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奇譚──境界と白昼夢  作者: 参星
─鬼─
4/5

 

 かちり、かちりとフィルムが切り替わるように、頭の中をシーンが、映像が断片的に流れてゆく。


 暗闇の中、その最期を悲しむような夜空と、見下ろす月を映した後ぷつりと途切れた映像に、朝霧は小さく頷いた。


「成る程、成る程。──あい、良くわかりまして御座います」


 井戸の側、どす黒い靄は、収縮と膨張を繰り返しながら、次第に人の形を取り始める。



(ああ)、随分混じっておいでで……離せば壊れてしまいそう」

「何だ、魂一個じゃねぇのかィ」

「……願いは一つに御座いますれば、離れる必要も無いので御座いましょう」


 金の瞳と萌黄の瞳。

 夜が昼に変わる(あわい)のようにグラデーションした髪。

 額からは一対の美しい角が、天を仰ぐように生えていた。

 だらりと下がった腕からぶら下がる太刀は、血に濡れ叫びを上げている。


「あの子を……(あけ)を…………(わらわ)は……!」


 振り絞った声は、(かす)れて息も絶え絶えに。


 ──隠鬼(おに)が、其処(そこ)に立っていた。





「さて、(にしき)様。お前さまは、その強い執念にて "特異点" にお成りになられた。然らば……我らが成すは、お前さまを正しき場所へと()()()()ことに御座いまする」

「何を言うておるかさっぱりぞ。鬼と変じた妾に、戻る場所などあるものかッ!」


 ダンッ、と打ち付けられた拳が、脇息(きょうそく)を叩く。

 怒りに燃える双眸(そうぼう)は、怨みと哀しみに濡れていた。


 井戸から場所を移し、客間に呼び込めば、(いささ)か落ち着きを取り戻したものの、依然その怒りは強いらしい。

 当たり前といえば、当たり前の話なのだけれど。


「何も元の場所に戻れと申しているわけでは御座いませぬ。……我らが考えるは "物語(おはなし)の行き着く先"。(みち)から外れてしまったお前さまを、何処(どこ)ぞに()めて戻すが役目」

(あけ)の……妾の(いと)し子の居らぬ世界になぞ……戻ったとて仕方ないワ」

「お前さまの願いは存じておりますれば、対価次第で叶えて差し上げまする」


 朝霧はカツンと煙管を叩く、灰が落ちて、皿の上で(くすぶ)った。

 吐き出された紫煙を、色の違う二つの目が追う。

 混じった魂を示すように、黒かったはずの瞳は(いおり)(なごみ)のそれだった。


「何を……叶えるというのかぇ」

「再びお側へ。──(あけ)様の命は、再び輪廻(りんね)へと戻られました。また別の場所で、お生まれになります。それをお守りする武器に……」

(あけ)輪廻転生(りんねてんしょう)はまだわかる。あの子は早く死にすぎた。来世こそは、と……それも当然であろ」


 しかし、とその形の良い眉は(しか)められる。


(わらわ)が、武器に? ……はて、とんと要領を得ぬ。武器になぞ、なれるのかぇ?」

「あい」


 ここに現れた時、彼女の持っていた太刀を朝霧は掲げる。

 (すす)けて(よご)れて、とても使えそうにない、ひと振りの太刀。


「これを器に、魂はここへ」

「……フン、まるで神の所業よな」

「似たようなものに御座います。所詮、神などこの程度」


 常に観測者、常に傍観者。

 救いはなく、差し伸べる手は持ち得ない。


 だがしかし、盤上の駒を配置する神々(かれら)の一手が、救いになることもある。


 自分たちはそう、何時だって部外者で、関係者だ。


 にこりと微笑んで見せれば、目の前の鬼は、胡乱げな視線を寄越してきた。





(あけ)様は、名も、見た目もお変わりになりまするが、魂は同じモノとして存在します。少し、特殊な魂に御座いますよ」

「そうか」


 かぷかぷと、煙が幾度も吐き出され、円になり消える。

 大人びた視線の、少し幼い顔立ちの少女。

 釣り合いの取れない、不均衡な有り様は、なんだか少し不安を煽る。


「ここまで消えずに流浪する、あやふやな魂も珍しゅう御座いますれば。……ここまで、因果な魂も」

「お前にとって、都合の良くないものなのかぇ」

「とんでも御座いませぬ。……こう言うとお怒りになられるかも知れませぬが……都合の良い魂なので御座いまする。──何者でもあって……何者でもない」


 また、ふわりと紫煙が漂う。

 不思議な香の(かお)りがした。


「何者にもなれるならば、いつか希望にもなりましょう」

「……そうか」


 この、揺れる不定形な煙のように、いつか(あけ)は希望になるのだろうか。


 否、もうとっくの昔に希望であった。

 唯一絶対の、錦の光。

 錦を照らす一筋の光明が、たった一人我が子であった。


「……何時(いつ)、妾は使われるのじゃ」

「その時が来ればおわかりになりまする」

「この、側に居たいという願いの対価は何ぞ?」

「その打ち掛けを頂ければ、結構に御座います」


 肩に羽織る、重い布。

 ぎゅ、っと握りしめる錦の感触。己の名と同じ布の、様々糸が織り込まれた、少しざらつく感触。


 夢を見た。

 愚かな夢を見た、その残滓(ざんし)


 愛されていた。

 知らず、愛されて。

 多分きっと、自分も愛していた。どうしようもないくらいに。


 この先、己が武器として刀を振るうその先で、彼の魂を見つけたら──その、欠片でも見つけたなら。きっと言おう。


 ただ一言「お慕いしておりました」と。

 きっとそれで、十分なのだ。


「…………頼む。妾は、妾の想いはこの()に託そう」

「承りました。──(しば)くお休みになられれば宜しゅう御座います。役目が来れば、自然、お目を覚まされましょう」


 瞳にかかる、少女の(やわ)く冷たい手。

 幕を下ろすように、視界は狭まり、やがて闇に閉ざされた。


 嗚呼、世は知らぬ事ばかりだ。


 人の情も、結局の所わかった()()をしていただけで。


 (あけ)──あけ。私の可愛い、たった一つの魂。


 ──どこか遠くで、かかさま、と声がした。





 右も左もわからない、真っ暗な闇の中。

 揺蕩うように、微睡むように。


 まじまじと見たこともない、愛しい男の顔を、錦はゆっくりと思い出していた。


 月明かりの中。嗚呼、あの静かな瞳は熱を持っていた。


 握った手の感触を、触れた肌の熱さを、酷く切ない響きを持った、静かな声を。


 錦は覚えている。


 あの子の瞳は、あの子の父にそっくりであった。





 「思いつつ寝ればや人の見えつらむ

  夢と知りせばさめざらましを


 ──『古今和歌集』小野小町





「終わったのかィ」

「あい。万事相済みまして御座います」


 床に置かれたひと振りの太刀。

 (よご)れきっていた(なまく)ら刀は、()()へと変貌していた。


「母は強し……ってヤツかねェ」

「女は鬼にも蛇にもなりまする。変じるが女の(さが)。……しかし、変じようとも女は女。業が深く、愛おしゅう御座いましょう」

「趣味が悪ィんだよオメェ」


 仕事をせなんだ(あに)様よりマシに御座いますれば、と返して、人ならざる少女は呵呵と嗤ってみせる。


(わたくし)達は観察者。特異点……外れた魂を修正し、置くべき所に置くが役目。傍観者ではありまするが、手を出せない訳ではありませぬ」

「だからって、世界の結末を己の好きに作り変えるってナ、不敬なことだぜ? 俺ァ知らねぇよ」


 ずしりと重い刀を手に取り、対価に貰った錦で包む。

 打ち掛けを引きずる音を引き連れながら、朝霧は部屋へと向かう。


「…………でも、このままではあまりに悲惨。(わたくし)は、悲しみで滅ぶを良しとしませぬ故。使える手は全て使いましょう。見世物(エンターテイメント)は、いつもこうでなければ」


 これが最適解だ。


 (わたくし)にとっての最適解。


 (わたくし)の好きな結末はいつだって────。





 亜麻色の長い髪が、少女を覆い隠している。

 小さな寝息が、空気を揺らす。


 作り変えられたらしい己は、はるか遠い昔の記憶と、少女が己にとって何よりも大事であることと、少女が(マスター)であることを()っていた。


 (そら)を写し取った瞳は、不安に揺れていて。

 ならばと膝枕をしてやれば、懐かしい感触と体温が全身を駆け(めぐ)るようだった。


 ──愛し子よ、今はただ眠れば良い。

 己との記憶は思い出さずとも良い。

 ただ健やかであれば良い。


 その為に、己は鬼に成ったのだ。


 閉じた少女の(まぶた)から、とめどなく雫が落ちる。

 その涙が、愛し子の心を少しでも軽くすれば良い。


 懐かしい子守唄を(つむ)ぐ。

 その魂に織り込まれた、我が子の耳に届くように。


「今はただ、ただ眠りやれ。母はここに居るでなァ」


 泣き濡れた少女の姿を隠すように、月はそっと顔を背け、雲の向こうに消えた。


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