シェフリア眼鏡
今日も昼間から裏庭で寝そべる狼……ニテル。
俺の知る限りほぼ一日中横になっている怠け者だ。
最近うちのギルド員達はというと、ニテルに躾をすべく暇があれば裏庭にやって来てはワイワイするのが日課になりつつある。
俺はベンチに横たわりながらその様子を見ているのだが……。
「ほんとニテルは覇気ってのがないわよねぇ」
「少しは動けよニテル」
「ニテル、しゃんとするっすよ!」
「ニテル君は頭が弱いなぁ」
なんだろう……。
決して俺の事を言われている訳じゃない。
なのに沸々と湧き上がる怒りはどうしたものだろうか?
急にウィブの慌てた声が聞こえる。
「あっ、お漏らししちゃダメですよ!」
「こらニテル! ちゃんとトイレは教えた筈っすよ!」
「本当にだらしないわね、ニテルは」
「ほんと、ニケル君はダメダメだねぇ」
ーーおい!
カルの野郎、明らかにワザと間違えやがった。
くそっ、みんな暇なら依頼に行けばいいのに!
だが俺はその言葉を飲み込んだ。
そう、今日はギルドメンバーが全員お休みの日。
長期依頼やどうしても依頼が動かせない時を除いて毎月決まった日に二回、ギルドの休みを作ったのだ。
シェフリアが言うには王国の『働き方改革』とやらが傭兵界にも広まりつつあるらしい。
先ず筆頭ギルドである蜥蜴の尻尾が取り入れるべきだと進言されたのだが、ギルド会議(俺抜き)で満場一致で可決された。
俺抜きはともかくとして、筆頭ギルドになって以降は依頼も増え、みんな忙しそうだから反論する気は無い。
とはいえ休みだからといって特別何をする訳でもない。
こうして普通に過ごすだけなんだけど。
むしろ俺の起床時間が早くなるという不思議な現象が起こる。
俺が大きなあくびをすると、つられて続くニテル。
「まるでお前達は双子の兄弟だな」
「あっ、分かる。たまにニケルかニテルか分からなくなるもの」
グランツもグランツなら、ティルテュもティルテュだ。
人と狼の区別がつかない筈がないだろ?
いやいやいや、君達頷いてるけどさ、俺ってそんなレベルで見られてるの?
パティはというと、ニテルの前に立ち目を輝かせている。
「ニテル、自分が立派な狼になれるように躾けてあげるっすからね! 先ずはお手からっすよ!」
「パトちゃんお手よりもさぁ、これがいいよ?」
そう言うカルは、器用に炎のリングを作り出す。
何がしたいのかは一目瞭然。
あの火の輪をくぐり抜けろと言っているのだ。
確かにサーカスの演出なんかで見た事はある……が、あそこまで煌々と燃え上がっちゃいないし、ニテルの大きさにしては輪っかも小さい。
躾けどころか芸……いや、イジメだな。
「ほぉぁぁ! カル殿凄いっす! 大道芸人も真っ青っす! ほらニテル、あれに飛び込むっすよ!」
……ニテルはプルプル震えている。
あっ、こっち見た。
助けてやりたい所だが、火の輪以上にパティの興奮に火がついてしまった。
俺は「ニテル、頑張れ。きっとどんな火傷もカルが治してくれる。……成功まで逃げられないぞ」と、小さく呟き、こちらに飛び火する前にギルドへと逃げるのだった。
広間の椅子に腰掛けると、不意にテーブルに置かれた眼鏡が目に入る。
見慣れない黒縁眼鏡。
……シェフリアの眼鏡か?
シェフリアは買い物に行くって言っていた筈だ。
眼鏡をかけずに行く事なんて無いし、普段かけているものでも無い。予備だろうか?
徐ろに手を伸ばし装着してみると、恐ろしく度が強く目眩に似た感覚を味わってしまう。
眼鏡を外し目頭を抑えるが、それでも世界が回っているようだ。
シェフリアってめちゃくちゃ目が悪いのか?
その時、ふと俺の頭に別の思いがよぎる。
俺にとってシェフリアの眼鏡は、パーツ……いや、顔の一部みたいに感じている。
そこにあるべきものってやつだ。
そうなると、眼鏡無しのシェフリアを一目見てみたいという欲望が膨らんでいく。
不思議と眼鏡無しのシェフリアの顔ってのが想像出来ないんだよな。
「シェフリア、ちょっと眼鏡外してみてよ」って一言で終わる話かもしれないが、なんだか言いづらいんだよねぇ。
朝シェフリアが顔洗っている洗面室に乱入するか?
いやいや、うちのギルドは洗面室が風呂場に直結しているために男女別々に設置されている。
そんな事をすればティルテュの鉄拳制裁どころの話じゃない。
俺が思案していると、ティルテュとウィブが笑いながら広間へと入って来た。
「パティはまだやってるのか?」
「次は空中ブランコだって張り切ってるわよ」
どうやら火の輪くぐりは終わったようだ。
しかしパティはニテルを使ってサーカスでも始めたいのだろうか?
……いや、カルの乗せ方が上手いのか。
「それじゃ昼食の準備しますね」
ウィブが厨房に向かうと、ティルテュは俺が眼鏡を持っていることに気づいたのか怪訝な表情を浮かべる。
「ねぇ、それって……シェフリアの眼鏡?」
「多分予備を置いていったんだろうな。この眼鏡の度凄いぞ。ちょっとティルテュもかけてみろよ」
俺が眼鏡をテーブルに置くと、すかさずティルテュは手に持ちシェフリア眼鏡を掛け出した。
「うわっ、何これ!?」
どうやら俺が味わった視界の歪みを体験したのだろう。
眼鏡を外し目をこすっている。
やはり俺が異常じゃなくて、あの眼鏡が異常だと安心する。
「凄いだろ? シェフリアって相当目が悪いのかな? ちょっとシェフリアの眼鏡を取った顔に興味あったんだけど、やっぱり何にも見えなくなっちゃうのかな?」
「そ、そうよ、きっとそうよ。だ、だからシェフリアに眼鏡は必須なのよ! 絶対に取っちゃいけないのよ!」
あれ?
急に顔をひきつらせ過大に反応するティルテュ。
そういえばティルテュやパティはシェフリアと風呂に入ることもある。
当然眼鏡を取った顔を見ている筈だ。
何やら秘密があるのかと、勘ぐりたくなるのも致し方ないだろう。
「なぁ、ティルテュは眼鏡を外したシェフリアを見たことがあるだろ?」
「えっ、えっーと、ど、どうだったかしら」
だんだんティルテュが挙動不審に陥っていく。
やはり何かあるのか?
「もしかしてシェフリアって眼鏡を外すと……」
「ば、馬鹿ねぇ、そ、そんな事ある訳無いじゃない。シェ、シェフリアは眼鏡を取ってもシェフリアよ!」
俺は何も言ってないのに汗をかき始め、何かを否定するように首を振るティルテュ。
なんか楽しいぞ。
「シェフリアが帰って来たらさぁ」
「だ、ダメよ! そ、そう。シェフリアは眼鏡を外すと死んじゃう病気なのよ!」
眼鏡のツルをたたんだり開いたりと落ち着きがなく、支離滅裂な発言を繰り返すティルテュ。
よほどの隠し事があるのだろうか?
まさか眼鏡で拡大されてるだけで、恐ろしく小さな瞳とか……3みたいな目になってるとか。
外すと人格が変わるとか……いや、ないか。
「あれっ、どうしたんですか?」
俺がティルテュをここぞとばかりに責めていると、シェフリアが帰ってきた。
もちろんいつもの眼鏡を着用している。
「あはは、い、いや、これシェフリアの眼鏡だよね?」
「……私のじゃ無いですよ?」
はて、うちのギルドには眼鏡を着用してるのはシェフリアしかいないんだが?
「そうなんだ? じゃあ誰の眼鏡なんだろ?」
「オシャレ眼鏡……じゃ無いですよね?」
シェフリアは眼鏡を手に取ると、傾けながら度の強さを確認している。
そうだ!
「かけてみたら? シェフリアならどんな眼鏡か分かるんじゃないの?」
「えっ、私がですか?」
「ちょ、ちょっとニケル!」
慌てるティルテュをよそにシェフリアは眼鏡をかけかえる。
おぉ……。
数瞬、眼鏡を外したシェフリアを見たのだが、そりゃあ美人だった。
でもそれだけだ。
うーん、やはり眼鏡アリの方が好みではある。
俺がちょっとガッカリしている隣では、深い安堵のため息が聞こえる。
「これは……かなり近くを見るような眼鏡ですね」
「普通の眼鏡とは違うの?」
「えぇ、物を大きく写すというよりはピントの調整をしてるって感じですね」
眼鏡をかけない俺には分からないが違いがあるらしい。
いや、それよりもその眼鏡をかけて平然としているシェフリアが凄い。
再びシェフリアは眼鏡をかけなおすと、一体誰の眼鏡なのかとなってくる。
最近のギルドは人の出入りが多いから、誰かの忘れ物の可能性はある。
「そういえば眼鏡をかけてる傭兵って少ないよな?」
「確かにそうよね。魔術士なんかは視力の悪い人は多いけど、簡単な魔法で調整出来るらしいし」
「誰の眼鏡なんですかね?」
俺が眼鏡を触っていると、不意に裏庭への扉が開かれ、近づいてくる一人の男。
「なんだ? 俺の眼鏡がどうしたんだ?」
「えっ、これグランツのなの?」
「最近新聞の文字が読みづらくてな。俺も歳だな」
「ーー!? 老眼か!?」
いやいや、グランツお前まだ30代半ばだよね?
大丈夫か?
そういえば最近のグランツは新聞を読むときに結構離して読んでいた気がする。
そんな俺たちの言葉にならない思いを他所に、開かれっぱなしの扉から、一番大丈夫じゃ無い者の姿が垣間見えた。
カルが作りあげたであろう氷のリンクの上で、クルクルと回っているニテル。
あつ、こっち見た。
……ニテル、頑張れ! きっとお前が一流サーカスの花形になれる日は近いぞ。
久々の投稿ですいません。
次話投稿は7月中旬頃になると思います。
気長にお待ち下さい。