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争乱(コンフリクト)]


 地鳴りのような音が治まってしばらくすると、巻い上がっていた粉塵が晴

れてきた。

 スクラップの山の倒壊現場は、スクラップゴミが散乱し、地面もまったく

見えない酷い惨状。

 スクラップ置き場の主人とニコルのいた辺りも、スクラップで埋め尽くさ

れていた。

 スクラップ置き場の主人はおろか、幽霊であるニコルの姿までも、跡形も

ない。

 既に死んでいるニコルは、もう死にようがないはずなのだが……。

 スクラップの下敷きになったくらいで、彼の霊魂は四散してしまったとい

うのだろうか?

 もちろん、そんなことはなかった。

 散乱したスクラップの一部がガタガタと動き出し、宙空に吹き飛ばされる。

 と、吹き飛ばされたスクラップのあった場所から、ひょっこりニコルと、

スクラップ置き場の主人が顔を出した。


「おりょりょ? 生きてる。どうなってんだ? 怪我ひとつしてねえ……」


 無事だったのが信じられないらしく、スクラップ場の主人は、自分の全身

をさすりまくっている。

 死んでいるニコルは、重いスクラップ塊の下敷きになろうと、へっちゃら。

 でもスクラップ置き場の主人は、血肉の通った普通の人間だからニコルと

同じようにはいかない。

 まともにスクラップの下敷きになれば、まず助からない。

 そこでニコルは、咄嗟に魔法の手の術を使って、電磁投射砲ごとスクラッ

プ置き場の主人を自分のほうへと引き寄せ、さらに物理的な結界を形成。

 落ちかかってくるスクラップ塊から、スクラップ置き場の主人を、身を挺

して庇ったのだ。


「もしかして、お前が助けてくれたのか?」


 スクラップ場の主人は、ニコルを振り仰ぎ訊ねた。

 帰還者の存在を認識できるくらい勘が良くても、さすがに意思までは伝わ

らないようなので、ニコルは体をオーバーに前傾させ、頷いて見せる。


「そうか……でも判らねえな。何故俺を助けたんだ? 俺がスクラップの下

敷きになって潰れちまったほうが、お前にとっちゃ都合が良かったろうに」


 疑問を口にしたスクラップ置き場の主人の目の前に、ニコルは黙って小指

の先ほどの平べったい物体をポトリと落とした。

 スクラップ置き場の主人は、地面に落ちたその平べったい物体を拾って、

表裏をひっくり返しながら品物を検分している。


「こいつぁ……マネーチップか」


 マネーチップとは、電子商取引に使われる電子マネーを、小型チップに納

めたもの。

 正規の貨幣ではないが、普通に市場で流通している代用貨幣である。

 チップ表面の液晶版には、1のあとに0が七つ並んでいた。


「一千万キュービット! ワンチップに収容できる最高限度額じゃねえかよ」


 一千万キュービットとは、庶民の給料の三ヶ月分にもなる大金だった。


「まさかお前、さっき近付いてきたのは、こいつを俺に渡すつもりだったの

かい」


 どうやらスクラップ置き場の主人は、ニコルの行動を良いように解釈して

くれたようだ。

 頭を掻くスクラップ置き場の主人。

 彼の顔は、眉尻が下がり、面目なさそうになっていた。


「あちゃー、なんてこったい。俺はてっきり泥棒かと思ってよ。どうやら俺

の早トチリだったみたいだぜ。済まなかったな」


 ニコルは、魔法の手の術で足元のスクラップ片をキレイにどかすと、地面

に『dumpingground(ゴミ捨て場)』と書いた。


「違いねぇ。ウチは、敷地の周りに柵も立ててないし、物も無造作に積み上

げているからな。ゴミ捨て場と勘違いされたって文句言えねえや」


 スクラップ置き場の主人は、ガハハハと大口を空けて笑った。

 言いたいことを伝えられないニコルは、続けて自分の名前も地面に書く。


「そうかお前、ニコルって言うのか。俺はダンカン。ダンカン・スティール

だ。ダンと呼んでくれ。でもよお、こんな夜更けにやって来るお前も悪いん

だぜ。それに、後ろ暗いところがないなら、どうしてコソコソ隠れるような

真似したんだ。顔も見せねーし、そんななりでウロチョロしてたら、誰だっ

て怪しむぜ」


 ダンに、自分の落ち度を指摘され、ニコルは素直に頭を垂れた。


「いいって、いいって。別に責めているわけじゃねえんだから。顔を見せら

れないのも、言葉を話せないのも、お前さんなりの深ーい事情があるんだろ

うからよ。無理に聞くような野暮な真似はしねえよ。だが、電磁投射砲をぶ

っ放したあげく、命まで助けて貰ったんじゃあ、むしろこっちの申し訳が立

たねえなあ。何か礼がしたいんだが……」


 辺りをキョロキョロ見回すダン。


「うちはスクラップ屋だしな。なーんも礼ができるようなもんないんだよな

あ……」


 ダンの目は、目の前の電磁投射砲に止まった。


「そうだ、コイツを持ってってくれ」


 ダンは、電磁投射砲を叩きながら言った。

 ダンの管理しているスクラップ置き場だと知らなかったとはいえ、ニコル

が許可なくスクラップ漁りをしていたのは紛れもない事実。

 非はニコルのほうにある。

 本当なら、警察に突き出されたって文句は言えないのだ。

 いくら命を助けたとはいえ、ダンの自慢の逸品を受け取れるような立場で

はなかった。

 言葉を伝えられないニコルは、体をブンブン振って遠慮する。

 でもダンも、頑として譲らなかった。


「いいんだって。貰ってくれないと、オレの気が済まねえんだからよ。遠慮

せず持ってってくれい」


 最悪の出会い方をしたので、ニコルはダンのことを、おっかない人だと思

い込んでいたが、胸襟を開いてコミュニケーションをとってみると、意外と

気さくな人のようである。


「ただなあ。もう気づいているだろうが、こいつにはいろいろと問題があっ

てなあ」


 威勢の良かったダンの歯切れが急に悪くなる。


「こいつは、一般電源ラインからのエネルギー供給じゃあ、チャージに滅茶

苦茶時間が掛かっちまうんだよ。それに元が宇宙戦艦用の装備だからか、地

表で使った場合、大気による減衰率が高くて、ガクッと威力が落ちちまうん

だわ。確実に目標物を撃ち抜きたいのなら、俺がお前を狙ったときと同じく

らい至近距離から撃たなきゃダメだ」


 電磁誘導によって発射される電磁投射砲は、威力が弾速に比例する。

 そして弾の速さは、砲身にどれだけ強力な磁界を形成できるかによって決

まる。

 威力のある弾を撃つには、かなりの電力の入力を必要とするのだ。

 大体、一般電源で宇宙戦艦用の電磁投射砲を撃とうとなんてするダンが、

無茶なのである。


「まあ、この平和な御時世だしな。充分チャージしなくたって泥棒避けの威

嚇くらいには使えるさ」


 そう言ってダンは、またガハハと笑った。


「こんなところでよければ、また来てくれよな。いつでも歓迎するぜ」


 電磁投射砲の操作法の簡単なレクチャーを受けたのち、ニコルは、ダンに

見送られ、スクラップ置き場をあとにした。


 ◇


 それから十日後。

 ノックス中心街区の繁華街。

 ここはノックスでも、人通りの最も多い場所。

 店舗だけでなく、道にはたくさんの露店が出ていた。

 昼時とあって、さながらバザールのような賑わいだ。

 そこへ一台のペンタポッドが徐行しながらやって来た。

 ソフィーのペンタポッドである。

 彼女が搭乗しているのは、相変わらず胴体位置のサブコクピット。

 機体後部には、牽引用連結器を介し、空っぽの搬送トレイがつながれてい

た。

 彼女は、市場にアーモンドを卸しにやって来た帰りなのだった。

 何故いまごろになって彼女が、アーモンドを卸しにやって来たかというと、

葬儀の後から今までずっと、だらけきった生活を送っていたからである。


 葬儀を終えてからのソフィーの生活は一変した。

 働き詰めだったのが嘘のように、何もやる気が起きなくなり、すっかりダ

メ人間になってしまったのだ。

 いわゆる燃え尽き症候群というヤツである。

 だが、家の中に引き籠もって、ぐうたら生活を続けているうちに、生活必

需品が切れてしまった。

 それに果皮を剥いた状態のアーモンドだって、長いこと放ったらかしにし

ておいたら虫やカビがついてしまう。

 いつまでも放置してはおけない。

 そこで一念発起して、アーモンドを出荷するついでに、生活必需品の買い

出しに来たというわけだ。

 中心街区にまで足を伸ばすのは、引き籠もり生活から抜け出すのには良い

きっかけだった。


 中心街区でも、比較的広い通り沿い。

 道路脇の路上パーキング区画に、ペンタポッドを停めたソフィーは、通り

に面した近くの商店へと入って行った。

 そして二十分ほどして、生活品を大量に詰め込んだ大きな紙袋を抱え、商

店から出てきた。


「よう。ソフィーじゃねえか」


 店から出て来てすぐに、ソフィーは、聞き覚えのあるダミ声に呼び止めら

れた。

 ソフィーが嫌々声のしたほうに振り向くと、案の定あの大嫌いなニヤニヤ

笑いが待ち構えていた。

 ドミトリアスだ。

 アルコールが入っているのか、顔が赤い。

 声も少し上ずっている。

 着ているのは、以前姉弟の家に訪れたときと同じく、ネイビーの上下に、

トレードマークの赤シャツ。

 ただしスーツの前ボタンは止めておらず、シャツも首元がよれ、裾がはみ

出ている。

 左右の腕には、原色の派手な服を着た水商売風の女を、ひとりずつはべら

せていた。


「ふーん。女遊びができるくらいだから、お尻の具合は、もう良さそうね」


 この前の乱暴狼藉の意趣返しのつもりなのだろう。

 ソフィーは、皮肉たっぷりに言った。

 ドミトリアスは、一瞬鼻白んだものの、すぐ気を取り直して別の話題を振

ってきた。


「お前が町の中心部まで出てくるなんて珍しいじゃねえかよ。今日はショッ

ピングかよ?」

「あなたには関係ないでしょ」


 ソフィーの態度は、あいかわらず取り付く島もない。


「なによ、その態度。感じ悪い」


 ところが、ソフィーの愛想のない態度に怒ったのは、当のドミトリアスで

はなく、取り巻きの女たちのほうだった。

 取り巻きの女たちにとって、ドミトリアスに対する侮蔑は、同伴している

自分たちへの侮蔑と同じに感じられたのだろう。


「ねえドム。あんな田舎娘、放っておいて行きましょうよ」


 だが意外なことに、ドミトリアスの怒りの鉾先は、ソフィーではなく、取

り巻きの女たちに向けられた。


「俺はソフィーと話してんだ。少し黙ってろ!」

「なに、その言い草。あたしらは、あんたのためを思って……」

「あー、そういうのいいから。お前らは、もうあっち行ってろ」


 シッシッと、女たちに手を振るドミトリアス。


「なにそれ」

「自分で付いて来いって言ったクセに!」

「うるせえっ、あっち行けって言ってんだよ!」


 ドミトリアスは、天に中指を突き立て、ぶつくさ言っている女性たちを無

理矢理追い払った。

 こういうデリカシーの欠片もないところが、ソフィーに嫌われているのだ

が、ドミトリアスは、まったくそのことに気づいていないようだ。


「さあ、邪魔者は追い払ったぜ」


 ドミトリアスは、ソフィーの近くにまで寄ってきた。


「お酒臭い。あなた昼間から酔っ払っているの?」


 予想していた以上の強烈なアルコール臭だったらしく、ソフィーは鼻をつ

まんで顔をしかめた。


「なあソフィー。俺とまた付き合えよ。いい思いさせてやるからさ」

「またって何よ。あなたと付き合ったことなんてなかったでしょ!」

「へへ、そんな薄情な態度とったってダメさ。俺には分かっているんだ。お

前だって本当は、まんざらでもなかったんだろ?」

「どうしたら、そう自分に都合良く考えられるのかしら。信じらんないわ」


 相手の心情をこれっぽっちも慮ろうとしない言い草に、ソフィーは心底呆

れた。


「俺は、お前がどうしても忘れられねえんだよ。お前の白い肌、柔らかい唇、

それに……」

「やめて、気持ち悪い!」


 怖気が走ったらしく、ソフィーは、ぶるっと体を震わせた。


「そんなに聞き分けのねえこと言うならしょうがねえ。本当はこいつは、使

いたくなかったんだが……」


 ドミトリアスは、そう言ってポケットから一本の水晶棒を取り出した。


「このテラバイトメモリースティックにはな。お前とよろしくやったときの

隠し撮り映像が納められてんのさ。お前が、あの死に損ないのガキにかかり

っきりになってる間、こいつが俺の唯一の心の慰めだったんだぜ」


 ドミトリアスは、これみよがしに、クリスタルにキスして見せる。

 これには、ソフィーの堪忍袋の尾も切れた。

 ソフィーは、直視するのも嫌だったはずのドミトリアスの顔を、キッと睨

みつける。


「この下衆っ!」


 ソフィーの眼力に押され、たじろぐドミトリアス。


「おいおい、そんな態度とっていいのかよ。俺の胸先三寸で、お前の痴態が

火星中にばら撒かれるんだぜ」


 明らかな脅迫だ。

 ドミトリアスという男は、性根が腐りきってしまっているようだ。


「それ脅しのつもり?」

「脅しだって? そんな風に言うなよ。俺はただ、お前に優しくして欲しい

だけさ。お前を大事に思っているからこそ、このとっておきの映像だって、

まだ他の誰にも見せていないんだぜ。けどお前が、あんまり反抗的な態度と

るようなら、そのときはどうなるか分かんねえなあ」

「ふうん。じゃあ勝手にすれば」


 ソフィーは、あっさりと答えた。


「なっ?!」


 ソフィーが折れてくるものとばかり思っていたドミトリアスは、目を丸く

する。


「そんな映像が広まれば、たとえあなたが地元の名士の息子だろうと、警察

も動かざるをえなくなるわ。未成年の女の子が襲われる映像が世間に流れて

困るのは、あたし? それともあなた? いったいどちらかしらね?」


 ソフィーは強気だった。


「お、俺が、そんな脅しにビビるとでも思ってんのかよ!」


 相手の弱味を握って交渉を有利に運ぶはずが、まさか逆に脅される羽目に

なるとは予想もしていなかったのだろう。

 口では強がっていたが、ドミトリアスは、心の動揺を隠せていない。

 目をキョトキョトさせて狼狽している。

 そんなドミトリアスのありさまを見て、ソフィーは深く溜め息をつく。


「ふーっ。こんな脅しで、あたしを自由にしようだなんて。どうやらあなた

は、あたしって人間を勘違いしてるみたいね。いいわ。この際だからはっき

りさせましょうか」


 ソフィーは、ドミトリアスを真正面から見据えて言った。


「あなたは、どんな人間でもお金でなびかせられると思ってるんでしょうけ

ど、お生憎さま。あたしは別に、着飾りたいとか、贅沢したいとか、そうい

う願望ないの。あたしが望んでいたのは、弟と一緒の暮し。ただそれだけよ。

せっせと働いてたのも弟のため。あなたに最初に乱暴されたとき、強く抗わ

なかったのも弟のため。でも弟のニコルが死んで、もうどうでもよくなっち

ゃったわ」


 少女の顔に、フッと寂しげな表情が浮かび、すぐ消えた。

 ソフィーは、言葉を続ける。


「だから、あたしのヌードを世間に流すって言うんなら、好きにすればいい。

でもそんなことしたって、あたしは、あなたの物になんて絶対ならないから。

あたしは今までも、そしてこれからも、弟だけのもの。弟を供養しながら、

弟のことだけを想って生きていくわ!」


 それは、ソフィーの堂々たるブラザーコンプレックス宣言であった。

 しかし治まらないのは、公衆の面前で完璧に振られ、恥をかかされたドミ

トリアスのほうである。


「舐めやがって、く、くぉ、この尼ーっ!」


 ドミトリアスは完全に逆上し、ソフィーに飛び掛かってきた。

 驚いたソフィーは、買物の紙袋を抱えたまま、駐機してある自分のペンタ

ポッドのほうへ逃げる。

 でも、ペンタポッドを目前にして、長い髪をドミトリアスに掴まれてし

まった。

 ドミトリアスは、掴んだ金糸の束を、容赦なく引っ張る。


「キャアッ」


 頭に走った激痛に、ソフィーはたまらず紙袋を取り落とし、中身を道路上

にぶちまける。


「せっかく俺の女にしてやろうって言ってんのに、ことごとく逆らいやがっ

てよお。お前みたいに聞き分けの悪い女は、力付くで言うこと聞かせるしか

ねえよなあ」


 ドミトリアスは、降車姿勢で駐機してある背後のペンタポッドのキャノピ

ーに、ソフィーを押し倒すと、彼女の胸倉を掴み、一気に服を引き裂こうと

した。

 しかし、手が何かに引っ掛かって動かない。


「うん?!」


 見ると、いつの間に挟まったものか。

 スーツの右袖の生地が、ペンタポッドのキャノピーハッチに咥え込まれて

いた。


「どうなってんだ、こりゃあ?」


 ドミトリアスは、生地を引き抜こうと奮闘するも、なかなか抜けない。

 なまじ仕立ての良いスーツだったので、破れもしない。


 ドミトリアスが、ペンタポッドのキャノピーと格闘している隙に、ソフィ

ーはそろそろとドミトリアスの許から離れた。


「あっ、こら、逃げんじゃねえよ!」


 ドミトリアスの注意が、距離をとろうとするソフィーのほうに向いた瞬間、

ペンタポッドの拘束が突然緩み、袖が解放された。

 服がキャノピーから抜けたのは良かったものの、引き抜くために思い切り

後方に荷重をかけていたため、ドミトリアスは勢いよく仰向けにひっくり返

ってしまった。


「痛てて……ちっくしょう、なんなんだ、いったい!」


 やることなすこと上手く行かず、癇癪を起こしたドミトリアスは、目の前

にあったペンタポッドのボディーを腹立ち紛れに蹴飛ばした。

 でもその短慮な行動が、さらなる悲劇を呼んでしまう。


 ギギギギギ……


 サイドブレーキをしっかり引いていなかったのか。

 蹴られた衝撃でペンタポッドが、ドミトリアスのほうに向って動き出した

のだ。

 慌てて立ち上がり、逃げようとするドミトリアス。

 だが、衝突は避けられなかった。

 数歩と行かず、背中からペンタポッドにぶつかられ、五メートルほどポー

ンと弾き飛ばされる。


「のわっ!」


 ペンタポッドは、ドミトリアスにぶつかった衝撃で止まったが、ドミトリ

アス自身は、今度はうつ伏せの状態で倒れ込んでしまった。  

 遠巻きに見守る人だかりにソフィーも紛れて様子を窺っていたが、彼女も

目の前で何が起きているのか図りかねていた。

 第三者の視点では、まるでドミトリアスが、ひとり芝居を演じているよう

に見えていたからである。

 ソフィーには、ドミトリアスの演じるひとり芝居以外にも、不可解なこと

があった。


「あたし、胴体部コクピットを使っていたはずなのに。どうしてペンタポッ

ドが降車姿勢になっていたんだろう?」

 

 上部コクピットが地面スレスレまで下がっていなければ、ドミトリアスの

スーツが上部キャノピーに挟まれるハプニングだって起こりえなかったはず。

 ペンタポッドが降車姿勢になっていたことは、ドミトリアスにとっては不

幸だが、ソフィーにとっては幸運だったと言える。

 でも、機体を極端に前傾させるペンタポッドの降車姿勢は、上部コクピッ

トから乗り降りするためのもの。

 胴体部コクピットからだと普通に乗り降りできるので、胴体部コクピット

しか利用していないのなら、わざわざ降車姿勢をとらせる理由はないはずな

のだが。


 伊達男を気取っている者の意地か。

 結構なダメージを負っているはずなのに、ドミトリアスは、すっくと立ち

上がった。

 彼は、しばらく周囲を見回していたが、遠巻きに見守る人だかりの中にソ

フィーの姿を見つけ、彼女に向って大声で怒鳴った。


「っのヤロー、ソフィー! 何もかも、てめえのせいだ!!」


 衆人環視のなか、赤っ恥をかかされたドミトリアスは、自分の不幸を、す

べてソフィーのせいだと責任転嫁したようだ。

 血走った眼で、ソフィーを睨むドミトリアス。

 あまりにも恐い顔だったので、眼力では負けないはずのソフィーがたじろ

いでいた。

 後退るソフィーに、詰め寄ろうとするドミトリアス。

 そこへ大柄な男性が、ちょうど通りがかり、ドミトリアスと肩がぶつかっ

た。


「てめぇ、邪魔なんだよ、どけ!」


 ドミトリアスは、大柄な男の肩を掴み、無理やり脇へ、どかそうとした。


「年長者への口の聞き方も知らんのか。これだから、ゆとり世代の火星人は」

「あんだと? もういっぺん言ってみやがれ、おっさん!」


 息巻くドミトリアスだったが…………


 バスッ!


 くぐもった音がして、ドミトリアスのシャツの赤が、腹の部分だけ色を濃

くしていく。


「うげぇ……」


 ドミトリアスは、呻き声を洩らし、ドウッと地面に倒れた。

 大柄な男・ドラグノフの手には、いつの間にかハンドガンが握られていた。

 ドミトリアスの体から溢れた血が、見る間に大きな血溜まりを作っていく。


「お目当ての宝の在り処さえ見当がつけば、もうお行儀良くしていることも

ないしな」

「キ、キャーーーーーーッ!」


 辺りに響き渡る絹を裂くような悲鳴。

 野次馬の女性のひとりが叫んだのを皮切りに、人々は我先にとその場から

逃げ出した。


「時間がもうない。ここからは、少し乱暴にやらせて貰おう」


 ドラグノフは言うと、天に銃をかざし、再び発砲した。


「どうしました?」


 野次馬たちと入れ違いにやってきたのは、銃を持った町の自警団。

 だが、その自警団も、殺害現場にたどりつく前に、横合いから猛烈な爆発

を受け、体ごと吹き飛ぶ。

 ドラグノフの仲間が、街中でトライポッドアーミーの火砲を発射したのだ。

 ドラグノフは、キャノピーを開けたまま近付いてきた一台のトライポッド

アーミーに飛び乗ると、ヘルメットを被った操縦者を脇に移動させ、自らが

コクピットシートに着いた。


「もう和平会議は始まってしまっている頃か。場所を特定するのに、だいぶ

手間取ってしまったな。仕方ない。掘り起こす手間を省くとしよう。おいカ

ーラ、例のお宝が眠っているのはどこだ?」

「あの高台の、住宅の密集している辺りだそうです」


 ヘルメットを外し、見事な黒髪を露わにした副官のカーラが答えた。


「そうか」


 ドラグノフは、中心街区の高台に狙いを定めると、躊躇なく操縦桿に付い

ているトリガーボタンを押した。


 ドンッ!


 トライポッドアーミーの発射した火砲は、今度は大きく弓なりの軌道を描

いて、町の高台に着弾した。

 わずかなタイムラグのあと、空からは、砲撃によって吹き飛ばされた家屋

の破片が、パラパラと降ってきた。


「大佐、ちょっと派手にやり過ぎじゃないですか?」

「アレが動き出したら、どうせここら一帯は焦土になる。加減してやったと

ころで意味はなかろう」


 ドラグノフは、非戦闘地域への発砲にも、微塵も頓着している様子はなか

った。


「でもこれでは、肝心のお宝が壊れてしまいます」

「大丈夫だ。あれは、こんな豆鉄砲で傷付くような代物じゃない。トライポ

ッドアーミー部隊各位に告ぐ。かまわん。高台目掛けて、撃って、撃って、

撃ちまくれ!」


 ドラグノフの命令一下、町の各地に潜んでいたトライポッドアーミーが、

容赦ない砲撃を開始した。

 砲撃は精確とは言い難く、狙いから逸れた地点にも多数着弾していて、

町のいたるところで火の手が上がっていた。

 これでは、無差別攻撃とほとんど変わらない。

 ひとしきり続いた砲撃が止むと、高台には、砲弾型をした巨大な物体が露

になっていた。


「ついに見つけたぞ。よしカーラ、お前は一隊を引き連れてアレの回収に向

かえ」

「了解」


 カーラは、ドラグノフ機の傍にやってきた別のトライポッドアーミーのボ

ンネットへ飛び移った。

 一斉砲撃が終わったあとも、砲撃の音は断続的に聞こえてきている。

 延焼範囲は広がっていて、砲撃による全壊を免れた建物も、時間が立つに

つれ、次々と倒壊していた。

 人影は少ない。

 どうやら、町の人の多くは、既に手近なシェルターに逃げ込んだようだ。

 だが、あまり町の地理に明るくないソフィーは、完全に逃げ遅れていた。

 避難場所を求め、狭い路地を彷徨うソフィー。

 彷徨ううちに完全に道に迷ってしまった彼女は、いまいる細い支路から、

いったん目の前に見えている大きな通りへ出て、自分のいる位置を再確認し

ようとした、その途上。

 彼女の頭上で、ミシッという嫌な音がした。

 振り仰いでみると、崩れた建物の巨大な建材が、高空から降りかかって来

るところだった。


「ひぃっ!」


 ソフィーは、咄嗟に腕で頭を庇う。

 ところがどういうわけか、彼女に降りかかってきたのは、パラパラした粉

状の破片だけ。

 大きい破片は、一切落ちてこなかった。

 顔を上げると、そこには見馴れたマシンの姿が。

 彼女に覆い被さるようにして立っていた。

 農作業用のペンタポッドワーカー形態に変形したペンタポッドが、我が身

を盾にして彼女を守っていたのだ。


挿絵(By みてみん)


「どうなっているの? 誰も乗っていないはずなのに……」


 怪訝そうな顔をしてペンタポッドを見上げているソフィー。

 その目の前の通りを、一台のトライポッドアーミーが駆け抜けて行った。

 ドラグノフ配下チェンの機体だ。


「へひひっ、新しいオモチャみーっけ!」


 ソフィーの傍らに常に付いているニコルには、トライポッドアーミーのコ

クピット内で、チェンが嬉々とした声を上げたのが聞こえていた。

 民間人など放っておけばよいものを。

 ソフィーをあざとく見つけたチェンは、わざわざ機体を反転させて戻って

きた。


「おらおら、死にたくなけりゃ、どけどけーっ!」


 どうやらチェンは、血と硝煙の匂いに酔ってコンバットハイの状態になっ

ているようだ。

 加速して突っ込んで来るチェンのトライポッドアーミー。

 ペンタポッドごと、ソフィーを轢き殺すつもりなのか。

 あんなに大きなタイヤに轢かれたら、少女の細首など、いともたやすくへ

し折られてしまうだろう。

 けれどターゲットになっているソフィーはというと、まだペンタポッドに

気を取られていて、チェンが迫って来ていることなど露ほども気づいていな

かった。

 気づいていなくては、そもそも避けようがない。

 哀れ少女の肉体は、ボロ雑巾のようにズタボロにされてしまうのか。

 しかしぶつかる寸前、ペンタポッドワーカーが、予備動作なくスッと腕を

突き出した。

 周囲に充分注意を払えていない馬車馬の眼状態だったのは、コンバットハ

イになっているチェンだって同じこと。

 不意のペンタポッドワーカーのカウンターパンチは見事に決まり、チェン

の機体は地面にバウンドして動かなくなった。


「なに? なんの音?!」


 チェンが接近していたことにも気づいていなかったソフィーは、突然大き

な衝突音がしたので吃驚していた。


「おい、何があったチェン!」

「チェンがやられた!」

「誰にやられた?」

「俺たちに抵抗しようなんてヤツが、まだこの街にいるのか?!」


 思いもよらぬ反撃を受け、街にいるトライポッドアーミーのパイロットた

ちはざわめき、交信が混線していた。

 時を置かず、チェンがやられたのを知った仲間たちが、色めき立ってソフ

ィーとペンタポッドのもとへ集まって来た。

 ちょうどソフィーは、ペンタポッドの影から出て、大通りを渡ろうとして

いたところだった。

 けれども、横断途中で集まってきたトライポッドアーミーに行く手を阻ま

れ、仕方なくすごすごとペンタポッドの足元へと戻り、その陰へ隠れた。

 集まってきた複数のトライポッドアーミーが、ペンタポッドと、その背後

のソフィーに火砲を向ける。

 ペンタポッドがいるのは、大通りへ出るT字路手前の細い路地。

 左右を建物に遮られ、背後は瓦解した建物の建材が積み重なった袋小路と

なっているため、前方の通りをトライポッドアーミーに塞がれてしまうと、

何処にも逃げ場がない。

 もはやソフィーは、狼を前にした子ヤギのように動くこともままならず。

 ペンタポッドの足にすがってガタガタと震えていた。

 ところが、身動きならないソフィーとは対照的に、無人のはずのペンタポ

ッドは、わずかずつ動いていた。

 もっともペンタポッドから発せられる低いモーターの駆動音は、爆発や火

災の音に掻き消され、ドラグノフの部下たちの耳にまでは届いていない。

 上背も徐々に伸び始めていたが、動きが微か過ぎて、その場にいる誰も変

化に気づいていなかった。


 死を覚悟し、ギュッと目を瞑るソフィー。

 次の瞬間、トライポッドアーミー部隊の火砲が、ソフィーのいる袋小路に

向って一斉に火を噴いた。

 ソフィーとペンタポッドのいた場所に炸裂する無数の砲弾。

 辺りには、砲火でコナゴナにされた建築物の粉塵がもうもうと舞い上がり、

一時的に視界が閉ざされる。

 粉塵の中からは、ペンタポッドの上部キャノピーが吹き飛ばされてきて、

ガランガランと音を立てて地面に転がった。

 しばらくして煙は晴れてくると、そこにはもうソフィーとペンタポッドの

姿は、影も形もなくなっていた。


「どうだ、やったか?」


 トライポッドアーミーのパイロットのひとりが、仲間に問う。


「女と、あの青いペンタポッドは、どこに行った?」

「あの集中砲火だ。肉片ひとつ残さずに、消し飛んだんだろうよ」

「そんなわけあるか。女はともかく、ペンタポッドは残骸くらい残っている

はずだ。よく探せ!」


 トライポッドアーミーのパイロットたちが、ソフィーとペンタポッドの姿

を躍起になって探し始めたそのころ。

 当のソフィーは、頬に快い風を感じていた。

 ギュッとつむっていた瞼を開くと、そこに広がっていたのは青空の大パノ

ラマ。


「天国……じゃ、ないわよね」


 火事の煙が数条、下方から立ち昇っているのを見て、ソフィーは、すぐに

ここがあの世ではないと察した。

 眼下を覗き込むと、そこには破壊されたノックスの町と、彼女を襲ったト

ライポッドアーミー部隊の機影が見えた。

 彼女は、トライポッドアーミー部隊の死角になっている背後のビルの屋上

で、片膝を突いたペンタポッドの腕に囲われ立っていたのだ。


「どうなっているの、これ?」


 ソフィーは、ペンタポッドの上部コクピットを振り仰いだ。

 と、そこには、見馴れた上部座席のコクピットはなく、頭頂に茶筅髷を乗

せたような、異形の巨顔が鎮座ましましていた。

 変化は、上部座席部分にとどまらない。

 左右の長い前輪脚は、肩上に跳ね上げられ、肩アーマーを構成している。

 さらに肩アーマーの下からは、見たこともない形の機械の腕が生えていた。

 腕とひとことに言っても、ペンタポッドの作業用マニュピュレーターとは、

明らかに形が違う。

 もっと人間の腕の形状に近い。

 御丁寧なことに、手には五本の指まで備わっていた。

 ソフィーは、片膝を突いている脚にも目をやる。

 そもそもペンタポッドが、片膝をついているのも、おかしな話だ。

 もともとペンタポッドには、膝関節なんてもの備わっていなかったのだか

ら。

 膝を突いているなんて道理に合わないのだ。

 ペンタポッドは、脚部も膝関節を備えた人間に近い形状に変化を遂げてい

たのである。


挿絵(By みてみん)


「あなた……あたしのペンタポッドなのよね?」


 人のような四肢を備えたその姿は、作業機械というより、まるで神話に出

てくる巨人。

 ソフィーが、本当に自分のペンタポッドなのか疑うのも、無理はなかった。

 でも、脛の部分を見ると、確かにあの見馴れた相合傘の落書きが描かれて

いる。

 ソフィーの知っているペンタポッドとは、すっかり外観が変わってしまっ

ていたが、彼女のペンタポッドに間違いない。


「あなたが、あたしを助けてくれたの?」


 異形の巨人は、彼女の問いには応えず、ただ黙って胴体部のコクピットハ

ッチを開いた。


「乗れっていうの?」


 巨人は、やはりただソフィーを見つめているだけ。

 黙して語ろうとはしない。


「選択肢はなさそうね。分かったわ。乗るわよ」


 ソフィーは首をすくめて見せると、ペンタポッドの胴体部に乗り込んだ。

 ソフィーを収容したペンタポッドは、ぬうっと立ち上がる。

 大きさは、作業形態のペンタポッドワーカーよりもさらに高い。

 頭頂高までは五メートル以上。

 肩の上に跳ね上げられた脚輪部分まで入れれば、全高は七メートルに達す

る。

 七メートルといったら、元のペンタポッドローバーの倍以上の大きさだ。

 まさに巨人と呼ぶにふさわしい。

 ペンタポッドは、腕を肘の高さまで持ち上げると、両の掌を、開いたり閉

じたりした。


(よし。この体ならば、なんとかいけそうだ)


 ニコルは心の中で呟いた。

 そう。人型のペンタポッドには、ニコルの意思が宿っていたのである。

 といっても幽霊が、念動力や、ポルターガイスト現象といった超常の力を

用いて操っているなんていうオカルト話ではない。

 現在のニコルが、ペンタポッドそのものだったのだ。


 この世の中には、死してなお絶大な影響を及ぼす人もいる。

 だが、それでもしょせん死者は死者。

 この世において、生者より多くのことは成し得ない。

 だからニコルは自分の死後、霊などという存在するかどうかも判らないあ

やふやなものに、姉の後見を任せるつもりはさらさらなかった。

 ニコルのことを幽霊ゴーストと述べていたのはただの暗喩。

 電脳に宿る人間としてのアイデンティティーを指して、このように

表現していたに過ぎない。

 つまり……

 死を目前にしたニコルが案じた一計とは、死んで幽霊になることではなく、

ペンタポッドの量子コンピューターに、自分の意識ゴーストを移植する

ことだったのである。

 ニコルは、自ら生物としての死を選ぶことで、機械生命体として、新たな

生を得ようとしたのだ。

 けれども、思考を機械に移植するにあたって、ニコルにはひとつ懸念があ

った。

 コンピューターに思考を移植して、果たして生前のままの自分でいられる

のか。

 もしかしたら生前の自分とはまったく別の、感情のない機械になってしま

うのではないか、という懸念だ。

 火星植民時代になってから、ペンタポッドのような汎用機械にさえも、脳

のニューロネットワークをエミュレートして人の思考を完全再現することが

可能な百桁量子ビットのコンピューターが搭載されるようになっていた。

 理論上は、量子コンピューターによって人の記憶はおろか、思考や感情ま

でも再現可能なはずだった。

 でもそれは飽くまでも、理論上は、だ。

 実際に機械への完璧な人格移植に成功した例は、現在まで一例もなかった

のである。

 前例がないのだから、ニコルが危ぶむのも無理はない。

 だからこそニコルは、機械の自分が、より自分らしく、人間的であるため

に、最後の最後までマシンと人との連続性にこだわった。

 電脳と、脳を、死ぬまでつないだままにして、電脳が脳の働きを補完する

ように設定。

 徐々に生身の脳から電脳へと移管できれば、安心して逝けると考えたので

ある。

 ペンタポッドに乗っているときに、ニコルが意識を維持し易かったのも、

つながっていたペンタポッドのコンピューターコアが、補助脳(サブプロセ

ッサ)として機能してくれていたおかげだった。

 ペンタポッドに乗っていないときも、ペンタポッドコアとの意識の連続性

を保っておくために通信接続で常につながりは維持していた。

 もっとも、脳と、ペンタポッドコアが、リアルタイムにをやりとりする思

考のデータ量は、あまりにも膨大。

 通信接続だと処理が追いつかないこともしばしば。

 そのせいでペンタポッドから少しでも離れると、ニコルの思考は途端に鈍

化してしまった。


 死の間際。

 無機物の脳と、有機物の脳の、『主』と『従』の関係性が入れ替わり、や

がて有機物の脳は、『従』の使命すらも終えた。

 ペンタポッドのコクピットディスプレイに表示されていた風車型のカーソ

ルが止まったのは、有機物の脳が完全に活動を停止し、無機物の脳と、有機

物の脳の記憶移管作業が終わったサインだったのだ。


 いったん死んで、再び意識を取り戻したとき、ニコルがソフィーに触れら

れなかったのは、コクピット内にニコルの視点となるコクピット内カメラは

存在していても、ニコルの肉体となる体は存在していなかったから。

 ニコルが、コクピット内視点で自分に体があるように錯覚していたのは、

カメラのイメージビューイング機能が働いていたため。

 ニコルが理解し易いように、カメラで捉えた映像中に、ニコルのボディー

イメージを投影していたからである。

 実体のないイメージだったから、ニコルの手は、ソフィーの体をすり抜け

たわけだ。

 過去夢を見たときに、記憶の中に映り込んでいるはずのない自分の姿まで

見えているのと同じ現象だと考えればよいだろう。


 ニコルが自宅に上がろうとしなかったのは、ペンタポッドの大きな体では、

家の中に入るのは物理的に不可能だったから。

 ニコルの使っていた魔法の手の術とは、直訳どおりマジックハンド。

 つまりペンタポッドの伸び縮みする作業用マニュピュレーターのこと。

 ニコルは、窓の電子ロックを開錠して、マニュピュレーターをそっと差し

込み、姉の体をベッドへと移動させていたのだ。

 ナイフを溶かしたり、ドミトリアスの尻を火事にした力は、マニュピュレ

ーター部に取り付けられているレーザートーチのレーザー照射。


 スクラップ置き場へも、もちろんペンタポッドの姿で出向いていた。

 スクラップ置き場で、ダンがすぐにニコルを見つけられなかったのは、ニ

コルが見えなかったからではなく、使いこまれたペンタポッドを、他のスク

ラップと違うと区別できなかったから。

 ペンタポッドの姿自体は、初めからちゃんとダンにも見えていたのだ。

 ダンの命を救った物理結界とは、瓦礫からソフィーを守ったときと同じよ

うに、ペンタポッドのボディーでダンの上に覆い被さっただけのこと。

 ちなみに、ニコルがダンに支払った高額のマネーチップは、姉を見守るだ

けの生活が手持ち無沙汰になったので始めた内職の成果だった。

 完全に機械と一体化したニコルには、ネット上の仮想通貨を拾い集めるこ

となど、造作もなかったのである。


 ニコルが人目を盗んでおこなっていたのは、仮想通貨集めの内職だけでは

ない。

 人型の体を運用するため、人目を盗んで機体の改修作業も併せて進めてい

た。

 スクラップ収集も、単なる趣味ではなく、機械の体をアップデートするた

めの改修作業の一環だったのだ。


 人型ボディの実現に着手したそもそもの動機は、晩年歩行困難になってい

たニコルの『人のように歩きたい』という素朴な欲求が発端ではあったが、

結果的に人型にメタモルフォーゼを遂げたニコルは、かなりの素早さで動け

るようになっていた。

 人の身体感覚を持ったまま機械に転生したニコルにとって、最も動かしや

すい体は、やはり人型だったということなのだろう。

 一瞬のうちに高空までジャンプし、敵の包囲から逃げおおせたのも、人型

の体があったればこそだった。


 ニコルの飛びぬけた運動能力で、いったんは窮地を逃がれることができた

ソフィー。

 だが、敵はしつこくソフィーたちを探し続けている。

 下手に動くと、敵に見つかってしまう可能性が高い。

 ニコルは、スクラップ置き場のときと同じように、ジッと動かないでやり

過ごすことにした。

 しかし敵は戦闘のプロだ。

 そう易々とは見逃してはくれなかった。

 最初にペンタポッドに気づいたのは、単機で離れた場所から作戦を指揮し

ていたドラグノフだった。


「おい、お前ら! 背後に何かいるぞ!」


 ドラグノフがトライポッドアーミーのコクピット内でがなった声は、ニコ

ルの耳にも届いていた。

 ニコルの耳は、五百メートル先の地面に落ちた針の音さえも聞き分ける高

感度センサー。

 距離が近ければ、トライポッドアーミーのコクピット内の声でさえも拾え

る。

 火星はレーダーなどのセンサー系が、磁気嵐によって無効化されてしまい

がちなのは以前にも述べた通り。

 でもセンサー系が死んでしまいがちな特殊環境だからこそ、ペンタポッド

の各種センサーは、視覚がダメなら聴覚、聴覚がダメなら嗅覚といった風に

補いあえるように、偏りなく全てが強化されているのだ。


 てんで見当違いの所を探していたドラグノフの部下たちも、ドラグノフに

報されて、ペンタポッドの位置に気づき、ニコルたちのほうに機体を向ける。


「誰の声?」


 どういうわけか、ドラグノフの声は、コクピット内のソフィーにも届いて

いた。

 トライポッドアーミーの声を傍受していた高感度の集音センサーと、外の

音をコクピット内まで届けている外部マイクは、実は同じ装置。

 今まで、同じ耳で聞き取った音を、わざわざ各音の成分に分解。

 ソフィーに聞かせてもよい音成分だけを抽出後、それをコクピット内に流

すという面倒くさい工程を踏んでいた。

 けれどもソフィーに聞かせるつもりのない音までコクピット内に流れてし

まうなんて、想定外のアクシデントである。

 音声出力ラインが混線しているのか。

 あるいは、音成分の分解が上手くいっていないのか。

 いずれにしても困ったことである。

 危急のときでなければ、すぐに不具合の検出に入るところなのだが。

今のニコルにはそんな悠長なことをしている余裕はなかった。

 既にニコルの量子頭脳は、フル回転で戦闘シミュレーションを始めていた

からだ。

 現状最優先すべきは、何よりもトライポッドアーミー部隊との戦闘シミュ

レーション。

 あとは変形した新形態の体が支障なく動いてくれさえすれば、ニコル的に

はそれで良かった。

 実は人型の新形態は、ろくにテストせず、ぶっつけ本番で使っている。

 だから多少の不具合が起きることも想定内。

『こういうトラブルも起きるかもな』程度に思っている。

 焦ったりはしていない。

 それに音声出力系のトラブルなど、生死には直結しない些細なこと。

 生死のかかったこの状況では、生死に直結しない事柄には、あえて目を瞑

る。

 やるべきことに明確な優先順位をつけ、割り切って行動できるようになっ

たことも、機械の体になった利点だった。


(やっぱり、見逃してはくれないか)


 トライポッドアーミーの武装は、威力の低い低圧砲。

 そうは言っても、ペンタポッドの改修作業も、装甲の強化までは及んでい

ない。

 薄っぺらい装甲のペンタポッドでは、威力の低い低圧砲だろうと、直撃を

食らえば一巻の終わりだ。

 十分な脅威と言えた。

 それに敵の数が多すぎる。

 町の四方に散らばっていた地球人ゲリラのトライポッドアーミーが、この

場所に集結して来ているようだ。

 やり合わなくて済むなら、やり合いたくない相手だ。

 現在もニコルの電子脳には、ペンタポッド側の圧倒的不利を示す戦闘予測

データが次々と列挙され続けている。

 けれども、敵がこちらへ向って、どんどんと近付いて来ている状況では、

もはや戦って活路を開くより他に道はない。


(空からの攻撃がないのが、せめてもの救いだけど……)


 過酷な環境のせいで、火星ではドローンでさえもあまり飛ばない。

 だから、航空戦力は気にしなくてよい。

 とはいえ、ペンタポッドの主武装は徒手空拳。

 リーチも、破壊力も、トライポッドアーミーの火砲に比べ、圧倒的に負け

ている。

 もっともニコルは、この不利な状況にあっても弱気になっていなかった。

 むしろ心は奮い立っていた。

 たとえこの身がスクラップに変わり果てようとも、姉だけは守り抜いてみ

せるという強い覚悟があったからだ。


(攻撃を避けて、避けて、避けまくって、近接格闘に持ち込み、各個撃破し

ていくしかない。ともかくやってみるさ!)


 頭部のカメラアイに光が灯り、ニコルのペンタポッドは、いよいよ臨戦態

勢に入った。


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