第68話 リトアさんに報告した
その夜……屋敷に帰った俺は、早速リトアさんに聞いてみることにした。
「リトアさん。一つ聞きますけど……ネルザイア病の年間発症者数って、どんくらいなんすかね?」
「ネルザイア病……ああ、この地で今くらいの季節から流行りだす風土病ですよね。……ちょっと待ってください」
リトアさんはそう言うと、引き出しからいくつかの資料を取り出してパラパラとめくり始めた。
「昨年は9778人……一昨年は9696人……その前の年は10848人……まあ平均一万人といったところでしょうか?」
「なるほど……」
それを聞いて……俺はようやく、エリクサーの生産量が十分過ぎるくらいだと実感できた。
良かった。五日ちょいの生産量で、年間の全患者に支給できるじゃないか。
「……何でそんなホッとしてるんですか」
などと思っていると……そんな心境の俺の様子を変に思ったのか、リトアさんはそう言って首を傾げた。
それに対し、俺は一から時系列を追って簡潔に説明することにした。
「実は数日前、視察を兼ねて街に出てた時にネルザイア病発症者に遭遇してから……とある装置を開発してまして。ちょっと見に来てもらっていいっすか?」
俺はそう言って、リトアさんを屋敷の中で一番広い部屋に連れてきた。
そしてそこで、自分用特殊空間からエリクサー生成装置を取り出して見せる。
「……何ですか、これ? ユカタ様のことですし……まさか、ネルザイア病の特効薬とか?」
するとリトアさんは……装置から出てきた液体を、ネルザイア病の特効薬だと思ったようだ。
残念ながらそれは……ある意味正解だが、半分間違いだ。
たしかにそういう目的で作った薬ではあるが、汎用性が特効薬の比ではない。
「これ……エリクサーの生成装置っす。量産可能にしようと思って開発したところ……一時間あたり八リットル生成できる装置ができました。ホッとしたのは、ネルザイア病患者の数より支給できるエリクサーの本数の方が大幅に多いと分かったからっすよ」
すると……リトアさんの目が点になった。
「エ、エ、エ、エリクサーが……一時間あたり八リットル? 何なんですかそのデタラメな装置は!?」
平時の仕事の際の冷静さは、見る影も無い。
「空軍といいこれといい……ユカタ様と錬金老師様が組むと、かつての常識が次々と意味を成さなくなって行きますね。しかし……それにしても、なんでネルザイア病患者を見て、エリクサーの量産に踏み切ろうと?」
「それしか自分の頭で理解できる根治療法が無かったんで」
「専用の特効薬を作るより、エリクサーを作る方が簡単だなんて……。本当に規格外な人の前では、あらゆる事柄の難易度があべこべになるんですかね……」
いや、鑑定の読解の難易度順という意味では、誰が見ても「エリクサーを飲ませる」が一番単純明快だと思うけどな。
そう思いつつも、リトアさんはほとんど放心状態みたいになってしまったので、その言葉は直前で飲み込んだ。
そして……リトアさんが落ち着きを取り戻すまで、10分くらいの時間を要した後。
俺たちは、今後生産され続ける大量のエリクサーをどう扱っていくか、その方針を話し合った。
「まず……ネルザイア病発症者には、全員に無償で提供しましょう」
「む……無償ですか!?」
最初に俺がそう提案すると……リトアさんは愕然としたようにそう聞き返してきた。
「いくらなんでも、エリクサーを無償は無茶苦茶過ぎませんか……」
「そんなこともないっすよ。この装置、ランニングコストかからないですしね」
リトアさんが反対したのは、おそらくエリクサー生成にかかる経費の回収について考えているからだろう。
そう思い、俺はまずその必要がないことを告げた。
流星魔獣の卵白を利用することにしたことで……本来かかるはずだった、装置の管理コストすらゼロになったからな。
生み出すものの価値に比べたら無視できるレベル、とかでもなく正真正銘の「ランニングコストゼロ」なのだ。
この事実は、エリクサーの無償配布を可能にする根拠としては十分……いややはり、輸送費分を回収できるくらいの値段設定にはするか?
などと考えていると、リトアさんはこう意見を述べた。
「これほどの装置がランニングコストかからないって、もはや反則ですね……。とはいえ……流石にエリクサーの無償配布は、前衛的過ぎるのでは?」
どうやらリトアさんは、そもそもエリクサーの無償配布ということ自体がやりすぎだと思っている様子だった。
だが……俺だって、何の考えも無くこんな提案をしている訳ではない。
ネルザイア病患者にだけは無償にしたい理由は、ネルザイア病という病の性質にある。
「ネルザイア病は、アイスストウムを含めた一部地域のみでしか発症しない風土病です。言わばここの領民は……他地域にはないネルザイア病罹患のリスクを受け入れた上で、ここに住んでくれているというもの。俺は……そんな他地域と比べての『不公平さ』の解消のため、効く薬を無償でと考えているんです」
俺はそう、自分の考えを口にした。
まあその「効く薬」がエリクサーなのが、無駄に事を大きく感じさせる要因になっているのは否めないが。
何にせよ……俺は領民が「この地に住むと決めたが故に余計な健康コストを支払わないといけない」状態にあるのだけは、解消したいと考えているのだ。
そのために動いてきたのだから、ここだけは譲れない線だ。
「た、確かに……そう言われれば、それは一理あるでしょうね。では原則として、ネルザイア病患者は無償でエリクサーの提供を受けられる、としましょう」
熱弁した甲斐あって……リトアさんも、納得してくれたようだった。何よりである。
とりあえず、これで最重要事項は決まったので……あとは、余剰分のエリクサーをどうするかだな。
「というわけで、生産されたエリクサーはネルザイア病患者に最優先で回すとして……それでも大部分が余るんですけど、それについてはどうします?」
「た、確かに……一時間あたり八リットルだと、一万人分なんてあっという間にできてしまいますもんね。となると、残りは……」
リトアさんはそう言うと、顎に手を当てて考えだした。
ちなみに余剰分のエリクサーについては、どう扱うかはリトアさんに一任するつもりだ。
ネルザイア病患者に回すのは当初の目的なので決定事項だったが、俺もダイさんも特に個人的に必要としてはいないので、どう使ってもらっても構わないからだ。
となると、俺が適当に使い方を決めるより、リトアさんの手腕に任せた方が効果的な運用がなされるだろう。
そう思い、結論を待っていると……リトアさんはポンと手を叩いたかと思うと、こう考えを述べた。
「となると、残りのうち一定量は領民特価として市場価格の十分の一で売り、更にその残りを対外的に売りさばくというのはどうでしょう?」
「なるほど……」
確かに、領民を優遇する手段として使うのはアリだな。
そう納得していると、リトアさんは更にこう続けた。
「市場価格の、というのは、こんな量のエリクサーが出回れば確実に価格崩壊が起きるので、値段設定は価格崩壊後を想定して調整しようということです。そして領民特価ですが……購入資格は『アイスストウムに一年以上住み続けた者』としようかと。これで他領からの民の流入と定着を狙おうと思いますが、いかがですか?」
「良いっすね」
俺はリトアさんの案に、二つ返事で賛成した。
俺はそもそもエリクサーの元の値段も知らないし、年間約69000リットルが出回るとどんな価格になるかなんて予想のしようも無いが……まあリトアさんなら、その辺混乱を最低限に抑えるようやってくれることだろう。
領民特価にする量の割合も、さじ加減が難しそうだが……その辺も、的確に計算して上手いことやってくれそうな気がする。
そういう処理をうまくやってもらうために、わざわざ国王に凄腕の当主代理をつけて貰ったんだからな。
分配のコンセプトは文句なしだし、あとは気を楽にして成り行きを見守るとしよう。





