六
目を開けた私が最初に見たのは、目の前にあったつばめの顔だった。驚きのあまり息が詰まり、のけぞったせいで壁に頭をぶつけて悶絶する。そんなリアクションを見て、つばめはきれいな顔にしてやったりと言いたげな笑みを浮かべた。
「人の顔を見てそこまで驚くのは、ちょぉっと失礼じゃないかね?」
「いや、目の前に何かがあったら誰だって驚くよ」
したたかにぶつけた後頭部をさすりながら苦言を呈する。つばめの目の下にできた隈はそのままだが、声色は明るかった。
「このはの寝顔が可愛かったからね。近くで楽しもうかと」
「やめてよ、恥ずかしい。というか、そっか、途中で寝ちゃったんだ……」
適当に話を紡いでいる最中、窓の外を見て「空が白み始めるではなく、赤の彩度が上がり始めたな」と考えたところまでは覚えている。でも、いつの間に寝てしまったのだろうか。
「最後の方は中々面白かったよ。寝ぼけて話がめちゃくちゃになってて」
私の髪に手櫛を通しながら、つばめがにやりと笑う。
「どんな話してた?」
「白雪姫が鬼退治に行ってた。で、貰った大きなつづらを開けたら野獣になった」
なんとも言い難い混ざり方をしているあたり、私は本当に眠かったのだろう。残念なのは、それを私が覚えていないことだ。内容の善し悪しに関係なく、私は物語が好きだ。自分の語った支離滅裂な童話がどんなものだったか。そんな事まで気にするほどに。
どうにか記憶を引っ張り出せないだろうか。何処にともなく視線を投げてぼーっとしている内に、つばめはベッドから転がるように出て、軽く伸びをした。やはり、私のシャツでは少しサイズが合っていなかったのかもしれない。ストレッチをするつばめのおへそや背中がちらちらと見えてしまっている。
「あ、そうだ。このはのお母さんが、一回起こしに来たよ」
「本当に?全然気付かなかった」
「熟睡してたからね。なんか、このはのお父さんが式場の下見に行ったらしいよ」
「下見?」
訊き返しながら、私もベッドから降りる。あくびを噛み殺しながら箪笥を開けて、夏に出番のなかった厚手のインナーを探す。今日は随分と気温が低い。つばめの分も含めて、温かい服を用意した方がいいだろう。
「ほら、今ってこんな状況だから、チャペルも大変なことになってるかもしれないじゃん?壊れてるだけならともかく、変な人とかいたら困るし。だから、一応様子見に行ってくれたんだって」
「そっか……大丈夫かな、一人で」
私の不安には、つばめが何かを答えはしなかった。起こりうる問題に関しては、私よりもよっぽどよく分かっているからだろう。
箪笥の底に入っていた冬用の防寒シャツを渡すと、つばめは「防虫剤の匂いがする」と言いながらも、それをインナーにして、昨日も着ていたジャージに身を包む。野暮ったい学校指定ジャージなのに、私服を着た私よりもスラッとして見えるのは、私の勝手な思い込みだろうか。
着替えも済んだところで、二人でリビングへと顔を出す。「夜更かしでもしてたの?」というお母さんの言葉に時計を見れば、短針はそろそろ十一時を指そうかという所に迫っていた。
「お母さんもつばめも、起こしてくれて良かったのに」
洗面所に置いてあったペットボトルのミネラルウォーターを洗面器に開けて顔を洗いながら、冗談半分に愚痴る。
「言ったじゃん。寝顔が可愛かったから、起こせなかったんだって」
「それはもういいから」
下ろしたばかりのフェイスタオルで顔を拭うと、わずかに残っていた眠気もさっぱりと洗い流された。貰い物のタオルの処分にお母さんはいつも困っていたが、こうして役立っているところを見ると、何でもかんでも処分すべきではないのかもしれないと思う。
リビングに戻ると、お母さんが朝食を用意してくれていた。いくつかのフルーツ缶詰を適当に混ぜたフルーツポンチだった。
「お父さん、何時頃に帰ってくるのかな」という私の疑問に、お母さんは「早ければいいわね」と、答えになっているのかなっていないのか微妙な返事をした。かわりに、つばめがフォークにみかんを刺したまま、口を隠して答えてくれた。
「三時間もあれば行って帰ってくるだけならできるんじゃない。道の状態にもよるけど」
今この場に、地図はない。頭の中で覚えているものと車の移動速度を照らし合わせたのか、以前「徒歩だと半日はかかりそう」と言っていた時に車での時間も計算したのか。つばめならば、どちらも有り得そうだった。
あらためて親友の頭のつくりに感心しながら、ガラスの器を持って即席フルーツポンチの果汁を飲む。様々な果物の味が混ざりに混ざって、もはや甘い事しか分からない。
「そうだわ、このは。後で、荷造りを手伝ってくれる?」
つばめに貰った缶詰をダンボール箱に詰めていたお母さんが、唐突に言った。思わず、私は首を傾げてしまう。
「荷造りって、どこかに行くの?」
「お父さんが、シェルターに入れるあてを見つけてくれたのよ」
「シェルターって……」
その存在を記憶から引っ張り出すのも、少し時間がかかった。
疑問はいくつも浮かんだ。お父さんがそんな偉い人たちにどういう繋がりがあったのか。受け入れ人数はオーバーしたのではないのか。シェルターとはどこにあるのか。
そして、それに何の意味があるのか。
でも、意義を問うてしまえば、お父さんの努力を否定することになる。だから、私はもっと大事な、別の質問を投げる。
「つばめは、一緒に行けるの?」
この会話が聞こえていないわけではないだろう。だが、つばめは「ごちそうさまでした」と礼儀正しく頭を下げると、お皿を流し台の水の中に入れてリビングを出ていってしまった。
後ろ姿を見送り、階段を上って私の部屋に入る音まで聞いてから、お母さんへと視線を戻す。
お母さんは、何も言わずに口の端を噛んでいた。それが答えだった。私よりも察しのいいつばめの事だ。それを分かっていて、自分の前で言うわけにもいかないだろうと席を外したに違いない。
私は、つばめを置いていきたくない。でも、私が行かないと言っても、たぶん、お父さんは強引にでも私を連れて行く。現状に対し、私ができることは、何もない。
「ごめんなさい」
お母さんの謝罪が、ただ、悲しかった。
私は、つばめに何と言えばいいのだろう。
ねじ切れそうな感情を抱えたまま、しかし他に行くところもなく、つばめの待つ部屋に戻る。
そこでは、何事もなかったかのように、つばめが中学校の卒業アルバムを眺めていた。無言で、分厚いページに貼られた写真たちを見ている。何を思っているのだろうか。
なんとなく声をかけづらくて、私も黙ったまま、押し入れから「荷造り」に必要そうなものを取り出す。修学旅行でしか使っていないキャリーバッグと、私の趣味に合っていない大きめのリュックサック。二つあれば、二人分の荷物は入るはずだ。
「世界が終わる時にラッパが鳴るのって、聖書?」
ずっと黙っていたつばめは、唐突にそんな事を尋ねてきた。
箪笥や衣装ケースに入っていた服を二人分に分けていた私も、手を止めずに答える。
「聖書の中の、黙示録だったかな。私も聖書のことはよく知らないから、どういう物だったかは分からないけど……」
天使がラッパを拭き、様々な災厄が訪れる。何か、とても複雑な宗教的意味合いがあったのだと思うけれど、やはり私はそういった事柄への感心は薄い。昔読んだ小説で題材として混ざっていたとか、テレビで何か見た気がするとか、酷く曖昧で薄っぺらい知識しか持ち合わせていない。
「じゃあ、ラッパが鳴るまでは世界は終わらない?」
服を取り出す手を止めて、振り返る。つばめが床に開いた卒業アルバムのページには、吹奏楽部の活動風景を撮った写真が収められている。そこから連想して、ラッパの話になったらしい。
「ラッパが鳴る前にも色々あった気がするから、たぶん、それには当てはまらないんじゃないかな。もしかしたら隕石が降ってきて氷河期になるかもしれないし」
「あー、氷河期で恐竜が絶滅したあれ?そうなったら、数万年後にわたしたちの化石が掘り出されたりしそう。面白いポーズで化石になったら、笑い取れない?」
あまり面白くないつばめの冗談に、苦笑をこぼして、衣装ケースに向き直る。荷造りは、遅々として進まない。
家はここを使える。食料と水も結構な蓄えがある。火もある。でも、つばめを一人で置いていけば、何よりも早く、つばめの心が壊れてしまうのではないか。それに、シェルターに逃げ込んだところで助かるような「終末」であるとも思えない。
私は、どうしてもここから離れる気にはなれない。聞き分けのない子どものわがままだと自覚している。だから、言葉には出さない。そして、心の中で消化することもできない。
「おっ、わたしの写真がある」
相変わらずアルバムを眺めていたつばめは、今度は剣道部のページを開いてからからと笑った。
「うわ、わたしの髪が黒い。懐かしいなあ」
少し気になり、私も荷造りを中断して床に開かれた卒業アルバムに近寄る。そこには、確かに中学生のつばめが、剣道の防具を着けた状態で映っていた。他の部員も含めて十数人がぴしっと背筋を伸ばして並んでいるが、皆一様に真剣な表情で、少し怖い。
「これって、笑っちゃ駄目とか言われてたの?」
尋ねると、つばめは「まあね」と苦笑いを見せる。
「顧問の先生が『へらへらするんじゃない』とか言ってさ、カメラマンさんも困ってたよ。わたしたちも『笑った方が絶対良かった』って言ってたし、実際にこうやって見ると、真顔で撮ってる部なんてここだけだし」
部員全員による集合写真以外にも、普段の練習風景も撮影されている。しかし、大半の写真でみんなが面を着けているために前垂れに書かれた名前でしか個人を判断できないのは、どうなのだろうか。
私の目がページ上をぐるりと一周した頃、つばめは見計らったように「こっちの方が楽しそうだよね」とページを捲った。
「3年2組」とパステルカラーで書かれたページ。私とつばめが在籍していたクラス。
仲の良いグループごとに撮られた写真や授業中の風景に囲まれて真ん中にあるのは、ひときわ大きなクラスメイト達による集合写真。撮影時の生徒の並びは自由だと言われたので、自然、仲の良い友人同士で近くに来ることになる。
当時のつばめはクラスでの人気者だったにもかかわらず、中央付近は避けて端っこの方に位置取り、それでいてとても楽しげにブイサインをしてまで笑っている。その隣りにいる私も、つばめを真似してぎこちない笑顔とともにブイサイン。今だから言えるが、私は「こんな人気のある親友の隣に私がいていいのだろうか」と気後れしていた。
「このは、写真撮られるの下手だよねぇ」
引きつっている写真の中の私を見ながら、つばめが笑う。その笑顔は、アルバムの中の笑顔と何も変わりない、自然な笑みだった。
「仕方ないでしょ。『笑って』って言われて笑うの、難しいよ」
本当に楽しい時、それこそ今ならば笑えるが、写真のための作り笑いなど私にはできない。どうでもいい話に付き合っている時の愛想笑いですら、上手くできている自信はない。あるいは、愛想笑いが下手だから、あまり人に話しかけられないのかもしれない。
「しかし、懐かしいね」
しんみりと言いながら、つばめは愛おしむようにページを撫でる。
この写真を撮った時には、まだ、自分が泣いて家出をすることなんて想像もしていなかっただろう。更にその数年後には、世界が終わるというのだから、未来など誰にも予想できるものではないと痛感する。
「ね、このは。小学校の卒アルは?」
「あるよ。確か、引き出しに……」
中学校のアルバムよりも大判なせいで本棚に収まらず、学習机の引き出しに寝かせていた小学校の卒業アルバムを引っ張り出す。ずっと開かれていなかったアルバムは、埃の匂いがした。
「一年生って、こんなちっちゃかったんだ。というか、遠すぎて顔が分かんないじゃん」
ひょいとアルバムを覗き込んだつばめに、頷いて同意を示す。
最初のページにあったのは、入学したばかりの頃に撮った一年生全員の集合写真。何故かカメラが若干遠く、生徒たちの顔が分かりづらい。
「おっ、このは見っけ」
「よくそんなすぐに見つけられるね……」
つばめの指差したところには、確かにとても小さな私がいた。精一杯おめかししていたはずだが、前列の女の子が被ってしまっていて、服装が分からない。
「……あ、これ、つばめ?」
そんな私から少し離れた所に、つばめらしき女の子の顔があった。ほっぺたがふっくらとしていて、今の細いつばめからは想像できないほど顔立ちが丸い。
「うわ、めっちゃ丸い。駄目だ、恥ずい。他の写真見よう、他の写真」
そこまで恥ずかしがらなくても、と思う勢いでページが豪快にめくられる。遠足やらクラブ活動やらの写真を飛ばして開かれたのは、生徒たちによって書かれた「将来の夢」が纏まったページだった。
「あー、そういえば、こんなのも書いたなあ」
「将来の夢って、結構偏るよね」
ざっと目を通しただけでも、男子のスポーツ選手率の高さが目立つ。女子は結構バラけているものの、服飾関係が多いように思えた。
「さてさて、小学生だったこのはちゃんの将来の夢は?」
やけにはしゃいだ様子でつばめが更に二ページ分ほど名前を追うと、ついに「土屋このは」という名前が出てきた。そこには、いかにも気弱そうな小さな字で「童話作家」と書かれていた。
「お嫁さんじゃないんだ?」
「いや、『じゃないんだ?』って言われても……たぶんそれ、何も思いつかなかったから適当に書いただけだよ」
「ああ、なるほど。そういやわたしもそんな感じで書いた気がする」
隣のページにある「水城つばめ」の名前の下には、なんともポップなカラーペンで「美容師になりたい!」と書いてある。
「流行りだったんだよねえ、美容師というかヘアスタイリストというか。ドラマやってたし」
「あったね、そんなドラマも」
ちょうど六年ほど前、美容院を舞台にしたドラマが放映された。幅広い世代に受けるヒット作だったのだが、私は当時からあまりテレビを見ていなかったので、主演の俳優が格好良かったという事くらいしか覚えていない。でも、放映翌日はクラスメイトたちがその話題で持ちきりになっていたのはよく覚えている。どうにも肩身が狭かったが、かと言って趣味ではないドラマを追うほど、私は社交上手ではなかった。
適当であっても、「童話作家」なんて夢を書いたのも、私だけだ。
「……ねえ、つばめ」
アルバムに目を落としたまま、親友の名を呼ぶ。
夢、という文字に、私の中に沈んでいた疑問が引き上げられていた。
「つばめは、何か、やり残したこととかないの?」
一週間前、つばめが私に尋ねたこと。それを、そのまま返す。
私の夢は、きっと叶う。つばめに手を貸してもらったおかげで。
だから、何か私にもさせてほしい。言外にそんな思いを込めて、尋ねる。
しかし、つばめはいつものように笑った。
「無いよ。なんにも無い」
それが心からの言葉であると、私には分かる。分かってしまうから、不思議だった。
「そんな、『どうして』って言いたそうな顔しなくてもいいじゃん」
そう言ったつばめの表情は、どこか儚げで、しかし可憐で、
「好きな人と結婚できるなら、後悔なんて残らないよ」
紡いだ言葉すら、美しかった。
そして、それがあまりにも綺麗で、私と同じ場所にあるものとすら思えなかったから、頭の中で噛み砕いて理解するまで少し時間を要した。
好き。知っている。私だって、つばめのことは好きだ。かけがえのない親友だ。
でも、つばめの言う「好き」は、きっと、私が真っ先に考えたものとは違う。
「それ、は……」
答えが見つからず声を震わせた私に、つばめは肩をすくめてみせる。こうなることが分かっていた、とでも言うように。
「初恋は叶わない、なんて言うけどさ、わたしの場合は、そうじゃなくても障害だらけなんだよね。色々やって諦めようとしたけど、むしろ気持ちは大きくなるばっかりだったしさ」
初恋。
知らなかった。でも、同時に納得の行く理由であるとも思えた。
「十数年間、ずっと想い続けてきた人と結婚式を挙げられる……遊びみたいなものだとしても、わたしには、それ以上の幸せなんて思いつかないよ」
小さな頃から、ずっと一緒に歩み続けた親友。手を繋いで、手を引いてもらって、手を引いて。
なんでも知っているつもりだった。つばめの事は、誰よりも分かっているつもりだった。
でも、違った。心の奥底にある感情を、何よりも大きなものを、私は理解していなかった。
「……このは?」
驚きに言葉を失った私を、つばめもまた驚いたように、目を丸めて見つめる。
「なんで、泣いてるの?」
言われて、頬に触れて、気付く。
私は泣いていた。
「あれ……本当だ。なんで、かな……」
声は、嗚咽によって途切れ途切れになる。たちまち、つんと鼻の奥が痛くなって、涙が止まらなくなってしまった。何度もしゃくりあげて、シャツの袖で熱い滴を拭い続ける。
きっと、色んな感情がごちゃまぜになってしまっているのだろう。泣きながら笑う私を、どこか冷静な私が分析している。めちゃくちゃになってしまった頭の中が落ち着きを取り戻すまで待とう。今のまま何かを言おうとしても、困惑しているつばめを更に困らせてしまうだけだ。
口に入った涙がしょっぱかった。鼻をすすり、嗚咽を繰り返し、そんな自分がみっともないと思った。冷静な私は、「だから、つばめも『みっともないところを見せてごめん』と謝ったんだ」と理解して頷いていた。
「……落ち着いた?」
しばらくしてようやく涙が止まった私に、つばめは恐るおそる訊いた。「うん」と答える私の声は、裏返っていた。袖で擦りすぎた目の下は、ひりひりと痛んだ。
「ごめん、なんか、急に涙が止まらなくなっちゃって……」
まるで理由が分からなかったような言い方をしたが――実際、泣いている最中には分からなかったのだけど――存分に泣いて冷静さを取り戻した私は、驚くほどすんなりと涙の理由を捉えることができていた。
この上なく単純な理由。そして、きっと、伝えなくてはならない想い。
「……私も、つばめのことが好き」
好きだから、気持ちが同じだったから。私は、嬉しくて泣いてしまったんだ。
言葉にすると、少しだけ気恥ずかしかった。でも、不思議なほどに爽やかな気持ちにもなれた。
この気持ちを伝えたいと、心のどこかではずっと思っていたんだ。自覚すらしていなかったけれど、私も、つばめと同じ気持ちをずっと抱えていたんだ。
「それって……」
今度は、つばめが戸惑う番だった。
驚きと喜びと不安と、その他にも色んな感情がごちゃまぜになった、なんとも言えない表情で、確かめるように言う。
「わたしの言った『好き』と……」
こくり、と頷くと同時に、衝撃とともに私は床に仰向けに倒れていた。
「よかった……よかった、ずっと、言いたくて……」
痛いくらいに力強く私を抱きしめて、つばめは囁く。
「でも……言ったら、嫌われるんじゃないかって……」
「それくらいで、嫌いになんてならないよ」
「うん……うん。そうだよね、このは、優しいもんね……」
ニッと笑ったつばめの目は、潤んでいた。嘘が上手な親友が時折見せる、想いを誤魔化しきれていない表情が、私は好きだった。
でも、今は、これまで以上にそんなつばめの振る舞いが愛おしい。
「つばめは、かわいいよね」
「えっ……な、なに?急に……」
「言いたくなっただけ。今まではずっと、綺麗とかかっこいいとか思ってたけど、あらためて見ると凄いかわいいなって」
「……待って、このはにそういう事言われると、めちゃくちゃ照れる。いや、嫌じゃないんだけど」
顔を赤くして目を背ける仕草に、私の中の悪戯心が刺激される。なるほど、つばめが時々やけに私のことを褒めたがるのは、こういう気持ちによるものだったのか。
「ねえ、つばめは、私のどこが好きなの?」
好きな人をからかうのは、とても楽しい。こんな楽しいことをつばめは独占していたのだから、私も少しくらいはやり返させてもらおう。
「どこがって……えっと、全部?」
「全部、じゃなくて。たとえば、私はつばめの勉強に飽きて落書き始めるようなところとか、運動した後にシャツの襟引っ張って首の汗拭ったりする仕草とか、ふわふわしてる髪が好きだよ。他にもたくさんあるけど、そういうの」
「いやいやいやいや。待って、具体的な羅列はちょっと、本当に恥ずかしいから。と言うか、このはちょっとキャラ変わってない?そんな風に言う子じゃなかったでしょ」
「そう?じゃあ、つばめに影響されたのかな。つばめがそうやって恥ずかしがってる顔を見るのが、すっごい楽しくて仕方ないんだよね」
「……このは、結構いい性格してるね」
「嫌いになった?」
「まさか」
意地の張り合いとも取れるような、互いの好意を確かめるためのやり取り。
今までずっと我慢してきたつばめのために。そして、今更自分の気持ちに気付いた私のために。交わすのは言葉だけに留まらなかった。
きっと、分かっていた。この甘い時間は、最初で最後のものだと。だから、もっと早く埋められたはずの空白を遡って埋めるように、互いを求めた。
明日、私たちは結婚式を挙げる。その寸前になって、ようやく私たちは「恋人」になったのだった。