地球軍属(アースアーミー)
陽は登りきっておらず、中天にさしかかるまではまだ遠い。
柔らかい日差しが降り注ぐノックス郊外の墓地。
墓地の敷地は広く、無数の墓碑が並んでいた。
そのうちのひとつ。
キリル文字と英字で、ニコライ=ベススメルトヌフと刻まれた真新しい墓
碑の前に、二人の人物が立っていた。
ソフィーとポポフだ。
彼らが身に着けているのは、普段の作業着ではなく黒い礼服。
墓前には、彼らの持ってきた花束が、二つだけ供えられている。
姉弟には知り合いが少ない。
とはいえ、普通ならば村人が、お義理でも参列するものなのだが。
でも辺りには、二人以外に人は見あたらなかった。
ニコルは、宗教の教義に反して自殺をした罪びと。
だから村人たちは、参列することを忌避したのだろう。
協会側が、自殺者に対して、祈ったり、葬儀を挙げることまで禁止してい
ないのが、せめてもの救いだった。
黙祷後、併せていた手を解いたソフィーは、ポポフにポツリポツリと語り
だした。
「弟が亡くなったときは、ショックで取り乱していたんです。でも強い喪失
感を感じたのは、ニコルを亡くした直後だけで……」
彼女の声は沈んでいたけれども、その声に色濃く表れていたのは、哀しみ
よりもむしろ困惑。
「どうしても死んでしまった実感が湧かなくて。時間が経つにつれ、まだ傍
にいるような気がしてならないんです」
相当戸惑っているらしく、自分で自分の気持ちを確かめるように、一語、
一語、言葉を咀嚼するように喋っていた。
「ソフィーや。親しい者の死というのは、そういうものなんじゃよ。年月を
経るうちに、ようやく実感が沸いてくるものなんじゃ」
「あたしも、最初はそう考えていました。ずっと一緒に過ごしてきて、傍に
いるのが当たり前だったから、まだ生きているように感じているんだと。で
も両親を亡くしたときと明らかに違っているんです。だって……」
ソフィーは、躊躇いがちに、その言葉を口にした。
「ポルターガイストじゃと?」
ソフィーの口から、思いも寄らぬ言葉が飛び出したので、ポポフは思わず
鸚鵡返しに聞き返していた。
ソフィーは、いたって真面目な顔で頷く。
「そんな話、にわかには信じられんのう」
ポポフは、懐疑的な表情を浮かべている。
自分のほうが、ずっと迷信深いくせに、ソフィーの言葉を全然信じてくれ
ていないようだ。
「帰還者の伝説を、あたしたちに教えてくれたのは、おじさんじゃないです
か。それなのに、当のおじさんが霊の存在を疑うんですか?」
ソフィーの言うことはもっともだ。
「まあ、それはそうなんじゃが。話を聞く限り、お前さんの身の回りで起き
ている妙な出来事は、どれもお前さんを助けるように働いとるわけじゃろう
?」
ポポフの問いに、ソフィーはコクリと頷く。
「伝承に出てくる帰還者はな。人に仇なすことはあっても、人のために役立
つことはしないもんなんじゃよ」
「で、でも……」
「なあソフィー。幻覚や幻聴は、鬱の初期症状でな。人間は強いショックを
受けると、得てして見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり
するものなんじゃ」
でもソフィーは、すんなりとは納得しなかった。
「あたしが体験したのは、全部幻覚や幻聴だったっていうんですか? おじ
さんだって、あの収穫されたアーモンドの木は見たでしょう?」
「だから言っておるじゃろう。人間は見たいものを見てしまう傾向があると。
お前さんは関係ない事柄も、幽霊がやったとコジつけて、無理やり関連性を
見つけようとしてるんじゃないのかね。アーモンドが収穫されていた件にし
ても然りじゃ」
「…………」
「それに、最近お前さんは、働き詰めじゃったろう。疲れているときは、余
計に見えないものが見えたりするものじゃて」
ポポフは、ソフィーに、懇々と言い聞かせる。
「ええと、そうだったかしら。確かにここのところは、立て込んでいたけど」
ポポフに指摘され、ソフィーは、頬に手を当てて思案顔になった。
「それは、あえて自分から忙しくなるように仕向けてたんじゃないのかね?」
「だって、動いていたほうが何も考えずに済むし、気が滅入らないから……」
ポポフは、ソフィーの答えを聞いて、溜め息をつく。
「気持ちは分かるが、根を詰め過ぎじゃよ。そりゃあ不思議な感覚に囚われ
たりもするわい。これでニコルの葬儀も終わったことだし、少しは休みをと
ることじゃな」
「でもこのあと、空干してたアーモンドを出荷しに行かなきゃならないんで
すけど」
ソフィーは働き詰めで、疲労が溜まっているはずなのに、まだ働くつもり
らしい。
「なんじゃ。アーモンドはトレイに積んで、出荷するだけで済む状態になっ
ていたんじゃなかったのかね? 一週間前にそう言っとったろう」
「そうなんですけど、やっぱり乾燥しているか心配だったので……」
「もしかして、それをまた降ろして、空干しし直したのかね?」
ポポフに問われ、ソフィーは、きまりの悪そうな顔になった。
火星のアーモンドは、地球のものとは比較にならないほど大きい。
積み下ろし作業は、男性でも堪える重労働なのだ。
「なにやっとるんじゃ。充分乾燥しているかなんて、市場に卸すときに検品
して貰えば済む話じゃろう。自分で余計な仕事増やしてどうする。やはりど
うかしとるぞお前さんは」
ポポフは、ちょっと怒った口調になっていた。
それだけソフィーのことを気に掛けてくれているのだ。
「でも、空干ししたアーモンドを、また積んでおかないと、すぐに出荷でき
ないから……」
「まさか、これからまたアーモンドを積み直すつもりなのかね?」
ポポフは、完全に呆れ顔になっていた。
バツが悪かったのか、ソフィーは、下を向いてモジモジしている。
「やめとけやめとけ。市場に卸しに行くのなんて、いつでもできるわい。ま
だニコルを弔う気持ちになれんかもしれんが、それでも葬儀のあった日くら
いは、故人を偲んで大人しくしとるもんじゃぞい」
ソフィーは、ポポフの意見を聞き入れ、今日のところは家でおとなしくし
ていることにした。
◇
ニコルは、ソフィーの守護霊みたいなもの。
見守り対象であるソフィーの許を、ヒョイヒョイと離れられない。
当然ニコルは、墓園にも付いて来ていて、先ほどの会話も全部聞いていた。
ソフィーが、トレイに山積みになったアーモンドを、目を皿のようにして
ひとつひとつ調べていたことも、もちろん知っている。
おそらくソフィーは、アーモンドを収穫したのが帰還者となったニコルの
仕業ならば、何か手掛かりが残されているかもしれないと考えたのだろう。
ソフィーが、二度手間の空干し作業を行ったのは、ニコルの痕跡を探すた
めだったのだ。
彼女も、きっと心の底では、ニコルが帰還者になって戻って来たなどとい
うオカルト話を信じてはいない。
けれども、ニコルの死を認めたくなかったソフィーは、ニコルが帰還者に
なって戻って来たと信じ込みたかったのだ。
だからポポフに現実と向き合うように言われて、はたと我に返ったのでは
ないだろうか。
でもまさかこの場に、本当に死んだ弟の幽霊がいて、一部始終を見ていた
とは思うまい。
◇
墓地が造成されているのは窪地。
墓地へ続く道は、窪地を囲うように巡らされているため、土手状になって
いる。
ソフィーたちの乗ってきたペンタポッドは、その土手の道端に駐機してあ
った。
もともと墓地には、ちゃんとした駐機場はなく、訪れる者は皆、道端に止
めていた。
葬儀を終えたソフィーとポポフは、土手を登り、自分たちのペンタポッド
の許へと戻って来た。
ペンタポッドは、複座式のマシン。
機体上部と、増設された胴体部の二箇所にコクピットが設けられている。
今までソフィーは、胴体部の座席を主に使用してきた。
上部座席は、弟の指定席だったからである。
どちらかの席が、機能的に優れているということはない。
ただし居住性に関して言えば、後付けされた胴体部コクピットよりも、ト
ライポッド系本来の操縦席である上部コクピットのほうが断然広くて居心地
良かった。
歳をとっていろいろ億劫になってきているポポフのような老人が、少しで
も乗り込み易い胴体部コクピットを好んで使うのは、まあ分かる。
でも普通の人の場合は、上部コクピットが空いているのに、あえて胴体部
コクピットを選んで使う理由はない。
実際ソフィーは、リモコンキーでペンタポッドに降車姿勢をとらせ、上部
座席に乗り込もうとした。
ところが彼女は、いったん上部キャノピーに掛けた手を、またすぐに引っ
込めてしまった。
埋葬を済ませてもなお、弟の指定席に座るのは気が退けるらしい。
結局ソフィーは、上部コクピットには乗らずに、いつもの胴体部コクピッ
トのほうへ腰を落ち着けた。
土手のてっぺんの天端を走る道は、ろくに舗装もされていない畦道。
道幅も充分にはなく、車輌が行き違うのも難しいくらい細かった。
墓地をあとにし、縦列になって土手道をユルユルと走る二機のペンタポッ
ド。
ソフィーが、どちらのコクピットに乗ろうか逡巡していたので、ポポフが
先行。
ソフィーのペンタポッドは、ポポフのペンタポッドの後方に付けた。
二機ともコクピットハッチを開け放ったまま走行している。
胴体部座席のほうが窮屈といっても、ハッチを開け放ってしまえば、コク
ピットの広さなど関係ないからだ。
それに会話もし易い。
「あら?」
しばらく行くと、どこからともなくニュース放送が流れてきた。
「……一週間後、ついにここ、火星の首都ゲリヨンシティーにおいて、火星
と地球の講和を話し合う和平会議が開催されることになりました。長いあい
だ続いてきた冷戦状態が、解消されるのではないかと期待されています。対
立を越え、ようやく火星と地球の未来志向の関係が始まろうとしているので
す」
ニュースは、近々開催予定の地球と火星間の和平会議について触れていた。
ソフィーが興味あるのは、ニコルのことと、日々の生活のことくらい。
それ以外のことには、あまり興味がない。
そんなソフィーでも、近々和平会議が開催され、両惑星のトップが、歴史
的会談を行なうことくらいは知っていた。
毎日トップニュースで、耳にタコができるくらい聞かされているので、世
情にうといソフィーでも知っていたのだ。
現在の火星と地球は、長らく休戦状態。
とはいっても国際的な形式上は、現在もなお戦争継続中ということになっ
ている。
戦争の原因は、火星国家の成り立ちと深く関係している。
火星のテラフォーミングは、数百年かけて行われている大事業で、年齢、
性別、国籍、宗教問わず、多くの人が参画していた。
特に火星開拓に尽力したのが、命懸けで火星に移住した火星移民たちだっ
た。
ゆえに火星移民は、自分たちが赤い大地を切り開いてきたという強い自負
心を持っていた。
当然自分たちこそが、火星開拓の恩恵を一番享受するべきとも思っていた。
地球に多くの利益を搾取されていることについては、強い不満があったの
だ。
だから火星移民は、独立政府を打ち立てて、地球からの分離独立を宣言し
た。
だが翻ってみれば、地球側が地球経済を傾けるほどの莫大な資金を、火星
のテラフォーミング事業に投資してきたことも、また事実。
投資分も回収しないで、一方的に独立宣言をされても、地球側だって、
『はいそうですか』と要求を呑むわけにいかなかったのである。
こうして地球と火星の、長い長い惑星間戦争が始まった。
けれども、広大な宇宙空間を隔てて戦争することほど、非生産的で馬鹿げ
た話もない。
長きに渡る戦いで、地球と火星はともに疲弊し、社会には厭戦ムードが蔓
延していった。
さらに厭戦ムードが蔓延し始めた時期と時を同じくして、宇宙と火星をつ
なぐ侵攻ルートになっていた火星の軌道エレベーターが崩落。
これによって戦争継続は実質不可能となり、両惑星は、長い休戦状態に入
ったのである。
以来、正規軍同士の本格的な戦闘は、公式上一切行われていない。
火星侵攻時に取り残され、ゲリラ化した地球軍人たちとの戦闘が、たまー
にあるくらいだ。
両惑星間の本格的な戦闘は、既に十年近く行われていなかった。
ニュース音声がどこから聞こえてきているのか気になったのか、ソフィー
は、耳に手をかざし聞き耳を立てていた。
「両惑星代表団の会議に先駆けて、既に次官級による事前折衝は、何度か行
われており、不発弾などの兵器の回収・処理事業を初め、実務者レベルで和
平プロセスが動き始めているものもあります」
道を進むにつれ、ニュースの音声はどんどん大きくなっていく。
どうやら音は、五十メートルほど前方の道端に駐機してあるトライポッド
の一団から響いてきているようだ。
道端に駐機してあるトライポッドの数は四台。
機体色は、暗い緑色。
通行の邪魔にならないように、道から少し外れたところに並べて駐機して
あった。
ニュース音声の発信源は、その中の一台のトライポッドからだった。
音が外に漏れることなど、はなから気にしていないのか。
トライポッドのキャノピーは全開になっていた。
残り三機のトライポッドは、スモークガラスのキャノピーが下りているの
で、人が乗っているかも定かでない。
トライポッドの前を通り過ぎるとき、コクピットの中が、チラリと見えた。
乗っていたのは厳つい体の男性。
コクピットシートに寝そべり、日焼けした赤銅色の腕を、頭の後ろで組ん
で、枕代わりにしていた。
かなり大柄な人物らしく、コクピットの淵にドッカと架けたサバイバルブ
ーツが、車外へ飛び出していた。
身に着けているのは、カーキ色のサバイバルウェアの上下。
胸前は大きくはだけており、タンクトップに包まれた見事な大胸筋を覗か
せている。
顔は、目深に被ったカストロ帽に隠れていて、よく見えなかった。
パッと見ただけでは、起きているか、寝ているかすらも判らない。
起きていると知れたのは、トライポッドの前を通り過ぎた直後に、何事か
呟くのが聞こえたからだ。
「ここらでは見掛けない色のトライポッドだけど……日光浴でもしていたの
かしら?」
駐機してあったトライポッドの前を通り過ぎてから、ソフィーは、誰に言
うとでもなく呟いた。
テラフォーミング前の火星は、有害な宇宙線の降り注ぐ惑星で、日光浴な
んてとてもできる環境ではなかった。
でも現在の火星は、地磁気が強くなって、地球と同じく火星の周りにも宇
宙線を遮る固有磁気圏のバリアーが形成されるようになった。
有害な宇宙線を遮る大気層も形成された。
おかげで現在では、空から降り注ぐ宇宙線の量は、地球と大差なくなって
いる。
今日は、火星にしては珍しく、雨も、雪も、砂嵐も吹いていない穏やかな
陽気。
道端で日光浴をしている人がいたところで、何も不自然ではなかった。
「戦中まだ幼かったお前さんは、知らんかもしれんが、ありゃあトライポッ
ドの派生機で軍事用のトライポッドアーミーというヤツじゃよ。緑色という
ことは地球軍のものじゃろうな。日光浴していたのは地球の軍属じゃろう」
ソフィーの独り言が耳に入ったのだろう。
ポポフが簡単な注釈をしてくれた。
火星でも一番ポピュラーな兵器なので、トライポッドアーミーについては
ニコルも知っていた。
トライポッドアーミーは、ペンタポッドと同じく、トライポッドをプラッ
トフォームに改修を施されたトライポッドのバリエーション機。
戦闘用の改良・強化が施されている。
安価で兵器として導入し易いことから、火星軍・地球人ゲリラ問わず運用
されている。
外観や、基本構造こそノーマルのトライポッドと変わらないが、通信装置、
装甲材、足回りなどが強化されている。
サスペンションの強化は、輸送機からの空中投下まで可能にしていた。
もっとも火星では、大型輸送機が飛ぶことなど滅多になかったから、空中
投下ができても意味はなかったのだが。
火星環境は、大気組成の違いや、塵旋風による事故、氷結トラブルなどの
問題が多々あり、吸気式エンジンの運用に向いていなかったのだ。
運用が難しいのは、気候の影響を受けやすいヘリも同様。
だから火星の空を飛んでいる機械のほとんどは、墜落しても人的被害の出
ないグライダーや、電動プレーンなどの使い捨てドローンである。
航空兵器も、気象条件さえ整えば飛ばせないわけではなかったが、いざと
いうときに飛べないのでは戦力として当てにはできない。
また航空兵器の主武装であるミサイルなどの誘導兵器が、火星では使い物
にならないことも、この惑星で陸戦兵器に重きが置かれるようになった要因
である。
火星は、酸化第二鉄などの赤サビに覆われた赤褐色の惑星。
テラフォーミング前から地表には、磁気を帯びたマグへマイト(磁赤鉄鉱)
の塵が舞っていたが、テラフォーミング前には、深刻な電波障害を引き起こ
すような強力なジャミング効果はなかった。
ところが、テラフォーミング計画の最初期。
小惑星を火星に落とす計画が実施されたときに、状況が大きく変わった
もともと火星は、地球と同じく固有磁気圏を持っていた惑星だったらしい
のだが、天体衝突で火星のコアのダイナモ作用が弱まり磁気圏を消失。
宇宙線の降り注ぐ死の惑星へと変貌したとされる。
火星に人が住めるようにするには、磁気圏を強化し、火星の周りに有害な
宇宙線を遮る磁気圏のバリアーが再び形成されるようにしなければならない。
そこで科学者たちは考えた。
天体衝突によって停止した地核活動ならば、天体衝突によって再び動かせ
ばよいのではないかと。
当初は火星の衛星を落とす計画だったが、火星コアを再活性化させるには
質量が足りないということで、ハルモニアという名の小惑星が、アステロイ
ドベルト帯から運ばれてきて落とされた。
これにより、火星の地核活動は活発化。
原始地球と化した。
原始地球と化した火星では、いたるところでマグマが吹き上がり、地表で
はひっきりなしに天雷が降り注いでいた。
火山活動は、マグへマイトの前駆体のマグネタイト(磁鉄鉱)を地表に大
量に供給。
マグネタイトは、風化・酸化する過程でマグへマイトに変化。
火星表面上のマグへマイト量を大幅に増加させるとともに、降り注ぐ落雷
が、さらにその磁性を強化したのだ。
そして人間が入植するころには、火星の砂嵐は、強い電波攪乱作用を持つ
ようになっていたのである。
おかげで、竜巻や塵旋風などの強い砂嵐が吹き荒れているときは、通信が
完全に途絶。
レーダーも死ぬ。
たとえ雲や霧を透過できる高性能マイクロ波レーダーでも、電磁場障害を
引き起こすような強力な磁気砂嵐の中までは見通せない。
そのうえ砂は、視界も不良にしたため、電波ホーミング式ミサイルのみか、
カメラ誘導式や、光の反射を利用した光波ホーミング式ミサイルすらも無効
化してしまった。
ミサイルを使うのなら、誘導弾としては機能しないので、予め座標を指定
して撃ちっ放しにするしかないわけだが。
それでは大陸間弾道弾のような戦略兵器としての使い道はあっても、通常
兵器としては使いづらい。
装弾数が多くできるぶん、火砲のほうが重宝されている。
このように火星の特殊な環境は、航空戦力のみならず、誘導兵器までも役
立たず兵器に変えてしまったのである。
おかげで火星では、未だに戦車と戦車が戦う前時代的な機甲戦が、戦争の
メインを張っているというわけ。
でもだからこそ、トライポッドアーミーのような戦車モドキが、重宝され
ているとも言えるだろう。
また原型機のトライポッドが、タイヤの中にモーターを内臓したホイール
インモーター式の車輌であったことも、トライポッドアーミーの兵器として
の有用性を高めていた。
普通の車の場合、左右の車輪を別方向には動かせないため、戦車のように
一地点で動かずに方向転換する『超信地旋回』は行えない。
でも車輪を個別制御できるトライポッドならば、超信地旋回も可能だった。
簡易改造車輌ながらも、戦車より軽量で、超信地旋回も可能なトライポッ
ドアーミーは、従来の戦闘車輌を寄せ付けない程の高い機動力を有していた
のである。
武装は、作業用マニュピュレーターを換装した短砲身の低圧砲を、左右の
脚に一門ずつ。
計二門装備。
砲弾発射時の圧力を砲の後方に逃すため、コクピットは、
砲の真後ろにこないように位置取りが工夫がされている。
トライポッドアーミーの低圧砲に用いられるのは、低反動な軽量弾。
同口径の通常砲に比べると射程が短く、やや威力も落ちるが、砲の構造上、
肉薄に作ることができるため大幅な軽量化が図れた。
仰角をとり、擲射弾道で弾を撃ち出せば、榴弾砲のような運用も可能。
放物線を描いて飛ばす擲射弾道時の有効射程は、およそ三千メートルに及
ぶ。
ただし装備している弾種は、低圧砲用の軽量弾のみ。
榴弾は積んでいないので、榴弾砲として面制圧に用いるには、向いている
とは言えない。
命中率は、距離が遠ざかるのに比例して下がり、目標を確実に捉えるには
二キロ圏内でないと厳しい。
火力面だけを評価すれば、トライポッドアーミーは、軽量な機体に軽い砲
を二門載せ、無理矢理に前面投射能力を上げた中途半端な機体という評価も
できる。
でもトライポッドアーミーの真骨頂は、火力ではなく、スピードと数にこ
そある。
軽い機体ながらも、走りながら砲撃する行進間射撃が可能なので、数に頼
んで一斉に襲い掛かれば火力の貧弱さも補えた。
航空戦力を頼りにできず、かといって戦闘車輌の絶対数も足りていない火
星では、トライポッドアーミーは、欠くことのできない重要な戦力となって
いたのである。
「そういえば火星侵攻の際に取り残された地球軍の残党が、地球と火星の和
平プロセスの一環で不発弾処理をやっていると、前にニュースで言っとたな。
それで奴ら、ここらへんにやって来とるんじゃろう」とポポフ。
「へー、そうなんだ」
世情にうといソフィーは、地球の侵略軍が、現在は不発弾処理なんて殊勝
なことをやっているなんてまったく知らなかった。
「火星侵攻の際に取り残された地球軍人たちが、野盗化して、問題になっと
ったからな。戦後復興事業に携わらせて、仕事を与えてやるのは良いことじ
ゃよ。火星と地球の和平協定が結ばれれば、いずれ彼らも地球へ帰っていく
ことじゃろうて」
「ふーん」
ソフィーは、気のない返事をした。
彼女は、淡白な性格をしているうえに、政治や軍事、国際情勢などの小難
しい話には、とんと興味がない。
だから、ひとしきりポポフの説明を聞いたら、もうトライポッドアーミー
に対する興味を失ってしまったらしい。
でも、彼女の傍に付き従っている幽霊的存在のニコルは違った。
人間の耳には聞こえずとも、ニコルの耳には、日光浴をしていた男がすれ
違う時にボソッと洩らした言葉がはっきり聞こえていたからである。
「フンッ、どうせこれから地球の連中も、火星の連中も、地獄を見ることに
なる。せいぜい今のうちに浮かれているがいいさ」
日光浴をしていた男は、渋い嗄れ声で、確かにそう言っていた。
その台詞が、妙に引っ掛かったニコルは、後方のトライポッド群へ改めて
意識を向けてみた。
幽霊的存在のニコルには、人間を遙かに凌駕する超感覚が備わっている。
守護霊として姉の許を離れられない制約があろうとも、彼女の傍らにいな
がらにして、人の聴覚では拾えぬ微細な音をキャッチしたり、遥か遠くのも
のを見通したりできるのだ。
ソフィーたちのペンタポッドが通り過ぎたあと。
キャノピーの閉じたままだった三台のうちの一台から、人が降りてきた。
着ているのものは、トライポッドアーミーの中で寝そべっている男性と同
じく、カーキ色のサバイバルウェアの上下。
それにカストロ帽と、黒いアーミーブーツを履いていた。
髪は黒く、帽子の中にひっつめていて、色っぽいうなじを露わにしている。
彫りは深く、肌の色は浅黒い。
三十前後のアーリア系の女性だった。
「何か言いましたか大佐?」
女性が、寝そべっている男性を大佐と呼んだことからも、ポポフが言って
いたとおり、彼らが軍属であることは間違いないようだ。
「なんでもない。それよりもカーラ。例のお宝の在り処は、検討がついたの
か?」
大佐と呼ばれた男は、カーラと呼んだ女性に対し質問を返した。
「通信状況が良くなって、さっき連絡が入りました。大昔、この町の中央部
に、それらしき物が落ちたと、地元の古老から証言が得られたそうです。で
すが、いかんせん五十年以上も前のことなので、これ以上はっきりしたこと
は何とも……。人海戦術で、しらみ潰しにしていくしかなさそうです。われ
われ以外の者は、既に捜索活動に向わせています」
カーラと呼ばれた妙齢の女性は応えた。
「やれやれ。まだ見つかるまで時間が掛かりそうだな。じゃあぼちぼち俺た
ちも手伝いに行くとするか」
大佐は、上体を起こし、帽子を被り直した。
ニコルは、筋肉の隆起した見事な肉体から、大佐を二十代から三十代前半
くらいの男性と予想していた。
だが、露わになった顔は、五十を越えた中年男性のものだった。
顔の色は、腕よりも濃い赤銅色で、皮膚には深い皺が刻まれている。
まるで長い風雪に耐えた巌を思わせた。
皺よりも、少しだけ大きい裂け目の部分が、目と口だ。
まるで威厳高いネイティブアメリカンの酋長のような風貌だった。
でもそれは、よく日焼けした赤銅色の肌と、日焼けの副産物としてできた
深い皺から受ける先入観であって、実のところ何系の何人なのかはハッキリ
しない。
ネイティブアメリカンと同じモンゴロイド系であるかすら甚だ怪しい。
表情はというと、軍属のわりに意外と柔和だった。
ただし目の奥は笑っておらず、抜き身の刀のような恐い光を宿していた。
「あの……」
起き上がった大佐は、カーラと呼ばれた女性が、何か自分に言いたげな表
情をしているのに気づいた。
「どうした。何か問題でもあるのか?」
促され、カーラは大佐に、おずおずと訊ねる。
「差し出がましいようですが、その……われわれトライポッドアーミー部隊
だけで強襲を仕掛けたほうが手っ取り早かったのではないでしょうか。例の
物は、惑星間戦争初期の骨董品。運良く見つかったとして、以前見つけた物
と同様、まともに起動しないかもしれません。そんな前世紀の遺物を当てに
するのは、リスキーすぎるのではありませんか?」
「ふふん」
大佐は、カーラの危惧を一笑に付した。
「副官のお前が、そんなこと言っているようでは困るな。お前の言うその骨
董品は、単機で戦局を変えるほどの圧倒的力を秘めた代物なんだよ。トライ
ポッドアーミーなんて、アレと比べたらオモチャみたいなもんだ。分かった
らツベコベ言ってないで行くぞ。ジュー、チェン、お前たちも行けるな?」
「はい、ドラグノフ大佐。ジューいつでも行けます」
「チェン、いつでも行けますぜ」
残り二台のトライポッドアーミーのキャノピーも開いて、中からジューと
呼ばれたスラヴ系コーカソイドの男性と、チェンと呼ばれたモンゴル系の男
性が顔を覗かせた。
二人とも年齢は、カーラとそう変わらないように見える。
駐機していた四台のトライポッドアーミーは、キャノピーを閉じると、一
斉に動き出した。
縦列陣形を組んで走るトライポッドアーミーの一団は、整然としていて、
まるでひとつの生物のような動きを見せる。
トライポッドに搭載されている自動運転システムのなせる技だ。
その移動速度は速く、先をトロトロ走っていたソフィーたちのペンタポッ
ドに、すぐに追いついた。
ビイイイイイイッ!
突然の背後からのクラクションに、ソフィーは体をビクッと震わせる。
でも土手頂の天端は道幅が狭く、道脇に寄せて止まれるような場所も限ら
れている。
止まれるだけの充分なスペースもなしに道脇に寄せたら、土手から転げ落
ちてしまう。
ソフィーたちは、どきたくても、どきようがなかった。
しかし、すぐ背後にまで迫って来ているトライポッドアーミーは、そんな
ソフィーたちの事情を斟酌してくれなかった。
クラクションを鳴らし続け、ソフィーたちを煽り続ける。
さらにガツンという激しい衝撃がして、ソフィーのペンタボッドのボディ
を前後に揺さぶった。
驚きのあまり、ソフィーは一瞬息が止まる。
いっこうにどこうとしないソフィーに焦れた先頭のトライポッドアーミー
が、軽く接触してきたのだ。
トライポッドの前身は、惑星を探査する無人ローバー。
他の車輌と適正な車間距離をとる、無人ローバー時代の自動運転用古プロ
グラムが、トライポッドでも再利用されている。
この自動運転システムをオフにしないかぎり、車同士がぶつかるはずがな
い。
意図的な接触なのは明らか。
トライポッドアーミーの悪意は、はっきりしていた。
「オラ、オラッ、チンタラ走ってんじゃねえぞ火星人!」
ニコルの耳に聞こえてきたのは口汚く罵る声。
ドラグノフ配下で、チェンと名乗っていた男の声だった。
ニコルの優れた聴覚は、接近して来たトライポッドアーミーのコクピット
内の音声まで拾っていたのだ。
ニコルは、姉に怪我がないことを確認してから、背後のトライポッドアー
ミー群に目を移す。
そしてペンタポッドの後方に全意識を集中させた。
チェンのトライポッドアーミーは速度を上げ、再び車間距離を詰めて来た。
そして再び接触を仕掛けたそのとき。
異変は起こった。
ぶつかってこようとしたトライポッドアーミーのほうが、突然強い衝撃を
受けたように、右に左に蛇行を始めたのだ。
「な、何だ?」
声から察するに、当のチェンも、事態が呑み込めていない様子。
チェンのトライポッドアーミーは、そのまま機体操作を失い、後続機にぶ
つかりそうになる。
煽りを食った後続機の隊列も大きく乱れ、トライポッドアーミーの集団は
急速に減速していった。
「何をやっているかチェン! 隊列を乱すな!」
「す、すいやせんカーラの姐御」
「どうした、車体トラブルか?」
と、これはジューの声だ。
「わからねえ。前の車とぶつかるか、ぶつからないかのところで、突然、何
か見えない力に弾かれたような……」
トライポッドアーミーが減速した隙に、ソフィーたちは、道端にペンタポ
ッドが駐機できるスペースを見つけ、ペンタポッドを急停車。
トライポッドアーミーをやり過ごした。
トライポッドアーミーの集団は、ソフィーたちのペンタポッドをパスする
と、あっと言う間に遠ざかって行ってしまった。
人間離れした聴力を持つ幽霊的存在のニコルには、遠ざかって行く軍人た
ちの会話も聞こえていた。
「いいかい。作戦決行を目前に控え、昂ぶるのも分かるけど、調子に乗り過
ぎるんじゃないよ」
注意した声は、カーラのものだ。
「カーラの言う通り。お前ら、そう逸るな。平和ボケの火星人も、地球のお
偉いさんも、どうせすぐ思い知ることになる。戦争がまだ終っちゃいないっ
てことをな!」
ドラグノフが、カーラの言葉のあとを継いで言った。
会話が聞こえたのは、そこまで。
トライポッドアーミーは、スピードを上げ、ニコルの傍聴可能範囲を越え
て行ってしまった。
火星と地球が雪解けムードになっているのに『戦争がまだ終っていない』
とは、いったいどういう意味なのであろうか?
ニコルは、ドラグノフの言葉に不穏なものを感じていた。
(あいつら何を企んでいるんだろう? 嫌な予感がするな。これは万一のこ
とも考えて、早めに準備しておいたほうが良さそうだな)
一方ソフィーはというと、停車させたペンタポッドのなかで心臓を抑えて
いた。
牧歌的な生活を送ってきたソフィーは、今まで暴走集団に煽られたことと
など一度もなかったので、完全に粟を食ってしまったのだ。
ニコルの人並み外れた聴覚には、早鐘のように打つソフィーの心臓の鼓動
が伝わってきていた。




