バレンタインといふもの
どうしても2月14日に投稿したくて書きました。
今日は巷で言うところのバレンタインデーらしい。
うん。それぐらいは俺も知っている。
商会の作戦に踊らされて、女性が日頃からお世話になってる人にお菓子を渡して「来月の御返しは3倍ね?」と理不尽な要求をしたり、将来性のある男に唾をつけるイベントだ。
傭兵稼業なんてやっていると、まぁ、関わりの無いものだ。
……ごめんなさい。傭兵のせいにしちゃダメだよね。
俺の将来性の問題です。
現在「蜥蜴の尻尾」では天才菓子職人ウィブによる、お菓子教室が開催されている。
受講者は料理の出来ない女子組と、作る姿を想像したくない御意見番。
講義を受けない者は『入室禁止』と御触れが出た為に、カルは魔術士組合に、俺は傭兵組合へと出かけていった。
組合へと続く通り。いつもとは別の浮わついた雰囲気が漂っている。
ピンク色の幟旗が立ち並び、「今日は愛を届ける日」「貴方の心を伝えるチャンス」などの文字が、風に煽られ音を立ててなびいている。
商人とはどれだけ便乗し、儲けを上げようとしてるのだろうか?
何もお菓子や小物だけじゃない。宿屋には「ご休憩歓迎! 愛のチョコをプレゼント!」と看板が立てられ、下着屋さえもが「勝負するならこの下着!」などと掲げている。
既に目的を逸脱してると思うのだが、周りを見れば顔を赤らめて手を繋ぐカップルが、宣伝文句に騙されて店へと入っていく。
もちろん俺はそんな者を見て嫉妬するほど子供じゃない。微笑みながら「地獄に落ちろ」と呟くだけだ。
組合が近づくと、普段見られない数の傭兵が押し寄せ活気に溢れている。
「はーい! チョコが欲しい方は順番に並んで下さいねー!」
「おい、横入りするんじゃねぇ!」
「うるせぇ、テメェ何級のギルドだ? 俺はB級だぞ!」
くだらない喧嘩を始める輩多数。その先にはアイドルの如く崇められている組合職員の姿があった。
「おい、シェフリアちゃんのチョコはないのか?」
「そうだそうだ! 俺は昨日からシェフリアちゃんの為に並んでるんだぞ!」
おぉ、流石は組合一の看板娘。熱狂的なファンが多数存在している様だ。
「ごめんなさいねぇ。シェフリアは今日休みなの。でも大丈夫! 皆に渡してねって、チョコは預かってるからー!」
「まじかよ」
「楽しみにしてたんだぞ!」
シェフリアは休みか。
しかしあの傭兵達、散々文句を言ってる割には帰る素振りを見せない。
そこまでチョコが欲しいかね?
砂糖に群がる蟻、いや、チョコに群がる傭兵を横目に組合へと足を踏み入れる。
外があれほどの人口密度を誇っていたのに、中は寂しいものだ。
いつも以上に人が少ない。
何度見ても拝みたくなるような、輝く頭のウエッツも暇そうだ。
「よう」
「なんだニケルか。シェフリアは休みだぞ?」
「外で聞いたけど、なぜそんな話題になる?」
「お前の事だ、どうせここに来ればシェフリアからチョコの一つでも貰えると思ってたんだろ? 残念だったな。今日はお菓子作りのエキスパートに極意を習うんだって張り切ってたぞ」
「ふーん。……んんっ?」
いや、まさかね? いくらなんでもウィブのお菓子教室に行っているなら俺にも情報が入っているだろ?
十中八九うちのギルドだと思うが、蚊帳の外に追い出された気持ちだ。
「因みに外のあれは何なんだ?」
「毎年してるだろ? 慈善事業だよ。不思議とな安物のチョコを配ると、1ヶ月後に魔物の素材がたんまり組合に届くんだよ」
ウエッツは歯を見せて笑っているが、それ慈善事業じゃないからね?
しかも組織ぐるみときたか……。
「しかし、お前が来てくれて丁度良かったぞ。これ、持って帰ってくれ」
「なんだこれ?」
ウエッツが机の上に大きめの麻袋を出してきたので中を除くと、結構な数のチョコやお菓子の箱が入っていた。
「毎年組合にも渡して欲しいって持って来る奴がいるんだよ。傭兵ファンの連中だな。それが蜥蜴の尻尾に届いた分だ」
「そうだったのか? 初耳だぞ」
ちょっと心を踊らせながら箱を取り出し宛先を確認してみる。
………グランツ、ウィブ、グランツ、グランツ、ウィブ、グランツ、……ティルテュ、ウィブ、グランツ、……パティ。
結果、グランツ12個、ウィブ7個、ティルテュ3個、パティ1個。
カルのも無いが、俺への物も1個も無い。
ティルテュやパティの物もあるのに……。
確かに俺が依頼に出るのは皆より少ないよ。だからって……。
こんな気持ち久しぶりだ。
そう、ギルドマスターになった日以来だ。
どうやら俺はまた裏切られたんだ。
楽しそうに笑うウエッツを背に、麻袋を担いでフラフラと組合を出てくのだった。
もういいよね?
ギルドマスターをグランツと変わってもいいよね?
組合規則がなんだ! 直談判してやる!
そんな思いを胸に秘めギルドに近づくと、おびただしい量の獣の死体を積んだ荷車が入口付近に置かれている。
見た目もグロいが漂う獣臭もキツい。そして佇む一人の獣人。
「……イース、何これ?」
「おぉ、ニケルか! 丁度良かった。中に入ったらティルテュに「邪魔するな」って追い出された所だったんだ。今日はバレンタインだろ? ウィブにプレゼント持って来たんだ。ウィブ喜ぶだろうなぁ」
耳をパタパタさせているが、断言しよう。
獣の死体をプレゼントされて喜ぶ男はいない!
「……あのな、イース」
「お頭。デンタイが怪我しました! 直ぐに来て下さい!」
イースの所のギルド員だろうか?
毛皮を身に纏った大男がイースを呼びに来た。
「全くアイツは! ニケル、アタイは行かなくちゃいけない。ウィブに渡しておいてくれよ。来月の御返しは子作りでいいって。じゃあな」
台風の様に去っていくイース。
俺にこの死体の山をどうしろと? ウィブにお礼に子作りしろと言えとでも?
俺が困り果てていると、チョコ0の同士、カルも帰ってきた。
「ニケル君。これ何?」
「あー、何だろうな……お土産……かな?」
あれっ?
良く見ると、同士カルも麻袋を担いでいる。
「なんだ魔術士組合でもギルド宛のチョコとかを預かってきたのか?」
「ギルド宛? アンちゃんに取りに来いって言われたから僕の分を貰って来たんだよ」
な、何!? そ、その麻袋、全てがカル宛のものだって言うのか?
えっ、何その勝ち誇った顔!?
えぇい同士解散だ! お前なんて仲間じゃない!
「あっ、これアンちゃんがニケル君にって」
カルは麻袋から一つ小さな箱を手渡してくる。
くそっ、こんなものじゃ騙されないぞ! って言いたいのに嬉しい。
悔しいが心が喜んでるんだ。
そうだよね。チョコの1つや2つでつまらない事言っちゃダメだよね。
機嫌を良くした俺がギルドに入ると、講義を終え調理室から出てくるウィブと遭遇する。
他に誰もいないとなると、受講生達はまだ奮闘中みたいだ。
「ウィブ、お疲れ。あっ、今さっきイースがプレゼントだって色々持って来たんだ。表にあるからな」
「ニケルさん、お帰りなさい。プレゼントですか? ……うわぁ、凄いですね! えっ、これ洞窟兎じゃないですか! 貴重な食材なんですよ!」
表を確認したウィブが感嘆の声を上げる。
いたよ。獣の屍を貰って喜ぶ男がここにいたよ。
もう子作りでも何でも好きにしていいよ?
ウィブは調理室に戻るとグランツを連れて来て、表にある獣の処理に取りかかっていった。
……グランツ。いくらお菓子作りとはいえ、ヒラヒラの付いたエプロンはどうかと思うよ?
獣の血に染まる乙女チックなエプロン。
傭兵組合にグランツ宛のチョコやお菓子を持って来た人に見せてあげたい。君たちはこれを見ても同じ行動が出来るかい?
大広間でカルとチョコを摘まんでいると、調理室からティルテュ、パティ、そして予想通りのシェフリアが出てくる。
「ニケル帰ってたの? 今日のアタシは一味違うわよ。今の内に戦きなさい」
うん。一味違うのはウィブのお陰だからね。その時点で味は安心してるから。
「マスター。自分やったっす。凄いっす! 本当に凄いっす! とにかく凄いっす!」
良く分からんが凄いことだけ理解したよ。
「ニケルさん、お邪魔してます。やっぱりウィブさんは一流ですね。後から私のチョコケーキも食べて下さいね」
いいなー。エプロン姿のシェフリアいいなー。
組合にいた傭兵どもが見たら感激の余り泣き崩れてしまう事だろう。
話を聞くと、小さなチョコケーキを皆で何個も作ったらしい。
今は冷やしている最中なので、晩飯後に皆で食べることになった。
「じゃあ持ってきますね」
ウィブが調理室に戻るといくつものチョコケーキを持って来る。
ウィブの指導で作った物なので、似たような形ばかりかと思っていたが、なんとも個性的なケーキが揃い踏みしている。
「おっ、これ旨そうだな。この赤いのはストロベリーパウダーかな?」
小さなパウダーをかけられたケーキを一口食べると、口いっぱいに唐辛子の辛味が襲いかかる。
喉をやられ、むせび混む俺に「どうだ? 旨いだろ?」と自信満々のグランツ。
「アホかー!」と叫んでやりたいがあまりの刺激に言葉を発する事が出来ない。
もう誰もグランツ特製チョコケーキを手にする奴はいなかった。
「どうっすか? どうっすか?」と目を輝かせるパティのチョコケーキも、見た目は不恰好なティルテュのチョコケーキも、見映えも美しいシェフリアのチョコケーキも、流石はウィブ監修。
余計な味付けをした味音痴以外はとても美味しかった。
そして最後はウィブの作ったケーキへと。
まさしく天使の食べ物と比喩したくなる上品な美味さ。
チョコの甘味と、少し舌に残る苦味。だが、薄く塗り込まれていた果実の酸味が苦味の余韻を優しく懐柔している。
先程まで煩かった連中が一心不乱に無言で食べ続けている。
グランツは「チョコに辛味は要らなかったのか……」と項垂れているが、もっと早く気付いて欲しかったよ。
その後一頻り騒いだ後に、パティ、ティルテュ、シェフリアからは個人的にチョコを貰った。
うん、バレンタインデーも悪くないね。
そして部屋に戻ると、俺は驚愕の光景を目にする。
「ク、クトゥ……」
何も身に纏わず、いや、リボンを巻き付けて茶色の液体を身体に滴らせている。
そう、「私がプレゼント! お早めに食べてね!」と言わんばかりである。
男なら誰しも夢見るシチュエーションだろう。
それが生身を持つ相手だったらだ!
俺のベッドはチョコにまみれ、その中央に置かれた抜き身の魔剣。
色気なんぞ当然無いし、汚れたシーツの悲惨な状態が俺の頭を激しく痛め付けてくる。
何でこうなったんだクトゥ?
いや、それよりもこの惨状をどうやってクトゥが作り出したかを考えると、俺は恐怖に陥るのだった。
読んで頂きありがとうございます。