
「バックハンドがぎりぎりでアウトになるしネットに引っかかるし、明とはなんか上手くいかないしでもううんざりだよ~」
「マジか。それは大変そうだな」
彼はうんうんと頷きながら真剣に話を聞くふりをしていた。こういうのは解決策を提供しても機嫌を悪くするだけ。変なことは言わずに共感しておけば勝手に機嫌が直っていくものだ。
「大体さ?私が告白されたからって目の敵にするのはおかしいと思わない?別にモーションかけたわけじゃないんだよ?普通に話してただけだしさ?ていうか彼氏持ちに告白するのもおかしいし、恨まれても困るんだよホント」
「まあ、そうだよなぁ」
適当な反応をしつつも、新城は内心驚いていた。というのも、一ヶ月前にも同じ話を聞いていたからだ。
一ヶ月前、柳 裕二というなぎさと同じテニス部に所属している男が彼女に告白してフラれた。そこまでならよくある話だが、厄介だったのが彼女の親友である勝本 明がその柳のことを好きということだった。おかげでなぎさは勝本から妬まれ、微妙な関係になってしまったのだという。
(まだ仲直りしてないのか……)
恋愛が絡むとどんな強固な友情も脆いものである。どこかで聞いたその言葉を新城はまさに今、実感していた。
それからも話を聞いていると、店員がコーヒーを持ってそれをテーブルの上に置いた。そうするとなぎさはすぐさまコーヒーを片手に取って飲み始めた。彼は長ったるい愚痴が一時中断されたことにほっとし、店員に感謝した。だが、安息の時間は続かない。飲み終えるとまたすぐに愚痴を再開し始めた。
(まだ聞かされるのか……)
新城はかなり憂鬱になりながら、気づかれないようにため息をついた。
結局、その後も愚痴を聞かされ続けてクタクタになってしまった新城は彼女と別れ、決して広くはない自分の家にたどり着いた。
(今日はしんどかったな……)
彼女の愚痴は聞いているだけで気が重くなってくる。ついでに身体も重くなってくる。早く帰ってゲームをしようと思い、鍵の置いてある庭へと向かった。
彼は小学生のころに鍵を無くして以来、持つことを禁止されて鍵を植木鉢の陰に隠すようになったのだ。高校生になっても未だに鍵を持たせてもらえない。
(もう子どもじゃないってのに……ん?)
イライラしながら鍵を取った新城だったが、そこで少しばかり違和感を覚えた。だが、なんとなく感じるだけで違和感の正体がなんなのかまでは分からなかった。
(まあ、いいか)
すぐにどうでもよくなり、彼は家の扉を開けて二階にある自分の部屋に入った。なんだかイライラするのでゲームでもしてストレス発散しようと思っていた新城だったが、ふと自分の机に見覚えのない異物があることに気づいた。黒いジュラルミンケースが机の上に置いてあったのだ。
(なんだ……これ?)
疑問に思って手に取ってみたり、耳を押し当てて中の音を聞いてみたりしたが、特に何かがあるわけではなかった。しかし、そうは言っても怪しいものであることに変わりはない。そもそも部屋にこんなものが置いてある時点で警察に通報するべき事案だ。しかし……。
(気になる……)
やはりどうしても気になるのはその中身だった。少し見るくらいなら大丈夫だろう。恐怖を抱きつつも好奇心には勝てない。新城はゆっくりとジュラルミンケースを開いた。
(え……)
そこに入っていたものはピストル、6個の小さな球体、ホッチキスでまとめられた2枚の紙だった。恐る恐るピストルを持ってみると、思いのほか軽かった。ピストルの上の方についていたボタンを押すと、銃弾を入れるシリンダーが出てきた。新城は実物のピストルを見たことなどないが、全体的になんだか安っぽいつくりのように感じた。
次に球体を見てみたが、BB弾のようなものにしか見えなかった。試しに弾を1つシリンダーに入れようとすると、かなりすんなり入った。
彼はジュラルミンケースに入っていた最後の品物、3枚の紙を手に取った。1枚めくると、大きな文字でこう書かれていた。
【消滅銃と消滅弾の取扱説明書】
(取扱説明書?)
気になり、さらに紙をめくった。
【この消滅銃に消滅弾を入れて人に撃って当てると、撃たれた人物は消滅する。消滅とはその人物が最初からいなかったことになるということである。】
※ここから、消滅した人物を『消滅者』と呼び、消滅させた人物を『抹消者』と呼ぶ。
(消滅?抹消?……最初からいなかったことになる?)
不穏なワードが続くが、それがますます新城の好奇心を増大させる。彼はさらに読み進めることにした。
消滅弾は消滅銃に込めなければ効力を発揮しない。
消滅銃の上部のボタンを押すと、消滅弾を装填できるシリンダーが出現する。
消滅銃を人以外に撃っても効力を発揮しない。
服や装飾品に当てても、人が身に着けているのならその人物は消滅する。
人に当たらなかった場合、発射された消滅弾は消滅する。
消滅者に関するあらゆる記録、記憶はこの世界から消えてなくなる。
ただし抹消者のみ、消滅者に関する記憶を保持する。
消滅によって過去や現在も変動する。
抹消者は過去や現在がどう変動したのかを記憶しない。
消滅銃を撃っても発砲音は出ない。
消滅銃に消滅弾が1発でも装填されていれば、不発にならない。
安全装置は搭載されていない。
消滅銃と消滅銃はいかなる手段を用いても破壊できない。
(………………)
説明書を読み終え、新城はピストルと弾を見た。そして、この日一番の笑い声を上げた。正直、荒唐無稽としか思えない。この銃で人を撃てばその人物がいなかったことになるなんてあり得るわけがない。殺傷能力もないそこそこの出来のおもちゃにすぎない。
彼は手の込みすぎた悪戯だと判断して、その日を普通に過ごした。あまりにも馬鹿馬鹿しくて警察に通報することを考えることもなかった。
次の日。新城は学校に行くための準備をしていた。鞄に必要なものを詰め込み、制服に着替え、髪を整える。一通り終えたあと、ふと机に置いてあるピストルに目を向けた。改めて手に取って確認してみる。一晩経っても、そんな大したものには見えない。
ただ、やはりそれには興味をひかせる何かがあった。少し考えて、彼はピストルを鞄に入れることにした。鞄に学校には必要ないものを入れていると、なんだか妙にワクワクしてくる。非日常感を感じさせてくれるのだ。
気分が良くなった新城はそれから玄関まで行き、その扉を勢いよく開けた。
登校するために使う電車はいつも混んでおり、もちろんこの日も人ごみであふれかえっていた。全方位から圧力を感じるので非常に窮屈なのだ。空気まで薄く感じる。新城はこの満員電車が何よりも苦手で嫌いだった。自由に身体を動かすことができない苦痛は何よりも耐えがたいものだった。今朝の上機嫌もどこかへ吹っ飛ばしてくれる不快さだ。携帯もいじりにくいので、彼はとりあえずいつも通りにぼぅっとすることにした。
しばらくそうしていると、左斜め前にいる女子高生が不自然に身体を揺らしていることに気づいた。妙に思って観察してみると、その女子高生の後ろにいる40代くらいのハゲかかった肥満体形の男が彼女の身体に手を押し当てていることが分かった。それを見てすぐに彼は状況を理解した。
(うわぁ……痴漢かよ)
初めて見るその異様な光景を新城は気持ち悪く感じた。隣にいる痴漢に生理的嫌悪感を覚えて仕方がない。彼は辞めさせるべく、その手をつかもうとした。
手を伸ばしかけ、不意に鞄の中に入れておいたピストルのことを思い出した。人が消滅すると信じているわけではない。しかし、万が一消滅するとしたら消滅してもいい人間を対象にするべきだ。そんな人間なんてニュースでしか普段は見ないが、今は手の届く距離にある。実験体にはちょうどいいのではないか。もし効力が無かったとしても大ごとにはならないだろう。音もしないし、この人ごみなら撃ったことも気づかれることはない。好条件が揃っている……。
心臓を高鳴らせながら、無理やり鞄からピストルを取り出した。弾は1発入れてあるので説明書通りなら必ず発射する。標的と密着している状況ならまず外すことはない。新城はピストルを鞄で隠して痴漢へと銃口を向けた。
この引き金を引けば、いったいどうなるのだろうか。本当にいなかったことになるのか。やっぱりただのおもちゃなのか。ワクワクとドキドキで胸がいっぱいになりながら、震える手で引き金を引いた。
彼の視界は真っ白になった。
しかし、それはほんの一瞬のことで、気づけば先ほどと同じ光景が広がっていた。
(え?なんだ?)
引き金を引いた瞬間、何もかもが消え失せて世界が真っ白になった気がしたが気のせいだったのだろうか。それとも自分にしか見えない光景だったのか。それに撃ったあの男は?
新城は男の安否を確認するべく左を見た。だが男の姿は見当たらず、そこにいたのは先ほど男に置換されていた女子高生だった。彼女は何事もなかったかのように英単語帳を開いていた。
(あれ?)
不思議に思って左右を見回してもどこにも痴漢の姿はない。ついさっきまでいたはずの人物は忽然と姿を消してしまった。そして、そのことに疑問を持っていそうな人も見当たらなかった。まるでそんな人物は最初からいなかったかのようだった。
(いや、ありえない!そんなはずはない!)
彼は目的の駅に電車が到着するとすぐに駅にあるトイレの個室へと入った。痴漢がいたことは自分が寝ぼけて見ていた夢、いや昨日ピストルが自分の部屋にあったところから今まで全て夢だったのだ。
鞄を開いてそれを確認しようとする。昨日ジュラルミンケースの中にあったピストルが入っていた。夢ではなかった。昨日起こったことは夢ではない。ならば……。
ボタンを押してみると、シリンダーが出てきた。新城は何かを願うようにそれをゆっくりと覗いた。
何も入っていなかった。