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奇譚──境界と白昼夢  作者: 参星
─鬼─
2/5

 

 彼岸と此岸のその間。

「境界」と()うものはこの世に溢れかえっている。


 この場所は、そんな「世界の境界」に揺蕩(たゆた)曖昧(あいまい)な何かでできている。

 それはさながら泡沫(うたかた)のような、淡く儚い夢の残滓(ざんし)を集めたようなものであって、何であるかを定義するのは(いささ)か難しい。



 ▼



(あに)様、またこんなところで寝ていらっしゃる。風邪をひきまするぞ!」


 煙管をくゆらせ睥睨(へいげい)した先、自分とそっくりな男がのんべんだらりと惰眠を貪っているのを見て、朝霧(あさぎり)は嘆息した。


 肩口で元気に外ハネした茶色の髪に、まろい眉。いささか幼くも思えるような大きな猫目には赤い瞳孔が、(みどり)の虹彩の中で怪しく輝いている。

 時折煙管(キセル)に口をつけ、淡く色付いた唇から吐き出された紫煙(しえん)は、気だるげに彼女の周囲を取り巻いて消えた。


(あに)様っ!」

「…………うるせぇ!もうちッと静かに起せねェのかこの(たわ)け!」

「戯けは(あに)様に御座いまするッ!昼間ッからだらだらだらだらと……!」


 朝霧の怒号に鈍々(のろのろ)と起き上がった青年は、彼女よりも短く刈り込まれた癖毛を鬱陶しそうに掻き混ぜた。


「兄様が居らなんだら座標が定まりませぬ故、困りまする」

「今日ぐれェ休んだっていいだろうが」

「そう言ってもう一週間は休んで居られますれば、いい加減になさいませよ」


 朝霧よりも切れ長な、獣じみた瞳がひたと此方(こちら)を見つめて、つと逸らされた。

 どうやら根負け──否、気迫負けしたらしい。兄妹の間で、今ここに雌雄は決した。


「──井戸が何やら(うごめ)いておりまする。参りまするぞ」

「……ッハァ……あいよ」


 また面倒事が、と呻く兄は相変わらず、派手な女物の浴衣をだらしなく着崩している。

 後ろ髪を引かれるとばかりに未練たらたら、黒地の派手な打ち掛けを引き摺り、亀の歩みを決め込む兄に、朝霧は「早うなさいませ」と(げき)を飛ばした。



 ▼



 広くも狭くもない日本家屋は、日毎(ひごと)にその姿を変える。

 昨日居間のあった場所には(くりや)が、己の部屋は東から西へ、書庫は執務室と入れ替わる──といったことは日常茶飯事。

 故に、ここに暮らす二人の兄妹の毎日は、先ず己の位置確認と空間把握から始まる。


 組み木のように組み替えられる空間は、しかし彼らにとってさして障害にもならなかった。こればかりは慣れだ。

 なにせ、生まれたときからこうなのだから当然といえば当然の話。



 まことしやかに囁かれる、異界の噂、虚言、デタラメ、曖昧(あいまい)な言葉の言霊(ことだま)と現実逃避の嘘。

 ──そうしたものが凝り固まって、やがて狭間(はざま)に命を産んだ。


 所謂(いわゆる)"模倣子(ミーム)"。──彼らはそういう存在である。

 彼らは生まれながらにこの姿で、生まれながらにして全てを諒解(りょうかい)していた。



 この家屋のある一帯を、彼らは「狭間(はざま)」と呼んでいる。


 時偶(ときたま)ここへ迷い込む()()()を迎え入れ、導き、修正する。

 つまるところ、この不思議な世界、不思議な空間で、()()()()()()を管理するのが彼らの仕事なのだ。


 ただの言霊(ことだま)であった彼らを定義付け、形作り、そうあれかしとしたのは他ならぬ世界の意志。

 だからこそ、彼らは思う(まま)、望む(まま)に特異点を修正してゆく。神の気まぐれにも似たその意志は、正しく神の意志であった。


 運命とも言うべきその偉大な力は、己に時折現れる特異点(不良品)の処理を、己の外部に任せたのである。

 つまり此処(ここ)は世界の下請け。だから彼らは特異点を客と呼び、この家屋を店と呼ぶ。



 特異点が現れるときは、決まって狭間(はざま)が揺らぐ。

 兄の夕霧(ゆうぎり)は、その揺らぎから特異点のいる場所へと道を繋ぐことができた。


 放っておいても来る特異点は来るのだが、来られず力尽きる特異点もいる。──特異点は、大抵そうやって心身共に襤褸ゝ(ぼろぼろ)になってやってくるのだ。


 要するに、回収率をできるだけ高く。単純に、それだけの話。


 一方、妹の朝霧は、特異点たちへ最適解を与えることができた。

 何をすれば最も正しい筋書きになるか、彼女は本能的に知っているのだ。


 兄が開き、妹が閉じる。

 彼らは二人で一つ。そうやって生きている。



 ▼



 さて、場所は屡々(しばしば)出現する中庭の、そのど真ん中。

 周囲を霧が包み込む、この狭間(はざま)の世界の中で。古ぼけた井戸が、ぱかりと口を開けて二人を待ち構えていた。


 石造りの、縁の欠けた(きたな)らしいそこからは、飲める水など到底()めそうもない。

 (けが)れた空気が靄々(もやもや)と、その周囲の空気を黒く染めているようにすら思えれば、あまり近寄りたくはないなと朝霧は顔を(しか)める。

 ゆらりとうねった風は生暖かく、微かに血の臭いがした。


 カラコロと下駄を鳴らし縁側から降り立った二人は、そっと井戸を覗き込む。

 案の定、寂れた井戸に水の気配はなく、すっかり枯れた大穴は、とうの昔にその役目を終えていた。


「さあ(あに)様、久方振りのお役目なれば、励まれませい」

「ハァ……説教臭くて()ンなるねィ」


 彼の耳についた、鈴の飾りがひとつ、高く鳴る。

 空気を貫くその音に、自然と背筋が伸びた。


「──諸々(もろもろ)禍事(まがごと)罪穢(つみけがれ)

 朝風(あさかぜ)夕風(ゆうかぜ)の吹き(はら)此処(ここ)に至れり。

 隙間(はざま)に寄る迷い船。

 ()解き放ち。

 (とも)解き放ちて。

 大海原に押し放つ事の如く

 (のこ)る罪は在らじと。

 (あま)つ神、(くに)つ神

 我等(われら)が世界の神等共(かみたちとも)

 呼び給ひ繋ぎ給ふと申す事の(よし)

 (あした)御霧(みぎり)

 (ゆうべ)御霧(みぎり)

 聞食(きこしめ)せと(かしこ)(かしこ)みも(もう)す──」


 静寂の中で朗々と響いたその声が、神の使いの(おごそ)かさを持って放たれれば、やがてそれは空気と交じる。

 漂う気配は願いを聞いて、やがて一点──井戸の中へと集まり、人の影を作った。


「流石に御座いまする(あに)様」

「オウ。……後ァお前ェの役割よ、気張ンな」

「あい、あい」


 それはさながら怪談の如く、ずず、と井戸から這い出る女の(あわ)れな姿へと、影は凝固(かたま)ってゆく。

 隣合って重なる打ち掛けには、揃いの鬼が嗤っていた。





この回だけあとがきを失礼します。


作中に出てくる祝詞ですが

大祓詞と天津祝詞の二つを重ね、改変した創作祝詞になります。


正直に申しますと朝霧夕霧が使いたいが故のチョイスです。

故に宗教的理由等はございませんし、貶めるために使用したものでもございませんことをここに明記させていただきます。


ここまで読んでいただきありがとうございました。

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